http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1397070638
>ボランティアで精子提供してもいい、と思いましたが、希望する方いらっしゃいますか?
「精子提供したい」という男性ニーズをうまく受け止められないのが、日本社会。
(これ以外にも、個人の「精子提供します」サイトは多数あるが、
一方、中国では、精子提供者が圧倒的に不足していて、公の場で募集を掛けているのに、
集まらない、と聞いている。
「精子不足の中国」と「精子提供者はいるのに、女性側がその気じゃない日本」。
ん?
これって、ミスマッチ解消すれば、「商売」になるじゃん。
>>40代、取り返しのつかない歳になった時の悲惨さを考えたら今すぐにでも死にたい<<
この考え方が、40代の人に対する圧力になっているのはわかるかな?
”マトモな人間にならなくちゃいけない”と思うのは、責任感がある証拠だと思うけど、
それが人を追い詰める。自分をも追い詰める。
なんでマトモな人間にならなくちゃいけないの?なりたいの?ならないと誰かに責め立てられるの?自分が耐えられないだけ?
40代でバーに入り浸って公園で寝るくらいしか毎日することがないおっちゃんだって、くだらない話で死にそうだった人を癒しているかもしれないし、絵を描かせたらすごくいい絵を描くかもしれない。(フィクションだけど)
でもやっぱりそれは寂しいな、と思うなら頑張ればいいし、じゃあクズでも何かできるおっちゃんになろう、とか思うならそのままでもいいんじゃない?
そういえば、ここは書き捨てる場であって、対話なんかできる場じゃないなって思ったの忘れてた。
町を歩いていて、ふと、窓ガラスに自分が映るのを見る。ああ、自分はキレイだなって思う。ものすごい美人ていうわけじゃない。でも私は自分の容姿を気に入ってるし、多くの他人にもそれなりに見えるっていうことも分かる。
その瞬間にいろいろなことを思い出す。
昔は自分の姿を見るのが、とても嫌だった。町中で唐突に鏡に出くわすと、ぎょっとして心臓が止まるかと思うほどだった。自分は家庭でも学校でもいつも醜い子供だった。少なくとも自分を醜いと思って生きていた。思春期になるころには、学校の男子にありとあらゆる方法で容姿をけなされた。母親は、顔の整形手術を進めてきた。少しずつ自分の身体が女らしくなってきたとき、それを私は嫌悪した。できるかぎり身体の線の出ない服、ダボダボな男の子みたいな服を選び、髪も五分刈りにしていた。女として見られるのが嫌だった。女じゃなくなれば、醜くても、そんなに傷つけられることはないから。きっと。好きな人ができると、こう思った。自分のことを見ないで欲しい、こんなに醜くて汚らしい自分を見ないで欲しい、モンスターみたいな私の存在をしらないままでいてほしい。少しでも人を不快にさせないように、いつも微笑んでいるようにした。微笑はそのうち能面みたいに顔に張り付くようになった。自分がもう少しでも美しければ、こんなに苦しまなくてもすむのに、と思った。願いはいつもひとつ、「美しくなること」だった。
高校を出て大学に入り、それまでの人間関係から解放されて少し楽になった。眼鏡もコンタクトにすることが多くなった。髪もすこしのびた。大学に入って知り合ったリア充男子が、ふと言った。「眼鏡外すと可愛くなるとか、少女漫画みたいなことってあるんだな」…ぽかんとした。意味が分からなかった。でも、その後実際に自分の人生は大きく変わった。だんだん女の子らしい服を着るようになった。どこへ行ってもちやほやされるようになった。家に帰ると母親は、女らしくなった私を見て馬鹿にしたみたいに鼻をならしたけれど。そして、彼氏ができた。それも死ぬほどイケメンで頭が良くて面白くて優しいとかいう、パーフェクトな彼氏だった。そして数年後プロポーズされた。
