世の中の大抵の差別問題に関して、当該業界周辺では概ね答えが出来上がっているものらしい。
「ゲイの結婚なんか認めるな」「障害者なんか自己責任でほっとけばいい」「女は社会に出るな」「知的障害者は犯罪者予備軍!全員拘留しておけ」そういった差別的な主張に対して理路整然とした反論テンプレートってのは存在する。
そういうテンプレートを踏まえて、さらに次の議論をするならば意味があるけれど実際のところはテンプレのレベルに達していない人たちによる誤解や感情論による発言が目立ってしまっているけどある程度はしょうがないと思う。人は皆自分とは縁遠い問題に関してそんなに強い関心を抱けないものだろうから(「だったら口を出すな」というのは正論でもあり暴論でもあると思う)。
誤解の無いように補足しておきますがここで言っているテンプレとは、思考停止したコピペのような物を指しているわけではなく、すでにある程度評価の固まった議論のQ&Aのような意味合いで言っています。
で、本題。
上記のように世の中の大抵の問題にはもうテンプレとしてある程度の答えが出ているはずなので、以下のテーマについてそれを教えてくださいという内容です。
精神的な障害の人やケガの後遺症などで普通とは違った挙動をとっている人など、はたから見れば「奇妙な」言動を取る人たちがいます。障害などだけでなく趣味で珍しい恰好や動きををしている人もいます。それを取り上げてああだこうだ言ってはいけませんというのが社会的合意になりつつあるように思います。
これは当然なことでしょう。
きっとこのテーマについてもたくさんの議論が重ねられて、テンプレートとなるしっかりとした根拠が確立されているのだと思います。
一方で自己防衛のためには危ない場所に近づかない、夜遅く暗いところを歩かない、無駄に高価なものを持ち歩かないとかいろいろあります。その中で「怪しい人には近寄らない」というのもあると思います。
これは学習の結果だけでなく本能的な危機回避でもあると思います。実際ナイフの腹をぺろぺろ舐めながら白目を剥いて歩いてる人がいたらとても近寄りたくありません。
では電車の中で視点の定まらない目をしてウーウーうなりながら突然足を踏み鳴らす体の大きな男の子がいたとき、この子を警戒すべき対象として扱うべきでしょうか?扱うと言っても具体的には、目を離さないようにして警戒する、距離を置く(車両を変える)程度の事です。
また、自分に子供がいた場合はこのような人物を危険人物とみなした行動をとるように教えるべきでしょうか。
テンプレ的な回答も把握していないのでなんとももどかしいですが、どうしても矛盾を抱えてしまっているように思えます。
「人は見た目によらない」や「外見で人を判断してはいけない」などとは言いますが、未知の相手を判断する上で外見から得られる情報はそれなりに多いです。
やはり「おかしな見た目の人」は「本当におかしな人」である可能性が高いとして行動しなければならないような気がしているのですがどうにもこの矛盾が気になっています。自分だけの問題であれば、自分の経験をベースに自分の責任においてこっそり距離を置くなりと対処は可能ですが、社会的にどう扱うべきなのかという疑問です。テンプレ回答があるならそれを教えていただけるとうれしいです。
目の前に違法駐輪の障害物がある状態で、自転車レーンと歩行者レーンの中間あたりをふらふら走ってくる自転車とのすれ違いが発生しそうだったため
毎年、クリスマスに下痢します。しかも死ぬかと思うくらいの下痢。
今回は25日午前0-2時に終わりの見えない下痢との戦いがありました。
今年は冷たい物は飲まずに、ケーキも食べてないし、鶏肉も小さめだったのに…
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1152588411
自転車乗ってて赤信号で止まったら,後ろからよそ見してた歩行者がぶつかってきた.
めちゃくちゃ腹が立ったのは,その歩行者がぶつかったのを俺のせいにしたこと.なんで俺停止してるのにお前に非難されなくちゃなんねーんだよ.ふざけんな.
自転車で道路を走っていると逆走してくるチャリとかよく見かける.こないだは暗闇無灯火で逆走してきた奴がいたから,ベルならしたけど意地でもあいつ等よけないんだよな.本当に不思議だけど,「相手がよけてくれると思っている」.
