はてなキーワード: 新興住宅地とは
私の実家は千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎をイメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。
駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。
実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間、タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。
さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。
この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ。子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地の子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。
さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的地である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。
最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。
そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバスの時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。
一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。
そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。
私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。
私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。
この住宅地はバブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。
この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。
この住宅地はこれから、ゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。
サンプル数が少ないので、傾向といえるかどうか微妙なところですが、ここ20年から30年の間にできた新興住宅地でのお葬式について書いてみます。
このパターンが多いです。地縁が強いわけでもないので、町内会レベルだと町内会長さんがあとでその事実を知ってお参りにくるくらいの付き合いなのかもしれません。
家族と身近な親族のみで行うと、お香典のやり取りも省略され、見栄とは無縁の葬儀になります。
大きな花輪が出ることもないですし、広めの葬儀場でポツンとみたいなイメージになります。
子供の会社関係者や子供の友人には知らせずにそっとしておく傾向があるのではないかと思います。この対応で参列者はほとんどいなくなります。
80歳以上の高齢者の場合、友人や元会社の知り合い、兄弟がすでに他界していることが多いです。なくなった故人は、そのような人たちの葬儀にはいったのに、自身が亡くなったときには、関係者は身内のみしか生き残っていないことがありえます。
となると、葬儀に参列するのは主に子供と孫ということがこれから時代、増えていくのではないでしょうか。
地縁が残っている農村くらいになってしまったかもしれません。自宅の広間と仏間をぶち抜いて葬儀をするとなると、いろいろと人手がいります。
そのような互助ができる素地がないと難しいでしょう。
かつて地縁があった商店街では、店を閉めてしまい、それだけの盛大な葬儀を出す余裕がないと思います。現役の会社経営者のような人たちはまた別でしょう。
