またこの嫌儲板のキチガイか。いい加減巣に帰れよ。お前の怪文書で国会ウォッチャーにもヘイト溜まってるって自覚してる?
自分が嫌いな物に難癖つけて国会ウォッチャーも嫌いだと自分の中で勝手に結びつけてるようだけど、そういう病気なの?見当違いは自分のことだって理解してない?
単純に演出を楽しめるのもあるけれど、やり込んで独自の攻略法を考え出す面白さ。
日常生活にも考える癖を付けてくれたりと役に立ったりしている…とかいってみたり。
なんだろう、理由付けなんていくらでもあるけど、純粋に楽しいよね!
もとい、触らないようにした。プレイしたい!そんな気持ちはあるのだけれど、『怖い』そんな意識が芽生えているからなんだ。
やり始めると、ついつい歯止めが利かなくなって数時間が過ぎている。制限のない休日なら1日が消えてしまう。
本当は家事なり作業があるはずなのに、それを押しのけて続けてしまう。
普通なら時間を決めてサクッと終わらせられるのだろうか?出来るんだろうなぁと。
ただの惰性もあるのだろうけど、ゲームをしなければ得られる時間も知ってしまった葛藤が悔しいというか悲しいし寂しい。
その時間を勉強に回したら、もっと成長に繋がるとか普通過ぎる考えが今更生まれている…。
同時に気になる事もある。
大量にゲームプレイ記事を書いたりしている人を見ていると、自分なんかより余程プレイしていとと思える質量が詰まっている。
なのに彼らは、日常生活に支障が無い?適度にかつ効率よく遊んでいる。
まして、アンタらどこてゲームやる時間見繕ってんだよ!?って思うような多忙な職業の人(記事書き以外の人でも)とかだったりすると、ますます凄まじいと感じる。
そんな存在を見て、自分が時間だけ浪費しているように感じて怖くなった要因の一つだったり。
なんともしょうもない話なんだけれど、ずっーーーと悩んでる。
プレイしなくなった今では、確かに時間は出来たはずなのに心に穴が空いたような毎日を過ごしてる…。(依存症なのか…)
誰も指摘しないけどさ、そこそこ知名度のあるアイドルって男ぐらい普通に警戒すると思うわけ。
それで、今回ばかりでなく今までを見ても普通に泊りに行ったりするわけじゃない?
ってことは、男に対する警戒心が希薄になるくらい日常的に男とお付き合いするっていうことが、普通にある環境ってことじゃない。接待だろうが打ち上げだろうが、打ち合わせだろうが。
学校で考えてみ?体育会系の部活のマネージャーとかのレベルでこそこそ付き合ってるって。顧問の先生に見つからないように。
あと、東浩紀だよ。やってる事はそりゃ立派かも知んないけど、ツイッターで世間を知ったような口聞くな、と。みんな頭の中はめちゃくちゃな事考えてるかもしんないけど、普段は真面目に気使って生きてんだよ。
日本人を頭の中だけで考えるとおかしな人達だよな。そりゃ多分100年前ぐらいからおかしな人達って言われてんだよ。でもな、だからってそんな捨てたもんじゃないって。お前が一人で悲劇のヒーローになってるほど、悪くないよ。望めばキリないのはわかるよ。でもね、君が考える世界にもあんまり希望がない気がするよ。
頭の中とは別の居心地の良い世界があるんだよ。これからはわかんないけどね。
いつだってわからないんだけど、日本人の良さは頭で考えてもよくわかんないと思うな。頭は大事だよ。でもそれは道具なの。大事な事は心で決めるんだよ。それが日本人の知性だと思う。君の知性は、正しいよ。正しいけど、嫌いだよ。安いペシミズムに見えてしまうよ。
あとな、太り過ぎだよ。死んじまうぞ?長生きしてくれよな。
私の女友達、まぁよくいる悪口が好きなタイプの人で嫌だなと思いながらつき合ってるんだけど、その人は人気者だし正論めいたことを言ってくるから、そんな人を嫌う自分が間違っている気がしていてどうすればいいかわからない。
