はてなキーワード: 正義派とは
潔癖な人ナイーブな人ほど怖い
自分達がいい人だと思っていて、そう思えなくなる事実を否定したり排除したりするから。
名古屋のある医療生協の病院の如何にもいい人そうに見える健気な車椅子のケースワーカーに、婦人相談所に半ば怒るように行かされ、区役所からの連絡には、こちらの紹介じゃありません、と言われているのを(目の前で電話した)聞いたという事を経験した時そう思った。
この時区役所に行ってどうなったか、このN里に聞かせて下さい!と自分の胸を叩くというパフォーマンスまでされた。
私が名古屋じゃない街で婦人相談所もだめだった事があると言ったら、怒ってきて「ここ(名古屋)でですか?」「この前パラノイアの患者さんを夫の暴力から守るためこちらの紹介で入所させました」「あなたが行かないから」など言われ、前述のパフォーマンスになったのだった。
区役所から(この時はM区役所、イニシャルだと今も同じだけど)生協の病院に電話したら、N里先生は帰られました、と言われた。
インフォームドコンセントが聞いて呆れる。ここの病院にはエレベータの中にも、患者の権利章典がデカデカと貼ってあった。
これは仮説だけど、なんでこんな事されるのかなあ~と考えたら
日本が民主的な法治国家と信じたい人にとっては、聞かされたくない話だったからなのか、精神病院については矛盾多い世界と言うのを知ってる人は知っているので、関わらないようにしようとしたのか、わからないが、病院の体面を守りつつ、健常者に対する悪意を吐き出す事を生業にしているからなのか、その中のどれかか、複合的なものなのか、仮説さえちゃんと立てられないが
この人も他では評判が良くて、家の前に○○党相談とか出ている家に言ってみたが、その人がそんな事言うわけないとか言われた。
あぁ、この時に、他にも言われていた。
親が当時住んでいたところにいきなり来て、隣の部屋の人に、実は精神病院に入れてまして、と言って行った、何をされるか分からないと怯えてパニくっていた私だったが、この車椅子のケースワーカーは
と言ったのだ。
関西の子供なら、聞いたこと言ったことがある言葉で、「ごめんで済んだら警察いらん」というのがあるが、そんなんで済んだら誰も困らんやろ!!!
この時に背中の痛みについても言ったが、本当に悪いんだったらね!と言われた。
医療生協の会員にだけならされ(後に取り消しに行ったが)お金も払わされ、病気なら診てもらえますよ、本当に悪いんだったらねと言われもした。
こんな如何にも正義派みたいな、スキャンダルを起こす前の辻本清美さん(顔も似ていた註あり)みたいに見える人が、こんなんなんて・・・!!!
と大ショックを受け
自分の方が悪い気がしたのだと思うけど、ちょっとおかしくなっていたような気もする。( これ以来全く相談に行けなくなった )
良い人の方が危ない
気をつけなくてはいけないと思った。
註
顔も似ていて美人と言って良い顔だった。
清潔感があり、洗剤の匂いと思われるものやシャンプーの匂いが入り混じったような何か微かな良い匂いを、醸し出していた。
(洗剤と言ってもダウ二ー臭ではなく、もっと控えめな。香水などのきつい匂いではなく、清潔で健全な生活を営んでいる証のような)
そういう人に、人に頼る嫌な奴のように、扱われた。
こちらは、こういうところに言うのも、違うかもしれませんが、とおずおずと言っていた。決して、何とかしろ!!とねじ込んだわけではなかった。
何もできないなら、普通にこちらではわかりかねます、とか断ればよいのに( 断るのも最近ではおかしいのではないかと思うようになったがこの時ならまあそれで仕方ないと思ったかもしれない )。
パラノイアの患者さんを紹介で婦人相談所に入れたというのだから、何もできないという事もないようなのに、一体あれは何だったのかわからない。
区役所に行った結果をこのN里に聞かせて下さいとの要望に、まだお答えしてないので、お答えした方が良いかもしれない。
(今はいないらしいのが、去年か一昨年電話した時にわかったけど。この時の病院の対応も酷かった)
