はてなキーワード: 相関関係とは
選ぶということは差をつけて別けることなので本質的には差別である。
問題視される差別は社会的、公的な差別であって個人単位での差別をことさらにあげつらうべきではない。
人と交際するのってそういう風にスクリーニングして決まるものではなくて遍歴を後から眺めたときに背の高い人が好きなんだなあと気づくものではないか。
など言いたいことはいくつかあるが、せっかくなので何を差別と感じて何を差別を感じないか、あるいは許容される差別であるか。を考えていきたい。
結論から言うと、その属性そのものを見ているか、に尽きると思う。
単純に見た目の好みとして「背が高い人」を好む何者かに対して悪い意味での差別性を私は感じない。
しかし「背が高い人が良い」の理由として「身長が低い人は性格もひねくれているから」と言われたら、差別的だな、と思う。
同様に「背が高い人は知能も高いから」も十分に差別的だと私は感じる。
まとめると、「背が高い・低い」ということを「背が高い・低い」という事象そのもので受け取らず、知能や性格に関連付けてしまうような論理の飛躍、偏見に対して差別を感じるのだ。
これは相関関係のあるなしは問題ではない。仮に身長と知能、性格に相関関係があったとして、目の前の人物がどうであるかには一切関係がないからだ。
男性のほうが、黒人のほうが犯罪率が高いとしても、目の前の黒人男性が犯罪者かどうかはその人自身を見なければわからない。
そもそもある集団の犯罪率が他の集団より高かったとしてもその集団内での犯罪者の割合は些少なんだけどまあそれは別の話。
出自が人物に影響を与えることは当然あるだろう。しかし判断は結果としての現在の人物を見れば良いだけのことである。
出自を問うことに意味はないし、書類の出身地を書き換えたからと言って能力や性格が変わるわけではない。
つまり、出自を元に人物を判断するということは、出自に結びついた何らかの論理の飛躍や偏見が必ず存在することになる。
当人の言を聞くまでもなく、差別的であると判断することができる。
最後に微妙なラインについて考える。「運動部出身の人はなんか怖いから苦手」これは差別だろうか。
部活動の種類と危険度には何の関係もないので、運動部出身を恐れる客観的な理由はない。ではこれは偏見から来る差別なのか。
これについては、差別的には感じるが問題のないレベルだと私は思う。何が違うかと言うと、判断の責を誰が負っているのか、である。
ここで言われているのは「なんか怖い」という主観である。運動部出身の人が悪いわけではなく、「なんか怖い」と思ってしまう自分に責がある。とはいえどう繕おうが「なんか怖い」ものは仕方がないのだ。
なので個人レベルでは問題ないと判断する。行政や企業にそういう情緒で動かれたら批判せざるを得ないが。
ちなみに「運動部出身は粗暴だから苦手」という主張だったらどうだろう。「粗暴」という相手の責になっている。
これは容易に「粗暴な人間を生み出す運動部を廃止しよう」という社会的な流れへのモチベーションになる。ここまでくれば直球の差別と言っても差し支えないだろう。
特に着地点も決めないままダラダラと書いたが、とりあえず2つの考えに達した。
偏見、論理の飛躍から来る特定の属性への決めつけ、及びそれを元にした判断、について差別的だと私は感じる。
https://president.jp/articles/-/52798?page=2
「自殺者の97%は精神医学的診断がつく病気」→「病気の治療をすれば自殺は防げる」という論法には著しい論理の飛躍があります。相関関係を因果関係と決めつける飛躍に加え、治療が成果を出すとは限らないという現実を完全に無視した飛躍があるのです。
もしも、張医師の言葉が正しいのであれば、早期に治療につながった人の自殺は食い止められ、治療を受けていなかった人が自殺をしているはずです。ところが、自殺した人の多くは、むしろ既に精神科で治療を受けていたことがさまざまな調査で判明しています。さらには、張医師が意図的に「病気」と表現することにも問題があります。なぜならば、それらは正確には「病気」ではないからです。
精神医学は他の身体医学と決定的に異なり、生物学的指標をもとに客観的に診断する手法は存在せず(一見すると科学的、客観的に見える光トポグラフィーなどの診断補助はあるが、定義された診断名と合致できる判定をすることなど不可能)、「病気(disease)」とは異なる“disorder”という概念を持ち出して診断名をつけることになっています。disorderは「障害」と翻訳されていますが、その訳語は不適切です。本来は正常な状態から外れているくらいの意味合いであって、「症」と訳すのが適切ではないかという議論があります。
つまり、精神医学的診断は通常の「病気」の概念とは別物なのです。無論、張医師は一般的な意味であえて「病気」という分かりやすい言葉を用いた可能性はありますが、その言葉から一般の人は、脳などに異常があって病院にかかって薬などを用いて治療すべき状態を思い浮かべるでしょう。それは誤解を与える表現です
精液の量が変化するのはなぜか?
これはAVの鑑賞時間に精液量が比例しているということではなくて、
より自慰行為者にとって快感度数の高い経験をすることによって精液量が増加する傾向にある。
このような変化はなぜ起こるのだろうか?またこの変化によってその自慰行為者が生物としての利得を得る可能性はあるのであろうか?
しかし精液量が多い場合には精子の量が多くなると仮定すると精液量の増加はより繁殖の機会の増加として生物的には歓迎するべきことである。
とするなら性的に興奮するというのは生物的に利得を売る行為である。
ここで翻るにメスの発情行為の一環として人間は露出することを好む。
これはより若いメスにおいて着衣面積が減少する傾向が見られることから推測することが出来る。
すなわち若いメスの露出行為はオスに対する性行為の誘引行動を促すだけでなく、そのオスの精液量を増加させて繁殖の可能性を増加させるという2重の利得を得ているのである。
このようにひとつの行動がひとつの目的だけでなくふたつみっつと兼ね合いを魅せるのは極めて生物的であり納得がいくものである。
https://twitter.com/mushatrader/status/1547956633661149184
スマホは高校生からってことで、中1の子供のクラスのグループLINEに僕のアカウントで今日から入ってみたら、この時間でもガンガン通知鳴りまくり未読500件オーバー。初日にしてスマホと学力低下の相関関係を見事に示してくれたわ。子供を守りたいんならスマホなんて渡しちゃダメだ。
主な悪因は集中力の低下じゃないかと。LINE2時間やった後いざ勉強しようとしても集中力使い果たしてますし、勉強中でも通知が来たら気になってLINEを見てしまいます。
うちの子も さんのように小学校の時生徒会長してまして、自ら善悪を判断し自制できるタイプなのできっとスマホを渡しても大丈夫だとは思うのですが、分からず流されてしまう子たちは大事な勉強時間を無意味なやり取りに費やし続け、大人になってからきっと後悔することでしょうね。
中1の甥っ子はクラスのLINEグループと学年のLINEグループがあって、それぞれ全体の3分の2ずつは入っているようです。
見てたら通知がメチャメチャくるけど、未読で放置していた。