昔から、そのコミュニティの異様な特性から「はてな村」なんて呼ばれているが、2chが板ごとに全然違う文化があるように、サービスごとにユーザーの特性が違う。だから「はてな村」というよりも「はてな郡」とよぶほうが実態に正しい。決してはてな州やはてな国でないのは、そこまでユーザーが多くないからだ。
#適宜追記修正します
#リクエストを受けて色々追記。
一応はてな郡の中心地。アメーバ州アメブロ市やライブドア州ライブドアブログ市やFC2州FC2市に比べて人口も少なく、セレブ(芸能人・有名人)も少ないが、ブログ創世記から有る古都のため、技術ギーク系・ネット文化系・社会科学系などで独特な文化を形成する。はてな郡の他の都市に比べやや教育レベルは高め。id:aurelianoやid:Chikirin、id:finalventなど一般人がアルファブロガー化しやすい一方で、森見登美彦、平野啓一郎、博多華丸・大吉、笑福亭鶴光の公式ブログがあることは意外と知られていない。著名人でここの市民っぽくらしく振舞っているのはid:FUKAMACHIとかid:kawango(ドワンゴ州知事)ぐらい。ライブドア市やFC2市と違いスラム街(2chまとめブログ)や風俗街(エログ)は殆ど無いため治安は良い。ただしまれに放火魔(炎上マーケティング)がいる。
はてダ市の行政区。開設当初は喧嘩や暴動(炎上)や落書きが頻発しはてダ市の治安悪化の原因だったが現在は割と平和。Google合衆国からのはてダ市への訪問者を増やしている。Wikipedia国と競合するが、教育レベルは遠く及ばない。一時期はネット用語の流行の最先端であったが、近年は衰退している。近年はドワンゴ州ニコニコ大百科町とも競合する。
はてな郡最大の都市で玄関口。ライブドアクリップ市やヤフーブックマーク市よりも人口が多く、delicious市やGoogleブックマーク市に迫る。かつてははてダ市と同じような人口形成と文化だったが、人口の急激な流入により治安が悪化しており、教育レベルも低め。風俗街(エロホッテントリ)、スラム街(2chまとめブログ)や、ゲバルト(政治関連)や暴動(炎上)も有り、Twitter国と同じような問題を抱えている。
はてブ市の行政区。はてブ市内の流行が集まり、Googleニュース市やライブドアニュース市へ繋がる。基本的に住人ははてな郡の役人(はてなスタッフ)。
はてな郡最古の都市だが、近年はYahoo知恵袋市やOKWave市への人口流出が目立ち衰退している。最近は税金が安くなった(無料化)の影響かうごメモ村からの人口流入が目立つ。
はてな郡の中ではやや特殊な位置付け。はてダ市・はてブ市のベッドタウンであるが住民が偽名・匿名で生活している。そのため人口も不明。強いて言えば2ch国に近いが、人口も少なく地区割りも曖昧で住民の傾向もバラバラ。住民は匿名が前提のはずだが、閲覧者を集める目的で敢えて実名で生活するものもいる。
はてな郡の中ではのどかで田園風景が広がる。ここもはてダ市・はてブ市のベッドタウン。絵描き(イラスト系キーワード)や芸人(ネタキーワード)やカフェ(実況)も多く、人口の割には賑やか。近年はうごメモ村からの若い居住者もいる。女性も多い。Twitter国と似ていると言われるが別物である。
任天堂王国との連携(京都連合)により人口が増えている村。ハイク村・人力検索町以外のはてな郡の都市への人口移動は少ない。この村だけ突出して住民の平均年齢が低い。
はてダ市・ハイク村のベッドタウン。写真家が多く住んでいたが、最近はもっぱらアトリエという名の倉庫街となっている。
インフラが整ったオフィス街だが過疎化がすすみ空きオフィスが目立つ。オフィス街なのに村。Google Apps市と比べるまでもない。
人力検索町と並ぶ古都で、かつてははてな郡の中心都市の一つであったが近年過疎化がすすむ。
ハイク村から独立したハイク2村から更に分離独立した村。モバイラー向けの今風なコミュニティの割にいまいち地味な存在。
住民が買ったものを並べて売る商店街。モバイラー向けの今風なコミュニティの割にいまいち地味な存在。
はてな郡の自治体運営に唯一提言が出来る機関として設置されるが、基本的に不具合修正以外の要望はあまり通らない。
