はてなキーワード: 新型インフルとは
確かに統計の上では、インフルエンザの20倍の脅威というのは知ってるんだけど
新型インフルの時も初めは死亡率14%だったろ。結果的に1%に落ち着き、まず日本も海外も、母数が正確に把握できてない。
そして感染者も主に院内感染等、「弱い人」に集中してる。若い人の0.2%も、過大評価に過ぎない。
ダイヤモンドプリンセスでは「高齢者が異常に多く・船内は密接しており、医療体制も悪い」という最悪の状況だったわけで
毒性が強くならない限り「死亡率1.4%、重症率2.9%」の数値を超える事は、医療崩壊が起きない限り無い。医療崩壊の場合は死亡率が上がるだけ。
ダイヤモンドプリンセスを日本の年齢ピラミッドに置き換えれば、おそらくその数値はインフルエンザと同程度か少し上に落ち着く。
ちなみに2009年の新型インフルは、収束時点で死亡率1.28%。5-9歳児の呼吸器使用率は2.5%程だった。
インフルエンザと違うことが在るとすれば、「新型インフルエンザは子供に感染するが、コロナは大人・老人に感染する」だけ。
子供への感染は驚くべき低さを保っている。そして肺炎に関して、若い人間は回復しやすいが、老人は回復しにくい。
つまるところ、インフルエンザと似たような脅威だが、高齢化によって「高齢化社会には怖い病」となり、
SNSの発達によって批判が集まることを恐れ、各国の首脳は過度に反応し、SNSでも脅威論が伸びやすい為、みなこぞって投稿するようになり、「凄く怖い病」として宣伝されるようになった。
「立憲主義」とは”政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方。”(wikipedia)とある。
では、今回の新型インフルエンザ等対策特措法は立憲主義に即しているだろうか?
答えは、否である。
『報告さえすれば、宣言も延長もし放題。宣言や期間や措置の根拠を正すための市民イベントも開催禁止できる。外出自粛要請も、保育園や老人ホームの使用禁止も指示できる。
これが、国会承認までは不要で国会報告で足りる「抑制的な私権制限」なんですか?私はそう思わない。』
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1236832421967888384)
『しかもこの特措法の発動要件は「新型インフルエンザ等の感染が拡大していると疑うに足りる正当な理由」という極めて解釈の余地が広いものです。
パンデミック抑止のため初動の柔軟性を重視してこの要件を維持するなら、入り口が広い分だけ民主的統制や期間制限が強く要請されるはず。』
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1236832502951510016)
また、山尾氏は私案の骨子として、
① 緊急事態措置を行う期間(現行法は2年)と延長の上限(同1年)を6か月する。
を出している。
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235845649779707906)
つまりは、政府の行動を監視し、チェックできる機能を強化する方向性だ。
これは、立憲主義的と言える。
山尾氏は問題点をこう指摘する。
『「危機管理法制は法律で十分。憲法の緊急事態条項は不要」野党の多くはそう主張してきた。
その法律が国会統制や説明責任ゆるゆるだったら、説得力なくすでしょう。
昨日枝野代表は、安倍総理に対し国会質疑の確保などを求めたけれど、言質をとるだけじゃ足りないから「法」がある。』
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235449170598617089)
『ましてや強力な私権の制限を伴う法案。事実上の歯止めでは全く不十分。
民主党政権の法律だって言われたら、だからこそ足りなかった部分が分かると返せばよい。すぐさま具体的な改善策を提示すればよい。そんなに複雑な作業じゃない。
(https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235449306477285378)
また、3月11日には「総理が民放に放送内容変更・差し替え可能。」という政府側の答弁が出てきた(3月13日に撤回)。もはや異常である。