N里の事は、ネット上のあちこちに私は過去に書き込んでいる。メモ程度のものでも証拠になるのであれば、それも証拠になるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20111011084859
辻本似CWについて追記
まだあった
「いくつですか?」
と聞かれた。
相談票に記載するとかではなく、「親にはあなたが言えば済むこと」と言った時だった。
まるで、人に頼る嫌な奴のような扱いを受けた。
「いくつですか」に対し、年齢を普通に答えたら、何だか不服そうな不満そうな顔をされた。
全体的に、かなり高圧的な態度を取って当たり前と思っているようだった。
ああいう相談は、NTTの総合案内のお姉さんが案内しつつ商品やシステムを宣伝するように、生協の会員にならせる事を目的としてやっているようで、その目的だけは果たしたいのか、そこまで人の事ぼろくそに言いながら、ここは院長がいない病院で(その当時はかもしれないが。今は居るかも)なんたらの理念でやってます、とか 理念でという時に、理念だけで実際は行き届いてないかもしれないけど、堪えてね、みたいにニチャっと笑った。
これだけでは、わからないと思うけど
怖いなと思ったのは、10年以上前に親がいきなり来た時に、相談に行った共産党系の医療生協の病院の車椅子のいかにも正義派のように見えるケースワーカーが、やたらにこちらを責めてきて、婦人相談所も他の街で駄目だったと言っているのに、半ば強制的に怒って、あなたが行かないから!と責めて、行かせたくせに、区役所からの問い合わせには、こちらの紹介じゃありません、と言った事
ナイーブな人潔癖な人、自分を良い人だと思いたがる人たちの方が怖いんだなと思いました。
自分たちが、良い人と思えなくなる事実を排除したり否定したりするから。私はこの時私の立場で言っても、全部被害妄想にされる可能性もある、と怖がってました。そうしたら、「この前、こちらの紹介で、パラノイアの患者さんを夫の暴力から逃がすために、入所させました」と怒られたり「言ってどうなったか、聞かせて下さい、このN里が聞きますから!」と自分の胸をどんと叩くと言うパフォーマンスさえ演じました。
区役所職員は私の前で電話をかけ、「そう 言ってる事がわからんの」 などと言ってました。 (同じ頃県議の選挙のポスターで知った立候補してその後の選挙では落選弁護士の事務所に相談に行った時、事務員にそんなふうに言われませんでした。弁護士には弁護士会に言って下さいと断られましたが。弁護士とはそれしか話してません ) その区役所職員は、あなたは自活していて、信念も持ってるようだから、一人でやっていっていいと思います、と言って保護しませんでした。 私が信念を持っていようといまいと関係ない事だと思います。持ってても親からの被害には遭います。 その前に電話で、言ってる事がわからないと言いつつ、信念持ってるって・・・? 言ってる事がわからない人を医者の手当ても受けさせずに放置して良いのでしょうか? 共産党系の病院と区役所が、そんなに仲が良いとは知りませんでしたし。。。 国や行政の批判は、よく書いているから、そういうものが行き届いてないという事を言ったら怒ってくるとは思いませんでした。
こういう人たちは、日本が民主的な法治国家で、何の問題も無いと思いたいから、それを信じられなくなる事実を否定したり排除したりするのではないかと思い、変な宗教家のようで怖くなって、良い人と潔癖な人は恐ろしいと思いました。
残念ながら、行政が訴訟を起こされることも、あるし 色々あるから、弁護士のような職業もあるわけなのに。。。
共産党だって、そのへんのところを指摘して食ってるようなものなのに
いつかの選挙の時に近くのスーパー前に来て、大音響で演説してたから、聞こえてきたけど、実現できるとも何とも言えないような事を、当選したらこうします、どうします、とか夢物語のように何かに酔ったように語り、明るく()笑 楽しそうに 演説して行きました。
共産党は不況で少しは票を伸ばしましたが(他地域)、共産党に入れる人は、そんな現実的な実行力に期待して入れる人ばかりじゃないと思います。
ピーターフランクルさんも、昔書いてました。 一番理屈に合っているから、支持する と。