つまり、増田の向こうにはそれを書いた人間がいるなどというのは妄想であり、増田で何かにレスしてる連中はみんなキチガイだったのだ
>>私はおととし結婚して、ほぼ専業主婦として仕事は趣味でやれるぐらいには恵まれていて、正直そこらへんには勝った気でいた<<
女性って何と戦ってんだろうな
あんた良い奴だな…
最近ではどちらかというと悲しかったり窮地に追い込まれるような脅迫感の強いものが多い
そんな中ではありながら、その日の夢は仕事で同僚とドライブ気分で向かった地方のガソリンスタンドで給油をしているという比較的平和なシーンから始まった
のんびりとした風景の中、スタンドの屋根に有名牛丼チェーンのオレンジの看板が掲げられていたことに気が付き、ここで食事をしようという話になったのだ
見慣れたスタンドの建物に入るとこれまた見慣れたテーブルや自販機、レジと一緒にお惣菜コーナーが置かれ、そこにつながる入り口から牛丼店に入ることが出来た
すこし独特なつくりをした店内はスタンドというよりもSAのフードコートに近かったかもしれない
現実の有名チェーンとは違いそこでは先に食券を購入する必要があったのだが、券売機は小銭しか受け付けない作りで近くに両替機も見当たらなかった
あいにく手元には1000円札しかなく、しかたなく牛丼店の店員に両替してもらうと考え近づいていったのだ
突然その女性は、「うちはうどんはやってないよ!」とひどく不機嫌な様子で言葉を投げつけてきたのだ
そのあまりにも唐突であまりにも強い語調にひどく面を食らってしまったわたしは、逃げるように入り口の惣菜を手に取るとスタンドのレジで会計を済ませ隠れるように車へと戻ってしまった
それでも牛丼を食べ続けている同僚を残し、何かに怯えるかのように身動きが取れなくなったわたしは車内で一人その理由を考えていた
この辺りでうっすらと意識が戻ってきたわたしは、夢が終わってもそうして唐突に投げつけられた言葉をまだ噛み砕けないでいた
例えば今まで夢の中で突然襲われたり、目の前の崖を曲がりきれずに落ちてしまったりといった夢をみることは何度もあった
ただ、それらはある程度自分の中で起きては欲しくないこととして直前に予想されていることでもあった
しかし今回の夢の中で起こった出来事は、自分の中では全く予想のできなかったまさに突然投げつけられたものだったのだ
ここで気に掛かっていることは投げつけられた言葉の意味ではなく、夢の中でありながら全く予想が出来なかったことで本当に驚いてしまったということだ
いくら考えても自分の中のどういった心の流れでそんな言葉をかけられたのかがわからず、珍しい夢を見たという感覚だけでは処理することができなかった
そうして一体その言葉を発したのは誰だったのかということを考えていくうちに、自分の中に別人がいるような感覚に襲われるようになってしまった
もしまた眠りに落ちて同じようなことが起きてしまった時、自分は冷静のままでいられるのだろうか
夢を重ねるごとに自分のコントロールできない出来事が増えてきてしまったらどうしたらいいのだろう
いつの間にか夢の中だけで世界が作られ、その中で一切の自由が奪われる状態に陥ってしまったらどうしよう
今度夢の世界に足を踏み入れたら、もしかしたらわたしは殺されてしまうかもしれない
いや、この体を維持するために、二度とその世界から出してもらえないかもしれない
そうしてどれだけ眠れない日々を過ごしたかも、もう思い出せなくなってきてしまった
少しずつ意識が遠のいてきた
一つアドバイス
相手のリアクションを予想するという姿勢自体は非常に正しいが、
先回りしたい時は相手の反論を潰すなり回避するように書くべきで
予想内容をそのまま書くのはやめたほうがいい
ご指摘、ありがとうございます。低能の人です。
確かに見返してみると予想内容をそのまま書くのは、
どうするべきか?のアドバイスまで頂き
非情に勉強になりました。ありがとうございます。
私は生命系ではないが一研究者の卵として学問に携わっており、一連のSTAP細胞の問題がなぜ起きてしてまったのかずっと疑問に思っていたが、ようやく私の中で結論が出た。
アカデミックは金儲けには向かないため、ごく一部の例外を除き、真剣に学問への貢献を考えている人間ばかりが寄り集まった社会だ。そのため、STAP細胞のような社会問題になる事件は起きにくい。たしかに、シェーン事件など今回と類似した事件は過去にもあるが、STAP問題と比べ幕引きはずっと早く、結果的にもシェーン氏個人の罪だと結論付けられた。一方、STAP問題では幕引きも遅く、論文以外にも多くの問題が噴出している。例えば、検証実験や理研の対応、笹井氏の自殺、バカンティ氏など指導教官の問題、早稲田の博論、特定法人化など、挙げればキリがない。陰謀論に結論付ける意見も多い。しかし、今回の一件で総じて得をした人間などいないのが実情だろう。また、当時の下村文部科学大臣がSTAP問題について言及したため政府の関与を疑う声もある。たしかに理研と産総研の特定法人化が先送りされるなど実害はあっただろうが、だからといって政府関係者が責任を取らされるわけではないので、政府はSTAP問題に干渉する必要性がない。
