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2015-06-01

きのう

仕事帰りで深夜2時過ぎになってしまって、夕食代わりのポテトチップスを啄みながら、なんかもう何も考えたくない。頭のなか真っ白な状態で「ご注文はうさぎですか?」のBlu-ray再生すれば、謎の快楽物質が脳を満たしていき、窓を開けて見知らぬセカイへとぴょんぴょんしたくなる。

冷蔵庫から取り出した100円ワインを舌で転がしてみると、グラン・エシェゾー顔負けのザ・ダイソーな風味にうっとりした。

そのあとは安部公房の「箱男」を読んでゲラゲラ笑い転げ、Amazonダンボール箱を頭にかぶって眠った。

目が覚めるとまだダンボールの中だった。

2014-04-30

村上英語学習

村上春樹英語で読む。私はこれでTOEIC900点を突破しました。

小説を読むうえで大きなストレスとなることの一つに、著者が描く情景、主人公の心情、時代風景などがピンとこない、ということがあります外国小説場合は、たとえ日本語翻訳したものを読むときであっても、日本人である我々は感情移入ができず、結果として、なかなかサクサクと読み進むことができません。英語で読む場合は、これが「英語という言葉がわからない」「書かれてある内容自体がピンとこない」の二重のストレスになってしまい、英語上達のためのポイントである多読」の障害となってしまます対処法は簡単です。日本人の著者が書いたもの英語で読むこと。そして自分が好きなものを読むことです。

私は昔から村上春樹が好きで、ノルウェイの森特に、これまでにたぶん10回以上読み直しています。話の流れはほぼ完ぺきに頭に入っているので、Vintage版のノルウェイの森は簡単に読み終えることができました。これは、いままで、いろいろな英語小説ポール・オースターからハリー・ポッターに至るまで)にトライし断念してきた私にとって大きな自信になりました。

次に、今まで日本語でも読んだことがなかった、海辺のカフカを試してみました。これも多少は日数はかかりましたが、楽しみながら英語で読み終えることができました。同じようにして、これまでに長編短編を何冊か読んでいます

村上春樹小説の主要なものほとんど英訳されていて、Amazonなどで手軽に手に入ります村上春樹がかなり好きな人であっても、読んでいない作品というのはあるかと思うのですが、そうしたものであっても英訳で読むことができます自分が初めて読む小説が、それが英語で書かれているのにもかかわらず情景がすんなりと理解できる、というのはすばらしい快感です。それは、ちょうど、海外作家の本を英語で読んだ際の、自分理解できているのかどうかに確信が持てないもどかしさの対極にあります

村上春樹が好きでない人は、自分の好きな日本人作家を読めばいいと思います吉本ばなな村上龍英訳が多く出ているのでいいと思います三島由紀夫安部公房井上靖が好きなので英語で読んでみましたが、これらは私にはダメでした。時代が違う作家の文章は、英語になってしまうと、一発でピンとくる感じがなくなってしまます小説ではありませんが、最近アニメ日本映画英語吹き替えプラス英語字幕で観るという方法はよいかもしれません。

2013-12-07

女子中学生の私が『進撃の巨人』を見て思ったこと

 私は原作漫画は読んでいませんが、アニメは毎週兄と一緒に楽しく見ていたのでその感想を書いてみますネットこころない大人たちによって叩かれすぎだと思うのです。すくなくとも私の周りでは大人気ですし、時代についていけないセンスのない大人たちが若者文化を叩くのを見ると私はとても悲しい気持ちになります(いつの時代もそうだったのでしょうか)。

 私はこの作品に触れて、作品内容が類似しているかどうかはともかくとして、アルベール・カミュペスト』、ジーン・ウルフ新しい太陽の書』、スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』、村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、安部公房飢餓同盟』、大江健三郎万延元年のフットボール』などを思い出しました。『進撃の巨人』はこれらの小説のどれにも劣らない深みと非常に高いクオリティを持った稀有な少年漫画なのだと思います。その作風アニメを見る限りたしかに単純で素朴で荒削りですが、作者の諫山創先生は、世間にあふれる自意識自尊心だけは一人前の凡庸な作家たちが血も滲むような努力をしたところで一生得ることのできない文学的センスというもの無自覚のうちに獲得していらっしゃるようにわたしには思えます

 壁の向こうには海があって、海には宝とも言える塩がたくさんあるとエレンアルミンが目を輝かせて会話するシーンがあったと思いますアルミかわいい!)。壁の外に真の楽園を夢見ながらも、壁の外の脅威=巨人によって偽りの楽園である壁の内側にとどまるしかない人類。そして偽りの楽園は日々縮小傾向にあり、もはや人類は楽園という夢想を捨て現実に立ち向かう必要に迫られています。もし外からの脅威によって人類生活圏が縮小しないのなら、人類はこのまま壁の内に閉じこもったまま、一種の自己欺瞞によって自らを制御し動かしながら、秩序を維持することに一生を捧げていたでしょう。そうした変化のない永遠の倦怠ともいえる世界では、いずれ歴史が失われ、始まりも終わりもない空白の永続状態だけが字通無意味に残る、いや、それは記録されないので残るというよりは虚空に漂うことになるでしょう。しかし『進撃の巨人』の世界では人類は変化を迫られました。そしてその変化を迫ってきたのは、脅威=巨人なのですが、その巨人とは人類自身だったというわけです。

