はてなキーワード: 割烹とは
店の名は「すたっぷ」。
「いらっしゃいませ」
暖簾をくぐると、店の女将、小保方さん(52)が割烹着姿で出迎えてくれた。
「実は、私も昔は研究者だったんですよ」
「あの頃は夢がありましたね。自分の研究で世界中を幸せにするんだって」
専攻は再生医学。日本有数の研究機関で実験三昧の毎日を過ごしていた。
そんな彼女に転機が訪れたのは、30歳の頃。
学会では存在すら疑われていた「万能細胞」なるものの精製に成功したのだ。
発表と同時に話題となり、マスコミにも取り上げられたという。
遠い目をする彼女。手に持ったお燗用の三角フラスコがかすかに震える。
発表を急ぐあまり生じた論文上の些細なミス。「神業」なるが故に誰も再現できなかった実験結果。
ついには「ねつ造」と決めつけられ、彼女は研究者としての未来を失った。
「だけど、おかげで気づくことができました。名誉や地位なんかよりも大事なものがあるって」
学会から身を引いた彼女が見つけた幸せ。それは一人でも多くの人を笑顔にすること。
そう思って始めたのがこの店だという。
「私にとっては、この店も研究の成果なんですよ」
研究に未練はないのか。そう尋ねた私に小鉢を出しながら彼女は言った。
伸ばしかけた箸が止まる。そんな私をいたずらっぽい目で眺めながら、女将はお猪口代わりのビーカーにお酒を注いでくれた。
(2036年3月14日)
スペック
・30代
・地方都市在住
・ニート歴2ヵ月
・院卒
・非童貞
部屋は散らかり放題。
一日の平均の睡眠時間は10時間ほど。寝たい時に寝て、起きたいときに起きる。
コメを炊いて、味噌汁作ってブランチを適当に済ませて、お菓子はコンビニで、晩飯はいきつけの中華料理。
社会保険も年金も納めなくていいし、納めると一気に貯金が減るから納められなかったし、
明日のことも気にしなくていい。
身体もなまるし、思考もなまる。
身体がふわふわしてて、思考と身体が直結してない。
下半身が死んでる。
ネット三昧でイスにずっと座っていられる。
ケツでイスに座るのではなく、しまいには腰で座っていられる。
暇つぶしにジャズラジオを聞き、頭が気持ちよくなり、理解もできない英語のニュースを垂れ流し、
ユーチューブでワンピピースやサッカー、ボクシング、猫の動画を見る。猫はいいなあ、かわいいなあ。
xvideoは当然。毎日1回、抜く。
セレクションしてコレクションができた。
2chは文字が細かいので、まとめで十分。
昼間が3時なり、日が暮れて、夜が来る。
時々フェイスブックを見る。
社畜時代の知り合いたちの画像の数々。こいつらはプライベートまでも商売に役立てようとする。
なにがソーシャルメディアだよ、格好つけて偉そうにいうな。
そういう事実を全面に出さずに、偉そうな言葉で語るな。醜悪なんだよ、カス。
あとな、どうでもいい画像や感想上げてるやつらな、俺の友だち。
承認欲求の固まりのお前。そんなお前を見ていると微笑ましいぞ。
それになんにも生産できない。俺は、なんにもできない無能なんじゃないかと思えてくる。
ただただ消費するだけ。自分の金と時間を消費するだけ。機会損失も楽しいなあ。役に立たない存在って気持ちいいなあ。
この生活を送ると、社会に役にたつものはなーんにも身に付かない。
学問に打ち込んできた日々を思いだす。
社畜だったあの頃。
論理よりも感情を優先する同僚や上司たちをバカにしながらも、しかしその作法をならう俺自身を俺は嗤い、
素晴らしい。
暇つぶしに時々、マイナビで職を探したり、ハローワークで面接の申し込みをする。
履歴書も職務経歴書も簡単だ。会社が望むことを書けばいいだけ、自分のことを書く必要はない。
これを見て、駄目なら、合格しても断る。電話では断れないから、書類で。俺は気が弱い。
緊張した時間を過ごせるし、面接時間に間に合うように予定を決める必要がある。
早起きは俺の敵だが、無理矢理にでも早起きしなければいけない。
そうして、面接を終えた自分をほめるのだ。面接をしたこともそうだけど、時間通りに行動して、
