はてなキーワード: 人為とは
テレビで作られたいいかげんな情報であるのに事実のように受け取られる方がいらっしゃったことについて
真実かのように紛らわしい雰囲気が誤解を招いてしまい信じた方がそれなりの損失を被ったことについて謝罪した事について
非常に適格だったでしょう
インタビューでだれも傷ついていないし出演者作成者スポンサーだれも問題が発生していない すべて同意の元にあるから
それを視聴した人間が人権について考えその深い考えから傷ついてしまった場合自分の気持ちを傷つけたのは勝手に思慮深く
人権について考えた最終結果が自分を傷つけるという結果でその試行は実際の問題をもつ人間やテレビ放送に関わるすべての
人間について傷つけるどころかなんの影響もないのに傷ついた自分自身の何かしらの気持ちをその自分の気持ちを揺り動かした
さっき近くのオリジン弁当まで行くのも確率的には死ぬ可能性があって弁当を買えない可能性があった(確率)
だからといって死ぬ可能性があるからオリジン弁当に行かないという選択はしなかった(意思)
逆に確率が可視化されたとしてオリジン行くのに1/1千万分の確率で死の可能性があったらオリジン弁当には行かないという選択を取るのか
選択によっては死ぬ確率が高いけど確率が可視化されてるものもその逆もある
何が言いたいかというと低確率と分かりきってることに対してナイーブになる必要はないし、確率が高低関係なく見えづらいうえに損じるものの大きさ(死ぬとか)によってはなるべく確率の可視化をできるように努める、とか
仮に確率の可視化をしようとしても徒労に終わることになってもどういった物事に関しては可視化しづらいということは分かるし、可視化する訓練にもなる
結局手札を有効に使うには弱い手札でも勝てるように工夫するしかないってことだし、その手段としてリスク判断が必要になるってこと
俺は、どーもドキュンを恨んでいた。今もうらんでいる。
俺は、高学歴エリートだし、給料の保障もされている。親も金持ちの資産家だ。
世の中ドキュンがクラスのかわいい娘とセックスしまくっていて、ヤリサーのリア充がやりまくって。そいつらが我が物顔。
こんなん絶対おかしいと思っていたし。多分そいつらドキュン達にも正義ってか、正しさみたいなのは無いんだって確信していた。
戦争中に子供を特攻隊にやっちゃった「空気」に流されたように。ドキュンも空気でやってるだけだろ、理性的に考えればドキュンやリア充ノリはおかしいと思っている。
なのに、そいつらが我が物顔なのが納得いかなかった。
でも、違うんじゃないか。
俺が苦しいのは、マダマダ中途半端なんじゃないか。
俺の親もそのくらいだ。
いわゆる上級国民だと思っていた。実際地元の県ではそれなりに発言力もあるし、1分野を牛耳っている。
でも、それって全然足りないのでは。
『凍牌』って漫画見てたら、芸能界のアイドルとヤリまくれるとかレベルのヤーさんがでてきたりして。
ああ、こういう奴らっているんだろうなって思った。
全然、1億とかってレベルではなく、数百億レベルの資産で世の中牛耳っているレベルの世界があるんだって。
ドキュンやリア充すら奴隷にしているレベルの世界もあるんかなって、漫画ながら感じた。
ドキュンやリア充のキチガイノリは、目をそらすためにマスコミが盛り上げているだけで。
実際は、そういう社会システムをコントロールしている人間、あるいはシステムに苦しめられてるんじゃないか。
また、その努力ってのもたちが悪いことに、社会のためになっている。
俺個人が普通に努力するより、システムにそって努力したほうが社会のためになる。
すでに、俺の人生は、俺が能動的に生きるより、システムの奴隷になったほうが有意義になるように組み込まれてしまっている。
もちろん、降りることはできる。でも、降りたところでじゃあ何ができる。降りた先での努力に俺の生きた意味を残せるほどか。
たとえ勝率が30%しかなくても。100万円をかけて、1000万円得るチャンスがあるなら、100万円をかけるべきであるように。
そう、引き返すポイントはあった。
500万持っていて、勝率30%で500万を得られるチャンスに投資するかといわれれば、しない。降りるなら、そこだったんだ。
