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はてなキーワード: ラッキーカラーとは

2018-11-11

anond:20181111001806

口が軽い人にはどーでもいいことだけ話せば?

クリスマスコフレとか

今日星座占いラッキーカラーとか

Twitter話題のアレとかこれとか

しょうもないネタときどき身を助けるよ。

2017-11-06

占いカラーとかアイテムとか増田酢魔か富む低赤トーラ家の胃習う(回文

ヤッフィー!!!

おはようございます!!!

あのさ

朝の情報番組占い

ラッキーカラーとか

ラッキーアイテムとか

出ていったいどうすりゃいいんだよ?って思うんだけど、

だいたいそんな色のものアイテムなんてないわ。

それにさ、

日本の伝統色の名称で言われても

いったい何色なのかわかりゃしないわ!

骨鼠色っていったいどんないろなの?

それはラッキーなの?

アンラッキー香り漂わせてない?

おどろおどろしいわ。

まぁ、そんなことさておき。

スーパーマリオランチノキオがジャンプするとき

ヤッフィー!とか

なんか元気いっぱいに叫ぶので

いちいち笑ってしまうわ。

あんまりゲームとかしないんだけど

たまには面白いわね。

笑っちゃう

うふふ。


今日朝ご飯

玉子サントとゆで玉子

あんまり玉子ばっかり食べ続けてたらコレステロール値が

ばちもこに盛り上がった数値になると思ったけど、

正常値だったわ。

人体の謎不思議わ!

デトックスウォーター

いやもうすっかり寒いわ。

ファンヒーターさないと。

まだ出せてないのでエアコンのホッツモードでどーもです。

さすがにエアコンホッツウォーラーなんてないし、

でもホッツを求めて

ティファーフしたわ。

梅ホッツよ。

ちなみにウォーラーは略してみた。

これがこの冬の流行よ!

みんなも試してみてね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-11-02

anond:20171101234244

これ前もみたけれど、何語で考えてるの?

日本語で考えてるとしか思えないんだが。というか、語に意味を求める極めて日本人的な発想と思う。

母音だって世の中たくさんあるし、日本語だって昔は母音もっと多かった。

この辺りかなり流動的なのにアイウエオで考えてない? それですべての音が備える(とされる)思考を論ずることができるのか?

子音もたとえば英語のthのθにその考え方は対応できるの? 

せめて国際音声字母くらいには準拠してやらないと、朝の占い今日ラッキーカラーイエローですと言われている程度にしか思えない。

音声はすべて、口の中の調音の位置に由来する科学的なことがらだ。そこに占いみたいなのを持ち出しても、そうですか、としか言えない。

2017-07-23

https://anond.hatelabo.jp/20170723021306

世にも奇妙な物語の中の一話ではないだろうか?タイトルは思い出せないけど。

占いでアンラッキーカラーが赤だというので赤を避け続けて一日を過ごす。

最後事故に遭うだか何だかパトランプの赤が光ってます、みたいなオチ

2017-03-04

さて問題です

私の今日ラッキーカラーが青だとしたら

なんだというのでしょうか。

2017-02-28

しゃっくりが止まらない増田住まい奈良的狩り屈斜し(回文

止めてくれハーハ!

しゃっくりをハーハ!

泣かせの効いた、

グーグルで調べたしゃっくりの止め方なんて捨てちまえ!

もー、

しゃっくりが止まらないんですけど!

こういう忙しい朝に限ってなによって感じよね。

さっきから

ヒックヒックって繰り返しだわ。

なんか、

自分でも笑っちゃうの。

でも、朝の情報番組テレビ占いでは、

しゃっくりしたらラッキーってあったので、

また、なお笑っちゃうわ。

今日ラッキーに過ごせるのかしら!?

まらないのはロマンチックだけで充分よ!

うふふ。


今日は朝から出かけなくっちゃ行けないのよ。

サクッと、タマサンドを食べて出かけるわ。

もちろん、ヤミーなタマサンドには間違いなし!

今日ラッキーカラーイエローだし!

やるっきゃないとよ!

デトックスウォーター

昨日の残りのイチゴベリーウォーラー

結構もう、ベリー系で一番まともに付けるのは

イチゴだけじゃないの?