 現状を打破せよ変化せよという声なき声、暗号を発しているのが巨人ですから巨人とは人類無意識飢餓感、欲望のメタファーだと思います。そして人類は自らの欲望の代理である巨人と戦わなくてはなりません。これは自己矛盾をはらみます人類はみずから欲望をいだき(巨人生産)、みずから欲望を抑圧し(巨人駆逐)、みずから破滅します。いつしか人類の欲望は敵となっています。それは生への意志を否定するものです。みずからの欲望が真の楽園への道を閉ざし、日々縮小する偽りの楽園におい鬱屈とした毎日ゾンビのように送るしかなくなっているのです。原始においては槍で戦うしかなかった人類が、科学技術進歩したことによって、核兵器生物兵器などのとんでもない力を生み出すようになってしまいました。長い歴史にわたる真理の探求と知識への欲望が私たち人類生活を豊かにし明るい未来へと導いてくれるはずでしたが、洗練された人類は新たなそれまでとは比較にならない圧倒的に暗愚で野蛮な状態に陥ってしまったのです。巨人性器がないのは必然で、それは人類の欲望なき欲望だからです。欠如によってしか私たち未来を示すことができなくなってしまったのです。

 そんな行き詰まった世界人類はどうやって生きていったらいいのでしょうか。巨人を完全に駆逐したとき人類絶滅するでしょう。これは勝利なき戦いです。かならず負ける戦いです。私たちに突きつけられたこの運命私たちはどう立ち向かうべきでしょうか。友情によって? 愛によって? 暴力によって? 狂気によって?

 現代社会ではみなそれぞれが不安をかかえて生きています。それは生存の不安です。自分不安無自覚でいることはもはや許されません。人類の足場はもろくも崩れ去ってしまい、そうしたなかで人類は原始への回帰、裸で樹上生活をしていたころに戻ろうと、立体機動装置最後のあがきをこころみるのです。これだけの技術力がありながらどうして他の兵器を作らなかったんだという批判がありますが、腰部から射出されるアンカー射精メタファーだということを考えればそれが無意味な批判であるということがわかります(そもそも巨人の完全駆逐目的ではありません。巨人を完全に駆逐したとき人類絶滅するからです)。人類アンカーを射出しなければならなかったのです。それが人類の見た最後の夢だからです。かつて液状で運動性に優れていた精液はこの時代おいては外的要因によって働きかけられないと動かない冷たい鉄になってしまいました。それでも人類去勢不安を打ち破るために重い腰を上げてさびついたアンカーを射出しつづけなければなりません。それはまさしく不条理悪夢ですが、しかしこれこそ現代私たちがおかれている状況というわけです。

 現代論理的未来予測というものをつねに逸脱し飛躍し暴走して、私たちの手の届かないところに行ってしまます私たち世界から疎外され置き去りにされ、存在理由をはぎとられてしまっています人類人類自身と向き合い戦わなくてはなりません。しかしその戦いには勝利というものがありません。滅亡へのゆるやかな推移があるだけです。

 私は『進撃の巨人』は現代社会警鐘を鳴らしているのだと思います私たち自分巨人とどう向き合うべきでしょうか。私たちは当然のように幸福を追求しますが、その幸福はいったいなんなのでしょう。希望なき時代希望とは? 光なき時代の光とは? 私たち絶対者、神を殺し、あるひとはそれを人類の勝利だと誇りさえしますが、依然として私たちには難問が残っているのです。

 こんなニュースがありました。「進撃の巨人 : 最新巻が初の初版200万部突破 1巻の50倍超、「ワンピ」に続く快挙」(http://mantan-web.jp/2013/12/07/20131206dog00m200072000c.html) やはり時代に求められているので売れているのだと思います。批判している大人のひとたちは自分の愚かさをよく考えてみてください。

2011-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20110614184124

それじゃ、テスト的に聞いてみるか。

「じゃあ、主婦は?」の言葉に、「あなたは」何を感じる?


俺は単に「還元していれば問題ない」と読み取ったけれど。

その前に書いてある「手塚治虫安部公房加藤周一」がそうであるように、だ。

でもこれ、リソース無駄にしたという問題と、何も関係がないよね。


何を穿ち過ぎているのか、「あなたの考え」を説明してくれるとうれしいな。

http://anond.hatelabo.jp/20110614183042

なにが揚げ足なのかいまいち判らん

最終的に「手塚治虫安部公房加藤周一は結果として他の分野で「大きく」社会還元しました。」と書いてしまってる。

それが故に、罵られなくてもいいのだろう?

でなければ、最後の文章の意味分からん

今の職業の功績・栄誉とは「関係なく」、リソース無駄にしたことは批判されるべきだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20110614172825

  • 繰り返しますが、好きにしたきゃすればいいでしょう。しかし、その自由は他人に影響を大きく及ぼすことは理解してください。

手塚治虫安部公房加藤周一は結果として他の分野で「大きく」社会還元しました。じゃあ、主婦は?