でも、手元に200万しか残らず、勝率30%で500万もらえるとなったら、これは降りにくい。
これを、コミットって言うんだけど。
人生も、俺は、29歳までの内、15年ほどを学歴や資格などに使ってしまった。
降りれない。
社会状況が変わってしまい、当初の夢も形が変わってしまった。世の中ドンドンよくなって、もう俺が良くしたいと思っていたことも達成されてしまった。
ドンドン世の中よくなるので、もう張り合いが無い。俺がやりたかったことは終わってしまった。
なのに、俺はこのレールから降りられない。
夢が無い。
ただ人生楽しむだけに生きてればOKって感じだった。
うらやましいわ。
俺みたいな、中途半端な立場で努力を強いられるような人間ではない。
圧倒的な勝ち組の子供。今まで何人か見たことあるし、同じ立場で一緒に努力もしたことあるんだけど。
やっぱ、違うなって思った。
彼らは、いつでも降りられるし、降りるだろう。
俺は、一生努力しなきゃいけない。
夢が無さ過ぎて、じゃあ現実を見ようとしたら、ドキュンがかわいい娘をかっさらって。アラサーには無理だよ。ブサメンには無理だよ。
夢のために横に置いていた、恋愛などに挑戦してみたが。
数年、格好や髪型、体型など努力してみたが、全然足りない。ドキュンに勝てない。
最近、違うと思った。
コミットさせるようなシステム、ゲーム設定を作ってる奴がいる。
あるいは、個々人が自分の有利になるようにゲームをプレイしていたら勝手にできあがったシステムなのかもしれない。
第二次世界大戦の時は、軍部の暴走やアメリカやドイツの恣意だった。
現代は何だろうか。
折からトルメキアの王都トラスから戦線の崩壊に業を煮やしたヴ王がシュワに向けて自ら出陣していた。彼もまた墓所を狙っていたのである。敗走した生き残りの兄皇子たちもまた、国境警備を命じられたものの、ヴ王の目を盗んでシュワに向かう。そして偶然ナウシカは兄皇子たちの斥候部隊と遭遇する。嬉々として彼らを撃滅する巨神兵を制止したナウシカは、彼を立派な人になるようにさとし、エフタル語で無垢を意味するオーマと名づける。
名を与えられた巨神兵は急速に知能を発達させ、自らを調停者と称する。ナウシカは巨神兵についての伝承に疑問を抱く。巨神兵とは単なる兵器ではなかったのではないだろうか?
一方難民終結地は一瞬即発の危機状態にあった。クシャナによる、ナウシカを追ってシュワに行く為の船を貸してほしい、との要請が火種になり皇帝と僧会という重石がとれ権力の真空状態にあった土鬼難民の間に、侵略者トルメキア軍への憎悪がクシャナを標的として再燃する。クシャナももはやかつてのような攻撃性は失ったものの、自体を平和的に打開する手を打つでもなく、「所詮血塗られた道か・・・」と呆然とすべての終わりを待っているだけであり、
チャルカもまた圧制者たる僧会への民衆の憎悪をなだめるのに手一杯で後手に回ってしまう。しかしユパがクシャナを殺到する兵の刃から身を持って庇ったその瞬間、マニの僧正の霊が彼の体を借りて再臨し、人々の憎悪は打ち消され、衝突は回避される。「そなたには王道こそふさわしい」と言い残しユパは死に、「友達になろう」と差し出されたチククの手をようやくクシャナはとる。
ナウシカとオーマは兄皇子たちの艦隊に合流するが、ナウシカの身体はオーマの発する「毒の光」によって衰弱しきっていた。テレパシーで伝わったユパとほぼ同時に、彼女の旅にずっと同伴してきたキツネリスのテトも死に、テトを埋葬する為ナウシカはオーマとともに艦隊を離れる。ナウシカを逃がすまいとする兄皇子たちはオーマの「裁定」により艦隊から引き離され、身一つでナウシカに伴わなければならなくなる。
テトを埋葬するために降りたオアシスでナウシカは奇妙な牧人に救われ、彼の庭園の館で治療を受ける。彼女の身体はみるみる回復し、とうに滅びたはずの動植物をヒドラの農夫が世話するこの館で、彼女はくつろぐと同時に記憶をなくしていく。しかし同じように記憶をなくし、かつての権力への妄執から解き放たれて別人のようになった兄皇子たちの奏でる、「火の七日間」以前の古典音楽の調べが呼び覚ました「青き清浄の地」のイメージとともに、彼女は忘却から醒め脱出をはかるが、牧人に制止される。
