~しようとするを~まいって書くの、方言じゃない?
エレベーターには裏技があるらしい
エレベータのボタンを押し間違えた時に、それを訂正するテクニックがあるというブログを読んだ。
僕が働いている会社のエレベーターは日立製である。日立の場合、キャンセルしたい[階数ボタン]を押し続けるとのことだ。
おもしろそうだ。やってみたい。悪戯とも言えないレベルだが、こういうものは試したくなる。
次の日、会社でエレベーターに乗ると、いい感じに一人だった。4000人を超える大会社の中では、3日に一度あるかないかくらいのタイミングだ。試すには絶好のチャンス。試すしかない。
何階にしようか少し迷ったが、26階を押すことにした。僕の階は18階なので、全く関係ない。26階はちなみに社長室がある階で一般の社員が降りることはまずない。
(続きは元記事へ)
ググると革の栄養だの呼吸だの疲労だのエセ科学っぽい言葉が沢山並んでいるが大別すると革靴に塗るものは5種類。
油脂:保革油とも。革を柔らかくし、水分を保つ。塗りすぎると細かなひび割れの原因になるらしい。
顔料:色を付ける。黒なら黒を使うが、茶色など他の色の場合は革の色よりも少し薄目のモノを使う。
蜜蝋:革の表面に蝋で保護膜を作り、革本体を保護する。もしくは革の表面のでこぼこを蝋で埋め、なだらかにすることで鏡面磨きや傷の補修を行う。
それらの要素を複合した商品を革に塗る。
オイル:ミンクオイルなど。油そのものだが、ワセリンを多く含んでいるらしい。
乳化性クリーム:油と顔料。油性ワックスより水気がある。絵の具のよう。
デリケートクリーム:乳化性クリームより水分が多く、蝋が少ない、もしくは全く含まない。その名の通りデリケートな革に剥いている。
つまりオイル、乳化性クリーム、デリケートクリームを塗るだけで良い
使用によって汚れが付着したり、油が劣化すると皮を痛めるので半年に一回くらいはリムーバーやシャンプーで掃除する。
健康上の問題が無いのであれば、いきなり就職とか決めなくていいから、とりあえずハロワ行くだけでいい。
必要なら若者サポートステーションとか紹介してもらえる。
今の時代は間違いがあったらすぐネットで調べて指摘されるし、自分よりすごい人間が沢山いることもネットを通じて分かっちゃうから、自分に存在価値があるのかどうか皆不安なのさ
その不安な気持ちをごまかす一番手っ取り早い方法が間違ってる何かを見つけてそれを否定する側に回ること
間違っている何かを踏み台にして叩いてる間は少なくとも自分より下が1人はいるって安心感もあるし、周りに一緒になって叩いてる人がいれば連帯感に包まれることが出来るからね
リゼロじゃ異世界転生とかいう非常識な設定が「そういうこと」で済まされてると思うけど。大量生産されてる異世界転生ものの何割が「タイムループする体質なんです」以上の説明をしてる?ダンプにはねられた、拾った薬を飲んだ、そういう体質、その程度で充分なんだよ。
それより自分の書いてる事一通り読んでみろよ。全然筋が通ってない。「リゼロはループもののミステリ(だからほかのなろう系異世界転生ものとは違う)。ミステリとしてはレベルは低いけどパクりやすいフォーマットを開発したからすごい。だけどそれに乗っ取って創作するヤツは馬鹿。」
ネタなんか考えなくてもパクりやすい設定を善しとするなら、なんでこの元々増田にトラックバックしたの?先行作品のガワだけ真似して、雰囲気だけで中身すっからかんの作品が濫造されてる現状、正直うんざりなんだよ。
俺ははてなー
はてなーだけでは食べていけないので日銭を稼ぐために世を忍ぶ仮の姿として医者をしている。
先日、年に一度の学会に行ってきた。土日二日間缶詰めになってお勉強してきた。
医者の学会ってイメージ湧かないと思うけど、会場内のいくつかの部屋で同時進行的に発表が行われている。参加者はプログラムを見て、自分が聞きたい発表を聞きに行く。発表内容は大きく分けて、自分が治療した珍しい病気の患者さんについて発表する「症例報告」と、その分野の最新の情報をまとめて話す「セミナー」形式の2種類がある。症例報告は主に若手の医師がやる。質疑応答でベテランの医師から突っ込まれて苦労するのだけど、これはみなが通るべき道。
一方のセミナー形式の発表は主に基幹病院の部長や大学病院の講師レベル以上の功なり名を遂げた医師たちが担当して大体30分くらいの講演をする。自分の場合はセミナー形式の発表を聞くことが多いんだけど、今回あるセミナーでスライド中にいらすとやのイラストを多用している先生がいた。重鎮クラスの医師が発表しているので、スライド内容にも自由度があるのだ。若手の医師がスライドでいらすとやを使ったりしたら上司から大目玉を喰らうだろう。
いらすとやには医療関係のイラストも多くあるから使いやすいと言うのはあると思うけど、まさか医学界にまで侵食してくるとは驚いた。
今度自分も発表で使って見ようと思った。
他人の揚げ足取りやマウントに人生をかけつつ自分こそが正義だと言い張るような繊細チンピラはほとんどいなかった。
今はどこもかしこも棍棒片手に他人のスキを伺うリンチマニアで溢れている。
魔女狩りが始まったディストピアのように誰もが他人の言葉尻から間違いを見つけまいと目を光らせてる。
街へ出よう 三日ぶりに
同情されるかどうかというのが、社会的に無視できないほど重要なのではないか
では人はどういう時に同情するのだろうか?