共産党は、過半数取らないと運営を維持できない党でもないのに、少しの議席も保てず減らしてしまう。。。 明るく楽しくばかり、他の政党の真似をしてやっても仕方ないのに。 だって、共産党が存続を維持するために必要な票の数は、他と全然違うのだから、もっとニッチな層に受けるように、食い込むように、政治に関心がないわけではないけど、だからこそ選挙に行かないとか、もっと言えば白票で出すような層に働きかければいいのに・・・
そういう人は騙せないからと言って、そんなに貧乏な人がいるわけでもない街で、弱者救済だけやってても、票は取れないと思う。(私は貧乏ですけど)
つけたし
上に出てきたケースワーカーは、区役所で職員に合った後、医療生協の病院に電話したら「N里先生は、お帰りになられました」と言われ音信不通です。その後お変わり無いのでしょうか?車椅子の調子はどうでしょうか?事故か何かで人生の途中から、脊椎損傷で下半身不随になられたのに、健気に働く殊勝ないかにも正義派で弱者の味方に見える方でした。顔はちょっと辻本氏に似てました。あんな感じでいかにも正義派w
http://anond.hatelabo.jp/20111011004006
多くの人の(大衆の?)わからないというのをわかって、わきまえて暮らしてきましたが
私が今まで被害を被ったような事に専門に取り組んでいるはずの人たちや、それを批判してお金を得ている人たち(出版など) もいるのには、何とも言えない気になります。
実際、変なというか普通はしなくて良い親を保証人にできない場合の不動産賃貸に関する情報交換が載っているスレもあります。そんなに見てませんがあまり雰囲気は良くないです。
http://alfalfalfa.com/archives/1494324.html
みんなで、行政に言うべきだし、どこかに陳情するべきと言っても、全然盛り上がらず、当事者ではない叩きも来てるようだし
こういう事で、私の頭がおかしいと思いますか?と聞いたらそうは思わないけど、自分はわからないからと書かれたりもしました。
わからないなら、もっと広めて欲しい
怖いなと思ったのは、10年以上前に親がいきなり来た時に、相談に行った共産党系の医療生協の病院の車椅子のいかにも正義派のように見えるケースワーカーが、やたらにこちらを責めてきて、婦人相談所も他の街で駄目だったと言っているのに、半ば強制的に怒って、あなたが行かないから!と責めて、行かせたくせに、区役所からの問い合わせには、こちらの紹介じゃありません、と言った事
ナイーブな人潔癖な人、自分を良い人だと思いたがる人たちの方が怖いんだなと思いました。
自分たちが、良い人と思えなくなる事実を排除したり否定したりするから。私はこの時私の立場で言っても、全部被害妄想にされる可能性もある、と怖がってました。そうしたら、「この前、こちらの紹介で、パラノイアの患者さんを夫の暴力から逃がすために、入所させました」と起こられたり「言ってどうなったか、聞かせて下さい、このN里が聞きますから!」と自分の胸をどんと叩くと言うパフォーマンスさえ演じました。
区役所職員は私の前で電話をかけ、「そう 言ってる事がわからんの」 などと言ってました。 (同じ頃県議の選挙のポスターで知った立候補してその後の選挙では落選弁護士の事務所に相談に行った時、事務員にそんなふうに言われませんでした。弁護士には弁護士会に言って下さいと断られましたが。弁護士とはそれしか話してません ) その区役所職員は、あなたは自活していて、信念も持ってるようだから、一人でやっていっていいと思います、と言って保護しませんでした。 私が信念を持っていようといまいと関係ない事だと思います。持ってても親からの被害には遭います。 その前に電話で、言ってる事がわからないと言いつつ、信念持ってるって・・・? 言ってる事がわからない人を医者の手当ても受けさせずに放置して良いのでしょうか? 共産党系の病院と区役所が、そんなに仲が良いとは知りませんでしたし。。。 国や行政の批判は、よく書いているから、そういうものが行き届いてないという事を言ったら怒ってくるとは思いませんでした。
