はてなキーワード: 神輿とは
担ぐ神輿は軽くてパーがいい―。
◯月◇日
近所のお祭りで子ども神輿を見る。飛び入りもできそうだったので、5歳に「かつぐ?」と聞くも「かつがない」と言うのでそのまま見ていたら、お神輿も終わってさあ帰ろうという時になって黙り込んで立ち止まってしまう。
「どうしたの?お祭り戻る?」と聞いても埒があかず、ようやく蚊の鳴くような声で「…お神輿かつぎたかった」。
それならその時に言ってくれ!!と言いたくなるのをこらえて「今度かつごうね^^」と言い、子ども神輿のあるお祭りを探して、◯月×日に少し離れた場所で当日参加可の子ども神輿があるのを発見。
◯月×日
↑のお祭りへ。行く前に「お神輿かつぐんだよね?」と聞くと「かつぐ」と言う。が、会場に着いてお神輿の前まで行くと「かつがない」。え〜〜〜と思ったが、嫌だと言うのをなだめてとりあえず参加申し込みの紙に名前を書き、お菓子引換券(お神輿の後で引換できる)をもらう。
そのうち気が変わるかなーと会場をぶらぶらしていると、「マクドナルド行きたい」とのこと。お神輿はいいのね?と再度確認して近くのマクドナルドへ。(半分ハッピーセットのおもちゃ目当てなのはわかってるのだが、偏食&少食なので食べたいものがあるならそれで、という感じ)
で、マクドナルドでお神輿の話を出したのが悪かったのか、食べ終わる頃になって「お神輿かつぐ!」と言い出す。
会場まで戻るも、子ども神輿はかつぐ時間が短かったらしく既に終わっていて、お菓子はもらえたけど「かつぎたかった…」と泣かれて、むしろ泣きたいのはこっちなんですけど、という…。
やりたいことがあるならその場で言ってね、とは言ってるし、やりたいことを否定したりして言いづらくさせてるとは思わない(むしろ好きにさせてると思ってる)のだけど、こういうことが結構あってどうしたらいいのか。わが子ながら難易度が高すぎてたまにお手上げと思ってしまう。
別の日にはたまたま劇団四季のアナ雪のチラシを見て「行きたい」と言い、映画のアナ雪は何度も見てて大好きだし、初見の2時間くらいの映画(ドラえもんとかコナンとか)も見れる、別のミュージカルの公演も見たことあるし大丈夫だろうと思ってチケット取って行ったら、休憩時間に「つまんない、もう帰る」と言われてはぁ〜〜〜〜〜(脱力)となった。
今週も疲れたな。
オタクの王が不倫してた! 表現の自由戦士が求めてたのはこういう不倫の自由だったってワケ(笑)みたいなIQ二桁ブクマカがまあまあおってたまげてる。
そしてこういうことを書くと切断処理だーとか反応してくる感じもあってかなり厳しい
党派性をインストールしたBOTって結構最悪な部類のヤツじゃん
でもあそこらへんの人たちを神輿にして喜んでたオタクさんサイドも終わってる感じするんだよな
リベーラとかいうリベラルをもじった名前の敵をやっつけて喜ぶマンガをLiberal Democratic Partyの一員が描くっていう滑稽さったらこれもまた厳しかったね
しかも最後の最後に「って感じでどーでしょ」みたいな作中作の体裁をとっていてガチじゃないんですよwみたいな保険掛けててダサすぎワロタって感じ
話がズレたが、「表現の自由は不倫の自由(笑)」みたいな反応はヤマーダ()レドマツ()より知能指数低いからやめた方がいいよ
https://anond.hatelabo.jp/20231022144246
はてブは「自分の意見をいう」人たちではなく「勝ち馬に乗る」というゲームをやってるカスと、イデオロギーですでに結論が決まってる基地外しかおらんからな
Colaboの方が優勢であればColabo様全て正しいってしたり顔で言うやつが声がデカくなる。
Colaboが不利な時はColaboアンチの人間が暇空様意見寄りのやつがしたりがおでコメントする。
今は暇アノン懺悔録あたりからColabo寄りの人が射精・ア◯メしそうな勢いで気持ちよくなってるだけ。
思考能力がゼロを突き抜けてマイナスみたいな連中しか残ってない。
はてブや増田は「今どっちのほうが空気として強いのか」を判断する材料にしかならず
何が正しいのかを考える際には最も参考にしてはいけないコミュニティベスト3に入る
thongirl はてなのゴールポストが動いてるのを観察するだけで「ああ、会計問題は片付いたんだな」と知ることができるので、はてな民のゴールポスト神輿は大切にしてほしい
カプリチョーザみたいなID名の人はそのあたりがわかってないから最後まで取り残されてさらしものになった。はてな向いてないよ。
べ、べつに私、
身体が悪いとかコロナだとかクララが立ったとかでお粥作って食べてんじゃないんだかんね!
