なんで社会の人々は自分の適性を無視した仕事をするんだろうか?
自分に合わない仕事を無理矢理こなして生きている気分になれるんだろうか?
完全に適正にあった仕事なんてないのは知っているけれど生き地獄じゃないんだろうか。
なんで皆自分たちを平均的にしようとするのだろうか?
なぜ異端者を排除しようとするのか?
もう周りの目にビクビクしながら生きるのは嫌だ。でもそれを辞めたらまた社会から弾かれてしまう。
休みの日はいつもひとりだ。誰からも干渉されないから一番楽だけれど孤独はつらい。
だからといって誰かと一緒に何かをするのはアスペだからとても疲れてしまう。
増田にすら相手にされない。いつも増田や嫌儲で愚痴ばかり書いているふなぽんですら相手にされるというのに。
アスペでも頑張れば社会に適応出来ると言うことを証明したかったけれど、
もう死んだ方が楽なのかも知れない。
東京新聞:「96条改正 9条を視野」 石破氏 夏の参院選公約に:政治(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013041302000233.html
日本の左翼は、「96条改正は9条改正に道を開く政府の陰謀だ!」とか言い出してるけど、そもそも自民党の重鎮が堂々と言い放ってるんだから「陰謀」も何も無いもんだ。「陰謀」ってイメージの悪い言葉を使って叩きたいだけなんだろうな。
ふと思ったんだけど、知的障害者の性欲ってのはいったいいつから目覚めるんだろうか。
健やかに育てば、だいたい二次性徴に伴って性欲が表に出てくるわけでしょう。
だけど知的障害者は精神年齢が体の成長に追いついていないわけでして、
身体は二次性徴を迎えて、精神的に「あーやりてぇ」とならないんだろうか?
そもそも、二次性徴までにある程度の自制心が育ってるから、内側からの熱いパトスを何とか抑えられるわけで、
精神的な発達もないまま、あの衝動に耐えきれるとはとても思えないんだが。
「何かよくわからないものが内側から湧き出てくる」ことに、彼らは耐えられるのか?
普通だったら、「あぁ、これがやりてぇってことなんだな」ってなるけどさ。
精神的に、客観的に「あーやりてぇ」と思うことで、性欲というものがあらわれるのかもしれん。
ある程度発達した脳みそが「これがやりたいってことなんだよ」と信号を出すことで、
「やりてぇ」と思うのかもしれん。
そう考えると、脳みそと体が連動してないって、辛いだろうなぁ。
やっと「やりてぇ」という性欲が出てくるころには、身体機能が落ち着いてるのかもしれんのだろ?
昔の自分を見ているみたいで微笑ましいぐらいだな。
今も似たようなポジションではあるけど、今の上司は自分を育ててくれようとしてるのが分かる分、マシ。でも、当時は本当に死にたいと思ってた。
顔に残っている傷跡が、その時の記憶を保ってくれている(ちなみに同僚に鼻を折られた跡ねw)
で、貴方にアドバイスを一つ。
間違っても、本人が望まない限り解雇しちゃ駄目。こういうのは子供のイジメと同じで、居なくなったら別の人が同じポジションになるだけだから。
ああいえばじょうゆって事件後では?
昨日こんなツイートをした人がいた
「そう、わからないよね。ならないと」
と答えたのだが、その彼はこう返した。
「そそ!黒人の友達がいないから人種差別したり、ゲイの友達がいないから同性愛者を嫌ったりするのと同じように、鬱な友達いないから鬱な人の気持ち分からない♪つか、分かったらヤバそうだから分かりたくない♡」
彼はゲイ、これではマイノリティなど認められる日は来ないだろう。
画像も流そうかと考えたが、彼は若く、考えが変わることにかけて、抜粋だけして流すことで、この思いを供養することにする。
繰り返すが、差別を擁護してそれでいいのだと考える人間がいる限り、人種でも、性でも、障害でも、マイノリティなどありえない。それを抱えてる人間すら差別をするのだから。
ネット上の男女論争を見てて思うんだが
男だからこう、女だからこう、と決め付けているタイプが一番気持ち悪い
男でも女でも世界にはいろんな人間がいるし、人によって性格考え方は様々なのに