はてな郡内の通貨。1P=1円だが基本的にポイントから円の両替はできない。はてな郡内での買い物や住民同士の送金に使われる。
はてな郡内の贈答品。基本的に黄色だが他の色のものは珍しく送ると喜ばれるが、貰ってもなにか有るわけではない。地区によって価値が違う。
はてな郡の役人により設置された実験区。増田町も本来ここなのだが、近年は人口増加により特区的位置づけが薄れてきている。増田町以外の地域は過疎化がすすむ。
本格的な「こどもの国」として設立されたが、治安悪化(しかもリアルでも)が懸念され設立からわずか2週間で廃村。はてな郡の黒歴史の一つである。
アンテナ町に変わり新興住宅地として開発されたが、人口減少により廃町。
セカンドライフ国に対抗すべくハイテクヴァーチャル都市として開発されたが、人口が思うように伸びずラボ特区の一時自治区に格下げ。その後廃村。セカンドライフ国も規模的には市レベル(町レベル?)である。アメーバ州のアメーバピグ村は人口が増えつつある。
Youtube国への玄関口であったが、行政機能の停止により廃村。
ttp://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090202
田舎にはけっこうひきこもりの老人が多い。車の運転が難しくなり、かといって家から歩いていける範囲内に商店や農協はないし、病院といえば十数キロ離れた街道沿いの、行けば3時間は待たされるであろう巨大病院だったりする。子供を持った若い家族はそんな辺鄙な集落での暮らしに嫌気がさして新興住宅地に引っ越してしまった。この「ドキュメント・ナウ」の内容と同じく山形駅前や仙台の中心地には、高齢者向けのマンションがどんどん建ち、学生向けのアパートは高齢者用へと転換している。公共の交通機関が充実していて、徒歩で生活必需品の購入や通院ができる都市のほうが高齢者にとって住みやすい条件が揃っていたりする。そもそも田舎にはもう医者がいないし。
そこから電車で30分,かけて通った高校は昔戦災で一度焼失したことがある。だから本来なら歴史ある高校だったらしいが,建物自体はそう古くない。
その高校のある街の周りにはお寺があり,川があり橋があり,ちょっと大きなショッピングセンターがあり,よく車の通る大きな道もあった。高校の前には中学校もあり,絶えずにぎやかな声が聞こえていた。
どこにでもある小さな街だと思っていた。
ある日の授業の課外活動で,グループになって街を歩くことになった。詳しい課題は覚えていないが,そこそこ歴史のある街だったのでそういう雰囲気を味わうためだったと思う。古いお寺や,江戸時代に異人がやってきたらしい場所,有名な和菓子屋さん,教科書で見たことのあるような人物の生家跡などにちょっと感動した。
そんな中,橋にさしかかるところの石柱にいくつかの不自然な穴ぼこを見つけた。
ふと見ると,その横に小さく説明書きが書かれていた。
「焼夷弾跡」
バスが走り,子供が騒いでいるその場所にも,何十年もの時間が流れていたことを,幼い私はそのとき初めて理解することができた。
在日について語りたがる人が多くてびっくりした。
在日ってそんなにそこらじゅうにいっぱいいて、日常的に軋轢を起こしたりしてるものなのか?
俺は関東の新興住宅地で生まれ育ったけれど、在日朝鮮人は「在日外国人の一種」というぐらいの認識しかない。(もちろん、歴史的にいろんな事情があることは知識としては知っているけど、でもそれを言うなら、誰だって何らかの事情を抱えて外国に住んでいるわけだろ? 朝鮮人だけを特別視する理由はないと思う)
小中学校の時は周りには日本人しかいなかったり、高校にはキム君って人がいたけど「先祖が朝鮮系だったのかなぁ」程度にしか思わなかった。彼の戸籍がどうだったのかは知らないが、戸籍なんてただの紙切れだ。日本語喋って日本のアニメが大好きだったキム君自身は、俺にとっては日本人に他ならなかった。
たぶん関西とか、在日コミュニティが強い地域はいろいろあるんだろうけど、きっと将来的には俺みたいなこだわらない人が多くなっていく気がする。
母方の祖父が在日朝鮮か韓国(確認してないのでわからん)人な俺も便乗。帰化していないと確認したわけではない(あまり母は語りたがらないので)けど、祖母と母と叔父は祖母方の旧姓を名乗っているのに祖父は違う姓を名乗っていたし、祖父の入院時に部屋の名前が朝鮮風で書いてあったから間違いないだろう。