こういう事書く馬鹿いるから、社会貢献とかに問題が逃げていくんだよ。

手塚治虫安部公房加藤周一も全部、批判されるべきなんだよ、リソース無駄にしたことについてはな。

2011-06-05

投資教育、自由の裁量

医学部を出て主婦になるのは悪いこと?」


→私はそこまで過激ではありませんが、「奨学金借りて大学に行ったのに中退したクズ。生きる価値なし」ぐらい蔑まれてもしかたがないと思います。


→つまり、それだけの期待を裏切るというのですから、信用失墜はもちろん、やはり他人から罵られても因果応報というものでしょう。

→もちろん、教育につぎ込むのも躊躇されるでしょう。就職でやめるかどうかもわからない新卒に、教育費かけてられないというものと同じロジックが働くことは疑いありません。


  • さて、医療のような社会的貢献を大きく期待される職種に関して、個人の自由はどの程度認められるのでしょう。

→この件で手塚治虫加藤周一安部公房を引き合いに出している人がいますが、それは結果論というものです

→まして、その三例を以てして、「だから別に問題じゃない」というには説得力が足りません。

→私は、医療に従事すると決めた以上、その職務から離れるのは資質能力に問題があるケースの他はあまり認めるべきではないと考えます

→これは医学部入試年齢による不合格問題と直結します。


医療に携わる人間年齢は関係ありません。そこに教育をかけることに問題があるのです。言ってしまえば社会還元のほどが見込めないということです

教育投資です。早ければ早いほど、見返りが大きいなら大きいほどよい。だからこそ、キツイですが頭の悪い大人というのは出来が悪いし、教育に失敗したといえるのです

→だからこそ、そういうのを選別するのには、正当性があるのです。選別すれば、社会全体によい還元ができる。この差別は必要な差別です

→そして、そういう事情があるからこそ国家税金を投入するし、年齢学業等の理由で人を選別するのです

→そして、その選別や投資を受けていながら、それを無に帰する行為は、やはり社会的には悪だろうと言えます


  • 繰り返しますが、好きにしたきゃすればいいでしょう。しかし、その自由は他人に影響を大きく及ぼすことは理解してください。

手塚治虫安部公房加藤周一結果として他の分野で「大きく」社会還元しました。じゃあ、主婦は?

http://anond.hatelabo.jp/20110605164957

2010-09-14

作家になりたいとあがき続けて12年目の俺が読書暦を語る。

http://anond.hatelabo.jp/20100913002509

まぁ、小説書こうなんて奴は大抵の場合友達が少ない。

小学生の頃、中休みや昼休みに遊びの輪に入れず図書室に逃げ込んでいた。

そこで読んだ「十五少年漂流記」や「ロビンソン・クルーソー」辺りが出発点だろう。大丈夫、俺もそうだ。

そして大方の場合小学校~高校までははっきり言ってクソだっただろう。

グレたか孤独だったかの二択しかない。家庭科の授業と体育は大嫌いだ。大丈夫、俺もそうだ。

そんなわけで、自分の才能はどこにあるか小学生の俺は考えた。運動、論外だ。絵、話にならない。勉強、出来なくはないが一番には到底なれそうもない。そんな時、読書感想文コンテストが市の優良賞に選ばれた。そうか、俺の才能文章じゃね?

そんな風にして小説を書き始めた。中学校一年生のときだ。

書きはじめてすぐにわかった、全然面白くない。

そもそも「書きたいもの」がそんなにない。ファンタジーSFラブロマンスも特に好みではない。

なんとなく「文学」に憧れはあるが、そもそも文学ってなんだ。これは本を読まねばなるまい。

そうして本屋に行ってみた。まぁ、太宰とか三島が有名だよね。

とりあえず「金閣寺」と「人間失格」を買ってみた。どっちも意味がわからなかった。ただ、人間失格を読んだとき「要するにゴミ野郎だよね」と思った記憶はある。これのどこがいいのだろうか、と真剣に思った。金閣寺は途中で放り投げた。

仕方が無いので、遊び人のおじさん(36歳、ヒモ)に相談した。面白い文学ってない?おじさんは「これを読め」と安部公房の「壁」を貸してくれた。世界がひっくり返った気がした。あの衝撃は未だに忘れられない。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」。まさに「衝撃」と呼ぶのにふさわしかったと思う。ようするに、文学とは衝撃なのだとそのとき俺は思った。「作者は何を言いたかったでしょうか?」という国語教育呪縛から解き放たれた瞬間だったと思う。

おじさん、面白かったよ。とおじさんに本を返すと、次におじさんが貸してくれたのは

中島らもの「バンド・オブ・ザ・ナイト」と三島の「不道徳教育講座」だった。今思うと、中一に貸していい本では決して無いのだが。これらの本は「衝撃」という点では安部と全く比較にならないが、とにかく面白かった。中島らものラリった文章と三島と毒たっぷりユーモア。おかげで、俺は加速度的に人生を踏み外していった。その後、叔父さんは叔母さんと離婚しどこかへ消えていってしまった。どこかで野垂れ死んでいるかもしれないが、元気ならいいな、と思う。