って結論を出すのはまだ時期尚早かもね。

苺美味しいしね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-02-22

今日増田忍者の日だってっ打日のゃ腎に打素真はウョ貴(回文

ジライヤジライヤ

いつも心に手裏剣を!

おはようございます

2月22日は、

にんにんにん!で忍者の日なんだって

どっかの伊賀甲賀市役所では

全員職員忍者の格好して対応するとか、

忍者の日にちなみまくってて、

面白いことするわね。

イケメン忍者や、可愛いくノ一ちゃんもいるのかしら?

そんでもって、

免許皆伝忍術を学ぶって意味

海苔巻きを巻物に見立て

忍者海鮮巻きが爆売れらしいわよ。

なんの、忍術習得できるのかしらね

ドラのクエ勝手呪文を覚えるのは、

レヴェルが上がったから、

なんか、ひらめいていきなり呪文が使えるようになるのかしらね

そうなると

ファイナルファンタジー呪文の書を買うって言うのは

本買って読んで勉強して呪文使えるようになるって言う、

魔法使いチックな習得の仕方だと思うの。

呪文覚えたら、

ブックオフで売ったらいいんだしね!

そういった方法の方が理に適ってるわ。

まあ、

今日はここら辺でドローンするわっ!

忍者だけに!!!

高飛び!なーんて。

にんともかんとも。

うふふ。


今日朝ご飯

ハッピーラッキー赤飯おにぎりよ。

あと、鮭ほぐしおにぎりも!

今日ラッキーカラーレッド

まさに赤飯おにぎりんぐよ!

ぱくぱく。

デトックスウォーター

風薫る美味しい緑茶ウォーラー

ホッツで頂きますわよ。

また急に寒くなってきたので

身体にはお気を付け遊ばせ下さいません事を願いますわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張ろう!おー!

2017-01-29

ラッキーカラーが似合わない問題

今年の私のラッキーカラーは赤やオレンジだそうだ

しかし好きな色でもなければ似合う色でもない

いったいどうやってラッキーカラーを身に着けたら良いんだ

今年のラッキーは遠い

2016-10-22

神様だけど今日ラッキー占いするよ

人類ラッキーカラーは赤。

日々謙虚信仰が得られるよう努力するといいかも。

あ、私お肉大好きだけど、貴金属も好きだから

2014-07-19

信仰を持ってみることにした

宗教は大嫌いだけど、このたび信仰を持ってみる事にした。

理由は、まあ年を取ったという事なんだと思う。

別に今の生活に不満があるわけじゃない。

一人でアニメ見てゲームして趣味に没頭して美味しい物食べて、安定している人生だと思う。さほどストレスも受けていない。

でも何というか、虚しいというか。

ストレスが無いのは人付き合いを放棄したというか、他人と距離を置いているからなんだけど、

本当は皆と仲良くしたいのに、集団の中にいるとどうしても自分攻撃してくる人と遭遇してしまい、自分を応援してくれる人も特に居ないので孤立してる感が半端なく、攻撃に耐えられず離脱してしまったんだよね。

自分を悪く罵る人と仲良くしつつ、自分とも仲良くする人を信用できなかったというのもある。こいつにこやかに話しかけて来るけど裏で悪口言ってんだろう?的な。

あと、表面的な付き合いだけでちっとも仲良くなれなかった。一言でいうとコミュ力が無かった。面白みのない、つまらない人間なんだ。

でもその、相手の言動を深読みして、「それは拒絶なんだろう?」「本心ではこちらを嫌ってるんだろ?」「利用しようと近づいてるだけだろ?」

と考えてしま自分も、どうにも嫌でね。

こんなこと考えながら接する人が、仲良くしてもらえるわけ無いじゃん。

こうやって読むとそう思うでしょ、でも実際に自分が遭遇すると、相手のちょっとした仕草で「嫌われてる」「これは拒絶だ」と無条件で思い込んで勝手に傷ついてる人、多いと思うよ。

