はてなキーワード: スクスクとは
子供の頃、模試の成績が芳しくなかった際などに親から深い失望を露わにされた事は誰にでもあるだろう。
私はあの表情が苦手であった。
「私は優秀な子供になることを期待されたからこそ産み落とされたのだ。
私の命は彼らの皮算用の産物であり、彼らが期待する私は優秀で自慢でき彼らに多くの益をもたらす存在なのだ。
そして、その"益をもたらす"という事こそが大事であり、"私が私である"ことになど彼らは何の興味もないのだ」
と考え、両親と自分との間にあった友好関係があくまで"親と子の利害関係"に過ぎない事を再確認するのだった。
親と自分との間にある者が"長い時間を共にした者どうしの親しみ"を主体に構成されていると私だって信じたかった。
だが、私が彼らの思い通りの"益をもたらしてくる子供"の姿から遠ざかった際に見せる彼らの表情は、
私に対してそれがまやかしであった事を語っていた。
私は"金銭的な多額の援助"を期待して両親に媚びていただけであり、
両親は"今や未来に私が持ちかえる栄誉や金銭や介護"などを期待して彼らもまた私に媚びていただけだった。
これは何も私の家庭のみで起きていたことではないだろう。
たとえば近頃のニュースでは「少子化対策」といったものが話題になる。
その少子化対策の話で二言目に出てくるのは「労働者人口」や「年金問題」の話であり、
「子供を育てる幸せ」だの「将来のこの国の文化」などは生温い戯れ事として脇に追いやられている。
これが世の中の、少なくともこの国の「親世代と子世代の関係」の実態である。
この国にとって、多くの中高年にとって生まれてくる子供は「将来の労働力」であり「将来の年金」なのだ。
つまり、彼らが「子供の為」を思ってやる行為は「将来の労働力」がスクスクと育ってくれるようにという願いを込めたものなのだ。
これはまさに「牧場主」が「高く売れる産業動物」を育てるために、豚や牛によい環境や餌を提供してやるのと何も変わらない。
果たして牧場主からよくされた産業動物はどこまで彼らに感謝しているのだろうか?
彼らもどこかで薄々気づいているのだろう、自分たちの仲間が自分たちに餌を与える物の手によって屠殺場に送られている事を。
それを思ってなおも媚びてみせるのは、「殺さないでくれ」「せめて死ぬ前の間だけは幸せな暮らしをさせてくれ」、
そんな思いを込めてのものであり、「いつもありがとう」だの「いい人だなぁ」などとは思ってはいないだろう。
たとえ思っていたとしてもそれは、私が両親との間にある"利害関係の絆"と比べればなんとも細々としていた"お互いの人間性同士を認め合い尊重しあう絆"を大事にしようと思ったそれに近しい感情だろう。
今すくすくと育っている若い命は、自分たちの"効率的な成長"に対して両親や社会に感謝すべきなのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20140311140955
宮台 「抽象的に言えば、都市からスキマや余剰を消去する動きが、1996年に完成したんですね。
こうした、スキマや余剰を消去する動き、共同体自治の中で是々非々で対処する代わりに、何かというと警察を含めた行政権力の呼出線を使うという、
学問的な言い方をすると「法化社会」の展開が、全国化したわけですよ。法化社会の出発点は、1983年頃です。
1977年に鈴鹿市で、子供を隣人に預けている間に建築現場の池で溺死したことで隣人と自治体と建築業者を訴えた「隣人訴訟」がありました。
1983年の判決では一部を除いて原告敗訴でしたが、それよりも、判決が報じられると同時に原告夫婦に非難の手紙や電話が殺到し、上告取下げに追い込まれたことが重要です。当時はまだそういう時代でした。
ところが、これ以降、判決とは裏腹に、何かというと管理者責任や設置者責任を問う訴訟が相次ぐようになります。
これに恐れをなした行政は、屋上や放課後の校庭をロックアウトし、小川などは暗渠化したり柵を設けたりし、公園からは箱ブランコなどの遊具を撤去する動きが進み、
90年代に入ると監視カメラまでが入ってくる。法化が進むわけです。こうして空間から、危険な場所の除去という名目で、スキマや余剰が消去されます。これは妥当な動きでしょうか。 そうは思えません。