さて、高校生になった俺の心を捉えたのは海外文学だった。

もともと、安部公房からスタートした読書遍歴だったのでとにかく「実存主義」というやつに俺は興味があった。

言うまでも無い、カミュである。「論ずるに値する議題は一つしかない、自殺である」(ちょううろおぼえ)のシジュポスの神話、なにより「異邦人」は安部以来の衝撃を俺に与えた。また、この頃俺の心を捉えたのはもう一つ、いわゆるビート文学である。ケルアック、ギンズバーグ、そしてバロウズ(これは中島らもの影響も強い)、そしてもう一つ。読書暦の長い人は次に何が来るか容易に予想が出来るだろうが、ドストエフスキーが直撃した。「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」は当然として、俺の心をえぐったのは「貧しき人々」だった。あの主人公の愛すべきクズっぷり!誰も悪人はいないのに、誰もが加速度的に人生谷底へ落下していく感覚学校をさぼっては喫茶店でひたすら本を読んだ十代だった。しかし、サルトルに関してはさほどピンと来ていなかった。「嘔吐」が面白いとは全然思えなかったのだ。根っこをみたらゲロが出る、それで?といった感じだった。

この年齢になると読書に対する耐性もかなり固まっていたので、バルザックゾラも読んだ、カフカも読んだ。ラテンアメリカ文学にも手を出し始めた。ボルヘスマルケスも悪くはなかったが、なんといっても「ペドロ・パラモ」のファン・ルルフォが心を捉えた。セリーヌ、ジット、ベケットクノー、ロブ・グリエといったフランス文学の一連の流れも好きだった。とにかく読みまくっていたことだけは覚えている。おかげで、センター試験数学は4/200点だった。

そして高校を卒業した。この時期には熱心に小説を書いていたような記憶がある。だが、今読み返しても全く面白くもなんともない。無駄に重苦しい下手糞な文体、意味不明ストーリー展開、自意識過剰さだけがひたすら鼻につくクソみたいな小説だった。大学入試は願書を出すのを忘れた。家にもいられなくなり、家を出た。その後はなんか二年くらい働いた気がする。ある日ふと、立ち寄った本屋テリー・イーグルトンの「文学とは何か」を読んだ。そうか、よし、文学理論をやろう!そう思って大学を受けた。北海道の片田舎で二年も働いただけあって貯金はそこそこあった。なんとなく某私大を受けたら受かった。奨学金を借りて、三畳間に住んで暮らした。死ぬほど楽しかったことだけは覚えている。図書館の充実っぷりと来たらすさまじいものがあった。幸せだった。いつまでもこうしていたかった。

大学の間は一生懸命研究をやったとしか覚えていない。卒業する頃、現実的に大学院はムリだと悟り就職した。その間に小さい文学賞論文の賞を幾つか取ったけれど、デビューには全くつながらなかった。今はとある金融機関の出納担当をしながら小説を書いている。明日も早いから寝なきゃならない。何が言いたいのかさっぱりわからなくなったけど、とにかく小説っていいものですよね。人生って辛いですよね。そういうわけで、リンク先の増田にイーグルトン読めとお勧めしたいだけなんですよ。面白いよ。

2009-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20091217134429

『なまじ光があったばかりに、彼女三角パンを、パンではなくて三角だと思い違えてしまった。光というやつは、自身透明であっても、照らしだす対象物を、ことごとく不透明に変えてしまうものらしいのだ。』