自分の意思で動けたからだ。ニートの俺は自分の意思でほとんど動かない、惰性で動く。
あの面接女、俺のことが好きだと思ってたのに。
あつらえた紺色スーツにレギュラーカラーシャツに柄のない紺のネクタイ、コバの少ない内羽式で決める。
見た目にスキなし、経歴に隙アリ。
ローファーやとがった長い靴(失笑)、外羽式を履き、ストライプのボタンダウンシャツ、柄ネクタイ、ストライプスーツ。
そんな格好でよく出勤やら営業、面接ができるよな。
その夢のような日々。
そのような日々を思い出しもせず、仕事のよい思い出だけを懐かしむ日々。
公園の美しさに心奪われて、商店街の惣菜屋で割烹着を来た奥さんに色気を感じた日々。
金がないくせに一日千円使ってた日々。
パン屋で働く女性の瞳をじっと見つめて、恋に落ち、告白しようかと悩んだ日々。
せっかくの空き時間にもかかわらず、映画も読書も勉強もせず、怠けて、ネットと手淫と昼寝と散歩、チャットに明け暮れた日々。
夜眠るときに親兄弟の幸せを願い、自分の将来に不安を感じ、翌日はなんとかなるだろうと繰り返した日々。
赤外線ストーブをほとんどつけっぱなしにしていたら、電気代が1万円を超えて、驚いた日。
左太ももにまだら模様の低温やけどを見つけた日。
日に日に減っていくお金。公園を歩いてその事実をかみしめ、忘れて、また思い出す日々。
強烈な寂しさに襲われたり、仕事が嫌いなのに、仕事をしたいと思った日々。
ニートのまま、このまま溶けてしまいたい、何もし続けない快楽を体中で味わった日々。
全てが愛おしい(気がする)。
この2ヵ月。
ニートの日々。
仕事が決まった、これが終わる。
だるくて楽しみで、だるくて楽しみな感情が交差する。
この2ヵ月が俺にとっていいことなのか悪いことなのか。
死ぬ間際に作文を書く暇ないから、俺は他人にそれを伝えられない。
もし、俺が死ぬ間際に奇跡的に復活できたら、またここに作文を書こう。
さようなら、愛おしい日々。
会津に観光旅行に行った。会津地方で観光客が激減しているというニュースを月曜日にみて、折よく暇だったため翌日朝一の電車に飛び乗り2泊3日の観光旅行、昨日7日夜東京の自宅に帰り着いた。せっかくなので、一観光客が見聞きした会津の現状や観光したうえで感じたことを書きたい。無計画性が災いして時間が足りず磐梯には行っていないので、会津若松と喜多方のみの話となります。
# # #
1.地震の被害
会津若松駅前の地下道が冠水、未だに復旧せず通行止めであったり、マンホールが隆起していたり、蔵の土壁が壊れていたりと、地盤のよい会津地方も少なからぬ被害を受けており、極一部の観光スポットが休業している。とは言えその数は少なくまた有名どころはたいてい営業しているし、会津内での交通インフラも問題ないので、観光への影響は少ない。
2.原発の直接的影響
大気中の放射線測定値についてはさすがに東京より高く毎時0.2マイクロ・シーベルトあたり(健康には問題のないレベル)だが、野菜や水からはほとんど検出されていない。
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index_php/info_hazard/view.php
ちなみに、現地の某ラーメン屋に入ったら使用している野菜の原産地をしるす貼り紙があったんだけど、そのなかに福島産の文字がない。つまり暗に福島産は使ってないですよと言うアピールをしていて、なんかすごい切ない気持になった。
3.観光産業の現状
機会があればなるべく現地の人と話すようにしていたんだけど、異口同音さっぱりお客さんが来ないとのこと。前年比で95パーセント減と具体的に数字を挙げてくれた方もいた。これから景気は悪くなるだろうし、外国人観光客も減るだろうから、地震前に戻るというのは何年たっても無理かもしれないが、さすがにこの減り方は異常事態。しかもゴールデンウィークの予約もキャンセルが相次いでいるということもあり、その異常事態のおわりが見えないことが怖い。しばらく続くとバタバタとお店が倒れてしまうかもしれない。
4.今観光すべきなのか?