小さい頃に用水路で一緒にザリガニ捕りをしていた弟がマムシに噛まれたことがありました。僕の父が設置者を訴えたか。いいえ。「だから危ないって言っていただろう!」と弟を叱責した。それが当たり前でした。
おととしの暮れにCOP15があってコペンハーゲンに行きました。昼間でも零下10度以下で、道がアイスバーン化している。
自動車レーンの脇には自転車レーンがあって、その向こう側に歩道があるんですが、どこにもガードレールがない。
「危なくないのか」と尋ねると、「だから気をつけるようにしている」と言うわけです。ザッツ・オールです。
コペンハーゲンの人々は美観を問題にしていました。でも美観に限らず、空間からあらゆるスキマや余剰を消去してフラット化することで、子供たちは幸せになるのか。
何もかもを行政に「依存」することで、僕たちは幸せになるのか。違うでしょう。自分たちで自分たちをハンドリングする「自立」なくして、強度はなく、幸せもあり得ません。
ノイズやリスクを消去した環境こそが子供には良い、といった思い込みの延長線上に、東京都の条例改正にみられるような有害メディア規制があります。
子供をノイズレスな環境におきさえすればスクスク良い子に育つ、といった馬鹿みたいな発想に多くの人がはまっているのが現状です。どうしてこうした考え方が蔓延してしまったのでしょうか。
(中略)
まとめると、「便利」と「快適」があれば大丈夫というのは短見で、実はそんなことでは人は「幸せ」も「尊厳」も得られません。
似た話で、「絶対安全」な堤防や原発を作れば大丈夫というのは短見で、実はそんなことでは人は自分も社会も守ることはできません。
むしろ社会は、そこそこ不便、そこそこ不快、そこそこ危険なのが良いのです。人は、高い堤防さえ作れば大丈夫とか、丈夫なガードレールを作れば大丈夫とか、原発の安全装置にお金をかければ大丈夫とか思いがちです。
間違ってるんです。 社会が「そこそこ危険」であれば、僕らは自明性に「依存」せず、危険に対処する知恵を獲得し、「自立」できる。さもないと、僕らは「依存」した結果、「世界の手触り」を失うんですよ。 」
http://archive.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110714_5099.php
「恋愛しない、うんちもしないアイドル。グラビアは全部pcで修正済み☆」と同じです。
オリンピックを目指してるスポーツ選手が司法試験合格と趣味のピアノを毎日頑張ろうとしてるようなもの。
同時には無理だっての。
今はオリンピックに集中して、引退したら司法試験の勉強を頑張って、時間が出来たらピアノやってけばいい。
オリンピック目指してる時期に弁護士さんに会っても卑屈になる必要なんて無い。
司法試験の勉強中にピアノコンクール落選しても落ち込む必要なんて無い。
そうでしょう。
世の中の女性が「私、サボりすぎなんだ、子育てと仕事と同時に頑張らなきゃダメなんだ」ってなって
「私はもっと輝けるのに!!あんたもっと手伝ってよ!」ってなるんだよ
テレビ・雑誌の皆さん、世の中の夫は迷惑してます。勘弁して下さい。
と同時に、世の中の男は
「子育てはフルタイムの立派な仕事」「子育て中のママは仕事中」
お母さん、お疲れさま。
お母さんが頑張ってるからです。
総合評価A+
食い詰めた量産型弁護士を各学校に投入して学校をバリバリの訴訟社会にしちゃえばいいと思う
どうせ教師や学校、自治体にイジメを解決する能力なんて無いんだし、日本が法治国家だって事を子供に教育できて一石二鳥
受験直前に裁判吹っ掛けられて慌てて和解金払ういじめっ子とか、そういう無様な先輩の姿を見て子供達もスクスクと成長するよ!
教師も体罰禁止で"大人の腕力"というパワーが封じられた今、もう一つの圧倒的な力「法律」を振り回すしかないよね
"証拠を集めていじめっ子の親と学校を訴える方法"なんかを必修にしながらついでに労働者の権利とかも教育したら
ブラック企業とかも減るんじゃないの?
横からだが、あなたの言ってることは本当に正しいと思う!!!!