安部公房の「他人の顔」にそっくりな事が書いてあるよ

2009-12-14

ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊 その3

1.「限りなく透明に近いブルー」 村上龍

2.「パンツをはいたサル」 栗本慎一郎

3.「ガンダムUC」 福井晴敏

4.「さかしま」 J・K・ユイスマンス

5.「国のない男」 カート・ヴォネガット

6.「競売ナンバー49の叫び」 トマス・ピンチョン

7.「夢渓筆談」 沈活

8.「神は妄想である―宗教との決別」 リチャード・ドーキンス

9.「24人のビリー・ミリガン」 ダニエル・キイス

10.「人間失格」 太宰治

11.「冬の夜ひとりの旅人が」 イタロ・カルヴィーノ

12.「高い城の男」 フィリップ・K・ディック

13.「しあわせの理由」 グレッグ・イーガン

14.「新世界より」 貴志祐介

15.「葉隠入門」 三島由紀夫

16.「きつねものがたり」 ヨセフ・ラダ

17.「故郷」 チェーザレパヴェーゼ

18.「大空のサムライ」 坂井三郎

19.「ノヴァ」 サミュエル・R・ディレイニー

20.「フェルマータ」 ニコルソン・ベイカー

21.「四十七人目の男」 S・ハンター

22.「逆転世界」 クリストファー・プリースト

23.「ロッパの悲食記」 古川ロッパ

24.「謎の女」 福田恆存

25.「天体嗜好症」 稲垣足穂

26.「冷血」 カポーティ

27.「ダスト」 チャールズ・ペレグリー

28.「神秘の島~ミステリアスアイランド~」 J・ヴェルヌ

29.「連射王」 川上稔

30.「スレドニ・ヴァシュター」 サキ

31.「性に目覚める頃」 室生犀星

32.「トンデモ変態系」 ブレンダ・ラヴ

33.「侵略する少女と嘘の庭」 清水マリコ

34.「ほとんど無害」 ダグラス・アダムス

35.「黄落」 佐江 衆一

36.「地球の長い午後」 ブライアン・W・オールディス

37.「冷たい方程式」 トム・ゴドウィン

38.「リレイヤーⅢ」 鴻上 尚史

39.「糞尿大全」 柳内伸作

40.「十六の話」 司馬遼太郎

41.「シャングリ・ラ」 池上永一

42.「武士道シックスティーン」 誉田 哲也

43.「痴人の愛」 谷崎潤一郎

44.「白痴」 坂口安吾

45.「穴」 ルイス・サッカー

46.「宇宙の戦士」 ロバート・A・ハインライン

47.「ギャシュリークラムのちびっ子たち」 エドワード・ゴーリー

48.「23分間の奇跡」 ジェームズ・クラベル

49.「閉鎖のシステム」 秋田禎信

50.「伊平次とわらわ」 坂田靖子

51.「食肉の帝王―巨富をつかんだ男 浅田満」 溝口敦

52.「だれも知らない小さな国」 佐藤さとる

53.「へんないきもの」 早川いくを

54.「僕のボール君に届けば」 伊集院静

55.「楽園の知恵」 牧野修

56.「鳩どもの家」 中上健次

57.「古事記」 倉野憲司

58.「猫の地球儀・焔の章」 秋山瑞人

59.「東海道中膝栗毛」 土田よしこ

60.「魔獣戦士ルナ・ヴァルガー」 秋津透

61.「海と毒薬」 遠藤周作

62.「死の家の記録」 ドストエフスキー

63.「四畳半神話大系」 森見登美彦

64.「夜明け前」 島崎藤村

65.「陰日向に咲く」 劇団ひとり

66.「モルグ街の殺人」 エドガー・アラン・ポー

67.「世界の中心で、愛をさけぶ」 片山恭一

68.「外国語水曜日」 黒田龍之助

69.「百頭女」 M・エルンスト

70.「味覚極楽」 子母沢寛

71.「はてしない物語」 ミヒャエル・エンデ

72.「開かれた社会とその敵」 カールライムント・ポパー

73.「近代労働観」 今村仁司

74.「不可能性の時代」 大澤真幸

75.「死霊」 埴谷雄高

76.「アナロジーの罠」 ジャック・ブーヴレス

77.「中央線呪い」 三善里沙

78.「特別料理」 スタンリイ・エリン

79.「他人をほめる人、けなす人」 フランチェスコ・アルベローニ

80.「星虫」 岩本隆雄

81.「一休さん」(新・講談社絵本) 宮尾しげを

82.「第四間氷期」 安部公房

83.「おとなもブルブルようかい話」 木暮正夫

84.「ヨーロッパ文学講義」 ウラジミール・ナボコフ

85.「サマー/タイム/トラベラー」 新城カズマ

86.「責任 ラバウル将軍今村均」 角田房子

87.「死の蔵書」 ジョン・ダニング

88.「死のロングウォーク」 リチャード・バックマン

89.「ケルベロス第五の首」 ジーン・ウルフ

90.「馬鹿の鏡」 藤田浩子

91.「フロイト先生のウソ」 ロルフ・ゲーデン

92.「ライ麦畑でつかまえて」 J・D・サリンジャー/野崎孝

93.「宇宙創生」 サイモン・シン

94.「針の上で天使は何人踊れるか」 ダレン・オルドリッジ

95.「歴史」(上・中・下) ヘロドトス

96.「ナツメグの味」 ジョン・コリア

97.「愛はさだめ、さだめは死」 ジェイムズ・ディプトリー・ジュニア

98.「幾千の夜を越えて」 神月摩由璃

99.「夏の庭―The Friends」 湯本香樹実

100.「アルジャーノンに花束を」 ダニエル・キイス

2009-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20090221233116

アル中はちゃんと病院へ!

安部公房禁煙する方法みたいなエッセイで、あまりに簡単に禁煙できるのでまた吸ってしまうとかいうのがあったなぁ。

2008-12-22

作家言語

むしろ、文学の危機にあるのは英語です。標準ツール化され、微妙ニュアンスはどんどん失われていきます。NHKアナ標準語だけで小説を書けといわれたら困りますよね。

仕事において、形式知を伝達するためのツールとしての英語はどんどん重要になります。出来る限り勉強はすべきです。ただ、文学的な英語までマスターする必要はないでしょう。シンプルに、過不足なく伝える英語が大事になります。