解釈次第でテレビ局の放送内容を指示できてしまうようなものを、出来ないよう明記して防ぐべきではないか?政府の解釈がわずか二日でまるっきり変わってしまうような状況。であればこそ、法律内で明文化することが大事であり、それが出来ていない法律は許さない、というのが立憲主義的ではないだろうか。
必要なのは、権力側が”やろうと思えばできてしまう”ものを、明確に禁止出来るようにすることなのだと思う。そのことを山尾しおりさんはずっと訴え続けてきた。枝野代表のツイッターにも間違いがあると指摘し続けてきた。
また、異常だと思うのは、異論を言うのを認めない空気だ。ある野党支持者は山尾氏の行動が「野党がバラバラな印象を与える」などと言っていた。ならば、野党議員は党執行部のゆうことを聞くロボットほうが良いのだろうか?おかしいことを自分の政党がやっているのに、何も言わないことが正しいというのだろうか。問題点の指摘、さらには改正案の私案まで出し、発言を続けてきた人に対して、口を塞ごうとするのは、同調圧力でしかない。
今回の場合、山尾氏の主張自体に反対する意見は少ない。であれば、どうしてこれほどにまで拙速に審議と成立を目指す必要があるのか?政府与党の出した法案に対して、審議を通じて、良くない点を指摘し、改善し、出来る限りの努力を行うことが野党議員の責任ではないだろうか。安倍首相も「今すぐ緊急事態を出す状況ではない」と発言している。審議を伸ばす時間はあったはずだ。
成立した改正法には、付帯決議がつけられたが、付帯決議があったとしても、それは努力義務以上の何の意味も持たない。立憲主義に鑑みれば、明文化して権力を縛るものを法案そのものに書き込むべきではないだろうか。それが出来ないのなら、反対の意思を示すべきだ。
将来、時の政権が解釈を変更し「テレビ局に指示できる」としたらどうするのか。その時「当時の野党は法案に賛成したじゃないか」と言われれば、何も反論できない。法案に反対をすることは、”おかしなことがある”という意思を示すことになる。賛成をすることは、その意思を示すことを放棄している。立憲主義に反する法案に反対せず、事実上の白紙委任に等しい賛成を行うことは、立憲主義を捨てたに等しい。
そんな野党は、”立憲野党”とは言えないし、政府与党の出す法案に白紙委任をする野党は、存在価値のない、それこそ「いても仕方がない」存在でしかない。
山尾氏を批判する、立憲支持者たちにとっては、立憲主義などどうでもいいのだろうか。立憲主義は、”立憲野党”にとって絶対に譲ってはならないものだし、”一度妥協したら死んだも同然”ではないだろうか。
新型インフルエンザ
新型インフルは二ヶ月、新型コロナは二ヶ月半でパンデミック宣言に至りました。
半月ほどの差ですが、この違いはなんだったのでしょうか。
新型インフルは二ヶ月で75カ国・2万7000人に広まっていました。
うちアメリカでの感染者が最も多く1万3000人という状況でした。
新型コロナは二ヶ月経った3月1日の時点では67カ国・8万7000人。
それを鑑みて、
新型インフルは世界各地で感染が進行しているためパンデミックであり、
新型コロナはあくまで中国での感染爆発に留まっているためパンデミックではない、
と判断されたのでしょう。
WHOは新型インフルのときにわずか二ヶ月でパンデミック宣言をしましたが、
その後、拍子抜けするほど被害が少なかったことで逆に批判を浴びました。
「製薬会社を儲けさせるために徒に危機を煽ったのだ」とまで言われています。
そんなことがあったので、WHOは今度の判断に慎重になったのだと思われます。
まあ、それで「中国と癒着している」とか言われるんですから皮肉なものですね。
ちなみに新型インフルのパンデミックによる最終的な死者数は全世界で1万8000人でした。
このくらいまでは「拍子抜けするほど少ない被害」と言えるのでしょうかね。
「パンデミック」のフェーズ分類はあくまでインフルエンザにのみ適用されるもので、
今回のパンデミック宣言は何か明確な基準にもとづいて判断されたわけではありません。
あくまで事務局長がパンデミックという言葉を用いて状況を伝えただけなのです。
というわけで、なんとWHOには新型コロナのパンデミックを宣言する義務などは特になかったのですね。
そもそも宣言する必要がないんだから、そりゃ「遅い」だの「隠蔽してる」だの言われる筋合いはありませんわね。