爺さんは俺の幼少期に「戦争の前にソウルから船に乗ってきた韓国人」と言ってたが、せいぜい小学校低学年の子供に言った事だし、どこまで本当だかはもう謎。関東の微妙な田舎で駅前のパチ屋経営してたので、所謂土地の不法占拠とかしてたのかもしれん。ただ、母が子供の頃は別の所で貧乏していたという話なんで、事情がよくわからん。ただまあ、色々事情が複雑なんだろうなあと考えると、母があまり爺さんについて語りたがらないのには納得がいく。母は祖父を嫌っているわけでは決して無いんだけど。育ててくれた事への感謝の言葉は何度か聞いている。
祖母は日本人。母も日本国籍。でも別に祖母方の親族と縁が切れたとかそういうことはないっぽい。俺世代での交流はあんまないけど、単に縁が無いだけだし。むしろ母の弟の嫁が性格的にアレな人で、そっちでごたごたしてたかな。祖父方の親族とは、祖父の所に遊びに来た、母の従妹にあたる人に一度会った事がある、程度(母も初対面だったみたい)。祖父自身は連絡取ってたかもしれんが、自分とか母は存在すら知らなかった。連絡先すら知らない。祖父の葬式には来てなかった気がする。
ちなみに祖父は日本の寺の墓地に埋葬されている。そういや墓の名前の表記も通名だなあ。で、パチ屋やってたんで駅前商店街でそれなりに繋がりがあったみたいなんだが、祖父の葬儀の後には商店街の人がみんな集まってた。不法占拠とかじゃないってことなのか、それはおいといて集まってくれたのか、商店街ぐるみで(ryなのかはわからんが、商店街で孤立してたわけじゃなかったみたいで安心したのを覚えてる。
で、俺はアホな子供だったので、小学校の頃とかは深く考えずに爺さんが韓国人だとかパチ屋やってるとか言ってた。母には無闇にそんなことは言うなと叱られたが、背景を知らんのでなぜ叱られたのかいまいち理解してなかった気がする。その事が理由でいじめられたって記憶はあんまりない。ゼロだったとは言わないが、太ってるやつにデブと言うとか、その程度。これは住んでいたのが新興住宅地で、地元の人間が少なかったせいもあるだろう。今はその頃の反動か、中々人には言えないでいる。面倒なごたごたに巻き込まれたくないなーというか。親しい友人の中には話した事があるやつもいるが。
小学校高学年の時に初めてはだしのゲンを読んだ時も、特に深い感慨は無し。特に韓国・朝鮮に思いを持ったことはない。辛い物が好きなんでキムチは好きだな。それくらい。どっちも国家としては嫌いだが、人としてはそりゃいろいろな人がいるからなー、としか。日本人も韓国人も、世界でアホやってるやつはいくらでもいるしねえ。あ、自分のアレが韓国人平均と日本人平均の間くらい(日本人より)なのは、ちょっと悲しいな。
そんな具合なので自分では完全に日本人という意識なんだけど、結婚する時に問題になるとしたら面倒だなーとは漠然と思っている。今は相手がいないので無用な心配だが。そろそろ母も60絡みだし、聞けるうちに話を聞いておいた方がいいのかなーとは思っているけども。祖父は何も聞けないうちに亡くなってしまった。それが良かったか悪かったかはわからんが、残念ではある。
なんかぐだぐだになってしまったが、自分が韓国や朝鮮に対して感じる気持ちは、埼玉出身の自分が千葉に数年住んだゆえに感じる思い入れよりも全然薄い感じ、ってくらいかなあ。
なるほど。そういうケースはまったく考慮に入ってなかった。
そういう方向での教育に力を入れなきゃならない場合もあるなぁ
でも、そんなにトラブってんの?って印象
貧困地域でもないし、そこまで極度に貧しい家庭もこの辺にはないと思う
新興住宅地ではなくて昔の農村だけど、親の世代で地元で生まれ育った人が少なくなって・・・って感じ
生徒が非行に走って警察沙汰とか親が貧乏で教育費払えなくて・・・とかそっち系よりは
移り住んで来た親がすげーモンペとか子供が引き籠って不登校とかそういう系統かなぁ
うーん。そんなのあるのかねぇ
外野の立場なんであんまり強く言えなくなって来たけど
想像で物言うけど、それは「無茶苦茶新興住宅地で住民間の連携とか全然期待できない地域」か、あるいは「連携はあるが絶対的に貧困な地域」のどっちかなんじゃね?
