はてなキーワード: 首吊りとは
いつどこでどうやって自殺したのか知りたくなるが、ブラウザの検索履歴に残るのも、かといってシークレットモードを使うのもなんだか癪に障る。
だからいつも「いいなあ、自分も早く死にたいなあ」って思うだけだ。
とはいえ、自分は「死ぬしか後がない」というほど追い込まれているわけではない。
自分は20代前半で、シス男性(身体的性・性自認がともに男性)で、異性愛者で、大学を卒業しており、家族との関係も円満で、住む場所もあり、友人もいる。
社会的に見れば、よほど恵まれている方であるという自覚はある。
新卒で入社した企業と相性が合わず、ここ2週間ほど仕事を休んでいること。
微熱などの体調不良が続き、心身共に疲弊した状態が続いていること。コロナでもインフルでもなかった。
クリエイティブな趣味に没頭しようとするも、集中できずスランプが続いていること。
そのような状況を改善しようともせず、「できない自分」に酔って自己憐憫に浸っていること。
そんな中でも一番の理由が、「生きることに希望がないから」だ。
二十数年生きてきて、今まで上手くいったためしの方が少ない。
もちろん完全なゼロではないが、それでも他の人より劣っていたり、社会に上手く溶け込めなかったことの方が多い。
今までそうだったのだから、これからもそれが続いていくのではないか。そんな不安に苛まれている。
前置きが長くなったが、本題に入ろう。先日、自分は自殺未遂をした。
もともと希死念慮はあったが、ここまで強く、そして具体的に「どう死ぬか」まで考えたことはなかった。
その日は突然だった。
いつものように仕事を休み、Twitterで「死にたい」だの「いかに自分が無価値な人間か」を呟いているうちに、「本当に死ぬか」という気持ちが膨れ上がってきた。
失禁があると聞いていたので、足元にタオルや珪藻土マットなどを敷いた。
死ぬとしたら遺書や遺言を残すつもりだったけど、そんな気力はなかった。
その日はもう遅かったし、一人暮らしだったから邪魔は入らないと思った。
何もできなかった日だったので、自殺の準備をしている時間は生き生きとしていた気がする。
ネクタイの片端をドアノブに結んだ自分は、仰向けで横になり、首を吊った。
息苦しかったが、それだけだった。
意識が朦朧とするわけでも、視界がぼやけるわけでも、音楽が歪んで聞こえるわけでもなかった。
結果は同じだった。
大学時代に読んだ『完全自殺マニュアル』によれば、首吊りは最も楽で確実な自殺方法だという。
曰く、一瞬にして意識が飛び、苦しみを感じることもなく死ねるとかなんとか。
自分が首を絞める箇所が悪かったのだろうか。それとも、この本に書いてあることが間違っていたのだろうか。
今となっては分からないが、その時の自分は、死ぬことすらできないという絶望を抱きながらスーツを脱ぎ捨てた。
あれから数日経つが、今のところ自殺をしようとは思っていない。
満足したからなのか、死ねないことが分かったからなのかは分からない。
もっと良い首の吊り方を探すかもしれないし、別の死に方を見つけるかもしれない。
でも、それまでは頑張って生き延びてやろうとは思う。
より良い自殺のために。
東京の話だと、子供作ってしまうと人生奴隷確定首吊りしかなくて人生サヨウナラ一歩手前って感じ
単身者ならまあそれなりに楽しそうにしてるんだけどね
高学歴女子を受け入れてもいいよーって民間企業はほとんど関東だからそこ以外で就職するのって難しい
関東でも産休育休時短が充実してる民間上位の女子枠って基本的に何かのコネツテ枠か激レアな工学系のリケジョ枠だからなかなか滑り込むの難しいのよね
中途半端な会社に入ると、転職することになって、公務員が多くなるんだよね
公務員は産休育休時短目当てで女性が集まるけど、最近は公務員は女性増えすぎてて、マトモに育休や時短取れないところが出てきてたり、追い出しがエグかったりする(復帰後わざと激務部署とか)から、親に育児を頼めない地方出身女子には結構キツい職場なんだよね
