はてなキーワード: トレカとは
インスタほぼやってないけど
あれは結局ゲームなんでしょ
「どれだけ◯◯なものを出せるか」っていうのはゲームになりやすい
はてブだってそうだ、ウケるもの、スターをもらえるもの、核心的なものを言葉で表現する
鉄ヲタもそうだし
議論厨なんかもそう
Twitterも似てると思う、どれだけ頭おかしいこと言えるかみたいな
Facebookなんかだと、どれだけ意識高いことできてるかとか?
相手を貶すことはない
「やるじゃねぇか」とイイネを付ける
ある種、面倒くさい系のオタクと大差がない
困ることは、明らかなゲーム参加者と、ゲーム不参加者の境目が明確ではないことだ
これは他のSNSでも同じだが、インスタはその気が強いと思う
まあ、以上全部妄想なんだけど
オタクが大枚叩いて集めたがるものと言えば、一昔前はトレカだった。
昔から、あんな小さなカードを集める目的で大枚叩いてたのが大勢いたわけだ。
でも入手してしまうとそこで満足して、カード自体はしまい込んで放置してたりと割とどうでも良かったりして。
カードという価値が残る・転売も出来る、と言ってもブームが終わればどうせ二束三文。
ソシャゲのガチャブームは、集めるものがカードという物質ではなくデジタルデータになった、というだけの話。
主に得たいものは物質ではなく「集めた」と言う満足感なわけだから、モノそのものは実際に存在しなくてもどうでもいいわけだ。
別にオタク向けだけではなく、子供向けでもそういう商法はビックリマンシールといい妖怪メダルといい延々と続いているし
それもブームが終わったり成長してそれに価値を感じられなくなればあっさり捨てられる運命なわけで。
人の本能に収集する事の快感というものが設定されている以上、モノを集める行為はそういった原始的な快感を得られるんだから
こういう商法は無くなりゃせんよなあ。
イオンモールに行った
でもレストランだけは大繁盛してた
ドレッシングとかおだしとかかつおぶし削る前のやつとかのちょっとお高いのを売ってる店先で、
出汁の試飲をやってた
めっちゃうまかった
上品で
しかも試飲が、野沢菜の漬物と小さじ1杯くらいのごはんにだしをかけて出汁茶漬けっぽくして食べれるようになってて、めちゃくちゃうまかった
でもだしのお値段1600円・・・さすがに高すぎる
でもだしをはじめとして調味料はほかの野菜やら肉やらと違って1回買ったらしばらく使うもんだから、ケチるところじゃないとも思うんだよな
そこはいまどき珍しく試食がたくさんあって、ドレッシング?みたいなのを小さなせんべいにつけて食べられるようにもなってた
そんな金持ちじゃないし
フタバ図書GIGAもいったけどかなりスペース狭かったしやすくなかった
日本でも沢山出ている。
海外でも沢山出ている。
そしてレビューが沢山書かれる。
あんまり沢山あってどれをやればいいのか分からないからレビューを読む。
どれも決まって出てくる言葉が「ハースストーン」「パクり」だ。
まあそれはいい。
そんな事を今更考えても仕方ない。
よく出てくる言葉がもう一つある「レアカード」「バランス」だ。
確かにそこは自分も気になる部分だ。
カードを組み合わせて戦うゲームでいつも同じ組み合わせで戦っていては楽しくない。
強いと分かっている組み合わせがあるのにあえてそれを使わないというのも何だか茶番のようで楽しくない。
だが同時に思う強すぎるカードぐらいならいてもいいんじゃないかと。
レビューでよく見るフレーズのようなものに「レアカードが強すぎて課金ゲー(意訳)」という物がある。
強いデッキが1つか2つだけあってほかは皆弱いデッキというんじゃなければ良いんじゃないだろうか。
デッキの力じゃなくてカードの力で勝ててしまうというのは確かに組み合わせて勝つというカードゲームの面白さを奪っているのかも知れない。
でもTCGってのはトレーディングカードゲームだ。
キンキラのレアカードを友達に自慢しあう文化の中で生まれたものがTCGだ。
そういうのがあってもいいんじゃないかと思う。
出されたらずるいと感じるようなカードがあってもいいんじゃないかと思う。
トレーディングカードゲームは元々そういう俺はこんな凄いカードを持ってるんだぜと自慢する遊びだったんじゃないかと。