確かに「こんなんで金貰うとかふざけんな」という教師や学校もあるにはあるが、そういう場合「ただアホなだけ」だと「残業が多い」ってことはない。むしろ『5時だけど、なんでこんなに人がいないの?』ってレベル。「満足に教育してないように見えるのに残業忙しいとか言う」つーのは、生活相談・苦情・地域連携の基盤づくり・生徒指導トラブル・そのための会議打ち合わせ……などが続発して帰るに帰れないわ授業の準備する間も無ぇわ、って状況の方が近いと思う。まあ非効率ではあるんだが、その場合効率つーのは目の前の人間見殺し、つーのと同義でちょっと難しい。
そういう学校は、教育機関というより既に福祉行政の一部として機能してる(せざるを得ない)んで、それはそれで一応給料泥棒ではない。真に給料泥棒なのは、増田の言うような状況でなおかつ残業とかしてる様子が無い場合ね。
ちなみに、福祉行政に関わる公務員のハードさの実例については、
『公務員になりたいがケースワーカーは勘弁(アルファモザイク)』
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51414847.html
など参照。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/081026/edc0810262325003-n1.htm
一般論には成り得ませんが、ひとつの例として私の出身小学校を挙げますと
私の地元のように一学年の児童数が一学級で済んでしまうような学校で、農家が多く、教育に熱心ではないというか勉強は学校に任せておこう、わざわざ遠い私立中学を積極的に選ぼうとしない、という家庭が比較的多い中で、子供の移動手段である歩き・自転車で通える範囲内に学習塾・進学塾などなく、あったとしてもお寺での習字やソロバン教室、手の空いた主婦の方たちによる簡単な習い事しかないような地域が主体の学区と、
逆に何とかニュータウンか何かの再開発で新興住宅地が並び、入居する人が多く、スーパーや塾も近場にあり、経済的な余裕があり、親の教育に対する関心も高く、私立中学の情報や機運を得やすい、そして児童数も多い地域が主体の学区とでは、
高々学力テストの点数のみのランク付けだけで学校・教師・教育方針の良し悪しが判断できるんでしょうか。できるという方がいるんでしたら教えてもらいたいです。
サンプル数が少なければ年度ごとに安定しない結果になるでしょうし、教員自体も5-6年経てば他の学校へ転任してしまう制度だから年度ごとに一喜一憂しても意味がないと思うんですが。
仮に私の地元が学力が低い学区だと判明しても、上記のような地区ですから、さもありなんと、納得はできるのですが、それを故にして学校の教育方針が悪い、結果の出せない学校だと判断して、予算を減らされたり教育後進校とするのは首を傾げます。
はてさて、親の意識を高められない教師は指導力不足なのか、意識の高い親に評価されるから良い先生なのか……
まあ、中学校ともなれば、複数の地域が同じ中学校に進むから平均化されたり、影響を与え合ったり、高校受験もあるからして塾に行かせる所も増えたりとテストの点数だけじゃ計れなそうな要素がてんこ盛りになりますねぇ。
学力のランクのみに振り回されるよりも学区の特色やら学校の方針やらがどのように作用してるのかを地道に検証する方がいいのでは思ったりします。
うちの実家もこんな感じ。私の現年齢も住宅地の規模も現状の子供の数もほとんど一緒。田舎の中でも新興住宅地に移り住んだのは家業のないサラリーマンであり、サラリーマンの子供は大学進学でみんな街を去った。かつて小学校時代に遊んだ仲間は、たいてい新幹線で1駅隣の政令指定都市か、東名阪で仕事してる。
私の実家は千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎をイメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。
駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。
実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間、タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。
さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。