私は自尊心が低いから元々そういう人と仲良くなりやすくて(気に入られやすい?)、仲良かった頃は普通に聞き流せたんだけど、でももう、彼女の誘いを断るたびに、今頃集まって私の悪口を言っているんだろうなって想像するのが耐えられない、だけど彼女の言うことは間違ってないから悪いのは被害妄想のひどい自分なのかもしれない。そういうのをずっとぐるぐる考えてる。
舞台やイベントなんかでたまに知らない人から「座席を交換してください」と言われる事がある。それは基本的に運の悪い私が神様の思し召しか勘違いか憐れみか何かで引き当てる事のできた良い席の時で、ワクワク気分で席に座って開演を待っていたのを邪魔をされたようであまり良い気はしない。
交換したのは一度だけだが、それは私に利があったからだ。(私が後列に座っていて、前列と代わってほしいというもの)
それ以外は基本的に全て断っている。
理解はできたけどモヤモヤしたのは、その人の推しがカテコの時に私の座席の方に並ぶので同じ列の反対側の席と代わってほしいという申し出だった。
その推しは人気で、カーテンコールの時に近くで拍手を送りたいという気持ちは分からなくもない。カーテンコールの時のやりきった!という表情も見たいだろう。わかる、わかるよ。でも、私だってその人を観たいんだよ。(推しではないが気にして追っているという程度)文句を言うなら、席番を振ったプレイガイドにでも言ってくれ。
その一件で、その人推しの人は自己中の人が多いのかなという印象を受けた。そんな事はない人の方が多いだろうけれど、どうしても良い印象は持てない。
理解もできないし意味が分からないと思ったのは、数列後ろの席と交換してくださいと言われた時だ。つまり、自分がいい席で見たいから後退してくれ、という事で、そんなの誰が了承するというのか。すごくいい席で、ヤッターと思ってたんだよ。
その舞台は席種が二種類あって、私は良い席の方のチケットを持っていた。勿論もう一方のチケットよりも少し高い。
何言ってんだこの人、と思って詳しく話を聞く前に断ってしまったので席種については聞けなかったが、後ろの席という事は、安い方のチケットだったのだろう。
せめて代わってほしいなら、差額分のお金を持って来い。話はそれからだ。色をつけて持って来た所でお前なんかに代わってやらねえけどな。
人生の中で、不意に強烈なジレンマを感じるときがあった。それがつくづく不可解だった。
こちらのことを悪く言う人間、他人を貶めずにはいられない人間、他人の不幸を喜ぶ人間について、どうしても、それが卑怯であるとか、浅ましいとか、自分は面と向かって言うことができなかったのだ。まるで口にガムテープを貼られているようだった。
自己愛性人格障害であったり、ハラスメント気質であったり、世間には、その妬みや劣等感を他人にぶつけて生きる人たちがいる。そういう人間に出会ったとき、自分はほどほどに苛立ちながらも、原因が相手の弱さだと分かっているのに、どうして苛立ちを払拭できないのか?と、疑問に感じていた。
専門家や先人たちはどう考えるのかと調べても、やはり、その弱さを攻撃することよりも、距離を置く、関わらないことが勧められていた。
しかし、どうして相手の弱さを攻撃することに強い忌避感があるのか、気付いてみれば簡単である。妬み、劣等感、不寛容、その反対は(恐らく)、祝福、自己肯定、寛容である。優しさは、他人への攻撃性の元となる弱さの反対側にあるのだ。相手の弱さを攻撃したい、するべきだ、と思うこと自体が、自分の弱さから来る。もしそうすると、相手と自分とは同じ高さで向かい合うことになる。
優しさがあるかぎり弱さを攻撃できないのなら、優しさを捨てない人間に勝利はないのか?もしかするとそうかもしれないが、しかし、それでは世の中はもっと強くネガティブに偏った勢力図のはずである。
恐らくだが、優しさはそれそのものが勝利なのではないだろうか?他人を攻撃し、他人がもっと弱くなることを願い、もっと不幸になればなるほど自らが悦びを得られる人々にとって、苦しみとは、自分がどれだけ貶めても、むしろ自分に対して優しさを失わない人間を目の当たりにすることではないだろうか?
