はてなキーワード: 町名とは
巷では愛知県知事解職請求(リコール)の不正疑惑が話題である。かつて選管で直接請求に携わった経験のあるものとして、ネット上で見る話とそれに対する見解を書く。あくまで自分のときの話がベースなのであしからず。
ネット上では町名や地番で1丁目1番を1-1と書いたら無効にされると言われたりするが、そんなことはない。集合住宅居住者の場合は棟名や部屋番号が欠けていても有効だ。氏名では表記揺れや略字(例:斉藤と齋藤、渡辺と渡邉)で弾くことはなく、生年月日も数年・数日のズレがあっても同様だった。
規定数に満たない署名は普通は調査をしない。というか、そもそも請求者側は提出しない。昨年末に行われた横浜市長の例を見てもわかるだろう。今回は県内市町村で署名収集期間が異なったために仮提出の制度があったものの、規定数の半数程度の事実上達成が不可能な数字で仮提出はしないと考えるのが自然だろう。仮提出をしない、あるいは仮提出されても選管が調査を行わない、そのような不確実性の高いものに対して工作のリソースを割くのは考えづらい。今回のケースでは署名簿及び署名のナンバリングをしておらず、それに動員された人々の証言も一因になったと聞く。ナンバリングを最初からやっておけば彼らの証言は発生せず、選管の調査実施の判断にも多少は影響しただろう。リコール団体がナンバリングを怠り、更に失敗濃厚なのに仮提出をして選管の手元に署名簿が渡った結果の今回の調査であり、はっきり言えば工作疑惑は相当な無理がある。
あくまで勝手な想像であるが、リコール団体でも真面目にリコールの成立を目指していた人とそうでない人がいたのだろう。前者の真面目に成立を目指していた人にとっては、審査を見越して収集を行うので水増しのインセンティブは弱い。一方で後者に関しては署名が足りない前提のもと署名簿の提出をしない、あるいは調査がされない可能性から水増しのインセンティブが強い。「リコールは失敗したが〇〇万人がNOと言った」という主張は仮提出直後に諸氏も見たことがあるだろう。後者の人にとっては万が一もあるので仮提出は避けたいものだ。しかし、前者の人々は仮提出を求める上に、ナンバリングが適当であるために筆数の全容がわからない。このままでは筆数の根拠が得られないということから不本意ながら仮提出に至ったのではなかろうか。
個人的には今回の件は興味深くある一方で、余命ブログの懲戒請求を彷彿とさせる気味悪さを感じている。余命ブログのような焚きつけられた支持者の暴走か、組織的なものか、はたまた反対派の神算鬼謀があったのか、真相が明らかになることを願うばかりである。あと、選管は直接請求制度について、文字通り民意の直接的な表出としてなるべく多くの署名の効力を認めたいと思っている。そして法的には首長部局から独立した組織である。いくら不正疑惑の数字が信じられないからと言って安易に選管が悪意を持って弾いてると主張するのは勘弁願いたい。彼らの言葉を借りるのなら「選管は不正が嫌いです。だから不正はしません」だ。これは皮肉である。
「テクテクテクテクがテクテクライフになって3日目で、これ札幌でやってるの俺以外に見かけないんだけど」
「はい」
「JR札幌駅南口のとこでみんなが100人くらいワーッて集まってプレイしてくれるのが夢なんだけど」
「あれボタン押して1秒で終わるじゃないですか」
「はあ」
「塗るのはいい。新規のエリアをげんちぬりで塗るのだけとても楽しい。新規エリアに全く行かなかった日は家でやることないのでつらい」
「うーん」
「はなれぬりは、溜まったTTPを消費するために仕方なくやってる行為に見える」
「課金石200円でする街区ガチャでもらえる、日本のどこかの起点から知らない街を塗っていくのはどうですか」
「本州は区画のしがらみが残ってて大変そうだなあと思いながら塗ってる。碁盤の目の街でよかった。迷わないし」