ここまでだったら本当に少女漫画みたいだ。醜いアヒルの子は美しい白鳥になって、王子様に求婚されて幸せな人生を送りました、というような。だけど、自分はその結婚を断った。理由なんて特に無い。強いて言うなら、結婚して仕事辞めて地方に行くなんてまっぴらゴメンだった、というくらい。彼氏は卑屈だった私の人生を変えてくれたのに、誰よりも大事だとか思っていたのに、結局そんな風に思う自分のエゴに失望した。結局自分は愛される価値も愛する能力もない欠陥人間なんだって思い知った。
それから数年。私はあいかわらず仕事をがんばっている。友達にも恵まれている。でも、あれ以来本当に好きになった人はいない。もう恋もしないし、性欲すらなくなってきた。婚活もする気にならない。いつもどこかに、自分は誰かと一生添い遂げる資格のない人間なんだっていう意識がある。自分には無理だって思う。そしてものすごく寂しくなる。それは、「いつかヒーローがやってきて、大冒険の末に私をこの世界から救い出してくれる」っていう妄想というか信仰というか、そういうものが打ち砕かれたからだ。一瞬そういう夢をみてしまっただけに、その失望感は大きい。人間には希望が必要なのだ。
美しくなることは、結局なにも解決しない。自分の性格を変えることもできず、王子様に助けてもらう気にもなれないのであれば。だけれど、今日鏡に映る自分の顔は、もうイグアナみたいに醜いモンスターじゃない。それだけでも自分は十分幸せになったのだと思う。
エネループ騒動、その背景に独禁法がある、という指摘があったが、
公取的発想はこうであろう。
無競争状態と化して、価格が高止まりして、消費者利益が損なわれるから、合併に注文を付けるべし」
この発想の背後には
「企業は、超過利潤を溜め込み、消費者に還元するハズがない」という企業性悪説に立っていると思う。
「欧州では、独禁規制が厳しいため、携帯通信でガリバーとなる企業が存在せず、群雄割拠状態。
そのため、通信費は確かに安くなっているが、一方で、次世代通信に投資する体力が
どの通信会社も乏しいため、LTEなどの高機能通信の普及が日米に比べて遅れている」
確かに欧州の消費者は、独禁法規制のおかげで「通信費が安い」というメリットは享受できたが、
トータルで見て、「幸せ」と言えるのか?
ある程度通信会社に利潤を渡して、その資金で以て次世代通信投資をさせた方が、
これをパナ+三洋に応用すると、世界シェア8割、という状況を現出させて、
その超過利益で以て、次元が違う新商品、新サービスを創出させた方が、
トータルでは消費者の利益になる、ということは、なかったのか?
現代経済では、「現業種で世界の7割・8割」というガリバーであっても、
異業種が競合イノベーション商品を創出することで、あっという間にシェアを失ってしまう。
世界の過半のシェアを占めたコダックフィルムだったが、いくらフィルム市場を独占したところで、
異業種(デジタル業界)が「デジカメ」というイノベーションを巻き起こしたせいで、
あるいは、固定電話の世界、これは電電公社・NTTがガリバーで、
それに対して第二電電とか日本テレコムとかが挑んでいたが、ガリバーのシェアは安泰だった。
だが、携帯電話、デザリングというイノベーションによって、固定電話のシェアを語ること自体が無意味になった。
「市場の独占はいけない」として独禁法の必要性が語られていた時代(今から50年以上前)は、
イノベーションの進行は緩やかで、「市場そのものの消滅」という自体は想定外だった。
万一、市場が喪失するとしても、それは数十年先でしょ?その間の独占が問題でしょ?というスタンス。
しかし、現代はイノベーションが加速しており、うかうかしていると10年で市場が消滅してしまう。
このような時代においては、「市場の過半数を占めるメガ企業」と言えども、
超過利潤にあぐらをかくことは、許されなくなってきている。
超過利潤を更なる新サービス研究に注ぎ込み、イノベーション異業種とのガチンコ対決に備えなければ、
「異業種イノベーションによる市場喪失」という概念なき、伝統的独禁法運用のポリシーを、
そろそろ見直すべきではないか?