婚活市場も男性優位だから、同じ地方出身の男性とくっつくしか基本的には道がない
地方出身同士だと家を持つ時に親の金銭的援助を受けるのも難しいことが多く、不動産暴騰でローンでカツカツ、共働きで片方が働けなくなったら首つってもおかしくない感じよ
世帯年収はそれなりにあるんだけど生活はものすごく貧困で質素になる
関東で子なしを貫くか、なにかプラスαを付けて関東でも超上位の会社に行くか、関東以外の会社に就職するかの3つの選択肢だね
ビビりましたわ。
我が駐(我らが駐屯地の略ですわ)の新人教育資料をチラ見したら相変わらずでしたわ。
こんなアホはじめてみましたわ。
嘘ですわ。
見飽きましたわ。
あれだけニュースになって日本中の我が社(我らが会社。つまりは自衛隊㈲のことですわ。㈲は有権者という意味ですわ。ちなみに自衛隊は大和魂で無限軌道できるから無限会社ですわ)で「セクハラとかまだ隠してるやついたら自衛隊ポリスに突き出してボコボコにしてやるからバンバンチクれよ」キャンペーンをしても結局こういう所が残念だなんて笑うしかないですわ。
セクハラもパワハラも判断基準なんて「社会通念に照らし合わせてアウトかどうか」「業務上その行為に必然性があるか」「本人含めて誰かがメンタルヘルスフルボッコにされたか」しか気にするべきポイントなんてありませんわ。
パワハラの世界にも「相手のメンタルが元々極めて不安定だった所に、最後の一藁を投げ込んで自殺させた」というパターンがありますのに「相手の気持とは無関係である」なんて全く笑えなくて吉本だったらパワハラされながら追い出しですわ。
もちろんセクハラにだって「業務上の必然性が明白であり一般的な基準で与える精神的苦痛も限りなく低いと考えられるため、相手側の過剰反応だったと言わざるをえない」というパターンもありますわ。
結局我が社的にはセクハラとパワハラを区分けすることで「パワハラ事案においては必然性があったと言い張り続ける限り何人首吊りが起ころうが知ったこっちゃないで通せる」をやりたいだけですわ。
そもそも「必然性」の判断自体が「社会通念」を基準に行われるのだから我が社の中で決めた基準ではどうなのだと言い張っても無駄でしか無いですわ。
本当に頭が悪すぎますわ。
悲しいですわ。
元々頭の悪い人達が頭が悪いまま暮らし続けたくて入ってくるような組織だからといってここまで進んで自分から愚かであり続けようとする姿はもう見たくありませんわ。
まさに今「よし!死のう!」と思い立って死に方を検索してるのだが、部屋に首吊りに向いているロープや紐がない。
自宅の周囲や職場近くにホームセンターがないので、Amazonでロープをポチることになるだろうが、自殺に適したロープを検索することだけで疲れてしまった。
自宅に同居家族がいないのも今日だけなので、今日を逃すとしばらくは首吊りを実行できない。困った。
10代の頃からなんだかんだと自殺を先延ばしして、だらだらと生きている。
面倒くさがりじゃなければホテルを予約してそこで首を吊るのだろうけど、その予約も面倒くさい。本気で死にたいんだけど、死ぬまでの準備が大変すぎる。
明日から月曜日。なんだかんだ仕事に追われて希死念慮も薄まってしばらくは自殺しようという気も起きなくなるのだろう。
あー、早く死にたいのに。
大学時代、ゼミの飲み会で、助教授を含めた6〜7人くらいで、広い部屋に住んでいたやつの部屋に集まった
そのなかで、何が怖いかって話が出た
出たっつうか、出したのは俺だったと思う たしか
俺はまあ月並みというか、よくある感じで、海が怖い小学2年生くらいのとき、海に行って浮き輪で浮かんでいたら、離岸流に捕まったのかなんなのか、気がついたらどんどん沖に流されていて、戻ろうと思ってもどうしようもなく、足元を見たら黒々とした水の中になにか赤いものがチラッと見えて、強い恐怖を覚えた
結局父が回収に来てくれて全然大丈夫だったんだけど、まあ、海が怖い
現実での海との関わりって、岸から水平線を眺める程度がメインで、踏み込んでもせいぜい浅瀬で泳ぐくらいだ
ゲームだと違う ガッツリ潜る なんなら深海みたいなとこまで行ったりする