「はあ」
「不意に街区コンプリートになってTTPがわっと増えて、それは新鮮味なんだけど、どんな街の区分けなのか知らない状態で手探りで塗るので挑戦のカタルシスを感じない」
「町名や街区のボーダーがもっときっちり表示されて、街区がどのあたりまで続いているか想像できたらやりがいありますか?」
「それならまあ」
「前作からここまでそぎ落としてシンプルな構造でリリースされたことは褒められてもいいと思うのですが」
「そこはすごいと思うんだけど、それ、前作経験者が感心してるだけじゃないかなという」
「はい」
先⽇⾦曜ロードーショーで『打ち上げ花⽕、下から⾒るか?横から⾒るか?』を初めて観て、これがなぜ世間で酷評されているのかが私にはわからなかった。この作品に与えらえた不当な評価を少しでも覆すことはできないだろうか、インターネットの⼤海の中に⼀艘でも肯定的な感想を加えられないだろうか、と思いここに駄⽂を書こうと思う。
誰かに伝えるメディアを持たない私が、おそらく一番⼈⽬に触れる場所、⽅法として本来の⽤途とは違う、この場所、はてな匿名ダイアリーをお借りすることをご容赦いただきたい。
私がインターネット上で⾒た感想、この作品の⽋点としてあげられるものは⼤きく5つに分類される。
・主⼈公に対して都合の良すぎる物語
私は映画化された⼩説、ドラマ化されたアニメ、現代化された古典作品、どれにおいても原作が最も優れた作品だと思っているからだ。また以下の考察はすべてアニメ映画を元にしている。
⽣徒が先⽣同級⽣等に対してセクハラを行うことは、若いからと⾔って許されることではない。実際の教育現場で現在⽣徒たちがどのような発⾔をしているのかは学徒でなくなった私にはわからないが、実態とは関係なくそれを映画館という⼤衆の場で晒すということを、フィクションであるならばこそ考慮しなければならない。
上記は台詞による登場⼈物間で⾏われるセクハラである。そしてもう1つ、映像を通して⾏われる観客へのセクハラも問題だ。それは必要のないシーンでの性描写である。もちろん場合によってそれが必要とされるシーンも存在する。主⼈公である中学⽣男⼦が、ヒロインの揺れるスカートに⽬を奪われることはあるだろうし、後述する都合のいいヒロインは主⼈公の意のままに動くことも肯定される。
しかし、ヒロインが部屋の中で着替えるために下着になるシーン。これは物語にとってこの作品にとって必要だろうか。ローアングルでスカートの中をのぞくシーン、これを誰が求めているのだろうか。せっかく⼈格を与えられて動きだした登場⼈物を、お⼈形遊びによって再び創作物へと叩き落す⾏為は、この作品に限らず、こうした作品においてあまりにも散⾒される。これは私が多くのアニメを観るのが好きでない理由でもあり、⼤衆映画として成功するジブリなどのアニメ映画作品と、ただのアニメとの⼤きな境界でもあると私は考えている。
これは主⼈公が新たなストーリーを始める、過去を巻き戻す、ようにみえる、際に起こる、映像の揺れ、歪みを指す。はっきり⾔って邪魔である。主⼈公の既視感の整合を表現しているのだが、この作品中都合3回も繰り返すのだから、いい加減主⼈公も慣れてくれ。初めの1回で観客は慣れている。この表現の過剰さ、強弱の無さがこの作品をやや分り⾟くしている要因であると私は思う。
以上3点においてこの作品を酷評し、つまらないと思っている⽅はもう少し我慢してこの駄⽂を読んでいただけないだろうか。これから4つ⽬について反論し、5つ⽬のわからなかったという⽅のために私なりにこの作品を解説したいと思う。
好きな⼥の⼦が夏休みの間に転校することを知った、主⼈公はその最後の1⽇を⼀緒に過ごすために、うまくいかなかったこと、失敗したことを、もしあの時こうしていればと、何度もうまくいくまで繰り返す。
