雑感です。
ふだん政治には興味を持たないスタンスで、理由は「本当のところはわからない」から。選挙権を得たときからずっとスタンスは同じで、ゆえに投票は「自分にとって都合いいこと言ってるかどうか」だけで決めている。俺は政治に興味がない一般大衆なので、それ以上のことは考えないと決めている。ゆえに政党がどうとかいうことにも興味はない。
事件の被害者に関しては特になんの感情もない。知り合いじゃないので。
ただ、今回の事件はさすがにでかすぎる。ふだん政治に興味を持たないと決めている俺でも、関連のニュースはかなり追ったし、ブコメも読んだりした。
まず事件の第一報を聞いて感じたのは「勘弁してくれ」という感情だ。この「勘弁してくれ」の中身には多少説明がいる。
まず、事件が象徴的すぎる。でかい。元国家元首が暗殺された。それも毀誉褒貶いろいろあるタイプの人がだ。そして大きな事件が起きたときには、かならず世のなかのなにかが変化する。特に今回の事件の被害者はネットにおける論争の争点になりやすい人だ。
俺は、人が大きく動くことがとても怖い。無数の人の感情が一体化して大きな拳になったときに、たいてい殴られる側に属してきた。今回も、きっとなにかの変化がある。どう変化するのかはわからない。俺の「勘弁してくれ」はこの不安と恐怖に由来している。
たいていの大きな事件の後って、変化はそのときすぐにわかるようなものではなく、たとえば20年後になって事件を振り返ったときに「あれ? あのときからじゃね? 変わったのって」というかたちで気づくようなものだと思う。今回、ふつうの人程度だとはいえ、ある程度は事件を追いかけているのは、その変化が自分にとって都合の悪いものではない、という確信を得たいからだと思う。もちろん原理的にそんなもんは得られないわけだが。
次に、速度感が速すぎる、と思った。
インターネットあるのであたりまえである。が、それにしたって速すぎる、ということをあらためて痛感した。
事件が起きたときにもっとも怖かったことのひとつに模倣犯がある。なので、ふだんはやらないツイッター検索で「模倣犯」で検索をかけてみた。そうすると、さまざまな意見がある。要するに、みんななんか言いたい。だから言ってる。それはそういうものだろう。システムとして「言える」ものが存在してるんだから。
ただ、それでもなお速すぎる。
死んだ人がそういう立場にあった人だから、といってしまえばそれまでだけど、その死は、すぐに意味づけられなければならないものなのだろうか。毀誉褒貶があるということは、評価が定まっていないということだ。定まっていないものを定まったもののように語ることは、これこそが政治性であり、俺がもっとも「政治」に関連して苦手とするものだ。もちろん知ればいい。知る努力をすればいい。しかし俺は政治というものに関してそこまでのコストを支払いたくない。ゆえに知らない。
ならば、その人の死について意味づけをしようとする人たちはなにを知っているのだろう。そこが疑問だ。知らない人たちの言葉が大量に舞っている。それらの言葉を発した人たちの背景を俺は知らない。言葉そのものから情報を得るしかない。けれど、だれもが自分の背景を詳しく説明できるほど文章を書くことに特化しているわけでもないし、そもそもこれだけ大量の人間の発言の背景すべてを知ることは物理的に不可能だ。そういう言葉が大量に流通していることそのものが怖い。
もちろん、そういうものだと納得はしている。可視化されているのが前提の時代だ。俺とてもその言葉を娯楽として消費していることは多々ある。けれど、怖い。多くの人が、自分の生活に密接に関係するわけではないことについて、大量の「判断」を下している状況そのものが怖い。
あと、暴力の否定や人の死に関する扱いについて、ちょっと疑問があった。
暴力はよくない。あたりまえである。殺されてもしかたない。そんなことはもちろんありえない。なぜなら、この世界はそうしたものを否定したうえに成立しているからだ。なので、暴力否定はあたりまえである。俺も殴られるのいやだし、殺されるのもいやだし。
