はてなキーワード: 不謹慎とは
コロナの中不謹慎かもしれないが、昨日居酒屋デートしてお互いい感じに酔っ払って、そのまま家帰って気づいたらしてた。あーあ。
まぁ夫婦間の話ではあるんだけど、嫁とそろそろ子供作ろうという話になっていて、嫁は「いつする?いつする?」とめちゃくちゃノリノリ状態。この人こんなに子供ほしいって言ってたっけ…と思いながら、実際にさぁヤるぞってなると、全然覚悟がないことに気づくわけだよね、自分に。親になるという覚悟が。
子供産むと女性変わるっていうじゃん?だから今の嫁との仲良い関係が変わっちゃうのかなーとか、周りの人に聞くと男でも口をそろえて「子供が生まれると人生の優先順位が変わる」って言うし、今まで仕事一筋だった自分も変わっちゃうのかなー、そもそも変わることを望んでるんだっけ?今と違う自分になるの怖い、みたいな。
今は今ですごい幸せで充実しているから、というのもあると思う。
一昨日の時点で「明日はしようね」みたいに嫁から言われて、適当に生返事してたんだけど、いざ昨夜、飲んで帰ってそのタイミングになったら葛藤はあったんだけど性欲に負けてゴムつけずにやっちゃった。
あー、こんなんでいいんかなー。
食事が取れない(一日一食程度が限界)、無理して食べても嘔吐、浅い眠り、ちょっとしたことで落ち込みやすい情緒、耐えられない逼迫感や不安感、これらの症状がもう自分の力でどうにかできる状態ではなくなり、カウンセラーの勧めもあって心療内科を受診した。
前(といっても半年以上遡るけど)の病院は1週間分の薬を出されてはい終わりだったので今回もそうならないかとどきどきしながら初診に行った。まともに話せる自信がなかったので相談したいことや自分の心情をあらかじめ紙に書いて渡したらとても褒められた。大切だからとっておいてくださいねと言われた。先生は頷きながら読んでくれて、いくつか質問した。過食で吐いちゃいますかとか、緊張しやすいですかとか色々。答える範囲で答えたら質問リストを渡されて(胸がつまる感じがあるかとか、食事はおいしいかとか、騒音が気になるかとか)、それにも答えた。
ちなみに紙を渡してからずっと泣きっぱなしだったけど先生は気にしなかった。患者が泣くの慣れてるんだろうな。私もその方が気が楽でよかった。泣いてもいいと肯定された気がしてほっとする。(余談だけどそろそろ泣くことは恥ずかしいという風潮なくなってもいいんじゃないかと思う。)
「長い間、強いストレスに晒されたせいで、ちょっとしたことで感情の振り幅が大きくなっています。小さなストレスにも弱くなってる。それに体がついていかないから辛いんです。今はガソリンの少ない車で何とか走ってる状態なんですね。食事や睡眠が不十分なせいで更にガソリンも少なくなってる」
「だから少しでも振り幅が小さくなるように、そして少しでもガソリンを増やすために、治療していきましょう」
そしてお薬なんかの相談と次回の予約をして、自分のペースで大丈夫ですからね、と念押しされて診察は終わった。
まず私は治療しましょうという言葉に不謹慎だけどほっとした。私のこの状態を一緒に治そうとしてくれる人ができたことに心から安堵した(数いる患者の一人だということは自覚しているけれど)。周りは今私がとてもストレスのかかる状況下にいることを知っているから眠れなかったり食べれなかったりするのは仕方ないと言うだけだったので、そういうこともあって、一緒に治しましょうという言葉にほっとした。
読んでもらった通り私はうつ病だとか適応障害だとかそういう病気にかかってるわけじゃない。でも、先生は治療しましょうと言ってくれた。あなただけの力では無理ですと言われたような気がして、病気じゃなくても、頼ってよかったんだと少し心が軽くなった。(気力で乗り切るのは難しいですと言われたのもかなり心にきた。)
「感情の振り幅が大きくとてもストレスに弱くなっていて、体もついていっていない状態」って人に言っても「はあ」って感じだし、たぶん自力でなんとかできる人もいるんだろうけど私には無理で、でも先生はそんな弱さを否定せず、治しましょうと言ってくれて心の底から安堵した。
感情の振り幅が大きくなって体がついていかないから苦しいって私はすごくピンときた説明だけど、これを言われてどれだけの人が理解できるんだろう。私はちょっとしたことで激しく落ち込んで頭の中がぐちゃぐちゃになって、涙が出て、息が詰まって苦しくなる感じだけど、そこから抜け出すのももう辛くて苦しくてたまらない。緊張や不安のコントロールが利かなくなってて、このどうしようもなさを周りにうまく伝えられなくて私は大変な思いをした。
でも、病院の先生ならその悩みを否定せず、理解してくれるかもしれない。何か苦しくて自分ではままならない悩みがあるなら、思い切ってカウンセリングに行ってみるのもいいと思う。