そんでコロナじゃないんだもん!
本格的なチョココロネが食べたいんだけど
そう思った途端にチョコのたっぷり詰まった本格派のチョココロネって売ってなくない?
本格的なチョココロネ!
そんなのを欲するから
そりゃー
なので
アルプスの少女ハイジが最終回クララが立ったら最終回かと思ってた人多数!って思い込んじゃってるぐらい
またその後には話し続いたんじゃない。
そうなるとアルプスの少女ハイジってクララの闘病物語にならない?
結局そのシーンしかみんな私も含めて知らなくて
クララが立ったイコール感動の最終回!って思っている人なのよ。
もうさー
そのぐらいハロウィーンだし
誰かが渋谷区長のコスプレして街を練り歩きまくりまくりすてぃーだったらそれはそれで地味だけどハロウィーンよね!
軽トラの角が街行く歩いてる人に当たってもそんな痛くない目に見えて分かる様な発泡スチロール製で大丈夫な怪我しない程度の軽トラ神輿!
そんで渋谷区長のコスプレしたとして普通の人すぎて分かりにくいから
誰か洒落の分かる人が
オシャレの書く感じの漢字が「酒」じゃないぐらいに渋谷の街角で酒飲んだらだめ!って街中で言うぐらい
そのぐらい1日渋谷区長のコスプレ誰かしてる人がいたらハロウィーン!って感じよね。
多分絶対来ないでくださいってメディアで言えば言うほど行きたくなる症候群の人たちが多いと思うので
あれよあれ、
押すな押すなの押すパターンで熱い湯船に後ろから押して入れちゃうやつ!
熱い熱いの熱いパターンで熱いおでんを食べさせてあげようとして誤って熱々のおでんをほっぺにつけちゃうやつ!
なので
来ないでください!って言えば言うほどメディアで見聞きする人が多いければ多いほど
今から大変なことになるかも知れないわよね。
本格的なチョココロネを探す旅には出られたら出たいと思うわ。
なんかさー
普通に何気ないパン屋さんに売っているパンの中のパンでチョココロネがあればいいの。
私が探している貝殻みたいなぐるぐる巻のパンの中にチョコが搭載されているやつ。
渋谷にならあるかもしれないわよ?
なので
結局ハロウィーン関係なくチョココロネを探す人も渋谷に出ちゃうから
うふふ。
久っさしぶりにサンドイッチにしてみたんだけどやっぱりタマゴサンド美味しくて朝の元気の源の元になるわ!