しかし、このような惨状を見聞きしながらも、会津を助けるために今すぐ観光すべしと人に強く勧める気に僕はなれない。理由はふたつ。今一番困っているのは被災民なのだから、観光する暇と金があるならボランティアしろよ寄付しろよという正論がそのひとつ。そして会津地方は避難民を多く受け入れているというのがもうひとつの理由。関係ない所で自粛だの不謹慎だのと言うのはバカらしいが、さすがに避難民の目の前で呑気に観光と言うのは気がひける。じゃあどうすればいいのか? 現地の人にいろいろ話を聞いてみて思ったのは、今観光客が激減していることよりも、その異常事態のおわりが見えないというところに不安を感じている様子だった。ならば、被災者避難民に配慮しつつ、会津人の不安を解消するには、この異常事態には終わりがあるんだよというメッセージを送ればいいのではないかと思う。それにはちょっと先、例えばゴールデンウィークのホテルの予約を入れるというのがいいんじゃなかろうか。先が見えれば会津の人も安心すると思う。もちろんそこまで被災者避難民に配慮する必要はないよと言う人は、空いている今が好機だと思うので、どんどん行った方がいい。じっくり見学ができるし、スタッフさんと話し込むことができるし、サービスしてくれる店もあったし、写真も撮りやすいし。酒造りはほとんど終わっており、桜はまだと言うことでオフシーズンなのが残念ではあるが。
5.アクセス
東北新幹線・東北本線が運転見合わせで、東部鉄道だと時間がかかり、高速バスはキャパが少ないということを考えると、現状では車で行くのがベターかなという印象。車がなければバスにするか、新幹線・東北本線の復旧待ち。郡山・会津間を結ぶ磐越西線も現在間引き運転中。まあゴールデンウィークまでには意地でも復旧するでしょう。
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以下蛇足。ガイドブックではそれほど注目されてないが印象に残ったところをいくつか、ご旅行のご参考までに。
A.さざえ堂(会津若松)
平面六角形の木造二重螺旋建築。前々から見に行きたいと思っていたもので、今回会津旅行を即断したのもこれがあったから。世界に類をみない奇妙な建築物でありながら、中を廻れるというのが魅力。ずいぶん痛んでいるが、昔から多くの人が入ったという証左であり、歴史の重みを感じる。10年くらい思いを熟成させかなりハードルが上がっていたが、それをはるかに上回る感銘を受けた。
B.長床(喜多方)
新宮熊野神社の拝殿。イメージとしては木造のパルテノン神殿(ただし規模は劣る)といった感じの、壁のない建物。70年代に解体修理復元工事をしており、建材は再利用しているものの建物自体は古くはない。しかし、中にのぼれるという魅力には抗しがたいものがある。また木造の大鳥居も時代がついていていい。
蔵座敷で有名な甲斐本家だけど、注目は売店のなかにある螺旋状の吊階段。彎曲した側桁が一枚で、しかも曲げたのではなく削り出したのだという贅沢なつくり。店主が話好きのおじさんで、面白い話が聞けた。
名物輪箱飯(わっぱめし)の元祖。値段は高いが当然のようにうまい。カウンターの隣には、とある形をした黒塗りの木造が鎮座ましましている。珍妙なことに、その木造には色々な国の紙幣が貼ってあった。訊くと、賽銭感覚で外国人観光客が貼っていったものらしい。ちなみに、2泊3日の旅行中外国人を一人も見かけなかった。
日本でカップラーメンが常食のレベル(いろんな意味で)人間が、世界を巡って上手いものにめぐり合う確率は低そうだけど・・・。
アメリカ、中国、フランス、イタリアは庶民の食べ物は安くて美味かった。
イギリスは金のない旅行者には辛いなあ。美味いものに当たらない。
フィッシュアンドチップス、飽きるし。しょうがないから中華、インド料理の店ばっかり行ってたな。
インドはね、美味いんだけど後が怖い。衛生上の問題か、刺激物のせいか。
ニュージーランド、知らん。何食ってんの?行く目的が見つからん国だなあ。すまん。
海外での日本食といえば、最近は寿司もどきだね。フランス、イギリスあたりかな。でも、もどきだけど。
アメリカ西海岸で金のある時は寿司屋に行ってたな。こっちは本格的でうにやまぐろが安くて美味いんだよ。大とろはないけど。
イギリスの日本食は高いのにまずかった。イタリアの日本食屋って思いつかないし、行ったことがない。
で、世界に通用する日本食ってのはよくわからんね。誰か本気でそう思ってんの?そんな奴いねーって気もするが。
普及させる目的ってあんのかね?