これは教育の問題。とか風呂敷を大きくすると怪訝な顔をされるかもしれないが、本当に教育の問題だと思う。
だって、学校では先生の言う事に従順に従うように教育される。学校や先生を「疑う」という事もできない。学校や先生を疑えば、場合によって同級生からも「いかにも反抗」ってレッテルをはられる可能性さえあり、生徒も先生も含めた学校という杓子定規な環境そのものが、ものすごい害悪で、本来すごく大切な「疑う」ことすらネガティブに教育される現状。
それどころか、なまじ先生にも問題がなく、先生はとりあえず命令をする、生徒はとりあえず命令をこなす、というなぁなぁな関係が続いて、そこに大きなトラブルもなければ「疑う」という発想すら起こってこないわけだ。
そうなれば、教科書的な「頑張ればきっと努力は報われる」とか「本音をキチンと伝え、心を開けば、きっと人はわかってくれる」って事を気持ちとして、心の奥底で信じるようになる。もちろん、それが全てじゃない、汚い社会もあるけど、誠心誠意生きていれば、その正しさはまわりまわって、いつか自分の評価に返ってくるんだ、という価値観を、みんな心のどこかで信じてるんじゃないかと思う。
これは、まったく間違った事だ!!!
予想するに、過去の学校は今よりもっともっと環境が悪かったし先生の質も悪かっただろう。だから、その理不尽さにまみれたなかで子どもたちは「大人に対して都合のいいウソをついて適当にやりすごす」という事が正しいことだ、という事を学ぶわけ。
でも今の学校では、それが学べない。本当に学校の意図している通りの子どもがスクスクと大体育つわけ。例外もあるけど、大体はみんな心の中で「国は信頼できるもの」だと思ってるし「警察は泥棒をやっつけてくれる」と思ってる。それを信じきって疑おうとしない。(真偽の問題じゃなくて、疑い自分で考えようとするかしないかの問題)
それで一番の問題が、そういう現状と教育の乖離を論理的に理解したところで、心に埋め込まれた感情が言う事を聞かない!という事だ。
例えばうつ病とかの神経症になる基本の心理状態って「~したい」と思うけど「~ねばならない」の葛藤から生まれると言われてる。
「就職したい」「就職せねばならない」と思うわけだ。ここでの就職する意志に葛藤はない。(ただしニートは除く)
でも就職するためには、あらゆる偽りのある、今まで教育で教わってきた信念を根底から覆す、180度違う理屈・現状が待ってるわけ。ここで葛藤が生まれる。
教育によって、正直に素直に生きていれば、自然と評価はつくだろうと心の奥底でそういう価値を信じてる状態で、でも実際は正直であったり素直でいられない。そんな感情を重視してたら就職できなくなるからだ。ここで戸惑いと葛藤、そして虚無感が生まれる。
「とりあえず就職できたけど、こんなウソだらけの”とりあえず”の就職で本当に大丈夫なんか?」って心の奥底でしっくりこない。形式だけ就職してるけど、「だから?」みたいな感じになる。
本来働くことはもっと自分で意思を持って行動を決めるべき・・・とか、そういう軌道修正の理論はいくつもあるけど、今はそれは問題じゃなくて
一番の問題は、こうやって教育と現場があまりにも乖離していって、人に悪影響をあたえてる事実があるということ。そして、それは今後ますます増えていって社会問題になるとおもう。
本音と建前の使い分けを、昔は両方学べた。だけど今は親も含めて建前しか学べず育つ子どもがとても多い。それはすごい害悪なんだ。
社会は汚いところもあると思いながら、それでも社会は信じられるものだと考える事はすごくよくない。社会は綺麗であるべき、と思いながら、それでも社会を信じられないからこそ自発性が促される。今の教育は建前を教え続ける事で必要なことと全く逆なことばかりを教えてる状態になってる。それが一番問題でよくない。
そういう人たちが、自分や他人の協力をへて、いかに社会を信じてはいけないか、自分で物事を考えなくてはいけないか、って事を学べる機会が今はすごくない。
そういう「なんでも自分で考える」って事を支えて、自己表現を育てないといけないのに。そういうのができない現状が、すごい辛いと思う。というか事実オレは辛い。
余談だが、TPIEっていうコーチングの教育プログラムがこういう葛藤の打破に使えるんじゃないかな・・と思ってる。興味ある人はぐぐるといい
3児の母です。
まっさか、はてなで母乳祭りに出くわすとは思わなかったはー。意外と女性ユーザもいるんですね。
http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/
http://oosawatechnica.tumblr.com/post/147641167
私は一子目は母乳の出が微妙だったので、母乳とミルク混合で育てました。
赤ちゃんを連れているとよく話しかけられるとは聞きますが、本当に人が寄って来るんですね。吃驚しましたよ。
そして「可愛いー。何ヶ月?女の子?」の次は「母乳?ミルク?」。
私が「大体母乳です。出が悪いときはミルクですけど。」と答えると「完全母乳じゃないの?駄目ねぇ?」
はぁぁぁぁぁぁぁ??????