こういう人たちは、日本が民主的な法治国家で、何の問題も無いと思いたいから、それを信じられなくなる事実を否定したり排除したりするのではないかと思い、変な宗教家のようで怖くなって、良い人と潔癖な人は恐ろしいと思いました。
残念ながら、行政が訴訟を起こされることも、あるし 色々あるから、弁護士のような職業もあるわけなのに。。。
共産党だって、そのへんのところを指摘して食ってるようなものなのに
いつかの選挙の時に近くのスーパー前に来て、大音響で演説してたから、聞こえてきたけど、実現できるとも何とも言えないような事を、当選したらこうします、どうします、とか夢物語のように何かに酔ったように語り、明るく()笑 楽しそうに 演説して行きました。
共産党は不況で少しは票を伸ばしましたが(他地域)、共産党に入れる人は、そんな現実的な実行力に期待して入れる人ばかりじゃないと思います。
ピーターフランクルさんも、昔書いてました。 一番理屈に合っているから、支持する と。
共産党は、過半数取らないと運営を維持できない党でもないのに、少しの議席も保てず減らしてしまう。。。 明るく楽しくばかり、他の政党の真似をしてやっても仕方ないのに。 だって、共産党が存続を維持するために必要な票の数は、他と全然違うのだから、もっとニッチな層に受けるように、食い込むように、政治に関心がないわけではないけど、だからこそ選挙に行かないとか、もっと言えば白票で出すような層に働きかければいいのに・・・
そういう人は騙せないからと言って、そんなに貧乏な人がいるわけでもない街で、弱者救済だけやってても、票は取れないと思う。(私は貧乏ですけど)
失礼しました。
戦争責任者の問題
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりとしているのである。
いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念をもちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。
戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。このばか正直をわらう人はわらうがいい。
このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発企人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
しからば私のほうには全然いい分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する破目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疏通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
http://anond.hatelabo.jp/20100826215740
当該人物が退会したらしい(もちろん元増田なんかとは無関係に)。
あの人物と周辺を眺めながら思っていたことをここに書いておきたい。
まず元増田についたトラックバックとブックマークコメント群だが
見事に元増田叩き一色なのは印象的だと思う。
だが俺の眺めていた限り、
「ネットの記録を掘り起こして嫌がるだろう情報を掲示して圧力をかける」
という手法はもともと当該人物が何度もやっていたことだった。
元増田の動機がシリアスな嫌悪や怨恨か、暇に飽かせた悪ふざけかはわからないが、意趣は明白だ。
ハムラビ法に基づいて元増田はキモくない、とか言いたいわけではない。
そうではなくて、何もわからないフリをした元増田叩き一色のブコメがキモい。
彼等の中のかなりの部分は、当該人物のやってきたことについて俺よりよほど多く知っている筈なのだ。
なのに「同じような方向性のことをやり返されているんだね」なんてコメントは一個もつかない。
理由はわかっている。
ヘタなこと書いてロックオンされるのがイヤだ。面倒な奴と縁は作りたくない。