でもまあ実際のところ、今回の事件を通じて多くの人が感じたのは暴力の有効性のほうだと思う。だからこそまず、事件に触れる人はその有効性を否定しなきゃだめなんだろう。ただ、有効性を全否定となると話はちょっと違ってくる。「なるほど、有効である。ならそれを有効でなくするにはどうするか」という話だと思うんだが、まあこれは触れるには時期が早すぎるということなのかもしれない。
それともうひとつ感じたのが「供述の力」みたいなものである。犯人が宗教云々という発言をしたことで、焦点がごっそりとそっちに向いている。これ、たとえば「政策が気に入らなかった」とかだと世論はまったく違う方向を向いていたに違いないし、今後も違う方向に進むだろう。犯人の供述、ドチャクソ強い。象徴性のある人物を殺したことによって得た発言権、めちゃくちゃ強い。過去に起きた自分が知ってる限りのいくつかの大事件でも、やっぱりなんらかの象徴性はあったと思うんだけど、犯人が単独、殺した相手が有名人で、しかも国家元首。象徴性のでかさ半端ない。供述の声、めっちゃでかくなる。メディアが大宣伝してくれる。
で、それはどうなの?と思う。ここのところはちょっとうまく言語化できない感じなんだけど、素朴に、殺人やった人になんでそんな影響力あんの、という疑問。かといって、なにもあきらかにされないのではよりよくないだろう、ということくらいはわかる。正解が見つからないんだけど、ヤケにさえなれればやったもん勝ちじゃん、みたいな感じがする。それは違う気がする。
で、いろいろ見てきて、今回の事件、もちろん歴史的大事件には違いないし、年表にも確実に載るだろうなと思うけど、その後のニュースの動きを見ている限り、そこまで根こそぎの変化が起こるものじゃないような気もしてる。
ちょっと前、どれくらい前からかはよくわかんないけど、なんとなくはてなを眺めてて「ああ、政治の季節ってこういうふうに始まるのかな」みたいな感想を持ってた。よく知らないけど安保闘争とか? 政治に興味を持たないこと、政治的思想性がないこと、そういうのがダサいとか無責任とか思われるような時代。まあ来るなら来るんだろう。俺には関係ないけど。
だれでもネット上でなんらかの発言はできる時代になったけど、かといってみんながみんななにかを言おうとしているわけでもない。特に声を上げることをしない人たちを駆り出して、ひとつの方向に動かすようなタイプの事件かな、というと、あんがい人は明日も明後日もふつうに生活してるんじゃないかなと思う。過去のいくつかの大事件と違って、すぐに自分に影響が及ぶようなものじゃないから。
ただし、俺はテレビを見れる環境を持ってない。こういうとき、テレビがその死をどう扱うかは、世論にバカでかい影響を与えそう。
今日、知り合いのじーさんからこの事件の話題を振られて、こんな地雷原みたいな話題に触れるのいやだったから「いやあ、テレビ持ってないんですよね」と答えたら「え? 持ってないの?」ってすごく驚かれた。「パソコンでたいてい間に合っちゃうんで」と答えたら「パソコンでテレビ見れるの?」って言われた。
考えてみれば、テレビが家にないということが相当に「おかしい」ことだった時代って過去に確かにあった。よほどの変人か、世捨て人か、まあそんなようなイメージ。それがいつのころだったかはよく覚えてないけど、この世にはまだテレビがすべての情報源の王様だと思ってる人が、わりとたくさんいる。その影響力は大きい。
別に結論はない。まとまってもいない。いま感じたことをとりあえず書いておかないと不安だからそうした。増田あってよかった。
俺はただ、明日も明後日も、人々が地に足をつけて日々の生活をし、半径何メートルかの人々を愛し生きていることだけを願う。だからこそ政治が重要なのだと言われれば、それもそうだろう。だれも政治には無関係ではいられないはずだ。けれど、ふつうに生活している人たちが党派性に乗っかって大騒ぎする必要があるのかと問われれば、疑問符をつける。言葉は、独り歩きする。それはよくも悪くもだ。言葉の上で言葉が乱舞し、雪だるまみたいに膨らんでいく。どこに立てばいい? だれが俺の安寧を保証してくれる?