もちろん拒絶のサインに気付くのは大切だし気がつかないのはKYなだけ。

でも少なくとも自分必要以上にガードを硬くしてる臆病者で、断られないように、嫌われないようにと一生懸命だった。

多分自分を嫌っている人を許す勇気が無いからだ。嫌ってもいいよ。と言えないから

元々怒りっぽい性格でもあるし、嫌われたら「こちらを嫌うなんて嫌なやつ!嫌い」とすぐに心の中で応戦していた。

でも年のせいか、それも疲れてしまった。

若い頃はそれでも「いつか分かり合える人が」とかアホなこと考えてたけど、そんな人居ないだろう。というか自分絶対的な味方を手に入れて、その人に依存たかったのかもしれない。

色々考えると自分が未熟過ぎて、人生お先真っ暗すぎてなぁ…


で、信仰ですよ。

言っておくけど自分は今でもスピリチュアル的なものは嫌い。

神頼み、占い、おまじない宗教を信じていない人でもこれらを信じる人はかなり多いと思う。

何が嫌いかって、ただ神に祈るだけ、他人の言うことを聞くだけで何か叶うと思ってるところね。

人生選択肢他人に委ねて、委ねられたほうは従わなければ罰だ地獄だと脅しをかけて支配する。これもう最悪。

まあ今日ラッキーカラーを信じる程度はかわいいもんだけど。

本当は、いっそ正式に入信してみようかとも思った。

でも調べてみると色々問題があったり、どの神様も愛と平和を解いてるはずなのに内部抗争があったりとちょっと怖い。おまけに自分敬虔教徒になれる自信もない。なので家で勝手に学ぶ事にした。在宅信仰

やってることは名言bot毎日見てそれに感銘を受けることと何ら変わりないと思う。

ようするに自分の中の決めの問題なんだよね。

嫁の言葉萌え毎日元気を貰ってたらそれも立派な信仰なんじゃないかと思うの。

あと、結局他人で叶えられなかった事(=自分をわかってくれる人が欲しい)を別の何かに置き換えただけで、果たしてそれで良いのかという疑問は今でもあるわけなんだけど

実在他人に期待するより、架空の何かに期待したほうがマシかな。と思う事にしている。

とりあえず宗教本って、昔から人が苦しんで悟った事が色々書かれてて、最古かつ最大の自己啓発本だっていうのが今のところの感想かな。

2014-07-02

俺の思い出話と、ある宗教を嫌いな話

六月の途中くらいから書き出して、七月になってしまった。

ただの好き嫌いの話で、長い思い出話。

思い出話で恥ずかしいから特定されないように細かいことをごまかして書いた。

長えよ、と言われる前にまとめると

「ただの長い思い出話で、宗教が原因で好きな景色が無くなったから、俺はこの宗教が嫌い。」

というだけの話だ。具体的な宗教名は書かない。

六月になると亡くなった祖父を思い出す。祖父が亡くなったのはずっと前の年の瀬来年は会えないかもと入院中に見舞ったのが最後になる。

田舎に住んでいた。両親は同じ地域出会い結婚したので、母方の実家チャリンコ必死に行けばたどり着く距離だった。車では20分くらいか。

思い出す祖父というのは母方の祖父。母はパートがあったので、小さい頃は週の半分以上、学校から帰ると姉と一緒に預けられていた。

その頃は祖父との思い出はあまりない。働き者だったので、俺と姉が預けられるとすれ違いで仕事に行ってしまう。あとから聞けば介護施設ボランティアみたいなことをしていたらしい。祖父が出勤前、早めの夕食をとる食卓で、俺と姉が一緒に座って、その日の出来事を喋ったりしていた。たまに仕事のない日には、ご機嫌、というかんじでビールを飲んでいた。この家は小さな商店だったので、好きなジュースを選んで良いぞと言われて、俺たちは普段の食事時には飲めないジュースを喜んで飲んでいた。

もちろん遊んでくれた記憶もある。夏休みクラスでただ一人乗れていなかった自転車の特訓に付き合ってくれた。川で泳いだりとか。姉ちゃんと喧嘩して両成敗でゲンコツとか。

母方の実家、小さな商店をやっている、ややこしいのでA家としよう。

A家に頻繁に預けられたのは小学生の頃で、中学高校と成長するとそういうのは無くなった。

頻繁に預けられたA家は、よくある、たまに帰省するじいちゃんばあちゃんち、になっていった。

祖父はある病気になった。不調を誤魔化しごまかし過ごしていたのが、発覚したというか。A家の家の中は帰省するたび介護向けに変わっていった。母の兄弟、俺の叔父趣味日曜大工だったので、楽しい変化だと思ってた。(おっちゃんスゲー!階段つけ直したの?!みたいなかんじだった)