この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ。子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地の子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。
さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的地である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。
最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。
そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバスの時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。
一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。
そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。
私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。
10人くらいの子供たち。
私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。
この住宅地はバブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。
この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。
この住宅地はこれから、ゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。
ある*関西では*有名な国立大文系の四回で、いま休学して医学部を再受験してる。
あ、でも、仮面浪人してたわけじゃないよ。
長いこと食べていきたかったし、地元の僻地に還元できる形で戻りたいのもあったんだ。
結構周囲の人には納得してもらって受験してたんだけど、
今年に入ってから、母さんが急に「もう、そんなんやめて就職したらどうか」って薦めてきたわけですよ
一番の理解者であった母さんがそんなの言い出すのがどうにも不可解で、
センター受けた直後ぐらいんときに「ここまでやってそれはどうかと思う」ってな形で言ったんだ。
母さんは「せやなぁ」とか言って結局そのままで話は終わったんだけど、そのあとだ。
出願するときだ。写真を貼る糊を探してて、母さんの部屋に入ったら、なんかへんなチラシがゴミ箱にすててあったんだよ。
拾って見たら、
○○エリア(新興住宅地)の完全地域密着型派遣会社 ・地元でお仕事をお探しの方へ 老人介護施設での介護職など 月給18万円??(夜勤五回込) ・○○市内ゴルフ場でのフロント受付 時給1,000円?? 交通費支給、無料送迎有り …… …
新聞のチラシは違う部屋に普通おいてあるから、そこにあること自体おかしいチラシだったんだ。
…あぁ、そうなんだ。って思った。
こうなってたんだ、って。
うち、母子家庭ではあったけど、母さんがバリバリのキャリアウーマンだったんで、
そんなに金銭的苦労はない家だった。田舎だったし、親戚も多かったし。
奨学金さえ母さんはつっぱねたんだぜ。「あほ、うちは十分かせいでる」って言って。
正直それに甘えていたとこあったんだな。
この時点で俺の中で、いままで抱いていた理想像はふっとんだよ。
長い夢は醒めて、急に現実を見させられた気がした。
馬鹿だろう。笑ってくれていいよ。なにしてたんだろうな俺は。
母さんがここまで思ってたなんて思いもしなかったんだよ。
それで、今月からシュウカツを開始したわけです。
遅いだろ。遅いんだよ。ごめん。
でもなにしたらいいかもうまったくわかんねぇんだ。
普通に食えたらいいんだ。
食わして生きたいわけだ。
とりあえずリクナビ登録してみたよ。そいで、企業にいくつかエントリーしてみた。
今まで翻訳事務所でバイトずっとしてんで英語は普通にやれるけどTOEICとか受けてない。馬鹿こいたな。
どうしたらいいんだろう。
誰かセオリーおしえてくれ。
ちゅうか今からやって間に合うのか教えてくれないか。
とりあえず、俺は馬鹿だった。もうそこに関しては全肯定。
だけど死ぬわけにはいかん。