お前は生き死にの話すらできるのに、思った事が言えないようだ。思った事が言えないヤツというのは、何か受け入れ難い過去を抱えているものだ。
無力であった頃の罪悪感がお前を蝕んでいるのなら、人のせいにすればいい。他人や自分を憎みたくなければ、人間には欠点があるという事を理解しろ。
お前は自分を見下げるのと同時にすごいと思っている人にも欠点がある。人間は完全ではない。
今日までの自分を認めろ。お前は迷惑でクズなのかもしれないが、死ぬほどのことでもない。
大丈夫だ。お前は生きていても良い。俺が認める。
マトモな人間になりたいです
それが、もうどうあってもなれそうにないから絶望しているんです
では、諦めて開き直って生きればいいじゃないかとあなたは言うでしょう
マトモな人間でないままに、40代、取り返しのつかない歳になった時の悲惨さを考えたら今すぐ死にたいくらいとても辛いのです
八方塞がりにしてるのは私なのかもしれません
でも八方塞がりで辛いのです
でも素直に死ねないというのは私が希望にすがりつくのをやめられていないからなんでしょうか
だれか たすけてください
東大生って頭いいよねーって思った。
どうすれば働かずにそれなりの暮らしができるかを考えた結果こうなった感じ。
高校の同期には東大生も数人いるのですが、
そういう人と話をすると、「お前らしいね」って言われる。
御多分にもれず彼らは高収入安定な職についてる。
現時点での収入に関しては自分のほうが上だけど、安定性は不透明。
なぜ僕らしいかと聞くと
ガイドブックもいろいろあるけどやっぱり「地球の歩き方」が一番使えるよね。毎年改定してるだけあって、とにかく情報が確か。
旅行してる若い子たちがよくコジャレたムックみたいなガイドブック持ってるけど、情報古い、足りない、間違ってるわで、残念なことが多い。特に地図が間違っている時のがっかり感といったら… おしゃれっぽいガイドブック持っててもいいけど、まずは信頼できるガイドブック持ってたほうがいいよって思う。
「無礼な人々や、しゃくに障る人々に応対しても何の得にもならない」と結論づけています。
そういう人々に対するもっとも効果的な武器は「集団的に排斥すること」であり、
http://www.lifehacker.jp/2013/03/130305jerks_and_trolls.html
イラっと来る奴をいじめるテクニックに『同調圧力を併用した無視』があるけど、これって理にかなってたんだな。
参考になるわ。
http://anond.hatelabo.jp/20130305214302
重い上に反応が無かったら押し忘れたかなって確認するもんでしょ
また、迷惑かどうか以前に自分の責任を他人の迷惑行為に転嫁するのはよくない。
文句があるなら迷惑行為をされないシステム作りをすればいい話であって、
はてな匿名ダイアリーが死ぬほど重くても何ら対処はされません。あらかじめご了承ください。
二階堂がタモリ宛に持ってきた手作りクッキーの包装紙に日の丸のシールが貼ってあった。
タモリはフジスタッフの意図に気付いて映さないよう、それを破らないように上手に剥がしてたのが地味に泣ける。
フジテレビはこんなしょうもない事してまで反日行為をしたいのか?ひな人形で天皇陛下を侮辱したと抗議が来て謝罪したのをもう忘れたのか売国奴め。
なお、あのシールは元からあの包装紙に貼ってあったとは思えないほどデザインがそれと不釣り合いで後でスタッフが付けたと思われる。
amazonが頑張って、家電量販店は大慌て。それが現状としてその先を考える。
amazonはそういったショウルーム化している家電量販店に対しては特に積極的なアプローチをしていない。否定もしていない、消極的な肯定だ。もし積極的なアプローチ、つまりショウルーム機能をamazonが内包したらこの現状は大きく崩れる。
ショウルームでは好きなだけ商品を手にとって現物を確かめる。店舗には見回りの人間を配置。商品の説明、解説は動画形式にしてその場、もしくはamazonの商品ページから自由に閲覧。それでも分からない質問があればビデオコールセンターで専門アドバイザーに聞いてもらう、この時のビデオを編集、関連商品にタグ付けして解説動画の更なる充実を図る。ビデオコールセンターは店舗からの質問に対してのみ応対することで、ショウルーム来店のメリットと、店舗営業時間に合わせたアドバイザーの使用を実現。買った商品は基本的に配送のみ。店舗は展示スペースのみが必要なので店舗ごとに倉庫スペースを作る必要はない、省スペースな店舗は郊外ではなくて都市部に集中展開(ここら辺はあんまり今の量販店と変わらんかな)。倉庫と物流は現時点でamazonが有しているものを使えばいい。
こんな感じだろうか。amazonがこのモデルに開発コストをかけるのは厳しいように見えるけど、家電量販店を買い取ってしまえば特にめんどそうな人材開発も簡単に出来そう。
ショウルーム自体のランニングコストをどう回収するかがネック。コストコみたいな会員制サービスにするなり、入場料は回収するが入場チケットに記されたコード入力で入場料分の割引がamazonでの購入に対してされるとかかな。でも家電量販店がなんとかなるしまわると思うのよ。
今現在はショウルームコストがamazonにとって外部化しているからこその利点もあるけど、内部化することで家電量販店にトドメをさしてネット販売家電店が最強になる時代が来るんじゃないだろうか。
こんなこと言っても、amazonはマーケットプレース化していて売主じゃなくなるって話もどっかに乗ってたしこれはアリエナイ話かな。一方の家電量販店が生き残るために積極的にショウルーム化を進めていくのはアリエルかなあ。