遊戯王の漫画でカードゲームが始まりだした頃の青眼の白龍が強すぎてバランスなんて滅茶苦茶だったあの状態もまたTCGの在り方として間違っていないんじゃないかと。
そう自分は考える。
なんだか皆ピリピリしすぎている。
強すぎるカードがいてもいい、レアなカードが強くてもいい、自分はそう考える。
でも強いデッキの数は絞られないで欲しい。
キャラソンCDは店員に見られるのが恥ずかしくて他の物に混ぜこっそりと古本屋に売っぱらい。
アニメキャラが描かれたトレカはどうしようもないのでゴミ箱へ行くしかなかった。
かつてそのキャラクターに恋焦がれ愛していた。数年も経過すれば一気に関心がなくなる。
原作が終了した時、他に楽しめるコンテンツを見つけた時。誰もが辿る道だろう。
商売だから仕方がないし、そこは人の自由。人間はどうしても飽きっぽい。
当時、何故それらを買ったのかといえば。友人達と共通の話題で盛り上がり楽しめたから。
今もそのようにして楽しんでいる人は多数いるだろう。
一ついえることは、飽きてしまったらすぐに売ってしまうことだ。
早めに売った方が金にもなるし、他にも欲しがっている人の手に届くから。
何年も塩漬けにして箱に入れて放置しておくことは絶対にいけない。
いらない物は捨てる、片付ける、売る。
現在自分は学生なので(駅弁。車なし)金=時間という単純な等式(例えば自分の場合は1時間を760円で売ってた)が成り立つ。
それは自分だけでなくて周りもそうだよね。でも、周りの友人はうんとバイトしてその金をスマホと携帯二台持ちにしたり
同じ奨学金借りてる身なのに毎日コンビニで飯を食ったり、挙句の果てにトレカやネトゲアイテム課金に月2万使ってる奴も居る始末。
弁当作ってたらチャラ男に「みみっちい男だな」「そこまでして節約したくないわ」と言われる始末。そうやって学生時代に全く身になることもせず、金=時間を浪費している奴を見ると笑う。
労働基準監督署が来るようなブラックなバイトを今年1年弱やった結果、どうせ社会に出たら懲役40年なのだから、学生の時ぐらいは金が無くても好きなことしようと思った。
自分の場合自主ゼミを学科内でやってたり、読書をするのが好き。そしてそれはいくらやってもそんなに金はかからない。そして今しかできない。高校の時と違って自分でやる勉強はとても楽しい。
そしてネットがあれば娯楽は沢山ある。また、twitterのタイムラインを見て暇な友達を探し、携帯にメールする。皆大学の近くに住んでいるから家まで歩いて10分程度。
そして友達と紙パックの日本酒を飲みながらスーパーで買ってきたモノを調理して食べながらゲームをする。麻雀をする。ドイツのボードゲームをする。
これで俺は幸せだ。これ以上の物を求めないけれども、こういう生活を失うのは嫌だ。見栄云々でこういう生活が送れないのなら、社会人ってつくづくかわいそうだなと思う。
来年就活だが、低賃金であってもいいから次に繋がる希望のある、スキルアップになるような仕事をしつつ、金が無いにしても仲間でのんびりと語り合って飲みたい。
一部のクリエイティブな人が好きなだけ仕事をして、その他大多数はつまらない仕事をさせられる代わりに、4時間から6時間で帰れる。空いた余暇の時間にクリエイティブ層になれるように勉強したり、遊んだり出来る。こういう社会に早くなってほしいものだ。
アタシ
歳?
22
まぁ来年で23
稼ぎ?
まぁ
当たり前に
ほとんど無い
てか
このご時世にある訳ないじゃん
彼氏は
ヒモ
てか
アタシが養って
あげてる
親元から逃げ出すために頼って約2年
ヒモの名前
××
歳?
4×歳
多分
顔?
まぁ悪い
人より身体は太いかな?
性格?
まぁ悪い
アタシが
まともな男を
ゲットできる訳ないし
てか
アタシ
友達いた事
ぜんぜん
ないし
当たり前
小学校から
今まで
友達と遊んだ事
ないし
向こうから
虐めてくるし
別に
アタシから
避けてる訳じゃないし
人間ってさ
アタシみたいに
自分中心で
性格も悪かったら
磁石みたいに
反発する
バカみたい
暴力ふるって
弱い奴を
まぁ
気持ちも
わかるけど
この前話した人だって
アタシが
人見知りなのに
話しかけただけでさ
ごめん
何言ってるのか聞こえない
だって
みんな言う事
同じだっつーの
学校で
習ったのかよ
こういう風に
言いましょう
バカみたい
だから
アタシが持つのはもう
オタクグッズだけ
だれかと共同作業した事?