らき☆すた第2話放送後あたり、土曜日の夕方に東武鉄道伊勢崎線鷲宮駅から鷲宮神社へ一人で歩いてみたんだけど、結構しんとした町並みだったのが印象的だった。歩行者があんまりいない。車はびゅんびゅん通ってるし、門下町には隙間なく建物が軒を連ねているけど、総じて古びていて、昭和の中頃にかけられた看板がいい感じに朽ちている。で、所々思い出したかのように洋風で浮きまくった「父さん念願の一軒家!」みたいな気合い入った家がある。各家をステータス表示するなら「外出中」と「空き家」で勢力を二分しそうな雰囲気が漂っている。
こういう地域で、オタクみたいな異分子が大挙して押しかけてきたら、確かに抵抗あるよなあ、とは思う。そして田舎と新興住宅地の悪い部分が両方出ちゃうだろう。排他的な面と地元振興に無関心な面の。
今朝、新聞を配達していたところ、閑静な新興住宅地の、とある家の前でバイクを倒してしまった。
溜息をつき、そこいら中に落ちた新聞を拾い、積み直していると、
突然どこからかドン!ドン!という音が聞こえてきた。
ふと顔を上げてみると、目の前の家の玄関ドア(真ん中に縦長の凹凸ガラスが嵌め込まれているタイプ)の、凹凸ガラスの部分にぼうっと人影があり、その人影がこちらを見ていた。
というか凝視している。ガラスに顔を思いっきり押しつけて、凝視している。
ガラスの凹凸と、家の中から当たる逆光のせいで表情は見えないものの、かなりの強い怒気を感じる。
女の人のようだ。20代後半から30代前半の雰囲気。勘だけど。
その人がこちらを見ながらドアをドンドン!と強く叩いている。
あっ…バイク倒した時の音がうるさかったかな…。
時刻は未明だし、確かに迷惑だったかもしれない。
申し訳ない気持ち、それから急に知らない人に激怒された事に対する恐怖と保身の気持ち(本当はこちらの
方が強い)で、とりあえずドアの向こうの人影に会釈した。
人影は、見えているのかいないのか、しばらく動かず黙ってこちらを見続け、それから奥に消えた。
とりあえずホッとはしたが、戦慄というか、軽い恐怖からくる興奮が身体の中にまだ残っていた。
何はともあれ配達を続けなければならない。
雨というだけでテンション下がっているところに、自分の不注意とはいえバイク倒して、
その上いきなり年上の女性に超怒られたことでモチベーションは急降下していた。
(余談だけど、もし人影が年下だったとしたらこんなに落ち込まない気がするのはなんでだろう。)
十代の頃だったら逆ギレして、内心悪態をついてるかもしれない。
二十歳を過ぎて丸くなったというよりも、ただ余計なエネルギーが無くなっただけじゃないだろうか。
そんなことを考えながら新聞を拾い集めていたら、
さっきのドアがゆっくり開いて、懐中電灯を持った男の人が出てきた。暗くてよく見えないが30代ぐらい
だろう。
お、怒られるんだろうか…。
どちらにせよここでちゃんと謝って許しを得たいと思った(それほどさっきの事が恐かった)ので、
「すみません、お騒がせしました。」
というと、男の人は雨の中散らばった新聞と倒れたバイクを見て小さな声で「あ、大丈夫ですか…?」とだけ言い、様子を伺いながら、家の中に入っていった。
そこでようやく分かった。
さっきのあれは怒られていたのではなく、威嚇されていたのだ。
どうやら自分は不審者だと思われていたらしい。
何か音がした→奥様が家の外を確認→怪しい人影→ドアを叩いて威嚇→去らない→旦那様起こす→旦那様がドアを開けて確認→なんだしんぶんやか→しんぶんやだったよ
そう考えるとあの鬼気迫る感じは納得がいく。
なーんだそっかぁー怒られたんじゃなかったのかぁーはぁー良かったー
…と思いたいのだけどここだけの話、
やっぱり顔の見えない人型のシルエットが黙ってこちらを見つめたままドン!ドン!とドアを叩き続ける様子は視覚的に相当インパクトがあって、久々に軽いトラウマが植え付けられました、とさ。
顔を押しつけていたのは怒っていたからではなく多分、
家の中が明るくて、暗い外の様子がわからなかったんだろうなぁ。
あーヘルメットが濡れて臭くなりそうだ…。
大阪だと、電車乗ってるとレイプされて、チェーン店で飯くってるとレイプされて、帰宅しようとすると、同志社のアメフトにレイプされて、家でくつろいでると鹿島建設の課長にレイプされて、姉妹で一生懸命生きてると、母親殺しに殺されて、小学校に通ってると、宅間に殺されて、新興住宅地に家買うと近くの精神病棟が野放しにして、カラオケ屋行くと、消防署の幹部親族が経営してるのにもかかわらず蒸し焼きにされて、じゃあ外なら安心かと、花火見に行くと、押しくらまんじゅうで殺されて、しかも存在しない茶髪が原因で、スキーに行くとバスが橋脚にだんじりアタックするし、流石に新しくできた遊園地なら大丈夫だろと、 USJ行くと、工業用水呑まされて、やっぱ老舗の遊園地が安心だろと、エキスポ行くと頭潰されて、せめて大阪の魂たこ焼き買うと、その店は不法占拠だし、清掃工場は無意味に派手だし。