ホームレスを例にとって考えると
1.自分が家を持っていて、相手が家を持っていない時に同情する
2.自分が家を持っていなくて、相手も家を持っていない時にも同情できる
3.自分が家を持っていたことがあり、相手が家を失った場合には同情できる
※自分が家を持っていなくて、相手が家を持っている場合には同情できない(当たり前)
※自分が家を持ったことがなくて、相手が家を失った場合には同情できない(想像できない)
つまり
1.持ってる & 持ってない 【哀れみ】
2.持ってない & 持ってない 【同意】
3.持っていた & 失う 【共感】
ただしここで例外があって、「持ってない理由」「失った理由」が関わってくる
例えばその人が「好きでホームレスをやっている」場合は同情しないだろう 【価値観】
あるいは、「ギャンブルで借金を作って家を追い出された」などの場合も大抵同情できない 【責任】
ここまでが基本
さて、人はいろんなものに対して「持ってる/持ってない」がある
お金、地位、名声、家族、友人、親、子、配偶者、家、車、職、経験や思い出、おもちゃ、能力、食べ物、なんでもいい
その中で「持ってる方が良い」と思えるものについて、同情理由の対象となる
同情理由は1つだけあれば十分だ
例えば、何もかも上手くいっているように見えるお金持ちの有名人が居たとする
その人に対しても、親が亡くなった場合は同情できるはずだ
(※ただし、最初から親が居ない人には同情できないかもしれない)
これを【同情可能性】と呼んでみる
もちろん「責任」は出てくる
他の持ち札で対処できたはずだ、とか、努力が足りなかったからだ、となると同情に至らない
なので、「より持ってる人ほど同情してくれる」のは確かではあるが、「より努力により勝ち得た人ほど同情してくれない」と言えるだろう
もちろん、「よリ持っていない人ほど同情してくれない」のは当然だ
今の世の中は頑張ればどうにかなると信じられている物が多いため
中々同情可能性だけでは同情してくれないことも多いだろう
ここからが本題
上で述べているのは「個人間での同情」となる
つまり同情する側がいかに「持ってる人か」と、同情される側がいかに「持っていないか」が肝となる
しかし、メディアに情報が乗ってくると、「個人間での同情」が崩れ
社会のほうが「持っていない」で、同情される側が「持っている」と認知された場合、その人は同情されなくなる
あるいは、同情される側が他の多くの人より「頑張っていない」と認知された場合も、その人は同情されなくなる
例えば
Aさんの年収が3000万円だったとする
Aさんに対し、Bさんが「年収500万円しかない」と言えばAさんは同情してくれるかもしれない
しかし、Bさんの事が記事になって、「Bさんは年収500万円しかない」と書かれると、Aさんは「普通でしょそのくらい」と同情してくれなくなるかもしれない
といった具合だ
個人の意見は「個人間の同情」「社会対個人の同情」完全にどちらかに寄ることはないのではないかと考えている
個人間のときであっても、社会対個人の同情が強くなることもある (例:お前より持ってない人はいっぱいいる)
ただし、注目度に応じて変動するのではないかと考えられる
※ブログなどで、最初の10人は「かわいそう」と言ってくれるのに、バズった結果「甘えるな」という論調になるという経験則に基づいている
同情をコントロールするにはどうすればいいだろうか
個人が愚痴を吐く場合は簡単なことで、「バズったら消す」という方法が有効だろう
また、メディアが同情を誘いたい場合は、非常に冷めた視点に立って、他の人と比べなければならない
暇があればそのうち書くリスト
・親が同情してくれない理由
・貧困は同情に不向き