ある訳なくない?
アタシが
でさ
ヒモは
失敗して
人のクレジットカードで
家賃や駐車場代だって
一円も払わないし
ゴムつけてくれないし
ウツだよね
ちょっとさ
思い出しただけで
これだもん
仕事?
あぁ
身体売りはじめたし
ダルくないよ
別に
働かないと
返さなきゃだし
自己破産なんてしたら
一人じゃ生きていけなくなるし
もうすぐ
破綻しそうだけど
払えなくて切れるしね
アタシ
別に
上目指す?
そんなの
能力的に
論外だし
てか
できる奴は
めちゃくちゃ
うらやましいでーす
アタシ
そんなの
ムズいだけだし
日本を建て直すの
頑張って下さーい
てか
オクニの為に?
友達?
まぁ
脳内に
いるし
最近やたらと
話し掛けてくるけど
見えねえっつーの
22歳で
現実から目を背けちゃってさ
何メンヘラっちゃってる訳?
そんなの
一般の人に
したらさ
引かれる
あたし十代の時なんて
大人になったら
とか
言ってたクセにさ
DVD揃えるとか
コミケ初遠征とか
全身美容形成手術するとか
夢見てたクセにさ
成人して
普通に
就職したら
ワープア?
みたいになってさ
今度は
死ぬまで
借金一途ー
とか
言っちゃってさ
てか
そんなの
絶望しかない
二次元以上に
色んな意味で泣けるとか
夢じゃないのこれ
逆に
嘘くさくない?
この人生が
一生続くって
絶対
二次じゃなきゃ
無理だっつ??の
世の中
見てみなよ
二次元以外で
希望があるって
言う奴
アタシ
普通に
嘘だろバーカ
って
思っちゃうし
今希望をもってても
いつか何かで失敗したら
もぉ
その時点で
負け
決定
だったら最初から
産むなって
話になるじゃん
http://anond.hatelabo.jp/20080529221743
http://www.boardgamegeek.com/browser.php?itemtype=game&sortby=rank
http://www.thegamegallery.net/
面倒なら子供に人気の「デュエルマスターズ」とかトレカでも良いと思うんだけど
運要素が入ってながらも思考力が試されるゲームがいいんじゃないかな?
囲碁将棋は運要素が無さ過ぎるし力の差が具体的過ぎるからあまり好きじゃない。
それに色んなタイプのゲームを接することが地頭を鍛えることになると思う。
参考ワード「リスト:アナログゲーム」
追記:購入方法書くの忘れてた。
http://www.mobius-games.co.jp/
オンラインショッピングでなけりゃ多分買えないもの。いい時代です。
縦に連なる左右交換の光る頭部
の板の最も下に位置する間に
三枚の札を集め行け
これは難しい・・・。
だが、小学生が書いた暗号だと推測するとこの僕に解けないものはない!!
ワキワキ ワキ ,ヘ ., --、 i´!⌒!l r:,=i /ヽ / ∨ .|l⌒l l | ゛ー=':| |. L._」 )) l\/ `′ .i´|.ー‐' | | |. ! l ワキワキ _| |"'|. l │-==:|. ! ==l ,. -‐; \ i=!ー=;: l | l. | | / // > │ l l、 :| | } _|,.{:: 7 )) ∠__ |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ' ::::::|; 7 / \:::::\::::: ヽ ::::::!′ :::| .:/ /_ /ヽ::: `::: :::: ....::..../ ワキ | ,、 l/ ヽ ,ヘ \/ ヽ/
まず、この「縦に連なる左右交換の光る頭部」部分から注目してみよう。
これはまず間違いなく場所を特定するためのヒントだ。
頭部と表現しているが前についている修飾詞からも人間ではないことはあきらかだろう。
では何か!?
小学生が日常的に見ることができるもので、「左右交換の光る」頭部をもつもの。
それは「信号機」ではないか?
次のなぞは「縦に連なる」だが、一瞬縦式の信号機を想像してしまうが、
それでは場所を特定するためのヒントにはなりえない。
これは大きな交差点で信号機が縦に連なっている様を想像するのが一番しっくりくるんじゃないか!?