ほんっと、何なの、何なの、何なの何なのぉぉ!毎回毎回っ。
普通に赤ちゃんが好きで話しかけてくれる人は嬉しいけど、母乳かミルクか聞く人は100%説教してくる。(あと紙おむつか布おむつか聞いてくる人もヘンな人多い)。
初めての子供の事で私も色々と不安なのに、赤の他人から駄目出し。しかも授乳室でミルクあげていたら、母乳狂信者にいきなり絡まれた事もあった。
「母乳っ?ミルクッ?駄目っ?母乳っ?ミルクッ?駄目っ?母乳っ?ミルクッ?駄目っ?ボニュウッ!?みるくぅぅぅ!?ダメェ!?ボニュニュニュミルクゥゥウォオオオオ!!!!らメェェェェ!!!!!!ミルミルミルミルミルミルミルミルミルミル……」
もう、心の中はこんなんですよ?子育ては戦争だ!(主に偏見や迷信との戦い)。
こんな状態ながらも第一子はスクスク育ち手もかからなくなったことから、兄弟を作ってあげたいなと思い、もう一回がんばりました。
今度は双子ちゃんを授かりました。もともと母乳はかなり踏ん張らないと出ないタイプだったので、完全ミルクで行くこと決定。
大体一人でも大変なのに、双子だと片方を見ている間、もう一人は夫や母に見てもらわないと辛すぎます。
で、また母乳教信者が襲い掛かってくるんですよ。しかも双子は注目率高いらしく、以前以上に。
まー私も開き直っちゃったのでいいんですけどね。
一回すっごくしつっっっこい人が居て、本当に頭にきちゃって反撃してしまったんですよー。
相手、さすがに引いていて、笑ったはー。
本当にその時何かが乗り移っていたらしく、「ちぎれて血に混じった脂肪が流れ出てね……想像してみてくださいよ、ここからこう(相手の乳首を指差す)だらだらっと……でね、乳首がプランプランしてるんです。その乳首が……(以下略)」と、なんども「想像してみてくださいよ」と人差し指と親指をクリクリさせながら相手の胸元を指差しましたね。相手は気分悪そうでしたが、相当頭にきていたので手加減せず徹底的に絡んでやりました。こっちはその何倍も気分悪いんだよ!ばーかばーか!
友達が「病気で薬飲んでいるから(母乳は出るけど)授乳できない。」って言っているのに絡まれたりもしたそうなので、本当に頭のおかしい人にはお試しあれ。ただし自分も気持ち悪くなる諸刃の剣。
第一子のときに噛み癖ついちゃって、乳首が血まみれになったことがあったので思いつきました。別に乳首は取れていませんので、ご安心を。また、病院の待合室だったため、私達の会話が聞こえて気分が悪くなった方がいらっしゃいましたら、誠に申し訳ありませんでした。
双子ちゃんのときは、私、夫、実母でぐるぐる面倒見たから本当に助かったよー。たまに第一子もお姉さんぶりを発揮して手伝ってくれました、めちゃめちゃに可愛いです。流石にもう4人目は生まないとは思いますが……。
紳士淑女のはてなーは、母乳かミルクか聞くことはないと思いますが、身近なお母さん困っていたら、助け舟出してあげてください。なんでこー出産、育児まわりは思想が偏るんですかねー。
同意。しかし、それを逆に考える癖のあるかたのなんと多いことか。