日本語は亡びぬ、何度でもよみがえるさ!」

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20081221#p1

これを読んでいて安部公房の事を思い出した。

安部公房は徹底して簡潔な表現で文章を削り込んで小説を書く事にかなりの労力を注いだ作家で、自身の執筆を「消しゴムで書く」などと表現していた。

語彙なども極力簡単なものを使おうと「小学校五年生ぐらいの言葉ですましたい(*1)」と言っているくらいだ。

「ぼくが問題にするのは、〈正確な文章〉だ。複雑なものをどれだけ正確に伝えられるかということ。文章に対しては、いい文章かわるい文章かであって、〈美しい文章〉というのはおかしい。フローベール六法全書のような文章を書きたいと言ったのはよくわかる。つまり表現の、内容と形式がどこまで一致するか、という問題だ。(*2)」

誤解を恐れずシンプルに言うと、まさに「NHKアナ標準語だけで小説を書」く事を目指していた作家だと思う。

さらに安部公房は徹底した「反伝統」指向の文化論の持ち主で、その辺りの思想も面白いのですが、それについてはまた稿を改めて。

出典

*1「構造主義的な思考形式」(1978.1.16)

*2「いま日本語は…」朝日新聞の談話記事(1984.8.20)

2008-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20081215105248

「第二次」が名称としてマイナーというのはその通りなので別に異論はないけど、作家としては超メジャーなので言及しておくよ。

昔の小説家の「第3の新人」も第2が見当たらなくね? なんかはあるんだろうけどさ。第2に相当するもんが。ただマイナーっつうか。

俗に第一次のあと、第二次と言われた人々は、小説の手法などを一気に革新戦後小説世界を開いたと言われています。

世界のミシマ」こと三島由紀夫ノーベル賞候補」だった安部公房全身小説家こと井上光晴

他に「出発は遂に訪れず」で有名な元震洋特攻隊隊長島尾敏雄。「広場の孤独」の堀田善衛など、知らなきゃモグリっつー人々です。

相当重要な人々であって、日本文学史を語るには欠かせない。名称ももっとメジャーになると良いなあ。まあ周囲が勝手に名付けただけで徒党を組んだワケじゃないし、そもそも名称なくても全然構わない存在感がある人らだからいらないと言えばいらないんだけどね。

2008-07-08

猿ベージ

http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法岩波書店

アレント全体主義起源みすず書房

ウィトゲンシュタイン哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心『東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎『風土』岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル『白鯨』

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心』

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ『文学空間』

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様』

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械』

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成『雪国』

折口信夫死者の書

太宰治『斜陽』

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥『小説神髄』

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎『日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神

吉本隆明『転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2008-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20080313030006

これを全部読んでいない人間は「猿」です。

ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。

プラトン『饗宴』岩波文庫

アリストテレス『詩学』岩波文庫

アウグスティヌス『告白』岩波文庫

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫

マキァベッリ『君主論中公文庫BIBLO, 岩波文庫

モア『ユートピア岩波文庫

デカルト方法序説岩波文庫

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

パスカル『パンセ』中公文庫

スピノザエチカ岩波文庫

ルソー『社会契約論』岩波文庫

カント純粋理性批判岩波文庫

ヘーゲル『精神現象学平凡社ライブラリー, 作品社

キルケゴール死に至る病岩波文庫

マルクス資本論岩波文庫

ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義の精神』岩波文庫

ソシュール『一般言語学講義』岩波書店

ヴァレリー『精神の危機』

フロイト『快感原則の彼岸』ちくま文庫

シュミット『政治神学』未来社

ブルトンシュルレアリスム宣言』岩波文庫

ハイデッガー存在と時間ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシック

ガンジーガンジー自伝中公文庫

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシック

ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社

アドルノホルクハイマー『啓蒙の弁証法岩波書店

アレント全体主義の起源』みすず書房

ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店

レヴィ=ストロース『野生の思考』みすず書房

マクルーハン『グーテンベルグの銀河系みすず書房

フーコー『言葉と物』新潮社

デリダ『グラマトロジーいについて』

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』河出書房新社

ラカン精神分析の四つの基本概念』岩波書店

ウォーラーステイン『近代世界システム岩波書店

ケージジョン・ケージ青土社

サイードオリエンタリズム平凡社

ベイトソン『精神と自然』新思策社

アンダーソン『想像の共同体NTT出版

本居宣長『玉勝間』岩波文庫

上田秋成『胆大小心録』岩波文庫

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

岡倉天心東洋の理想』講談社学術文庫

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集?・?・?』岩波文庫

九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫

和辻哲郎風土岩波文庫

柳田國男『木綿以前の事』岩波文庫

時枝誠記国語学原論』

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア岩波文庫

旧約聖書創世記岩波文庫

ソポクレスオイディプス王新潮文庫岩波文庫

『唐詩選』岩波文庫

ハイヤーム『ルバイヤート』岩波文庫

ダンテ神曲岩波文庫

ラブレー『ガルガンテュアとパンタグリュエルの物語』岩波文庫

シェイクスピアハムレット角川文庫新潮文庫岩波文庫ちくま文庫

セルバンテスドン・キホーテ岩波文庫

スウィフトガリヴァー旅行記』岩波文庫

スターントリストラム・シャンディ』岩波文庫

サド『悪徳の栄え河出文庫

ゲーテファウスト新潮文庫岩波文庫

スタンダールパルムの僧院』

ゴーゴル『外套』

ポー『盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

メルヴィル白鯨

フローベール『ボヴァリー夫人』

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー『悪霊』

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父の童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ『審判』

