はてなキーワード: レッテルとは
元増田だが、モヤモヤするという単語だけフォーカスして、それを社会通念から外れたものと定義するのは早計だし、あなた自身をも苦しめるからやめたほうがいい。やっていることは過度の一般化で、鬱を拗らせる原因にもなる。
むしろ深層意識の中で感じる違和感は、嘘偽ることのない自分の感情であるし、なぜ自分がそう感じたかを冷静に言語化した方がいい。他責なのかどうかは一旦置いておいて、素直に相手との間で発生する自分の感情を感じるままに言語化して認識していくうちに、本当の自分の気持ちに気づくこともある。それは必ずしも批判的である必要はないし、実際批判的にもならないはずだ。
実際、私自身もモヤモヤという感情をできるだけ言語化して、相手との関係で自分の中に発生している感情をきちんと事実として言語化して表面化させたことで、改めて冷静に相手との関係を見直すことができた。コミュニケーションは相互関係だから、どちらかが一方的に正しくてどちらかが絶対に間違っているということは基本的にない。それでも、閉じたエネルギーと双方向になりえないコミュニケーションを生み出している場合は、百パーセントそれを実行している者に問題がある。これだけは覆らない。
あなた自身もモヤモヤすることがあっていいし、むしろあって当然で、その中に隠されたあなた自身を抑圧しているものの正体が必ずあるはずだ。
それに気付けるのはあなた自身であるから、モヤモヤという言葉そのものを勝手に社会通念から外れたものだとレッテルを張ってあなた自身を苦しめないことをお勧めする。
社会通念上推奨されていない行為を行うことで一生涯レッテルを貼られてしまうことを覚悟の上で行動に及んだ自己責任の被差別階級って、今やもうこの辺しか残ってないと思うんだよね。
昔はアル中やポン中がこの枠だったけど、合法ドラッグの流行とか依存症への理解が進んだこととかで「病人なんだぜ?優しくしてやろうよ」みたいになっちゃったからなあ。
反ワクやカルトですら「洗脳されているだけの被害者でもあるんだ」みたいな感じで思いっきり言葉で殴れるような感じじゃなくなってきてる。
それこそ犯罪者に対してさえ「なんか理由があったんだろ」とか「つるんだ仲間が悪かっただけ」とか「技能実習生の待遇が」とか色々な擁護が入ってきてくっそめんどい時代だよ。
でも入れ墨掘ってるやつに対しての差別だけは未だに根強いんだよね。
まあ一番の理由は「未だに根付よい差別に負けない我道を行く俺様」ってのが日本におけるタトゥー文化の根底にあるからなんだけどさ。
自分たちで勝手に差別される側に回ろうと頑張っちゃう暴走族みたいなマインドのおかげで、タトゥー界隈はこんな時代においても「差別してヨシ!」となってるし、掘ってる側も「ヘイヘイ!差別足りてねえぞ!ビビってんのかぁ!」って感じで助かるわあ。
リアル社会で脱げないヒールのマスクを被ってくれてるようなもんだよね。
ぶっちゃけさ、相手側が悪役ムーブを楽しんでるんだろうなってのが分かるからこそ、こっちも安心して正義マンパンチでプロレス出来るわけよ。
WIN-WINだよね本当。
個人的にはどちらかというとポリコレには賛成だったんだけど、最近は反対派の気持ちの方が分かるようになってきたんだよなー
以前のポリコレは現実に差別が存在する(した)以上、フィクション作品においてマイノリティを出すならその差別を描くのが普通だったけれど
例えば2017年のアカデミー賞作品賞の「ムーンライト」は黒人のゲイの半生を描いた映画だけど
これに関してポリコレがーという叩きは全然見掛けなかったんだよ
主人公がそのマイノリティ性によって虐げられ苦悩する様子が丁寧に描かれて、設定が物語上意味のあるものになっていたからだと思う
マッドマックス怒りのデスロードも、女性差別とそれに抗う様子が描かれ、設定が意味あるものになっていた
例えば同性愛者の人物がその事で差別されたり思い悩んだりする描写があると作品自体が差別的とされるので
異性愛と同じように扱われ、特に何の葛藤もなく幸せな話しか許されない
設定に意味を求める事はそれ自体が差別であるとのレッテルを貼られる
物語中に差別がないとしても、それならばそれでそういう架空の世界だとかの説明が欲しいものなんたが、あまりない
例えばディズニー最新作のウィッシュでは、中世のヨーロッパにおいて黒人もアジア人も障害者も差別されない理想郷が築かれていたが、登場人物がそれを得難い事として感謝する様子はなく、ごく当たり前の事として享受していた
前の朝ドラの虎に翼でも、当時には珍しく女性で法曹を目指す主人公が侮辱や虐待を受ける事はなく、もっぱら順風満帆にキャリアを重ねていき、それが社会から受け入れられる
このように、最近のポリコレで描かれるのは、当たり前のように差別のない理想郷ばかりだ
そういえば先日完結した僕のヒーローアカデミアでも、悪役の博士に現実の731部隊が行った人体実験に関連した名前を付けていたところ海外からクレームを受けて名前を変更したという
悪を悪と描いて出す事すら許されなくなってしまった
相手は一つ年上の先輩。
毎日のように、お茶の時間になると、どこかから名店の高級どら焼きを取り出してくる。
そして、これ見よがしに私の前で包みを開けると、私を横目にくすっと笑うんだ。
「これぐらいのどら焼き、普通食べたことあるよね?」とか、さりげなく聞こえるように言いながら。
正直に言うと、そんな高級どら焼きを食べたことなんて一度もない。
というか、どら焼きに関して特にこだわりなんてないのに、彼女の中では「どら焼きの良さをわかっていないやつ」っていうレッテルが貼られている気がする。
後輩たちにも優しくて面倒見がいい。
でも、ことどら焼きに関しては、何か異常なまでの執着を持っているのがわかる。
私たちの部署でお茶を飲む時間になると、なぜか彼女は毎回のように、どこか有名などら焼き屋の話をし始める。
東京の老舗から、地方の隠れた名店まで、彼女のどら焼き知識は無限大だ。
「ここのどら焼き、餡が特に濃厚で、皮のしっとり感がたまらないの。食べてみたら、きっと他のどら焼きが食べられなくから」
そんなふうに言われても、私はそもそも普通のどら焼きで十分だし、そんなに熱心にどら焼きの話を聞かされても困る。
私の無関心さが彼女のプライドに触れるのかどうなのかはわからない。
まるで、どら焼きが私の人生における重大な欠落かのように扱われている。
今日も、いつもと同じように、先輩はまた高級どら焼きを取り出した。
そして私に「これ食べたことある?」と聞いてきたけど、もちろんない。
「えー、これも食べたことないんだ。もったいないなあ。ほんと、これ食べると人生変わるよ?」って、そんなことを言う。