一番いいのは元増田を叩くようなポーズをとっておくこと。当該人物から星でも貰えば満点だ。
ここ最近だけでも、
当該人物がいろんな人に絡んでいるのを見てきた。
理由やイキサツは知らない。ここでそのどっちが悪かったとか言うつもりもない。
欠席裁判をしたいのではない。
ただ、
当該人物の言動はしばしばネット上の口喧嘩では終わらない次元のものになっていた。
特にしつこくやられている対象者は、私信や個人情報を晒されたり、
リアルな嫌がらせを予告されたり実行されたりしているようだった。
実際にされているのか脅しなのかは確認できない。
そこで本題だが、このような時に、カットに入る人が全くいないのに驚いた。
注意や諫止をする人もいない。仲裁に入る人もいない。
当該人物の話をよく聞いてみてなだめてみようという人もいない。
俺の故地であり俺のようなカスの集う「無責任なネットのタン壷」たる2chだったならそういうのもわかるが、
「精神的に参っている母親の話を聞いてやるべきだったのであり、罰は何も生まない」
「子供を助けるために、各人が身近なところから始めよう」
さまざまな人と口喧嘩の域を越えた事態を引き起こしているのを目の当たりにして何もしない。
絡まれてる人を助けようともしないし、精神的に不安定な人の話を聞こうともしない。
「自分に火の粉が飛んでこないように」だけ気をつけて無視するかニヤニヤと野次馬をしてる。
知らないが、
当該人物に絡まれている人達にも売り言葉に買い言葉のような部分はあったのかもしれない。
ただの言い合いなら双方の気の済むまでやらせておくのも手だ。
だが、実際生活に影響の出るような嫌がらせがほのめかされているのを見て放っておくのは
「当事者感覚の欠如」とか言うのではないのか。平易な日本語で言えば「薄情」ではないのか。
当該人物は古参はてなーだったようだが、例えば同じ古参が話を聞くとかも出来ないのか。
遠くの社会問題には美しく怒るが
今回の件についてよくある質問を想定して自分なりに返答を出してみた
トレス・模写ってNGなの?
なら何も悪いことしてないじゃん!いじめかっこわるい!
トレスの元となる素材(写真・イラスト)が自作でないことが著作権的に問題
今回は「加工厳禁の有料素材」を「無断」で「サンプル画像から加工」かつ「商業上で使用」のトリプルコンボで超ヤバイ
自分も適当にググって拾った写真をトレスしたことあるんだけど、有料じゃないし別にいいよね?
ダメです
有料かどうかに関わらず、写真というのは基本的に撮影者に著作権があります
「ググって拾える=著作権が放棄されている」わけではありません
元がわかんなくなるまで加工しちゃえばおkじゃね?
ってか小物ぐらい別にいいじゃん…
ダメです
内容が人物だろうと小物だろうと著作権に抵触していることには変わりありません
あなたの描いているものが「作品」であるのと同様に、写真家にとっても写真は「作品」です、あなたの素材ではありません
だからって自分で全部素材集めろだなんて無茶だよ!
※規約はきちんと読みましょう、出典元を明記していない場合は規約違反となることも
素材集ったって限界あるよね…
その気持ちはよく分かります
ブコメでも話題に出ていますが、ものすごく巨大な素材データベースがあればいいな、と…
トレスだぁ?言いがかり乙
例えば「脚を組んで座る人」って誰が描いてもだいたい同じ形になるじゃん?
いちいちトレスだなんだって突っかかられたらもう何も描けねーよ
もちろん誰が描いてもだいたい同じ形になりますが
僅かな描線のゆらぎ、特に手のひらやつま先の形状までもが重ねたときに完全に一致するというのは、相当高度な技術でもない限りめったに有り得ない事です
※ちなみに、どう見てもパクリに見えないようなイラストをトレス発見厨はどうやって黒認定しているのかというと、だいたい手先足先を手がかりにしていることが多い
繰り返しますが、トレスが問題なのではなく著作権の侵害が問題なのです
イラストってさ、構図とか雰囲気とか塗りとか絵柄とかいろんな要素があるよね
こういうのって偶然かぶっちゃうことあるしさ、いちいち著作権なんて言ってらんないでしょ?
部分的に取り入れただけで何が悪いの?芸術は模倣の積み重ねだよ?