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン『魔の山』

ザミャーミン『われら』

ムージル『特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナー『アブサロム、アブサロム!』

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

サルトル『嘔吐』

ジュネ『泥棒日記』

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ『嫉妬』

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシアマルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集』

ベルダーリン『ヘルダーリン詩集』

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集』

エリオット『荒地』

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集』

ツェランツェラン詩集』

バフチンドストエフスキーの詩学』

ブランショ文学空間』

日本文学

二葉亭四迷『浮雲』

森鴎外舞姫

樋口一葉『にごりえ』

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村『破戒』

田山花袋『蒲団』

徳田秋声あらくれ

有島武郎『或る女』

志賀直哉『小僧の神様

内田百〓『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩『押絵と旅する男』

横山利一『機械

谷崎潤一郎『春琴抄』

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房『砂の女』

野坂昭如『エロ事師たち』

島尾敏雄『死の棘』

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉『円陣を組む女たち』

後藤明生『挟み撃ち』

円地文子『食卓のない家』

中上健次『枯木灘』

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集』

吉岡実吉岡実詩集』

坪内逍遥小説神髄』

北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉『福翁自伝

正岡子規『歌よみに与ふる書』

石川啄木『時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠』

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝『復興期の精神』

吉本隆明転向論』

江藤淳『成熟と喪失』

by 柄谷行人、他

追記

必読書150』柄谷行人浅田彰、他(太田出版

http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%85%E8%AA%AD%E6%9B%B8150-%E6%9F%84%E8%B0%B7-%E8%A1%8C%E4%BA%BA/dp/4872336569

ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラリソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。

2007-10-06

音から逃げる

五十万トンのマンモスタンカーだって、瞼を閉じるだけで消してしまえるが、一匹の蚊の羽音からはなかなか逃げ切れない。

安部公房「密会」より

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071005it01.htm

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071005it01.htm

このブックマークコメント欄を読んでいてとても不安になったので、ちょっと書きます。

なにが不安なのか?

音にまつわることに関して、良いとか悪い以前に問題ですらない、そんなことを問題にするのは異常だと一部で思われていそうなことが不安。

ちょっとオーバーに書くとこんな所だろうか。

「なにが悪いの?」

「こんなことで文句いうなんて頭おかしいんじゃないの?」

「神経質。きちがい。」

子供たちがせっかく楽しく遊んでいるのにその音が良いとか悪いとか問うこと自体が異常。」

「がまんしろバカ。」

「出て行け!引っ越せ!!」

ぼくはこの新聞記事を読んで正直言ってとてもホッとした。

数年前、呉智英氏が防災無線から流れる音楽によって、静かな生活を送る権利を侵害されたと地元自治体に放送の差し止めを求めた訴訟を起こしたのだが、

あっさり敗訴してしまった。

予想された判決とはいえ、その事があってから、もうこの日本で少しでも静かな生活を求めるのは不可能に近い事だと思い知ったからだ。

防災無線から流れる音楽というのは、毎日夕方になるとドボルザークの曲(遠き山に日は落ちて)を大音響電子音で流す例のあれだ。

おそらく日本中のあちこちで曲目こそ違えど、同じことが起こっているだろう。

この音楽子供たちの安全のために帰宅時間を知らせる大切な役割を担っているそうである。

そう「子供たちのため」だ。

子供たちのため」「防災のため」と言われれば誰だってとても反対しにくい。

言う方は善い事をしているつもりなのでまさか自分の正義を疑われるなど許される事ではない。

だが、ある人にとって心地よい音楽が、大きな音量だと他人にとって騒音になるのと同様、子供たちのかわいい歓声も度を超せば当然騒音になりうる。

冷静に考えれば、場合によっては子供たちの歓声も音の暴力となりうるという事は、それほど理解が得られにくいという事は無いだろう。

(もちろんこの記事のケースが本当に耐えられないほどの騒音であったかどうかは現場を知る人にしか分からない事なのだが。)

