2020-03-15

新型インフル対策特措法改正案に反対した山尾しおり氏をなぜ批判

立憲主義」とは”政府統治憲法に基づき行う原理で、政府権威合法性が憲法制限下に置かれていることに依拠するという考え方。”(wikipediaとある

では、今回の新型インフルエンザ対策特措法は立憲主義に即しているだろうか?

答えは、否である

山尾志桜里氏は、Twitterでこのように指摘している。

『報告さえすれば、宣言も延長もし放題。宣言や期間や措置根拠を正すための市民イベントも開催禁止できる。外出自要請も、保育園老人ホーム使用禁止も指示できる。

これが、国会承認までは不要国会報告で足りる「抑制的な私権制限」なんですか?私はそう思わない。』

https://twitter.com/ShioriYamao/status/1236832421967888384

しかもこの特措法の発動要件は「新型インフルエンザ等の感染が拡大していると疑うに足りる正当な理由」という極めて解釈余地が広いものです。

パンデミック抑止のため初動の柔軟性を重視してこの要件を維持するなら、入り口が広い分だけ民主的統制や期間制限が強く要請されるはず。』

https://twitter.com/ShioriYamao/status/1236832502951510016

また、山尾氏は私案の骨子として、

① 緊急事態措置を行う期間(現行法は2年)と延長の上限(同1年)を6か月する。

② 緊急事態宣言する前に、国会承認必要とする。

③ 延長する場合国会承認必要とする。

④ 実施区域の変更も速やかに国会承認必要とする。

⑤ ④に関して国会不承認議決があった場合、効力を失う。

⑥ 実施状況を国会に報告する義務

を出している。

https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235845649779707906

まりは、政府の行動を監視し、チェックできる機能を強化する方向性だ。

これは、立憲主義的と言える。

山尾氏は問題点をこう指摘する。

『「危機管理法制法律で十分。憲法緊急事態条項は不要野党の多くはそう主張してきた。

その法律国会統制や説明責任ゆるゆるだったら、説得力なくすでしょう。

昨日枝野代表は、安倍総理に対し国会質疑の確保などを求めたけれど、言質をとるだけじゃ足りないから「法」がある。』

https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235449170598617089

『ましてや強力な私権制限を伴う法案事実上の歯止めでは全く不十分。

民主党政権法律だって言われたら、だからこそ足りなかった部分が分かると返せばよい。すぐさま具体的な改善策を提示すればよい。そんなに複雑な作業じゃない。

時間切れの妥協を待つより、私は法案つくります。』

https://twitter.com/ShioriYamao/status/1235449306477285378

また、3月11日には「総理民放放送内容変更・差し替え可能。」という政府側の答弁が出てきた(3月13日撤回)。もはや異常である

解釈次第でテレビ局放送内容を指示できてしまうようなものを、出来ないよう明記して防ぐべきではないか政府解釈わずか二日でまるっきり変わってしまうような状況。であればこそ、法律内で明文化することが大事であり、それが出来ていない法律は許さない、というのが立憲主義的ではないだろうか。

必要なのは権力側が”やろうと思えばできてしまう”ものを、明確に禁止出来るようにすることなのだと思う。そのことを山尾しおりさんはずっと訴え続けてきた。枝野代表ツイッターにも間違いがあると指摘し続けてきた。

また、異常だと思うのは、異論を言うのを認めない空気だ。ある野党支持者は山尾氏の行動が「野党バラバラな印象を与える」などと言っていた。ならば、野党議員は党執行部のゆうことを聞くロボットほうが良いのだろうか?おかしいことを自分政党がやっているのに、何も言わないことが正しいというのだろうか。問題点の指摘、さらには改正案の私案まで出し、発言を続けてきた人に対して、口を塞ごうとするのは、同調圧力しかない。

今回の場合、山尾氏の主張自体に反対する意見は少ない。であれば、どうしてこれほどにまで拙速に審議と成立を目指す必要があるのか?政府与党の出した法案に対して、審議を通じて、良くない点を指摘し、改善し、出来る限りの努力を行うことが野党議員責任ではないだろうか。安倍首相も「今すぐ緊急事態を出す状況ではない」と発言している。審議を伸ばす時間はあったはずだ。

成立した改正法には、付帯決議がつけられたが、付帯決議があったとしても、それは努力義務以上の何の意味も持たない。立憲主義に鑑みれば、明文化して権力を縛るもの法案のものに書き込むべきではないだろうか。それが出来ないのなら、反対の意思を示すべきだ。

将来、時の政権解釈を変更し「テレビ局に指示できる」としたらどうするのか。その時「当時の野党法案に賛成したじゃないか」と言われれば、何も反論できない。法案に反対をすることは、”おかしなことがある”という意思を示すことになる。賛成をすることは、その意思を示すことを放棄している。立憲主義に反する法案に反対せず、事実上白紙委任に等しい賛成を行うことは、立憲主義を捨てたに等しい。

そんな野党は、”立憲野党”とは言えないし、政府与党の出す法案白紙委任をする野党は、存在価値のない、それこそ「いても仕方がない」存在しかない。

山尾氏を批判する、立憲支持者たちにとっては、立憲主義などどうでもいいのだろうか。立憲主義は、”立憲野党”にとって絶対に譲ってはならないものだし、”一度妥協したら死んだも同然”ではないだろうか。

特措法の問題点を指摘し続けた山尾しおりさんや、反対の意志を貫いた議員の方々に敬意を表したい。

  • 特措法は要請までだから今とあんまり変わらないような気がするので意味のない法律かなと思っている。

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