確かにこの作品は都合の良すぎる物語である。主⼈公は意のままに時を戻すことができ、ヒロインはいつの間にか主⼈公を好きになる。この作品にはハラハラドキドキという⼭場、⾼揚感が⼀切ない。壁にぶつかっても努⼒無しに乗り越えてしまえば、観客たちは何のカタルシスも得られない。感情移⼊も出来ない。
しかしここに⼤きな誤解がある。この作品はタイムリープものではない。主⼈公は好きなように時を戻すという能⼒は与えられていない。彼は主⼈公だからといって特別な能⼒を⼿にしたわけではない。私たち観客も皆持っている能⼒を使って物語を作っている。それは「もしも」である。
この作品はすべて主人公の妄想である。実際に時を戻しているわけでも、本当のヒロインが主⼈公のことを好きになったわけでもない。ただ妄想の世界で主⼈公が願った通りに物語が進⾏しているだけなのだ。すべてが都合良くいくのはこれが理由だ。
⼀般に妄想で物語を終えることは、くだらない、夢オチかよ、などと⾔われるが、この作品においてはそれが許される。なぜならくだらない妄想への批判こそがこの作品の根幹であり、テーマであるからだ。
単⼑直⼊にこの作品を述べると、
【好きな⼥の⼦が⾃分を好きになってくれない現実を受け⽌められずに、妄想の中で⾃分のことを好きな彼⼥を作り上げる、という思春期の愚⾏】
を丁寧に描いた作品である。原作が、恋愛と友情との天秤を主題に据え主⼈公に⼩学⽣を置いたのに対し、思春期の始まりである中学⽣を主⼈公としたのはここに意味がある。
ではどこまでが現実でどこからが妄想なのだろうか。いつからヒロインは主⼈公に都合良くなっていったのだろうか。この作品の現実はこうである。
主⼈公を差し向けるという形でライバルに振られたヒロインは、親に無理やり⼿を引かれて引っ越す。それを⾒た主⼈公はライバルを殴る。新学期が始まり、先⽣が名簿を読み上げる。そこに転校したヒロインの名前はなく、主⼈公は学校に⾏っていない。
つまり「もしライバルに⽔泳で勝っていたら」からラストシーン⼿前までがすべて妄想である。
妄想であるという根拠は後述するとして、この作品をわかりにくく、かつ魅⼒的にしている謎について先に解説していきたい。
ヒロインは花畑で主⼈公に何を語ったのか。そして主⼈公はなぜライバルを殴ったのかである。
このシーンを境に妄想が始まっているので、妄想の動機、この物語において最も⼤事な出来事であるといっても過⾔ではない。
この物語の中で唯⼀、意図的に観客に隠されているシーンがある。それはライバルの代わりにヒロインを病院へと迎えに⾏った主⼈公と、ヒロインとの会話である。
「なんで島⽥くん(主⼈公)が勝つと思ったかわかる?」
その後に続く台詞は省略され、次のシーンではヒロインは主⼈公から⾛り去ってしまう。これを聞いたことで主⼈公はライバルへと怒り、結果として殴ることになる。ではその内容はどのようなものであっただろうか。
ヒロインがライバルにプールで告⽩をし、花⽕を⾒に⾏こうと誘ったこと。しかし振られてしまったこと。再婚で転校しなければならないこと。そのために「家出」をしたいこと。その後の妄想の種となる部分を聞いたのは間違いないだろう。ただそれだけではないのは明確である。それだけのことなら省略する意味がないからだ。
ここで妄想前後のライバルの変化について注⽬したい。プールで勝ったライバルは、主⼈公がヒロインを好きなことを知っていて、それを応援している。主⼈公とヒロインが⼆⼈きりになるようくだらない理由をつけ、また逆に⾃分とヒロインが2⼈きりにならないよう振舞っている。しかし、プールで負けた彼の態度は⼀変する。主⼈公とヒロインが2⼈きりでいることに苛⽴ち、主⼈公への不満を露⾻に表す。後者は主⼈公の妄想をもとに作られているということは重要な点だ。妄想後にプールで負けたライバルは妄想前にプールで負けた主⼈公と同⼀なのである。