音の問題と子供の問題は切り離そう

しかし実は「子供のため」という事と「音」の問題は、切り離して考えなければいけないだろう。

もはやこの東京では不可能に近い、青臭い理想論で申し訳ないが、やはり子供たちの遊び場の確保はきちんとした都市計画によって解決するべきで、

子供たちの遊び場を守る事、と、近隣住民の静かな生活を守る事は、本来両立できるように努力するべき事だからだ。

ましてや防災無線ドボルザークなど、呉氏の件でも指摘されていたように子供たちが遅くまで塾に通う昨今にあってはなんの意味も無いし、

情操教育上、悪影響すら与えかねないだろう。

では「音」に関して。

ある音に対してそれがうるさいと思うかどうかを論じるのは難しい。

同じ音でも人によって感じ方が違うのは当然であるし、場合によっては同じ人物でも状況によっては全く同じ音が快にも不快にもなってしまうものだからだ。

しかも、ともすれば

「おれは貴様田舎者と違って音に対して敏感なんだよ。もっと気を使えよこのアホ愚民ども。」

へぇへぇ、どうせあっしらは音に対して鈍感ですよ。ご立派なこったい。そんな気になるんなら、あんた様ここから出ていっちゃどうだい?」

などという不毛なやり取りになってしまいかねず、らちがあかない。

ではそんな面倒な事そもそも話題にするなよ、なぜことさら取り上げなきゃいけないのか、というとひとえに「音からは逃げられない」からだ。

冒頭の引用の通りである。

耳栓をすれば、防音工事をすればという意見もあるだろう。

耳栓緊急避難としてはもってこいかもしれない。しかし常時耳に詰め物をするのはつらいだろうし、強力な耳栓だと必要な音も聞こえなくなってしまう。

ちゃんとした効果のある防音工事というのはとても費用がかかり、おいそれとできるものではない。(それでも深刻な場合は考えるべきだろうが。)

このような消極的な対策よりは、何か音を発する前に、その音が本当に必要なのかどうかをまず良く考える事が大切ではないだろうか。

「悪意の無い音の暴力

音を鳴らすか鳴らさないかどちらか選択肢がある場合に、迷わず音を鳴らす方を、少なくとも今の日本では選択しがちなのではないか。

などなど

これらの音は多数の人にとって騒音と認められる。対策をとれるかとれないかは別として、苦情申し立てをしても不審がられる事は無いだろう。

ほとんどが個人の力では解決不可能な問題であり、自治体など全体で取り組まなければ解決しない問題だ。

これらの音は相手が善意で行っている「悪意の無い音の暴力」。

これらの音を本当に発する必要があるのかどうか、ぼくたちは個人個人もっと真剣に考えなければいけないのではないだろうか。

サウンド・スケープとサウンド・エデュケーション

さて、問題提起ばかりグチグチしていても仕方が無い。

ほんの少しでも音に注意を払うようになるにはどうすれば良いだろうか。

マリー・シェーファーというカナダ音楽家がいる。

彼はランドスケープ風景)に対して「サウンド・スケープ(音の風景)」という概念を提唱している。

これは我々をとりまく音の環境を、景観問題などと同じくきちんと観察、考察し、デザインしていこうというものだ。

彼は子供音楽教育についての著書もあって、その中にこのようなゲームがある。

「しばらくの間、静かに目を閉じ、周りの音を聴く、そして聴こえた音を紙に書き出す。書いたものを友達と見せ合いっこする。」

とてもシンプルゲームだが、周りの音に注意を向ける訓練にはもってこいだと思う。

例えば電車を待っている間、仕事の合間にできた手持ち無沙汰なちょっとした空き時間などにこのゲームを試してみよう。

もちろん一人でやっていいし、紙に書き出さなくてもいろいろな音が聴こえる事を確認するだけでもいいと思う。

子供さんのいる方はぜひ一緒にやってみてほしい。

そのうちそんなに意識しなくてもふっと周りの音を聴く習慣ができればしめたものだ。

こんな事で騒音問題は解決するわけないが、少しでも音に対して注意深くなるためには、まず身の周りの音を聴く事から始めるしかないだろう。

音があふれまくってるよ日本

コメント欄

10年後に日本はどんな国?って聞かれたら「音のない国」と言われそうだ

というコメントがあったが、安心していいと思う。この音のあふれかえる日本が静かになることなど、少なくとも近い将来絶対にないだろう。

このコメントを書いた方はとても静かな場所に住んでおられるのだろうか。皮肉などではなく素直に本当にうらやましいと思う。

ぼくは科学博物館に行くのが好きなのだが、先日まで行われていた「インカ・マヤアステカ」展では展示に合わせて効果音民族音楽の類が館内に流されていた。

どれもとってつけたような音や音楽で、展示物に比較して余りに稚拙効果音BGMには苦笑するしかなかった。このような乱暴な音の演出は今回の展示に限った事ではない。

もちろんその音が稚拙だと感じたのは僕の主観にすぎない。

だが国立のこのような施設でも音に対しての感覚は田舎のひどい観光地と基本的に変わらないのではないかと思う。

美術館でもこのようなひどい例がある。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1051714554/967-

通常、静かにすべきと言っても不審がられないであろう美術館博物館ですら、このように音であふれている。

その音が本当に必要かどうか、もし必要無かったら出さない努力をどうかお願いできないか。減らす努力はできないか。

繰り返しになるが、音からは容易に逃げられないのだ。

さてキモい新聞社説を下手糞にしたような文章を長々と書いて申し訳ない。なんだかとりとめのない内容になってしまった。

これを読んでくれた方が、もしほんの少しでも今まで気にしていなかった音を気にしてくれるようになったら、ぼくはとてもうれしいです。

そして今、悪意の無い音の暴力に苦しんでいる人へ。

「あきらめろ。この問題は絶対解決なんかしない。文句があるならとっとと日本から出ていけ!!」

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