手すりが付く。急な階段は段数が増える。トイレ洋式になる。手すりが増える。掘りごたつからテーブルになる。布団がベッドになる。自動で昇降するベッドに変わる。喋れなくなったのでナースコールボタンが付けられる。指先で押せなくなったから顔の横にボタン

じいちゃんはどんどん悪くなる。ばあちゃんのやっている介護は、自宅介護でそんなことするんだ、というくらいプロみたいな作業までこなしていく。詳細は省くけど、いま思い返すとあんなことを無給で、かつ無休でやっていたのは驚く。もちろん医者ヘルパーさんが来てはいたけれど。

中学の後半くらいから、俺はデジカメを触るようになって、ホームページを作って風景や花の写真を載せていた。季節ごとにA家に顔を見せる程度の帰省をしていたので、A家の裏の田んぼだとか、家の軒先にあるバラだとか、そういう写真を撮った。本当にきれいだった。通り雨のあとの、雫が付いた葉っぱとか。俺には写真の才能があるんじゃねーのかと、進路相談の時、ニヤニヤを隠しながら担任に見せたら、景色やバラを褒めるので、あ、俺じゃなくて被写体がよく出来てるんだな、と気付けた。(担任も良い趣味だね、とだけ言う程度のレベル

それでも見せれば褒めてくれる祖母にプリントアウトして渡した。次に帰省すると写真立てに入れてあって、寝たきりの祖父が見るテレビ台の横に飾られていた。

正直に言うと、帰省してもすることが何もない田舎の家で、あんなに元気だった祖父が寝たきりの様子を見ていたくなかったから、理由をつけて外を散策するために写真撮影趣味だとしたんだった。そんな写真を、飾っている。申し訳なく思った。

大学に進学して実家を出た。一年に一度か二度、実家帰省するついでにA家にも顔を出す。時々A家ではなく病院だった。

大学二年の頃だったか帰省するとバラがなくなっていた。A家は小さな商店かつ小さな農家でもあったが、家の裏手、裏庭のようなスペースはすっきりとなにも無いような、更地というほどじゃないけど、なにも、なかった。

母に尋ねると、手入れがねぇ、みたいな答えで濁す。そりゃあ、あんなに大変な介護だ。仕方ない。でもどうしても寂しい。友達が知らぬ間に引っ越していた、という感覚が近いかもしれない。A家の周りががらんとして、入院しているため家の中もがらんとしていた。窓の外から見える裏庭みたいな農地の緑がない。小さなぶどう園は支えの柵だけになっていた。姉は俺よりは多く帰省していて、草花を刈った話は聞いていたらしいが、目の当たりにしたのは初めてらしく、ショックを受けていた。というかちょっと泣いていた。俺よりずっと思い入れがあったらしい。その時まで知らなかったが、初孫である姉が生まれた年に植えた木があって、その木までも全部なくなっていたのだ。

それから数年も経たないうちに、祖父が亡くなった。小学生の時、きげんよく晩酌していた祖父に○○ちゃんが大きくなったらこれを飲もうなと言われた。俺は本当に未成年のうちに酒を飲んだりしなかった。でも成人したところで、祖父は寝たきりだったし、普通食べ物すら食べられない状態だった。

葬式が終わって、A家から実家へ帰った。親戚が父と俺と姉を車で送ってくれた。母はA家に留まった。父は禁煙していた煙草を吸いながら、運転手をしてくれた親戚のおばちゃんとコーヒーを飲みながらぽつりぽつり喋っている。姉はその輪の脇で黙って座っている。俺はすぐにでもスーツを脱ぎたかったが、とりあえずその部屋からは出ないでおいた。葬儀のあとの食事?宴会?で、これでもかと酒を飲んだので、半分寝ながら部屋の隅にいた。従兄弟下戸で、その分まで飲んでたからほんとフラフラになりつつも、みんなまだ着替えないから着替えちゃ駄目とかそういう決まりがあんのかなと寝そうになりながら携帯をいじる。

