2014-07-28

牧場産業動物達は果たして牧場主に感謝すべきなのか?

子供の頃、模試の成績が芳しくなかった際などに親から深い失望を露わにされた事は誰にでもあるだろう。

私はあの表情が苦手であった。

あの顔を見てしまった夜、私はいつも

「私は優秀な子供になることを期待されたからこそ産み落とされたのだ。

私の命は彼らの皮算用の産物であり、彼らが期待する私は優秀で自慢でき彼らに多くの益をもたらす存在なのだ

そして、その"益をもたらす"という事こそが大事であり、"私が私である"ことになど彼らは何の興味もないのだ」

と考え、両親と自分との間にあった友好関係あくまで"親と子の利害関係"に過ぎない事を再確認するのだった。

親と自分との間にある者が"長い時間を共にした者どうしの親しみ"を主体に構成されていると私だって信じたかった。

だが、私が彼らの思い通りの"益をもたらしてくる子供"の姿から遠ざかった際に見せる彼らの表情は、

私に対してそれがまやかしであった事を語っていた。

私は"金銭的な多額の援助"を期待して両親に媚びていただけであり、

両親は"今や未来に私が持ちかえる栄誉や金銭や介護"などを期待して彼らもまた私に媚びていただけだった。

これは何も私の家庭のみで起きていたことではないだろう。

たとえば近頃のニュースでは「少子化対策」といったものが話題になる。

その少子化対策の話で二言目に出てくるのは「労働者人口」や「年金問題」の話であり、

子供を育てる幸せ」だの「将来のこの国の文化」などは生温い戯れ事として脇に追いやられている。

これが世の中の、少なくともこの国の「親世代と子世代関係」の実態である

この国にとって、多くの中高年にとって生まれてくる子供は「将来の労働力」であり「将来の年金なのだ

まり、彼らが「子供の為」を思ってやる行為は「将来の労働力」がスクスクと育ってくれるようにという願いを込めたものなのだ

これはまさに「牧場主」が「高く売れる産業動物」を育てるために、豚や牛によい環境や餌を提供してやるのと何も変わらない。

果たして牧場からよくされた産業動物はどこまで彼らに感謝しているのだろうか?

彼らもどこかで薄々気づいているのだろう、自分たちの仲間が自分たちに餌を与える物の手によって屠殺場に送られている事を。

それを思ってなおも媚びてみせるのは、「殺さないでくれ」「せめて死ぬ前の間だけは幸せ暮らしをさせてくれ」、

そんな思いを込めてのものであり、「いつもありがとう」だの「いい人だなぁ」などとは思ってはいないだろう。

たとえ思っていたとしてもそれは、私が両親との間にある"利害関係の絆"と比べればなんとも細々としていた"お互いの人間性同士を認め合い尊重しあう絆"を大事にしようと思ったそれに近しい感情だろう。

果たして産業動物牧場主に感謝すべきなのだろうか?

今すくすくと育っている若い命は、自分たちの"効率的な成長"に対して両親や社会感謝すべきなのだろうか?

自分たち人間性を屠殺してでも社会迎合しろと言わんばかりのこの国の空気に、

お前たちにかけた金を収穫させろと言わんばかりのこの社会システムに対して彼らは感謝すべきなのだろうか?

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