はてなキーワード: ナイーブとは
父親とかの第三者がカップ数設定を書き込んだなら、器物損壊や著作権法の同一性保持権違反だ。
だけどそれは、「カップ数で中学生の女子を傷つけた罪」ではない。
平均的な中学生女子は中学生女子キャラのカップ数設定が書かれたくらいで傷つかない。
もし傷つくくらいナイーブなら、それはキミの心の弱さだ。
普通の人が耐えられる程度の描写は、フィクションの読者は、受けて耐え忍ぶことが要求される。
俺は中学生男子だったときに、絵が上手い友だちに嫉妬したことがある。
友だちは放課後に黒板にチョークを使って美少女の萌え絵を描いた。
https://ja.asayamind.com/squanto-true-story-native-american-behind-first-thanksgiving
(和解後)
両者は彼らの関係について批判を受けた。エックフォードはナイーブまたは寛容すぎると非難され、ブライアンは偽の日和見主義者であると非難されました。
彼女は特に、何年にもわたって人種差別の顔であった後、彼女が和解の顔であることに憤慨した白人から批判を受けました。
エックフォードは、ブライアンが本来あるべきほど自分の過去を所有していないと信じており、彼女があまりにも注目を集めているのではないかと疑い始めました。
何も和解できてなかった。
友情は育まれなかったし、許すことも無ければ許されることも無かった。
ここ最近限界アンチオタクが男性向け作品に対してアヤをつけるスプレイニング行為をしているという文脈を無視してる人が多いと感じる
例として今月の16日にはてな運営によって人気エントリ入りから除外された記事を紹介する
https://togetter.com/li/1944498
(何故除外されたと思ったかはhttps://b.hatena.ne.jp/site/togetter.com/?page=15(現時点でのショートカットなので適宜遡ってくれ)の9/16前後に表示されないから)
このように限界アンチオタクが男性向けのイラストに対して悪意を込めてツッコミを入れるという行為がごく最近観測されている
なので一部ブコメ等に見られる「○○警察のようなものでどうしても気になったものにツッコミを入れているだけ」というのは
かなりナイーブな解釈であって、知っていてそう言っているならカマトトぶってると言わざるを得ない
暇な空白(暇空茜)がColabo及び仁藤夢乃に対して詰めているのを私怨ではなく
都の会計監査に疑問を呈しているだけというくらいカマトトぶってると言えば分かるだろうか?
個人的にはあの洗濯バサミは「普通じゃないズボラ」を表現するアイコンというのを理解できない奴が
保護と抑圧は地続き、っていう話は初めて聞く。
まさしく!
それこそが俺がジェンダーレス水着批判で言いたかった事なんだよ。
被害者に自衛を迫り、性欲のまなざしを向ける加害者の罪を透明化すること。
そうしているうちに女子たちは性を抑圧されていくだろう。
しかしフェミニズムと弱者男性論を接続する新理論を打ち立てた増田の話を参考にして、また違った考えももった。
それに俺の言っていた、『ジロジロ見る男子をAIで検知して名前を読み上げる』ってアプローチは、
男子をより警戒対象として潜在的社会悪としての自己認識を内面化するように迫る側面はある。
平和ボケした連中が多いのか、スルーされてしまった俺と友人の入魂の問題提起を。
共有するに値する重要な論点だと思ったのだが、泣く泣くお蔵入りにせざるを得なかった。
疑問はこれだ。——…どんな状況なら核を落としていい?
世界大戦が終盤になって、これ以上の犠牲者を出したくない場合。
まさに第二次世界大戦時のアメリカが置かれていた状況なら、核を落とす選択はアリか?
それとも非人道的で凄惨な被害をもたらすことが自明だから、やっぱりナシなのか。
現実の歴史を離れて、思考実験としてあなたが為政者だと考えてみて。
人間同士の戦争で、核を落とす選択は、どんなときにアリなのか。
こんな状況なら核を落とすのは仕方ない、核を落としても何ら責めを負うべきでない、と言えるのか。
「核を落としていい判断基準」があるはずだ。
そんな答えもあるだろう。
あなたに追加で聞きたいのは、ならばその選択基準を今度は現実の歴史に当てはめると、どーなる? ってこと。
俺がアメリカ人の友だちに聞かれたのは、そんな話なんだ。
「マスダは当時のアメリカの判断をどう思いますか? 日本人として。」
ずいぶん前から親しくしているアメリカ人の友だちに、そう聞かれた。
俺は兼ねてから教科書的平和主義をナイーブに信奉していた。というか、ちゃんと考えてなかっただけなのだが。とにかく当時思ってた意見を素直に答えた。
するとアナンダはこう答えた。
「ということは、マスダはアメリカを責める訳ですね。」
日本はあんな事をすべきじゃなかったし、俺は同じ日本人として当時の連中の判断を断罪する。
もちろん未来に生きる俺の責任はゼロだ。実際の判断に無関係だから。なので謝意は無い。でも断罪はできる。
アナンダも首肯してくれた。
しかし「先に攻め込んだ日本の罪は当然の前提として一旦横に置いておくと」アメリカが核を落とした判断は、どうなのか。
アナンダの追求に俺はシドロモドロになってしまった。どうしてかアメリカの判断が悪いと個人的な宣言をする事さえ出来なかったのだ。
その答えは、実際の現実にも当てはめられるハズだ。