暗くて辺りがどうなってるのかまったく見えないし、水中で動きも悪いなか、もしかしたらすぐ近くにいるかもしれない巨大な生物に怯える 超怖い
こっちはちっぽけで、水中がホームグラウンドじゃないから動きも悪い
勝負にならへんよ 帰らせてください そういうことだ
というわけで、俺が怖いのは海
他の人が怖がってたのは、たしか虫とか大型犬とか、そういうものだったんだけど、その場で最年長の助教授の怖いものが印象的で、他の人のは忘れてしまったというのが正直なところだ
助教授は、死が怖いと言っていた
死ぬことに伴う苦痛が怖いというより、死ぬことそのものが怖い、意識が消失して、そのあとどうなるかがわからないというか、多分どうにもならないんだけど、とにかく消滅してそれっきりというよるべ無さが怖いと、そういう話だった
高校のときのクラスメイト、バスケ部のイケメンもたしかそういう話をしていた
増田くん、死ぬのって怖くない?俺はときどき、死ぬことを考えて眠れなくなるよ、と
俺は結構そうでもない
生きてるのがかったるくて苦痛だから、消滅できるならありがたいという感じだ
昔、首を吊ろうとしたとき、えっ俺ここで力抜いて首吊りが上手くいったら、2分後くらいには完全に意識なくて、ここまで生きてきた20数年も一瞬で無になるのか、と思ったら、そのあまりのアッサリ加減にビビった、というのはある
でも、それはジェットコースターに乗る前にビビるとかその程度のやつで、別に考えたら眠れなくなるって類のものではない
なので、普段わりとひょうきんな助教が、飲み会の雰囲気を引きずって弛緩した表情で、でも目はちょっと遠くを見て、「怖いもので言うと〜…僕は死ぬのが怖い」つってたのは、かなり印象的だった
そうなんだなあ、と思った
それだけなんすけどね
ジョッキいっぱいに氷を詰めて、そこに目いっぱいのウィスキーと、ちょっとのレモン果汁を入れて
しっかり冷えたら何も考えずに飲み干す。30分もすればしっかり酔える。
これで嫌なことを忘れられることも多いけれど、ときには超絶凹むこともある。
それでも駄目なら睡眠剤を飲む。3錠ぐらいで十分。
泥に埋もれるようになりながら貪り食う。食って食って、吐く。吐きながら食う。
吐いたらまた食う、また飲む。そうこうしてると記憶がなくなる。
お酒に眠剤を入れると記憶がなくなる。家族にあたって、部屋が荒れて、何人もの知り合いに電話して、翌日には忘れてる。
何が怖いって、自分の意思でコントロールできなくなった身体が人目に晒されるのが怖い。
わたしは今でさえ家族や医療従事者にも寝顔を見せるのが嫌なのに、死んだら家族や葬儀屋、場合によっては警察官なんかにも死に顔を晒さなくてはいけない。家族が葬式に人を呼んだら呼んだだけ、わたしでなくなったわたしの身体が衆目を集めてしまう。
遺体も残らない死に方は酷いと言う人もいるけれど、わたしはそちらの方がまだ耐えられる。
生きているうちからバラバラとかは怖いけれど、火を着けてから首吊りとか、睡眠薬を飲んで見投げとか、何かないのか。出来るだけ苦しくなくて、人前に出せないような遺体になるか、遺体も残さず死ぬ方法は。
葬儀会社の人、密葬以上にこぢんまりとした、遺族にも顔を見せないプランとか出せませんか。
生前故人が契約しておけば、死亡確認、死亡届提出、火葬許可証発行までは遺族がやって、遺体は火葬まで葬儀屋の倉庫みたいなところに安置して、順番が来たら焼くだけ焼いて遺骨は配送、みたいな……。
反出生主義まではいかないが、産むんならそれ相応の親ガチャに当たったと言わせるだけの自信持ってる者のみが産めよと思ってる人間なので、当然ガイジが産まれるような婚姻はNG
ていうか恵まれた家庭でもちゃんと幸せな人生を歩ませられる算段がない奴らは全てNG
生老病死。生きてるだけで四苦八苦。人生は苦しみの連続だが、子供に苦しみを背負わせるために産んでるの?嫌がらせ?安楽死施設もない状況で?首吊り失敗して障害残ってもう二度と自殺企図することすらできない身体になったらどうするの?