こればっかりは何とも言えません
オレンジレンジの曲を盗作という人もいればそうでない人もいるように、何事も受け手次第です
受け手がオリジナルだと思えばオリジナルだし、パクリといえばパクリになる、それが創作だと私は考えています
ただやはり既存の要素を露骨に取り入れるというのはそれなりにリスクのあることであり、
そのへんを上手く取り入れた作品は「パロディ」「オマージュ」「リスペクト」として好意的に見なされるのではないかと
じゃあ取り入れること自体は悪くないんだね!
もちろんおk
ただし、パロディとは「元ネタが何なのかを受け手があらかじめ知っている」という前提があって初めて成り立つものです
元ネタの分からないパロディなんて、何も知らない人にとっては一次創作と何ら区別がつかないでしょう?
だからこそ、元ネタが有名でないものを、元が何なのかを示さないまま露骨に取り入れると「拾ってきた」「パクってきた」と言いがかりをつけられる危険性があるのです
それを回避するには元ネタを示すか、取り入れる分量を減らすかなどの対策を取らないと難しいです
そもそも何でトレパクって叩かれやすいの?
トレスもパクリもおkってさっき言ったよね?
イラストには、論文と違って「引用や注釈をつける」というフォーマットがありません
基本的には「この枠の中にあるものは全て作者が白紙の状態から描いている」と見なされます
作品中に他から引用された素材が含まれていると、素材の権利状態はどうあれ、「全部この人が描いた」という受け手の前提との食い違いが生じてしまいます
あらぬ疑惑を引き起こさないためにも、たとえ明記の義務が無くとも素材元を一言書いておくのが描き手のマナーかな、と個人的には思います
これだけの素材を見繕って構成してイラストに昇華できるって逆にすごくね?才能じゃね?
本当そうですよね
悲しいけどこれ違法なのよね
で?仮に素材元が勝訴したところでトレス発見厨にとっては何の利益にもならないよね?
何であいつら他人の粗探ししてんの?暇なの?基地外なの?
みんな違ってみんなクズ
「今回の件」とか「あいつら」って言われても何のことかさっぱり…筆者は何と戦ってるの?
言わせんな恥ずかしい
「だったら今からみんながマスコミに就職なり、制作会社に入るなりしてよくしていけばいい話じゃない?」といいつつ、「本当のマスコミとも言うべき、良心的な人たちの食い扶持を減らしている」というのはギャグとしか思えない。
良心的な人がいるのに腐った体質になってる業界に良心的な志を持った部外者が今からマスコミに転職して改善できると思うんだろうか?本当は良心的な人なんかごく一部で大半が腐ってるから業界全体としても腐ってるんじゃないかと突っ込みたくなる。
なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
夜な夜な皆さんがネットで吹き上がってても、「マスゴミ」的な人は赤坂とか西
麻布の個室でエロい飯食ってます。
こうやって上に責任転嫁するのは良心的な行動でも馬鹿正直でもなくまさにこれこそが批判されるべき責任逃れだと断言する。マスコミの経営陣は個別の番組や記事をいちいち全部チェックできるわけもない。形式上問題があれば上が責任を取るのが組織だけど、問題点を実際に改善する力予防する力があるのは現場の人間。ますごみの報道の名目上の責任はエロい飯食ってる偉いさん達にあるが、実質的な責任は自分が「マスゴミ」であるという自覚がないあなたのようなタイプの自称真面目な弱者君達。
弱者とか真面目とかを隠れ蓑にして自覚もなく悪事を働くのがまさにマスゴミというにふさわしい批判されるべき行為なんだよ。
医療ミスとか耐震偽装とか派遣をマスゴミが批判して多くの医療関係者や建築業者や派遣労働者を窮地に追いやったのは別に悪意があったわけではなく、まさに正義感ぶって弱者を守れと真面目にやった結果だろう。良心にもとづいて真面目にやってるから良い結果につながるというばかげた思いこみは捨てろといいたい。そういう自称正義派ジャーナリズムに比べたら低俗バラエティのほうがはるかにマシ。新聞は報道をやめてテレビ欄天気予報広告だけ載せとけ。テレビはニュースやめてドラマやお笑いやクイズ番組だけで良い。