すなわち、相手の弱さを攻撃するのは弱さそのものだと悟り、その優しさに自信と誇りを持つことこそが、人の心の弱さに対する真実の勝利であり、弱さと優しさの均衡を自らで保つ始まりなのではないだろうか。
痴漢騒ぎが話題になってしまっているブラックボックス展、私は全く混んでいない日に見に行った。
嘘の評判も、ネタバレ解禁後の評判も何だか私の感想とは違うものばかりなので書き残しておきます。
いつ行ったのかは正確には覚えてないけれど、アップデート?が一切入っていない時で平日の夕方。
誓約書にサインして、階段を上がってなんとなくキャプションを読んだ。
暗幕を持ち上げて入ると、真っ暗な部屋。
たくさんの人が指摘しているように、私もダイアログインザダーク?と初めは思った。
ただ、まずは純粋に手探りで歩いてみよう!と思って歩くも何も起こらない。
で、「何かは分からないが、何かは起こるだろう」と思っていたので頭に?が浮かびまくる。
他に人もいないし、監視員も中にいないので、ダメだとは言われていないしと思ってiPhoneのライトで展示室を照らして歩いた。
すると、なーーーーーんにもない。
ほんとに、0。
人もいないし、何もない。
私はここでようやく、なんかおかしいな…と思い始めた。
これが例の指示が書かれたものなんだけど、「作品に関する指示があるのでは」と勝手に予想していた私はちゃんと読まなかった。
「元々口外する気ないし」と読み流して、よく分かんない展示だったな…と呆然としながら近くのコンビニでお菓子を買って休憩した。
で、やっぱおかしくない?と思って再入場した。
再入場した時は男性と一緒に展示室に入ったんだけど、男性も首を傾げて数秒で出て行った。
で、そこでようやく指示書を見てそういうことかと納得した。
そこで感じたのは、「自分が思ったよりバカだった」ということと、「そんな自分が恥ずかしい」ということと、「クソつまんないものを見てしまったがクソつまんないから見るなと言えない絶望感」だった。
ブラックボックス展の唯一すごいと思ったところは、「文句を言わせない」ことのうまさだけだ。
情報をコントロールすること、それが可能な相手を選別することにかけては素晴らしい手腕だ。
でも、それだけのことだった。
他に人が大勢いる状況だとまた別なのかもしれないけれど、少なくとも私はひたすらがっかりした。
そのがっかりは、口先のうまさだけでこれがアートになってしまう可能性があることに向けたものだ。
本当に腹立たしい気持ちでいっぱいだけど、私はバカなのでこの展示を上手にボコボコにできない。
なので、願わくばとても頭の切れる人に、けちょんけちょんに批判してもらいたい。
「批判を生むことすら作者の手のひらのうえなのだー」みたいな子供じみた屁理屈をぶっ飛ばして欲しい。
8月で東京会場が閉まってしまうので、ブラックボックス展にムカついた人は行きましょう。
それでは、あとは頭の良い人にお願いしたいと思います。
おわりだよー
はてなキーワードにある単語でも、特定の日、おそらくはてなキーワードに登録された日以前の用例は見付けてくれないよね。
検索システムというのははてな規模の会社では手におえなくて、出来合いのものですますか、簡単なものでお茶を濁すしか無いのかね?
結局Google!などで site:https://anond.hatelabo.jp/ オプションを指定して検索することになる。
もう月曜日だ。
でも、もう部屋には日曜日が充満している。
http://kabusiki.dd3.biz/jihou.html
あのSEが鳴り響く!!
おやすみ。血の涙を流しながら叫ぶよ。
特殊性癖満たすためにあんな大規模イベント開くとかまああり得なさそうだし
ギリギリラインと信者度を試すいつものサブカルクソ案件なんだろうな
趙高が群臣に鹿を見せて「これは馬ですね」っつって悦にひたるみたいな
あの展示はかなり一般男性の参加を断って女性を多く入れていたようで、痴漢してたのはむしろ主催者側の関係者ではないかという疑惑もある様子。
そもそもが論敵に対するレッテル貼りに過ぎないんだから覚えなくてよろしい。高畠素之みたいに共産主義の右翼みたいなわけわからん存在も居るしな。