君の幼少の頃に大きな交差点はなかったかね?
の板の最も下に位置する間に
次の一節。
これは難しい。
だが信号機の付近にあるものから推測が可能だ。
きっと警察署が管理している信号機の調節のためのあのボックスのことではないか。
その板の隙間に・・・
三枚の札を集め行け
トレカかなんかはさんどいたから受取にいけってことじゃないの?
ΩΩΩナンダッテー
いや、ぶっちゃさっぱりわからん。
おまえ天才だな。
競争は、質の良い物を生み出すためには確かに必要だけど、既存の物に有利で、新しい物には不利。新しい物を認めさせるには膨大なエネルギーが必要なのである。
新しい物をより効率よく生み出すために、いったん競争というものを忘れなければならない。
ブレストと似てるかもしれない。
しかし徹頭徹尾、受け入れを無視するわけでなく、最終的に食べやすくデフォルメ・アレンジをしたものを、つまり入門を用意するのがコツである。
世の市民権を獲得してるか否かは単純に、入門があるか無しかの差である。
メジャーな物ほど、いくつかの入門が用意されているものだ。
狭き門は、ノイズや歪曲者、破壊者などを呼び入れないためには確かに必要であるが、今の情報ネットワーク化時勢では門を開け放すことを選ぶ覚悟がいる。
ただここで重要なのは門を開け放すタイミングであって、それを誤ると、用意した構造物を揺さぶられ、破壊され、無価値な物へと変質させられてしまう。
だから今、最も求められる(俺が重視する)力は、門を開け放したときに入ってくるノイズをいかにして制御するかということである。これは詰まるところリーダーシップを発揮することや、マネジメント力である。
この世界の人材は玉も瓦も一緒くたになっている。ものすごく能力が高い人間もいれば、本当に使いようがない人間もいるわけで、狭き門はこれらをふるいにかけるフィルターの役割をする。
ただ、このフィルターは完全ではなく、有能な人間も多くはじいてしまうし、無能な人間も多く引き入れてしまう。
全くフィルターしないよりかは随分マシという程度、ファイアウォールを有効にしたら少しはウィルスの被害に遭わなくなるだろうといった程度の物である。
かつての時代は、隠れた才能は完全に切り捨て、志願してきたある程度の質を持つ人間だけで聖域(コミュニティ)を作り、そこで自分らの技術・学術を発達・洗練させていけば良かった。そしてそれは必然的に専門性を生成する構造であり、専門外のことについては深く対応できないし、求められることもなかった。だが、時代は変わりつつある。
今現在、人々にはマルチの(複数の)分野での活躍が求められてつつある。それと同時に、今までフィルターされて弾かれてきた隠れた才能に着目・それを発掘することも行われるようになった。どっちが先でどっちが後か分からないが、この2つの兆候は密接に関係しているように思う。
インターネットが専門外の有能な人間を多の分野に引き込むようになってますますこの兆候は加速しているが、インターネットがここまで普及する以前から、この兆候の前兆となるものはあったように思う(というのも、俺が高校生だった90年代頃にすでに専門を問わず複数の分野で深く活動していた人がいたからである)。
情報の分野では、インターネットの普及により、専門外の有能な人間の参加が増えたことにより、ノイズも多く増えたがそれを補ってあまりある有益な情報も引き込まれるようになったのは今更言うまでもないだろう。
全ての分野は情報を持つ。そして情報は価値を持つ。いわば情報は一つの通貨である。そして多くの人がそれらを扱う環境が整えられたため、多くの人により扱いやすくなるように情報はフォーマットされることとなった。こうしてフォーマットされ扱いやすくなった情報は、より多くの人々に普及し、価値が高められていくようになる(ただし、ここで言う価値は有用性であり、希少性ではない。このことは後述する)。
だから、逆に言えば、情報にある程度の魅力(価値)があり、それがフォーマットされていたらそれは流通するのである。
こうして、今まではコミュニティだけで流通していた通貨が、一気に世界へと広がったのである。だがこのことによる弊害もある。
それはコミュニティだけで共有されていた情報が誰でも簡単に入手できることによって、その情報の神聖性(希少性)がなくなることである。
情報の価値には2つのパラメータがあって、一つは有用性、もう一つはレアリティである。これはトレカに喩えると分かり易い。コモンカードだけどめちゃくちゃ使えるカードもあれば、レアカードだが全く役立たずなカードもある。