ライバルは⾃分へと向けられているヒロインの好意に気付いていたのではないだろうか。しかし、⾃分はヒロインのことを、少なくとも主⼈公がヒロインを想うよりは、好きではなく、告⽩されても振ると決めていた。なぜならそれに対して主⼈公が苛⽴ち、ライバルへ不満を持つことをわかっていたから。そしてライバルがそのように思っていることを、ヒロインも察知していたのだろう。それが上述の発⾔「(主⼈公)が勝つと思った」につながっている。
転校前に最後の思い出が欲しかったヒロインは、ライバルへの告⽩を決意する。その結果はライバルが⼿を抜くという形で、主⼈公の勝利という形で、実際に想いを伝えることなく、判明する予定だった。しかし、実際には主⼈公のアクシデントによってライバルが勝ち、主⼈公の⼝からヒロインは⾃分がライバルから振られたことを告げられる。
そのことを聞いた主⼈公は、親に⼿を引かれるヒロインが「助けて」と⾔った相⼿が本当は⾃分ではなかったこと、ライバルのヒロインへの適当な態度に対して怒り、ライバルに殴りかかったのだ。
そして主⼈公の妄想が始まる。もしあの時⽔泳で勝っていたら、ヒロインがライバルに振られることはなかったのではないか。ヒロインを助けるのは⾃分だったのではないだろうか。ヒロインは⾃分に対して告⽩してくれたのではないか。
妄想であり、ヒロインは⾃分のことが好きではないとわかっているから、花⽕⼤会へは誘われるものの、告⽩は⽔の⾳にかき消されて主⼈公の⽿へは届かない。
この告白のシーンは主人公自身だけでなく、観客をもごまかし誤認識させている。プールで勝った方を誘うと言うヒロインの言葉をそのまま信じてしまえば、主人公が勝ったことをヒロインが喜んでいるかのように、まるで現実では主人公のことが好きだったのに負けてしまったから不機嫌になったかのように誤解してしまう。制作者は上述した会話の意図的な省略により、ここで主人公と共謀して観客を妄想の中に引き摺り込んでいるのだ。
妄想が進むにつれて、主人公はヒロインを自分の都合の良いものへと作り替えていく。「家出」であったはずのヒロインの⼩さな反抗は「駆け落ち」へと変わり、浴⾐から⽩いワンピースへと⾐装が変わる。
主⼈公は⼀度は変な花⽕の形を⾒てこれが妄想であると気付くものの、妄想の中のヒロインに2⼈でいられるならどっちでもいいと⾔われ、世界を好きなように変え始める。海の上を⾛る電⾞、レンズに囲まれた世界。
「これは典道くん(主⼈公)がつくった世界なんだね」
世界のおかしさを気にする主⼈公に対し、同じおかしな存在である妄想のヒロインは世界をおかしいとは気にしない。その後主⼈公の望み通りにキスをしたヒロインは
「次会えるのはどんな世界かな?」
という⾔葉を残していなくなってしまう。
そして主⼈公は妄想の世界から抜け出せないまま、現実が始まる。主⼈公が今も妄想の世界を渡り歩いているのかは明らかにされずに物語は終わってしまう。
上記の論の根拠となる、妄想の開始位置を示す手掛かりは3つある。
1つ⽬は⾵⼒発電のプロペラの回転方向である。現実では時計周りに対し、妄想が始まると反時計回りに回り始める。おかしな世界になってからはプロペラが回転を止め、妄想世界が破綻すると再び時計回りに動き始める。
2つ⽬は「茂下(もしも)」という駅名、町名である。駅舎や標識などで度々映り込むこの地名は、現実世界では⼀度も登場しない。
そして3つ⽬、ヒロインの表情である。同じシーン、プールサイドでの告⽩で比較するとその差が顕著であるが、現実のヒロインは感情を顔に出さないのに対し、妄想のヒロインは常に笑顔で表情が豊かである。これこそがこの世界は主人公の妄想である明確な根拠と言える。今⽬をつむり、頭の中にあなたの好きな⼈を思い浮かべて欲しい、おそらく彼、彼⼥はあなたに対して微笑みかけているはずだ。