男女という狭い枠に当てはめて人を見ることによって
そのことを否定している もしくは気付かない
周囲の人間関係がその程度ということなんだろうけど
現実でも、人に対して、男なんだから☓☓するべき、女の子だから◯◯しなくちゃと考えているタイプは馬鹿
結局自分の性と、そうでない性を分けて考えて、狭い枠に当てはめているだけ
自分自身にそういう自覚が無くとも、結局そういうこと
男女を気にしないで
「従軍慰安婦」ってのを国と国の問題として考えるからいけないんだよ。
男と女の問題だろう。どこの国でもありうることだ。だから日本限定じゃなくて男性性そのものを問題にすべき。
韓国の男どもも性暴力の被害者女性に冷淡だった事実もあるんだから。
27歳でいまだ童貞です。童貞です。童貞というのは、生まれて今日まで女性と性交渉をもったことがない男という意味です。書いておかないと誤解されると思うのであらかじめ断っておきますが同性愛者ではありません。よっぽど美少年なら抱きたい/抱かれたいというのは正直あるけど、現実にしたいとは思ってません。女性の小陰唇を直に見たことがありません。生身に女性の裸を見たことがありません。当然触れたこともないわけです。
なんで死にたいか順を追って説明してみたいと思います。結論から言うと、春になったからです。春になると、突然、街行く女性の服装が華やかになる。露(あらわ)になる白い二の腕。女子高生くらいの女性が太ももで僕を誘惑する。ショートパンツからにゅきっと生えたバターのように白い太もも、どこまでも白く透き通るような女性の肌の色。雪のように白いというけど、僕はややピンクがかった白い肌に興奮してしまうのです。実を言うと、昨日、あまりにも肌の露出が多いため、深刻な頭痛に苦しんでいました。緊張性頭痛というやつで、精神性のものです。地下鉄に乗ろうとしたのですが、西遊記の孫悟空を縛る緊箍児(きんこじ)のように頭をギューギュー締め付けるのです。会社にいくつもりだったのですが、吐き気がして、自宅に返って風呂のなかに籠っていました。なぜ風呂に入ったかというと、先生が、リラックスすれば頭痛は消えると教えてくれていたからです。
女性の実体そのものはなんてことはないと思っています。それを男の脳というフィルターを通してみたときに、ひどく魅力的なものに見えるにちがいありません。いま、あなた私に「風俗行けよ」って言おうとしませんでしたか?風俗なんていやです。絶対に行きたくないです。お金に困って嫌々働いている女性は、女はカネで股を開く浅はかな生き物だと勘違いしている男を一日何人も相手しているんです。しかも、恥垢のたまった、悪臭放つデブ男のチンコをしゃぶらされ、精液を飲まされるのです。想像しただけで吐き気がしてきました。僕にはそんなことできません。もし、「1万あげるから、洗ってないチンポしゃぶって精子飲んでくれる?」と言われてできますか?イケメンならまだしも、おっさんや風呂に入ってなさそうな引きこもりのチンポしゃぶれますか?もしできるって人間は風俗に行けばいい。俺にはできない。自分がしたくないことを他人(ひと)にはできない。僕はなるべくこのルールを守って来たつもりだし、これからも守っていきたい。だから風俗には行けない。行ってもいいけど、相手は僕を人間として見てくれない、扱ってくれない。「オマエもそういう奴なんだな」っという目で、侮蔑の眼差しで見られる辛さ。僕は人間でありたい。だれも僕を人として扱ってくれないけど、僕は人間だ。人間でありたい。誰が何を言おうと人間だ。でも童貞には、そう発言する権利はない。
童貞というのは、人間として失敗したということだ。欠陥商品だ。本来ならリコールされるべきなのに、人権団体が俺の人権のために俺を苦しめる。童貞というレッテルは前科三犯よりも重い。シンナー吸ったり、Sやったりする奴よりも重い。だって、薬やってもテレビ復帰できるんだろ?日本中の人間が見る番組に出られるんだろ?父親がやくざであったとしても。でも、童貞は童貞というだけで、人間としての資格なしだ。人間失格という本は読んだことはない。太宰治はすぐ女ができるんだろ?