まあ、どこの国に言っても高い金払えば日本食らしき何かは食べられるけど、素材の問題だろうな、あんまり美味しくない。
そもそも日本にいて純日本食なんて食う機会ないぞ?割烹とか、行かないし。寿司だって回転ばっかりだし。
http://anond.hatelabo.jp/20071107215504
民営化20周年を迎える記念に、何かをやろう。
最初は、誰もが、冗談だと思った。
どこかで誰かがもみ消すと思った。
しかし事はトントン拍子に。
ついに社長が動いた。
プロジェクトチームが結成された。
集められたのは、鉄道車両のプロたち。
全てがいちからの戦いだった。
救いの手は、近くにあった。
割烹着のおばちゃんが、女神に見えた。
列車の揺れが、立ちはだかる。
急停車も、強敵だった。
「揺れてもこぼれないつゆをつくれ!」
しかしそれは、味とのせめぎ合いでもあった。
どうせやるなら、最良を。
メンバーが鰹の産地へと、飛んだ。
全て解決したかに思えた矢先のこと。
「そば湯…どうする…」
全てが白紙に、もどった…
気の遠くなるような試行錯誤。
その全てのトンネルをくぐり抜け、
http://anond.hatelabo.jp/20070425182325
うちは私が男のくせに台所で母の手伝いをしていて、隣の部屋では妹がのんびりテレビを見ていて、食事が出来上がった頃に食卓に来る。
「男に台所の手伝いをさせて自分は遊んでるなんて、女として恥ずかしくないの?」と妹をからかっても知らん顔。
そのうち、ふりふりのフリルの付いたエプロンとか、おばさま割烹着とかで台所に立ってやろうか。「自分がやるから、お願いだからその恥ずかしい格好辞めて」って言わせてみたい……けど、言わないだろう、きっと。
もちろん、私がいつも母の台所仕事を手伝っているという自慢ではない。サボる事もある。でも、なるべく手伝うようにはしている。
それはともかくとして、男が家事を手伝うか手伝わないかは、それが習慣付いているか否かに左右される。
そしてそれは、育ってきた環境に結構大きく左右される気がする。
私がちっちゃかった頃は母親が病気がちだった事もあって、台所仕事を手伝うのはすごく当然のようにして育ってきた。
たとえ自分が料理を作らないにしても、食卓を整えて、箸やスプーンやフォークを出して、メシや味噌汁を人数分よそって、それくらいの手伝いは普通の事だった。
食べた後はめいめいが食器を流し台へ持って行くのがうちの家族の伝統だったし、皿洗いもよく手伝ったものだ。
だから、他の家にお邪魔した時に、女衆だけが台所で料理を作っていて、野郎共はその間居間でのんびりテレビを見てて、食事が終わっても食器を流し台に持って行くのは女衆の仕事、という世界が少し不思議だった。家族だろう、メイドさんと客人みたいな関係でいいのかよ、と少し思った。
でも妹が生まれた頃から母も元気になったからなのか、それとも病弱気味だった一人娘を甘やかしてるのかわからないけど、妹が台所に立って母を手伝う姿はあまり見たことがない。
男が女の家事を手伝う事は男の沽券にかかわる恥ずかしい事と思っている人が男にも女にも多いけど、そんな事はない。
母親の皆さん、息子達を「家事を手伝う男」に育て上げられるかどうかは、ひとえに幼児期からの教育で習慣付けられるかどうかにかかっているのですぞ。
とは言え、「奥さんにうまいメシを作って欲しい」願望がほとんど無くて「結婚しなくたってメシくらい自分で作れる」なんて私も、また別の意味で問題かもしれないけれど……