『打ち上げ花⽕、下から見るか?横から見るか?』は、誰しもが思春期の始め、クラスメイト、芸能⼈、またはアイドル等々を相⼿に、通ってきた道、妄想という愚行を再体験させる、素晴らしい⻘春映画だ。もちろんこれは私なりの解釈であり、皆さん⼀⼈⼀⼈の考えを否定するものではない。ただ私のこの⽂章を読んでいただいた⽅が⼀⼈でも、もう⼀度この作品を観返そうという気持ちになって頂けたのなら、幸いである。
昨日世話になってる女史への誕生日プレゼントを買うべく、同じくその女史に世話になってる友人と男2人で色々回ってたんだけど、愛用してるコスメブランドのものがいいんじゃないかということになって、そのブランドが入っているデパートに行ったんですね。
で、うだつの上がらない野郎二人が完全にアウェイな高級デパートに鎮座するきらびやかな化粧品フロアに足を踏み入れると、館内放送がこうなじってくるのです。
「へーい、ここは快適な生活シーンを創造するプロフェショナァルが集い、最先端のオシャレを求めるセレブ達へ提案する高級デパート。
おいそこ!そこの風俗崩れみたいなWエンジンのチャンカワイじゃない方と首を一刀両断しやすそうな一茂、お前らだよお前ら!
キミ達は田舎の養鶏場の横で売ってる鶏糞をそのまま塗りたくってパックしてた方お似合いさ。あ、発酵タイプの方が効果倍増だからね?」
そんな懐かしのおしゃれ大戦的なネタはともかく、場違いな2人がそこのコスメブランドのブースで悩んでいると、販売員の人が「プレゼント用ですか?」と声を掛けてきたので「そうなんですけど、どういうのがいいのかさっぱりわからなくて」と返答。
したら「その方がカード登録しているなら名前と誕生日がわかれば履歴からお調べ出来ますよ」って言うんですね。
ここの段階で若干ん?と思ったんだけど、伝えたところカウンターにあるノートで打ち込んで検索、おそらく一致する人が出たようで電話番号の下4桁を聞かれて携帯番号の下4桁を伝えるも不一致、おそらく自宅の固定番号を登録してるようで思いっきりその4桁を口頭で言うわけです。
とりあえず「○○区だったら多分その人です」と伝えたら「○○区○○町ですね、○○歳の」と聞いてもいない町名と歳まで口頭で。
そして『履歴から見るとこれがオススメです』って買ったものは具体的に言わずアドバイスしてくれるのかと思ったら
「限定の○○色と○○をいついつお買い上げなされているので、こちらの色がオススメです」って購入品どころかいつ頃買ったかまで言ってて驚く。
確かに「前ここの~円の化粧水買ってた」と、女史と一緒に見に来たことがあるという具体的な話もしてたり(ちゃんとその商品もあって、値段も合ってる)誕生日用ってことで最初伝えてて調べたら本当に誕生日が近かったり、男1人ならともかく2人で来店してお互いの話も一致してたから疑われなかったんだろうけど、悪意あるなら話なんかいくらでも作ったり盛ったり出来るし、こっちの身分も全く明かしてないのにそこまで言ってしまうのって相当危険なんじゃないかなあと。
後情報だけどこういうのアパレル業界でもよくあるらしく、実際彼女へのプレゼントと偽って個人情報ゲットしたのもいるとのことで。
客の趣向を共有化するのに色々手元で見れるようにはしてるんだろうけど、末端の店員が全情報にアクセスできるってのは怖いなあ。
コスメ業界上位なとこがそうなんだから、アパレル含めそんなのは当たり前なのかもしれないけども。
こっち(IT関連)の業界だと管理してる個人情報そんな感じで喋ってたら懲戒レベルだし、そもそも末端じゃアクセスすら出来ないのにね。
自分のわがままが通らないからって反対する人たちに「子供を切り捨て」とかいうレッテル貼るのはやめたほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20150401074440