では、何がSTAP問題を悪い方向に向かわせたのか。この疑問は、[1]の記事をきっかけに氷解した。補完したい部分はあるが、その前に重要な部分を引用しよう。
「現段階で小保方さんの処分を決定すれば懲戒解雇は避けられない。そうすると処分を不服として訴訟を起こされたり、理研内部の問題を外部に漏らされる可能性がある。(中略)その点、3月まで雇用を引き延ばせば、懲戒解雇ではなく来期の契約を更新しない形で穏便に小保方さんを切れる」
たしかにこのような説が正しければ、理研がSTAP細胞に関する問題を3月まで先延ばししている理由は説明できる。理研が時間を稼ぐ中でメディアへの露出が多かった笹井氏は社会的に追い込まれ、結果として自殺してしまったのも納得がいく。理研がSTAP細胞の特許を取り消さなかったのも、小保方氏側が裁判の種にするのを理研が嫌ったのだろう。
さて、裁判になれば忙しい研究者の時間をさらに取られることになるため、避けたいのは分かる。しかし、現在の問題は裁判になっても小保方氏を懲戒解雇すべきだと考えるのは私だけではないだろう。もっと大きい問題は、理研内部の問題を外部に漏らされる可能性にある。というのも、これには研究者特有の事情が絡んでいるのだ。研究者は、管理職になると研究室の雇用や予算獲得などをしなければならない。これはある意味で中小企業の社長のようなものだ。そしてその過程の中で、小保方氏に限らず多くの研究者は、権力と金にまみれた泥臭い世界を渡らなければならない。予算は基本的に使い道や期間がかなり制限されており、うまく考えて使う必要がある。そのような制度上の問題から、素晴らしい研究においても、グレーゾーンや違反した行為をせざるを得ないことはままあるのだ。例えば、購入したものを前の年度で購入したことにする、などである。一方で、管理職になると問題を指導してくれるような「先生」はいなくなる。研究者個人の独立性が高いと評判のCDBではなおさらだろうから、小保方氏の予算管理に問題があっても指導できる立場の人がいなかっただろう。(外部に公開する論文の問題すら精査できなかったのに、予算の問題など他の研究者が精査できたはずがない)このような状況では、あの小保方氏だから予算管理に問題を抱えていてもなんらおかしくはない。
また、CDB特有の制度によって小保方氏は若さにもかかわらず小規模な研究室を持っていた。理研の会見でも指摘されているように、アカデミックにおいて小保方氏は完全に責任を追うような年齢ではない。小保方氏が予算の流れを暴露すれば、理研自体にも問題点が指摘され、さらに裁判となれば理研側も責任を取らされることも考えられる。このようなことから、理研は穏便にすませるという方向の解決を図ったのだろう。研究者からすれば、とにかく手間を取られずに問題をすませたいという考えしかないのだ。時間を稼ごうとした結果、結果的に笹井氏は自殺し、CDBは崩壊するという最悪の結末になってしまったが、現在の理研が未だに検証実験を続けているのは、記事のように小保方氏との雇用契約がシナリオで進んでいるとしか考えられないのだ。
笹井氏はCDBについて「若手が実力を発揮できる研究所を作りたかった」と語っている。実際、日本の研究機関は年功序列が基本だから、どれだけ実力があっても研究室を手にいれるまでにはとても時間がかかるという問題がある。CDBでは、小保方氏のような比較的若い研究者が自分の研究室を持てていたように、この目的は達成されていたと言えるだろう。しかし、日本では年功序列が当たり前であるため、上司(の立場の人間)が小保方氏の責任をとる必要が出てしまった。結果的にこれが笹井氏を自殺まで追い込んでしまったのだ。また、日本においては予算について制度上の制約が多いにもかかわらず、資金の運用方法は研究者の裁量に任されている。
日本のアカデミックは、欧米から輸入してきた制度と日本式の制度が交わった社会である。研究では特に、体力と発想力のある若手が実力通りに評価されなければ立ち行かなくなるが、年功序列や予算管理の壁は厚く、今回の問題は大惨事になってしまった。この問題は論文の切り貼りだけでなく、日本のアカデミックに横たわる深い問題が表面化したに過ぎないのだ。
[1] http://www.news-postseven.com/archives/20141216_292561.html