そもそも病気じゃなくても具合が悪くなることはあって、腹痛なら市販の薬で何とかできることもあるけど、心はそうはいかない。精神に作用する薬は病院でしか処方してもらえない。これだけでも精神科や心療内科にかかる意味はあると思う。(薬を飲まない治療も選べるだろうけど)少量の服薬で改善に向かうなら行かないのはもったいないと思う。(ただ先生との相性は祈るしかないので、元気なうちに近場の病院の連絡先をリストアップしておくと病院探しが楽になると思う)
まだ私の治療は始まったばかりだし、服薬も増えるかもしれないし、悪化するかもしれないし、まだ分からないことだらけだけど、治しましょうと言ってくれる人がいるのだから、自分のペースでいいから頑張ってみようと思える。明日もできることから頑張ろう。
「自殺報道ガイドライン」がどうのこうの言われて…が理由かはわからないけど、もうほとんど報道もされてない気がする。もうみんな日常に戻れてるのか。みんな適応能力高いね。
私はまだ全然受け止めきれてない。特別ファンだったわけじゃないし、舞台もいくつかしか観たことないけど、私が幼い頃からの大スターで、最近はミュージカルでもよく観てたし、いつでも当たり前に観られる俳優だと思ってた。何より「死」から一番遠いところにいる太陽のような存在だと思ってたから、名前の隣に「死亡」と続くのが変な感じ。
訃報が流れた当日はテレビは一つも見れなかったけど、今は少しでも受け止めようと思って、名前で検索してネットニュースを読んだりもしてる。(不謹慎だとは思うけど)私はワイドショー的な情報も多少は有り難く受け取った。例えば、部屋から「死にたい」と書かれた日記が見つかったというニュース。これを知れたおかげで、「ああ、三浦春馬は死にたくて死んだのか。よかった」と少し思えた。(とはいえ詮索・憶測は大嫌いなのでほとんどのニュースはミュートしてる。)
訃報のちょうど5日後に「SUPERハンサムLIVE 2012」が映画館で上映されていたので、都内の映画館に観に行った。
別に死んだから上映されたわけでもないし、死んだから観に行ったわけでもない。死ぬ2・3日前にも配信・上映されていて、そのとき私は自宅で配信を見てた。楽しく見てた。
というか2012年に現地でも観てた。でも「推し」は三浦春馬ではないので、正直彼がステージ上にいたときでも観ていなかった時間はたくさんあった。そもそも見るべきところが多すぎるんだよなハンサムライブ。
死んだから観に行ったわけでもないけど、まあ、つい目で追ってしまうよね。めちゃくちゃかっこよかった。何で今まで知らなかったんだろうってくらいかっこよかった。顔が端正なだけじゃない、脚が長いだけじゃない。全ての出で立ちがまさに「ハンサム」。このイベントが「イケメン」とかじゃなく「ハンサム」を冠してるのは間違いなく三浦春馬のおかげが大きいだろうと感じた。
開演時のコメントで彼は「今日昼公演あって明日も2公演あるけど、そんなの関係ねえ!」と言った。そうだった、彼は2012年末、劇団☆新感線の公演(しかも上演時間4時間くらい)にメインキャストで出つつハンサムライブに出演してくれていたんだった。恐ろしいことするね。でも「三浦春馬ならこれができる」と思ってたし、事務所もそう思ってたし、実際彼はやり遂げた。映像見ればわかると思うけど(8月6日にも映画館上映・ネット配信されるから観てね)翌日2公演控えてる人の動きじゃないんだよね。ダンスも歌も笑顔も。
彼を「30年で完成した完璧な作品」と評するファンもいる。けど、そんなきれいなものではないと思う。だって、決まってた映画も、ドラマも、ミュージカルも、全部捨てていっちゃったんだもん。これを「美しい物語」として消費してしまうのは、それこそ完璧主義者の三浦春馬に失礼な気がする。
と思ってしまうほど、ライトなファンのイメージの中でさえ「三浦春馬」は完璧だった。
そんな「完璧な三浦春馬」でいることに彼は疲れてしまったんだろうか。彼の友達が言っていたように「たとえどんなに苦しくても、必ずその困難に打ち勝ち、最高のエンタメを届けてくれた」を貫いてくれたのは最後の優しさだったんだろうか。それとも最後まで苦しめてしまってたのかな。
でも、たまには負けてもいいから、生きていてほしかったよ。(これは完全に私のエゴだということはわかってる。)
今日、彼の著書やCDが売上ランキングの上位を席巻してた。…こんなことがなくても一世風靡するだけのポテンシャルがあったはずなのに。特にもうすぐ発売される新曲「Night Diver」は本当に美しい曲なので、ここまで読んでくれた方は絶対に聴いてほしい。
でもこの世に三浦春馬が存在しない以上、もう「歌の力」も「演劇の力」も「エンターテイメントの力」も信じられなくなっちゃったな。エンターテイメントが私の生きる力を支えてくれていたのは間違いないけど、これって別に命綱ではなかったんだなーって強制的に気付かされちゃった感じ。