目覚めた彼女は牧人のテレパシーによる誘惑をもはや受け付けず、牧人に真実を語ることを求める。しかし牧人は、二百年ほど前にこの庭を訪れた「そなたに良く似た少年」のことを語る。彼はやがて人類を救いたいと書き置いて、ヒドラを連れて脱出し、初代神聖皇帝になった。「そなたのしようとしていることはもうなんども人間が繰り返してきたことなんだよ」。
くじけそうになるナウシカのもとにセルムがテレパシーで救援に駆けつける。しかし、牧人もまた一種のヒドラであることを指摘するセルムの前でも、彼(彼女)の奏然たる様は揺らぐことはなく、逆にセルムを問い詰める。「青き清浄の地」に今の人間は適応できずに死んでしまう。そのことを森の人は知っておきながら何故それを希望と偽るのか、と。
しかし、問答をきっかけにナウシカは一気に自体の真相に肉薄する。実は「腐海」の地球環境浄化機能は、自然にできたものではなく人為の所産である。そして腐海の周辺の汚染された環境に対する人間の耐性もまた、人為的な改良の所産である。つまり産業文明末期、「火の七日間」の前後に巨大な地球環境復元プロジェクトが組まれ、そのために「腐海」という人工の生態系が創造され、プロジェクトの期間中、「腐海」が副産物として生成する毒物に耐えて生延びていけるように人間も改造されたのだと。
そしてこの庭は復元された環境の中に開放されるべきものたち、農作物や家畜、文学や芸術を保存したタイムカプセルのようなものなのだと。
「この庭にあるもの以外に次の世に伝える価値のあるものを人間は造れなかったのだ・・・」つぶやく牧人にナウシカは「何故墓所には伝えるに値しない技が遺され死の影を吐き出しているのですか?」と問う。答えない牧人に「沈黙もまた答えです」と言い放ち、牧人ももはや彼女を止めようとせず、「そなたのためにこの庭はいつも開けておこう」と別れを告げる。そしてナウシカは館を脱出し、ガンシップで追ってきた風の谷の従者たち、蟲使いの若者たちと合流する。すでにオーマは、病んだ彼女を置いて一人シュワに出発していた。ナウシカたちはシュワに急行する。
シュワにはすでにヴ王の軍勢が到着し、制圧を完了していたが、墓所の門は閉ざされたままあらゆる攻撃を跳ね返し、逆に激しく反撃してくる。そこに到着したオーマは裁定を申し入れ、墓所に対して門を開くように通告し攻撃を加える。これにさしもの墓所も損壊するが、反撃でオーマは傷つき倒れ、シュワの市街ともどもヴ王の軍も全滅する。辛くも生き残ったヴ王とその忠実な道化の前に、門は其の新しい王を迎えるためついに開かれる。
ヴ王に遅れてナウシカも到着し、ともに墓所最深部、主の前に立つ。主はその表面に旧世界の知を記した古文字を浮かび上がらせた巨大な肉塊である。そこから人々(浄化計画を設計した旧世界の科学者達?)の幻影が立ち現れ、「腐海の尽きる日」「青き清浄の地」の復活を予告し、其の準備として用意された技術の貯蔵庫である墓所を守るように要請する。しかしナウシカはそれを拒絶し、「真実をかたれっ」と迫る。
幻影はかき消え主は新たに道化の口を通し、お前は人類を滅ぼそうとするのか、と責めるが、ナウシカは未来と引き換えに現在を犠牲するプロジェクトをあくまで拒絶、かろうじて生きていたオーマを呼び出し、主を攻撃させて破壊する。断末魔の主の反撃からナウシカを庇ったのはヴ王であった。オーマは母の名を呼びながら絶命し、その死を哀しむナウシカはオーマとともに解体する墓所の中に沈もうとするところをアスベルに救われて脱出する。
救出されたヴ王はクシャナに看取られ、彼女に王位とトルメキア再建の責務を託して死ぬ。クシャナは「わたしは王にはならぬ すでに新しい王を持っている だが帰ろう!! 王道を開くために」と、ユパとヴ王の遺志に従うことを決意する。
ナウシカは青き衣のものとして民衆の歓呼に迎えらる。彼女は自分の知りえた真実については黙して語らず、人々を欺き続けることに決める。ただ秘密をセルム、森の人とのみ分け合って。
後日談としてナウシカはその後土鬼の地にとどまり、チククの成人まで風の谷にもどらなかったこと、また一説には森の人の元に去ったとも伝えられていること、そして後に「トルメキア中興の祖」とたたえられたクシャナは生涯王位につかず代王にとどまり、以後トルメキアは「王を持たぬ国」になったこと、が記されてこの長い物語は終わる。