「配られたカードで勝負するしかない」そのカードを配るのは親なんだわ。初手でガイジカード配ってる親は何がしたいのか?害悪だから死ね。子供が可哀想すぎるだろ。子供に同意とって産んでないよね?君はこれからガイジとして一生を歩みますよという同意取ったの?親のエゴで一生苦しむガキが一人でも存在しなくなりますように
私の提言は、3つ。
そのため第1の提言、身体以外の障害者の雇用義務を無くすことがまず必要。
ただし、それでは身体以外の障害者が生活できなくなるので第2の提言、年金を無条件で与えることが必要。
すると、健常者や身体障害者から働かないのに生活する障害者への批判が高まるだろう。
そこで、財政への負担を軽減して健常者や身体障害者の理解を得るために第3の提言、生殖の禁止が必要となる。
就労能力の無い人間が良い育児をできる可能性が少ないことと、障害や能力の遺伝により親と同様に子どもも就労能力が低くなる可能性が高い。
就労能力の無い人間の再生産を防止し財政負担を軽減させれば、第2の提言への理解を得やすくなるだろう。
つまりこれは労働での自己実現と子孫を持つことを制限する代わりに労働なしの生活を享受するという取引である。
発達障害・精神障害の当事者として言うと、多くの障害者はおそらくこの取引を喜んで受け入れると思う。
それくらい、発達障害・精神障害の就職活動と就労環境は(周囲だけでなく)本人にも地獄のようなものだからだ。
ただ、ごく一部の天才的な能力のある身体障害以外の障害者のために、取引をしない選択肢も提示できた方が良いだろう。
ちなみに私はそうした天才ではないので喜んで受け入れる。
2点付言する。
1点目にてんかんについて。簡単のため「身体障害」「身体障害以外の障害」で二分したが、増田の主張通りてんかんが身体ではないが身体障害者と同様に就労能力を持つ障害があるなら身体と同じ扱いで良いだろう。
2点目に財政コストについて。「試算はできないが、おそらく社会が負うコストはこうした方が少なくなると思っている。」と書いたが、計算した結果とても実現不可能だという場合があると思う。
その場合は、より安価な代替手段として希望する障害者への安楽死の権利を認めてほしい。
貧困と就労の困難さから、私を含めて多くの当事者が安楽死を選ぶと思う。
別に制度化しなくても自殺はできるだろうという批判があるだろうが、電車や飛び降りや首吊りで失敗して重い後遺症を負ったり、家族や社会に迷惑がかかったり、死ねきれなくて苦しむ可能性を考えるとなかなか自殺は難しい。費用はかかるのはわかるが、ぜひ安楽死の制度化を検討してほしい。
最近、飛び込みや車が電車に衝突したり、雑踏事故や丸焼きエビせんべいをYouTubeで見かける。
古代エジプトでは、10m級の石が両側から徐々に迫り圧死するJST道具があった。この時代では紐や高いところに吊るす技術はないため首吊りの概念を獲得していなかった。
首吊りは息ができないため、苦しいのは想像できるが、圧死は経験したことがないため苦しくないのかもしれない。痛いとかあるのだろうか
JSTしようとする人を助けるのは、本当に人助けなのだろうか?なぜこのような思考に至ったのか。人を幸せにしたいから助けるなら、この世にいない方が幸せな人もいるのだろう。
JSTを阻止することは、状況によってはその人の幸せを阻害してるようにしか見えない。しかし、状況によってといったのは、そこに愛があれば助ける人もいるかもしれないということだ。
愛とはなんだろう...
一度目は、大学の後輩でありおそらく大学生時期に一番仲良くしていた親友。僕は大学を出てからも大学の近辺に住んでいて、彼はそろそろ院卒の論文を提出する頃だった。
共通の友人と一緒に部屋に踏み込むと、自室の筋トレ器具を使って首を吊っていた。
そこから葬式が終わるまでの記憶はとても曖昧だ。110番と119番のどっちが救急車を呼べるのか分からなくなったこと、彼のケータイから両親の電話番号を調べて連絡するのに手こずったこと、警察官から何度も話を聞かれたこと、結婚が決まっていた彼の恋人が動転して僕を殴ったことなどを断片的に覚えている。ただ、時系列に並べようとすると分からないことが多い。それに、思い返すと今でも涙が出てくる。
どうやら彼は院論で行き詰まり、思い詰めてしまったらしかった。遺書などが残されていなかったので実際何が動機なのかは分からないが、状況からしてそうなのだろう。彼は就職も決まってたし、綺麗な恋人と婚約もしていた。彼の自殺から20年ほどが経過したが、今もまだ彼が元気で人懐っこい笑顔でメシをたかってきた頃のことを夢に見る。
二度目は、職場の同僚。職場では皆から毛嫌いされていた。僕も彼のことが嫌いだった。彼はよく嘘をつき、トラブルを起こしていた。業務連絡のためにメールアドレスを交換した相手に怪文書を送りつけて騒ぎになったことは一度や二度ではない。退勤時に家までつけられそうになったという女性もいた。彼は一度クビになりかけて、クビを回避する条件として「同僚のプライベートに関わる雑談を一切しない・退勤は他のスタッフと三十分時間を遅らせる・職場以外で同僚を見かけても後を追わない・同僚のプライベートに関するメモを破棄する」という誓約書を書かされていた。
ある日僕が夜勤に出ると、彼と一緒に日勤で出ていた女性の同僚から「彼がトイレに行くと言って離席したきり一時間くらい戻って来ない」と言われ、職場を探すとロッカールームでクビを吊っていた。僕は「うわ、コイツやりやがった」と思い、上長に連絡を入れ、警察を呼んだり救急車の手配をした。ずっと「キモいな」「迷惑だな」「なんでクビにしなかったんだ」みたいなことを考えていた。
彼が職場で首を吊ったという話は、当然ながら同僚のほぼ全員が数日内に知ることになった。誰も悲しんでいなかった。事態にショックを受けて辞めてしまうという人が何人か出て、その後半年間くらい色々大変だった。
人の死には関わりたくない。