ああ女性は美しい。その存在が僕に平安をもたらす。水平線の彼方のように、さざ波ひとつもない、真っ平らな水平線を僕を連れて行ってくれる。僕はいまそこに行こうとしている。すべての絶望の淵は驚くほど安寧の地だ。あらゆるものが美しく見える。ベルリオーズの音楽が聴こえる。もうそろそろMBAの電源が切れそうだ。できるなら女性がいかにすばらしいそんざいであるか、僕自身の言葉で書いてみたかった。彼女たちは天使だが、天使という言葉では決して語り得ない。
最後に書いておきたい。世界はうつくしい。僕は幸せだった。日本に生まれてしあわせだった。願わくば、あなたにも、あなたのたいせつなひとにも幸福が訪れますように。みなさまのご幸せを心よりお祈り申し上げます。
思うところがあったのでしょう。
都会の名門病院からこの辺境の村に単身やってきた彼女でしたが、
村人たちのあまりに身勝手な物言いに疲れ果てたのか、ついには診察をやめ、
それまで暇と時間を持て余した村人たちの集会所だった待合室。
村人たちのあの笑顔と活気で溢れた待合室。
玄関に投げ出した二百七十冊の書籍の山。多いとは言えないが、読むには時間がかかりすぎるその山を俺はいま捨てようとしている。ジャンルはさまざま。モンテ・クリスト伯、虚栄の市、戦争と平和、城、怒りの葡萄、ユリシーズ、地下室の手記、潮騒、企業評価と戦略経営、パターン認識と機会学習、ラング数学を語る、ドグラマグラ、プログラマのための文字コード技術入門、やさしい人物画、ソドムの百二十日、数学ガール乱択アルゴリズム、死者の奢り・飼育、法令用語の常識、新しい交流分析、もっとも美しい数学ゲーム理論。
読めば、新しい知見を発見するにちがいないが、もはや体力が尽きてしまった。どれもすばらしい本だと思いながらも、どれも読む価値がなく感じる。少なくとも、俺にとってはいまさらどうでもいいことだ。
本を捨てるには、まず段ボールに詰めることだ。つぎに、電話をし、そのまま引き取ってもらうことだ。必要になったら買えばいい。もう絶版で手に入らないって?ならもっとけ。回収の車が車での残り3時間、本当に読みたいものが見えてくる、というのは嘘だけど、慰めに1、2冊読んであげるつもりだ。
東京では、本を置くスペースもない。本を読むことが許されるのは、お金持ちの息子と古本屋の娘だけだ。
無人島に本一冊問題なんていうが、本が回収されるまでの三時間一冊問題の方があり得るし、現実的なのだ。
いま、僕はドグラマグラを読んでいる。(青空文庫で読めるって本当?!)
この本はどうだろう、援交から革命へ。宮台は専門家が読めばいいと思ってる。
スワン家の方へは?
あなたなら?
弁護士ドットコムの「みんなの法律相談」には、子どもが電車にはねられて亡くなった後に、鉄道会社から損害賠償を請求された母親の相談が寄せられている。会社からの請求額は90万。「とても払えない」と伝えたところ、50万に減額されたというが、精神的なショックがさめやらぬなか、戸惑いを隠し切れない様子だ。
自殺って訳でもないし、なんつーか……
という理屈が成り立つかどうかだよなぁ。
残念ながら、「定期的に餌をやる」のはイコール「飼う」という行為そのもの、その本質を為す部分であって、それならば、「飼う」ことにまつわる責任だけ免れようというのは難しいと思う。逆に言えば、それ以外の部分なら、責任なしに成り立つとは思うんだけどね。
たとえば
・「かわいがる」という行為だけする → 多分誰も文句言わない、というか、普通にみんなやる。
・「愛でたり写真撮ったり」という行為だけする → まあ、好きにしろよ、という感じ。
・「避妊手術」だけする → 獣医がボランティアで……多分、感謝されてもよいと思う。猫嫌いの人は「手術のあと放置すんな」とか言いそうだけど、言い返せると思う。
・「しつけ」だけする → これも、可能ならば感謝されてしかるべき。
・「定期的に餌をやってかわいがる。医療行為もできる範囲で」だけする → ちょwwwwwwテラ無責任wwww
…となるのは、やっぱり仕方ないと思うのよ。
「当然賛成」派です。
無理に「精神障害者の社会参加」などを考えるより、働く能力のない人や、働いたら雇用者も労働者も不幸になるという場合には、それこそ生活保護などのセーフティーネットを活用してもらったほうが社会的コストは低く抑えられるんじゃね?そっちのほうがお互いまだシアワセなんじゃね?という考えです。
言葉足らずで申し訳ありません。
こういう主張をする場合、彼らが働かなくても安心して生きられるよう、生活保護なんかのセーフティーネットの拡充には賛成するべきだと思うんだよね。
無理してでも働かなきゃ生きていけない状況があるからこそ、現状がある訳で。
・社会の一員として働かない奴らを養うのも嫌だ。
これ両方を満たそうとすると、結局は自分以外の誰かに面倒を押し付けるか、弱い奴は消せみたいな話になっちゃう。
でもそれってディストピア一直線だよね。どっちかは引き受ける覚悟が必要だと思うんだ。
面倒を誰かに押し付けることが可能な世界は自分が誰かに面倒を押し付けられる世界だし、不愉快な奴を消せる世界は自分が誰かに消され得る世界だよ。
俺なら、そんな殺るか殺られるかみたいな毎日過ごすより、お互いにいくらかの負担を我慢する方がマシだな。
元の文書いた増田が「当然賛成に決まってる」というんなら、つっかかったみたいになって申し訳ない。