いま芦屋に住んでるわけではないが6年前くらいまでは住んでいたしたまに遊びに行くこともあるので状況はなんとなくだがわかっている。
陸地側から海側に向かって順に町名と人口を並べると下記のようになる(芦屋市ページの人口統計 2015年3月1日)。
それ以外は一戸建てが並ぶ。海洋町と南浜町に空き土地はほとんどなくなっており、
開発の余地があるのは涼風町の残り1/3くらいの部分だけである。
涼風町が埋まるとそれ以上人口は増えなくなる。集合住宅が建たない限り多分350世帯がMAX。
(一番先端の土地は集合住宅になると聞いていたような気もするが、
まだその計画が生きているなら元増田が絶対にそれをアピールしているはずだと思う)
1戸建てが並んでいるから人口密度が低く、小学校から遠くなってしまう。
陽光町の半分くらいの地域からすると既存の潮見小学校よりも遠い位置である。
この状況で、陽光町の県営住宅に空きがあるので小学校を作れというのはいまいち理由にならないと思う。
この過去の小学校増改築にかかる費用は30億円かかったと報告されています。
30億円が多すぎるという話だが、阪神淡路大震災で被災した建物が多数あった当時と今とを比べてはいけない。
また、「過去の増改築に30億円は多すぎやしないですか?」と書いているが、
この件が具体的に何かというと、時期的には山手小学校の建替えにかかった費用だと思われる。
既存の小学校の建替えと建設費用が同じくらいであるのは当然ではないか。
(当時建替えに合わせて、2つの小学校を統合したので、その後の運営費用などは削減されたはずだ)
そもそも過去に100万円程度汚職した議員がどうこうとか、小学校建設の是非には何の関係もないだろう。
ちなみに子供を育てるならもっと陸地側の集合住宅のほうが断然環境は良くて(がんばれば歩いて駅まで行けるし)、
「なんであんな不便なところにわざわざ住んでる人のために税金を使わなあかんの?
そんなより耐用年数超えそうなこの校舎を放置するほうがずっと子供切り捨てだろ!?」
って感じなのが普通だと思うけど。
Twitterでご近所さんを探してたらうちの目の前のファミレスで
ランチセットを食べて店員が巨乳で大興奮みたいなの数日前に書いてた人いたんだけど、
そこのファミレスってもうだいぶ前に潰れてるんだよね。
その人アニメアイコンで、アニメキャラBOTたくさんフォロー、bioには同人、アニメ、まいんちゃん、エロ好きみたいなのがズラリ。
postも午前11時ぐらいから夜7時までBOTに向かってちゅっちゅみたいな内容なのがほとんどだったり。
偏見になっちゃうけども、この人ヒキコモリで昔の記憶を頼りにエア外出なのかなーと思って
ちょっと大人気ないけど「そこってだいぶ前に潰れた気がしましたけど、また営業はじめたんですか?」と
そこが現在はどうなってるか知らないけど、な感じでreply。
多分スルーされるだろうなと思ってたけど律儀に返してくれて、「他のファミレスチェーンに間違ったかも」と。
でもそこで「間違ったかも」と二つ挙げてたファミレスチェーンの店舗、駅方面にあるビル内の小さな店舗、もう片方のは隣駅まで行かないと無い。
最初ファミレスの所在地(町名)まで書いてそこで食べたって書いてたし、駅方面とましてや隣駅の店と間違えるワケが無い。
その後出しで挙げたファミレスチェーンも2つとも基調色全く違うからそれも間違えるわけ無いし、
そもそも最初挙げてたチェーン、ランチセット自体無いんだよね。
あー絶対エア外出だって確信して、それ以上追求するのはさすがに可哀想なので
じゃあ跡地に他のファミレスチェーン入ったかもですねーみたいな感じでシメ。(本当は全然違う業種の飲食店が入ってる)
まあそんな感じのちょっと大人気ない話でありました。