パーフェクトな感じがして美味しくいただいたわ。
半分は水筒に詰めて持って行く
気温も低く寒くなってきたので、
ホッツもちょうどいい頃合いの季節だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
神輿は軽い方が良いもんねえ
枝野は旧民主党メンバーが雪崩を打って小池の靴舐めに走った際に気後れした。
「あいつとは全く考えが違うから」と決然と孤塁を守ったのではなく、「おれは断られるかな…」と、あくまで出遅れてオズオズと最後尾からついていってたら小池が勝手にぶっこけて、また雪崩を打ってUターンしてきた有象無象に担ぎ上げられた。
そしてそのまま負け組のアイドルとして立憲の領袖になったが、枝野にはもともとなにもない。
そもそもがやはりタナボタで原発事故時のスポークスマン役で顔が売れすぎてしまっただけの男。
「私は保守なんです」「里山資本主義」みたいな寝ぼけたことしか言わない男。
枝野の行動原理は、票田である団塊老人層を左派陣営の競合他社に食われないように極力何もせずに大過なく「野党第一党」の椅子を守ることだった。
どんどん死に絶えつつある団塊左翼老人が生きてる間は囲い込んでいたい、そうすれば自分らが引退するまでは政治で飯が食える。それだけ。
左派から「枝野なら…枝野ならなんとかしてくれる」と常に期待されて何もしなかったのは何故か。その全ての答えが外野からは最初から丸見えだった。
単なるフィリバスターを「魂の演説」とか言って持ち上げられたりしていたが、担いでる側も本当はわかっていただろう。この男は偶然このポジションに据えられただけのカカシだと。
東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館やギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。
でも、東京には歴史があんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識もあんまりない。
増田は東京生まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーやサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差した文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井のねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。
東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差した市井の文化は割と薄まってしまいやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井のねぷた絵師のような存在は文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。
ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井の文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。
下町生まれ育ちの増田が感じる、東京の下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京の市井の文化を紹介させてください。
そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭りが結構かなり多い。
下町は特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段は町内会で掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭りの氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である。
下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。
下町の祭りは基本的には神輿がメイン、山王祭(日枝神社の祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町は神輿。わっしょい、わっしょい。
隅田川より西側の下町の祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側の祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。
神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい。普段ダラシナイ自分の親父殿が祭りの衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店のマスターをやってるおじさんが、祭り半纏をめっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子どもは山車が出る。
下町の祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子は祭りにお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。
増田が子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。
結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。
まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。
今は、正月とか区の祭りとかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会が伝承しなくては、とかそういう感じみたい。
ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。
東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場。あといくつかの落語や演芸の団体がある。落語家が多い街、東京。
下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。
落語は、上記の定席小屋で毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。
覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHKの朝ドラ「ちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里のひぐらし亭とか、ミニ寄席が最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元の落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。
これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築。
なので、下町の園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレートし過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町生まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである。
そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社の境内で植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。
これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要なものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。
増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖は京都出身、新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である。
例えば真逆の存在として地方の農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的な理由があるが、東京にはその理由が希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係を継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外や地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係が必要になるんだろうなと思ったりしている。
手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。
これは下町に限らないのだが、東京の文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。
前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ。先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。
特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地、現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。
やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから墓趣味の人用の案内があったりするね。
このぐらい。
各区各市でやるのは、こども神輿ぐらいだもんな
現実を見ようや、、、
りゅうちぇる「嫁が可愛い!」フェミ「女性差別だああああああああああああああああ!!」大炎上
https://femimatsu.com/article/487894840.html
【誹謗中傷多数】りゅうちぇる氏「男と女である必要なんてない」 → TERFフェミ発狂
https://femimatsu.com/article/487900591.html
【ライバル減らし】ツイフェミさん「りゅうちぇるうぜぇ。SDGsで商売すんな!」
https://femimatsu.com/article/491061213.html
【粛清】りゅうちぇる氏、ツイフェミに過去を掘り返されぶっ叩かれる
https://femimatsu.com/article/491043711.html
【アルファオス】りゅうちぇるさん、Twitterでボコボコに叩かれてしまう
https://femimatsu.com/article/494619037.html
【神輿にした奴→】脅迫フェミEvaがりゅうちぇるに憤慨「多様性として持ち上げてんの頭ゆる過ぎ」
https://femimatsu.com/article/495370696.html
【最低だな】ツイフェミ「りゅうちぇる、地獄でもがき苦しめ!!!!!」
https://femimatsu.com/article/500011424.html
弱者への配慮って、余裕のある社会にだけ許される、儚い儚いお神輿の上のお題目だよね
それをわかっているからこそ、今の時代の我々は全力で弱者救済祭りを楽しんでいる
キャリアを握られて声を上げられない性被害者のために、性犯罪者に鉄槌を下す祭りができるのは、恵まれた社会に生きる人間の特権だ
この時代はすぐに失われるだろう
どの生物、どの国、どの時代を見ても、本当の意味で弱者が救われた社会なんて存在しないから
だからこそ、本当の意味で正しいことを言っている山下達郎を、正論をもってぶっ叩ける余裕のある今の社会こそ、我々が弱者以上に守らなければならないものだよな、と思っている
音楽の良し悪し、才能を見出し育て世に送り出す能力、そういった価値は、たとえその人が犯罪者だろうと大悪人だろうと価値が損なわれるものではない
そういう考え方は分かるし、芸能の価値で言えばひとつの正義だと思う
そのおかげで多くの多くの、犯罪や虐待とは無縁だった人は楽しませてもらえていたんだ
その功績を批判するだけではひとつの真実を見落としそうなので、ここはしっかり認めなきゃいけない
でも、幸いにして国が豊かになり、何をおいても国を栄えさせるんだって強いモチベーションは国民から消え、道徳教育が行き届き、インターネットで弱者の声が響くようになり、人々は弱者に配慮して生きる余裕が出てきたんだ
これはとても喜ばしいこと
国を豊かに強くするために、99%の人が全力を出せるよう、1%の弱者を切り捨てる社会より、100%の人が身の回りの幸せを目指す余裕がついにできたんだ
これは今の世の中が恵まれているが故の一時的な余裕なのはわかっている
油断するとすぐまた弱者は虐げられていまう
だからせめて今の時期だけは、犯罪者を断固許さないという態度を社会がとらなくてはならない、という新しい価値基準が浸透してきたんだ
そういう時代がついに来ているんだ
だから、暴力行為、パワハラ行為があれば、どれだけホームラン打つ野球選手でも球団から追放される
同じく、いくら音楽的才能を発揮しようと、俳優として優れていようと、弱者に配慮しない人間は表舞台に出られない、出してはいけないとする空気が今醸成されている
とても素晴らしいこと
でもこれは、99%の、罪に無関心だった人には少しの息苦しさをもたらす
でもそれは1%の人が絶望するほどの抑圧を受ける代わりに得られていた快活さだった
であれば、みんなが少しずつの息苦しさを分け合うことで、100%の人が幸せを感じられる社会、それを目指すことが可能なのだからそれを目指しませんか?というのが今の時代の新しい価値基準になってきているんだ
これは現代に生きる我々全員が胸を張れることだと思う
それだけ余裕があり、配慮が行き届く、洗練された世界が実現しつつあるんだ
では、30年前の、世を発展させ時代を進めていくことへの価値は喪失したのか?と言えばそんなことはないだろう
日本がこのまま順調に貧しくなり、貧困が増え始めれば社会は弱者救済への余裕をなくす
そうなれば、今の世の新しい価値観は儚い夢だったな、となるだろう
今の時代の人が山下達郎を批判できるだけの、余裕のある社会が失われれば、30年後の日本人は、山下達郎の言ってることは真理で、なぜ当時批判されたかわからない、というだろう
話がまとまらなくなってきた
要は弱者への配慮って、余裕のある社会にだけ許される、儚い儚いお神輿の上のお題目なんだよね
それをわかっているからこそ、今の時代の我々は全力で弱者救済祭りを楽しんでいる
キャリアを握られて声を上げられない性被害者のために、性犯罪者に鉄槌を下す祭りができるのは、恵まれた社会に生きる人間の特権だ
この時代はすぐに失われるだろう
どの生物、どの国、どの社会を見ても、本当の意味で弱者が救われる社会なんて実現しない
だからこそ、本当の意味で正しいことを言っている山下達郎を、正論をもってぶっ叩ける余裕のある社会こそ、我々が弱者以上に守らなければならないものだよな、と思っている