組織的な関与が明らかになったらその限りではないけど、今は限りなく家庭問題と宗教上の対立関係が複合して何故か安倍を逆恨みした怨恨による犯行ってだけじゃん
譲られておけばみんな不幸にはならない。座れてラッキーと思っていこう
155cm47kgなのでデブでは無いと思うんよ…
実際に歯を磨きすぎるとエナメル質が削れて虫歯になりやすくなるし、知覚過敏になる。そしてフロス部分はきれいにはならない。ついでに歯石は歯磨きでもフロスでも落ちない。
歯医者でクリーニングと歯磨き指導を受けるよう誘導できればいいんだが。磨きすぎも指摘してくれるし、質問できれば不安も和らぐはず
棋士と女流棋士の夫婦によれば性差も無視できない要因であって競技人口が揃っても平均レベルが同等にはならないだろうとのこと
(4ページ目)「あまり勝負へのこだわりがない」及川拓馬六段が勝ちまくる理由を妻はどう見たか | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンライン
(2ページ目)「なぜ女性棋士はまだいないのか」女流棋士の私が考えてみた | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンライン
自宅でトースターでコッペパン軽くあぶって切れ目入れて好きなソーセージ(シャウエッセンもあるとバイエルンも長いのが業務スーパーで売ってる)(と、あればザウアークラウトとか白菜漬けとかピクルスとか線キャベツとか)(調味料も好きなやつ)を挟むのが一番な気がする
二番目がそれを文化祭で高校生から700円くらいのバカ高い値段で買うやつ
青春こみでありついた感あるんだよな
こういうのは大抵現場みたら原因分かるんだけど辞めちゃうって話が両方出てるからそうなんだろうな
この辞めさせるっていうのも優秀なのがわかりきってる子供を親から見てわざわざ明らかな逆境のある世界に行かせる旨みがないし
できるなら他のジャンル極めさせた方が有利っていう戦略的撤退っぽい
優秀な女の子を育てた親だからこそまず健全に機能してなさそうなところに進ませないんだろう
すごく悪いこと言うんだけどシステム的にこれを打破したかったら将棋を自分からやらないような貧しい家庭の子供に向けて優先的に将棋を教える仕組み作って家庭でキャリアプランとか持たない層から優秀な女の子を拾ってくると良いと思う、奨学金とか設定してさ
両親は統一教会の信者で、その合同結婚式で生まれたのが自分だ。
たまにこうやってTwitterで新興宗教の話題が出ると、色々思い出して意味もなく語りたくなる。
自分の若い時間を奪われたこと。いやいや教会に行かされたこと。韓国語や原理主義やら意味わからん勉強させられたこと。毎朝毎晩、敬拝と訓読とお祈りしてたこと。普通の子と言動がズレてて友達が出来なかったこと。恋愛出来なかったこと。宇宙人の親。引きニートの兄。やたらめったらニコニコしてた教会のおばさんたち。誰にも相談できなかったこと。
以前は辛かったけど、距離を置いて歳を取るにつれ、落ち込むことも減った。まあたぶん家業みたいなもんだ、仕方ない。
でもさ、トロッコ問題じゃないけど、神の教えと娘である私、いざとなったら両親はどっち選ぶんだろ。
もしかして最初から宗教の道具かな私。愛されてなかったんだろうか。
せめて少しは情はあって欲しいな、寂しいから。
鼻うがいしたいほど苦しいなら、アドバイスしようかとおもったけど
たぶんこれ「10年くらいまえにはてな人力検索で鼻フックとブルマーについて延々とものほしげな質問をたてて最終的に鼻水写真みせびらかして垢BANくらってた変態」と同じ人な気がする
エンジニアとして転職活動を行った結果、外資と日本企業から複数の内定をGETした。
どこにいくか少し悩んだが、まず日本企業からのオファーは候補から落選した。
面接時には
「とりあえず現年収はキープしたいですが、能力、期待する役割に対して適正なオファーをしてください。」
と伝えていたんだが、その結果出てきたオファーは
日本企業:1200〜1300万
外資:1500〜2000万
という内容だった。
別にアメリカに移住するとかではなく、日本国内で働く普通の転職活動なんだが、国内でもこんなに差がつくものなのかとびっくりした。
他社からのオファー内容を伝えて交渉すれば多少の金額変更は期待できるかもしれないが、ここまで差が大きいと交渉する気が起きないし、入社後の給与レンジも察しがついてしまうので、悩むにしても外資の中で悩むのみという思考にならざるを得ない。