特に一部の人しか知り得ない情報はいわばプレミアカードと言うことができる。
情報を門戸を広げてネットという大海原に放出することは、情報の有用性を高める代わりに、希少性を失うことを意味する。
かつてはプレミアカードを持っていた人間は賞賛された。それがたとえ使えないくずカードだったとしても。
そしてそのことによってそのカードの持ち主は自身の価値を高めることができた。
人々は、カードのシナジー(組み合わせることで効果が倍増する組み合わせ)やコンボを重視し始めた。
つまり自分のデッキに組み入れられるかどうか、そのカードをどうやって使うか、に価値を置き始めたのである。
こうなるとプレミアカードコレクターの人的価値が下がってしまう。彼らが取る行動は大きく3つ。
一つは何もせず、成り行きに任せる(あるいは問題意識を持たない)。
もう一つ漏洩を徹底防止してカードの希少性を維持すること。
三つめはそのままでは使えないカードを使える形に加工してから、それらを開放すること。つまり誰も考えつかなかった意外なコンボを提示したり、できる限り汎用性の高いカードを何とか発行することである。
お堅いと思っていた団体が急にフランクになった例を最近よく見る気がするが、こういうことが一つの理由だろう。
しかし将来的には遅かれ早かれ、多くの団体が三つめの手段を取らざるを得なくなると思う。
このような情報は流通を制限することで価値が高められているが、本来的な価値は少ない。そして価値の低い情報は駆逐されていく時代の兆候なので、団体には新たな価値を作り出し、社会に発信することが求められてくるからである。
そうなってくると、まやかしの希少性は徐々に意味を失い、経験に基づいた情報や、洗練の要る情報といった、よりその人の血肉となっている(オリジナリティがある)情報こそが希少性ある情報となるだろう。
インターネットというのは価値判断を大衆に委ね、まやかしの希少性を暴くという点でこれから役立っていくと思う。
しかしそうなると、今まで手に入れるのが困難だった情報を収集していた専門家はどうなるのか?
いったい何をもって情報収集をしている一般人と差別化を図ればいいのか?
複数の範囲を渡り歩く人々が増えてきた原因はここにあると思う。
苦労して新しい論や分析を発表しても、少しすると自分と同じ考えを言ったりしたりする素人がいる。
何も発表しないままだと時間とともにその人とその専門家との価値の差異が縮む。
だから専門家は、常に社会の流れを追って新しい論や考察を生み出し続けなければならない。新しい情報を常に発しなければならない。
みんながみんなそんな発想力とバイタリティを持ち合わせているだろうか?
もしそこに不安がある専門家は何をすればよいだろうか?
そこで複数の分野をカバーするわけである。
専門の分野を知ってる人がいる。
αの情報を知ってる人がいる。
でも専門の分野+αの取り合わせの情報を知ってる人はなかなかいない。
こうすることで自分の価値を高めているのではないだろうか。
また、社会現象がより複数の多岐の分野に渡ってきたお陰で、それを一つだけの専門性で切りにくくなってきたというのも考えられる。
「最前線で価値を生み出し続けることはできないけど、その人達と違って私はレパートリーが広いから庶民の要求に幅広く応えることができます」、といったところか。
自分の本来の分野では新しい価値を生むのは難しいけど、違う分野にて本来の分野のやり方で切るという方法で、新しい価値を生み出すというのも考えられる。新たな組み合わせ。シナジーを期待するのである。
あるいは価値観が多様になったため求められそうな情報は何でも漁るドラフト者もいることだろう。
ここは、多分野に渡るといえ、コンセプトを持ってコレクトをしないと情報の海に溺れてしまうだろうから注意が必要だ。
今までは専門がはっきりしない人は浮ついてると見なされ正当な評価をされにくかったが、これからの時代は複数の分野に渡って活動しているマルチ専門家がますます増えていくのではないかと私は考えている。みんながみんな興味関心を一つに絞りきれるとは思わないし、そんな人たちの複数の分野で活動できる環境が整いつつあるからだ。あるいは、この高度情報化による副産的な効果として、成り行きで専門外の領域に踏み込む機会も、より多くなっていくのでは、と感じている。
だからノイズ(=厨)は多かれど、有用な人を引き込もうとするならば、もっと入門を設けるべきなのだ。
一部では腐るほど入門を設けてる分野があるのに、他方で全くそれが整備されていないのはおかしなことだと思う。
※推敲途中です。