変な葬式だねとか、やっぱり○○だねとか、そういう話から、姉も会話に加わる。

挨拶してたのは導師さまとかいう奴」

「たぶんね、そういう仕組みはよく知らない」

「○○の木を切れって言ったのあいつなんだ」

なにそれ。俺は隅っこで携帯をいじってたけど、思わず声になった。

祖父が寝たきりになってから数年して、仏壇雰囲気が変わった。その頃俺は中学とか高校くらいのガキなんでよく分かってなかった。いまでも詳しくは知りたくない。

有名な、ある宗教だ。この長い思い出ばなしはこの宗教が嫌いだと言うだけの長話だ。たんに俺の好悪の話なので、具体的な名称は伏せる。

経緯は分からないし知りたくないが、浄土真宗だとかのいわゆるよくある宗教から、その宗教に変わったそうだ。祖父が寝たきりになったところにつけ込んだような気がしてしまう。

祖父が患ったのは国の指定を受けるような難病で、そんな夫と共に生きるためには、新たな宗教必要なのかもしれない。それは仕方ない。祖母が生きるためには必要だったはずだ。

その宗教の、導師さまとかい地位の人が、A家に来てくださって、アドバイスをくださったらしい。

伝聞の伝聞くらいのことしか俺は知らないため正確にはどう言ったかからないが、そいつは、A家にある緑が祖父の生命力を奪っていると言った。

から草花を切りなさいとまで言ったかは知らない。じゃあ切らなきゃねと祖母が感じただけかもしれないが、そいつはそんなことを言って、次にA家へ来たのはじいちゃんの葬式の時だけ。

だって風水で西に金色のものを置くと金運アップと聞いたらなんとなく西に金色を置きたくなるし、ラッキーカラーは青ですなんて言われたらメモを取る時のペンを青にしようかななんて思う。ただ俺の機嫌がよくなるだけだ。その程度でいい。

祖父は、ALSだ。筋萎縮性側索硬化症根本を治すような、有効治療確立されていない。指定難病だ。

導師さま曰く、祖父の健康を吸い取っているのは、ぶどうの木や、小さな露地栽培野菜、姉の生まれ年に植えられた木、雨露がかかると一層美しいバラたちだそうだ。

腹が立つというより、呆然、というかんじだった。

A家周辺の景色や、草花の写真がきれいに撮れたから、嬉しかった。ばあちゃんも褒めてくれた。寝たきりのじいちゃんが見るテレビ台の所に飾ってくれた。姉ちゃんが泣いたくらい思い入れのある木。いろいろある。いろいろあった。

祖父が亡くなって一人になった祖母は、田舎の狭いコミュニティの中で孤立したりしなかった。宗教のおかげだ。会合に参加したり、そこのひとたちとバスツアー旅行に行ったり。それだけは、よかったと思う。

それでもあの宗教は、嫌いだ。祖母も草花を刈ることで病気になにか影響すると真に思っていたのではないと思う。俺の撮った写真だけでなくほかの人が撮ってくれたバラの写真も残していたし。本当に病状に関わっていると信じていたら、写真すら残さないと思う。

祖母も亡くなり、何年も前から、このA家にまつわる話をぼんやりと思い返しては、増田にでも書こうかなあと考えていたが書き切れたことはなかった。

五月や六月の、バラがきれいな時期になるとどうしても書いておきたくなった。

あんなにきれいな景色が寝たきりの祖父の生命力で育っていたらロマンチックだ。ファンタジーだ。ふざけんなあり得るか。

先日、姉が結婚した。なにか特別に贈ろうと写真データを見返していたら、姉と同い年のあの木が写った、緑豊かな写真があった。あげたらすんげー喜んで泣くから俺も泣いちゃったよ。

じいちゃんもばあちゃんも大好きだ。病気はどうしようもないし、ばあちゃんの選択は過ちではない。必要だった。生きる上で、大切な指標で、手段なのだろう。

それでも、その選択肢を救済のように与えたあの宗教が、嫌いだ。

俺の好きな景色や思い出を、踏みにじられた。そう思ってしまうから、あの宗教は、どうしても嫌いだ。

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