はてなキーワード: エレンとは
闘病していた母親が危篤になり、いよいよ最後の数週間となった。
急な対応に備えてしばらくの間のプライベート・仕事の予定を調整した。
残念ながら少しして空のお星様になってしまったのだが、最後の数週間にはいろんな人に声をかけてもらった。
感じ方には個人差はあるが、以後参考にしてください。
※順位変えました
でも多少無理する必要もある、という時に言われるので微妙だったりはした
今言うことか?誰を責めてんだよ
この延長で自分の今後の参考のために症状聞いてくる感じの人も結構いた、参考にすんな
8位「なんでそんなに悪くなったの?」
なんでだろうね?
7位「今症状どうなってるの?」
仕事の関係なら出勤の都合もあるし全然問題なかったけれども、ただの興味で連絡してくる人も数人いた
親族に連絡するだけでも大変なのに、なぜ赤の他人に説明しないといけないのか
6位「いつでも話聞くよ」
これは他の嫌な言葉とセットなことが多い
当人達が一番思っている・後悔している事をわざわざ言ってくるやつ
年配の同じ立場の人ならわかるけど、何故か若い人に複数言われた
こっちは少しでも幸せを感じてもらおうと身を削ってるのに、簡単にこんなこと言う人の気が知れない
そもそも死に向かってるのに幸せなわけない、それをなんとか誤魔化してるんだ
なんで代弁したがるんだろうな?
3位「なんで会いに行かないの?」
行けたら行くに決まってる
しかも事情を知っての発言なので想像力とかいう次元じゃ無い、軽く反コロナの感じ出してきてるだけ、それ今か?
どこで覚えたんですか?漫画ですか?
それはお前が判断することじゃない
良いわけない
死なないのが一番いい、不幸と不幸を比べたところでどちらかが幸福になることはない
「癌で死ぬ時って最後断末魔あげるんだよ、聞いたことあるけどひどいよ」
とても長い付き合いだったけど友人やめた
「息子が母の体を焼くスイッチ押すんだよ、酷いよね」
上と同じやつ、多分こいつサイコパスだと思う
論外「こういうのは運命だよ」「風水的によくないことをした」等宗教系
よく考えたらこれ系は相手を軽蔑したと言うだけでダメージはなかったので番外というか論外にした
論外「持論を語る」
病気についての持論、人の死とは…など
よそでどうぞ
これも不快だが、今後のためにも「こいつはとことん思いやりがない人間である」ということが分かって良かったなと言う感じ
目上の人間に多いな
数が多かったのは気持ち代弁系。
持論ぶちこんでくるようなやつは普段から問題のある人間なことが多いのでバリア張ってたが、ランキング入りしてるものは普段とても善良に見える人に不意をつかれる感じだったのでより悪かった。
こちらが敏感な分、相手の気持ちを真に思いやっているかどうかが露呈するシーンなのだなと思った。
中には、「自分が相手の辛さを見抜いてしまうので、よく優しい言葉をかけて部下を泣かせてしまう」と豪語する人もいた
嫌すぎて、でも反論する気にもなれなくて泣くこともあると覚えておきたい。
同じく親を亡くしたことのある人達は、自分の経験を教えてくれたり他の話題で気を紛らわせてくれたり、とても寄り添ってくれた。
まずあまり多くのことは聞いてこなかった
予定に融通きかせてくれたらそれだけでいいよ。
ここまで言っといてなんだけど、声をかけようとしてくれた気持ち自体には感謝してる。
ただ言葉そのものには棘があったので吐き出すことで浄化したかった。
とはいえ、今後深い付き合いはしないだろうと思った人はかなりいる。残念だ。
ここ最近、もはやBLはあまり流行らなくなってきているのではないか? という気がしている。
ちょっと前にはBLにしかなかった関係性が男女のカップリングでも問題なく描かれるようになってきたような。
たぶん、『進撃の巨人』『鬼滅の刃』が関係しているのだと思う。どちらも戦闘に関しては男女差というものがあまりなく、女性の戦闘員が男性の戦闘員と肩を並べて戦うからなのかな。(厳密にいえば『進撃の巨人』では立体機動で体格と身体特性で女性有利、『鬼滅の刃』では白兵戦で体力面での女性不利、という設定があるけれど。)
対等な者同士のカップリングなら、どうせだったら無理矢理男同士をくっ付けないで、原作にあるカップリングそのままで萌えたいみたいな感じだろうか。進撃のエレン×ミカサ、鬼滅の伊黒×甘露寺なんか、結構人気。
ネタバレしとくと始祖ユミルは王様への恋が断ち切れなくて2000年悩んでてその悩みの解決先をミカサに託したわけでミカサの恋心がキュンする度に頭痛が下のはユミルが脳を覗き見してたからなのんでミカサとエレンは相思相愛だったんだけれど戦争と運命のせいでガッサーー引き裂かれてたけれど最後はミカサがエレンを斬首し且つキスすることでユミルはんもニッコリというプロットやわそいでエレンも相当先の未来を見通してたんだけれどユミルはんは皿にその一歩先を見通しててだからエレンは最終的に巨人の居なくなる大団円な未来は見通せたけれど何でそうなるかは分からないし味方同士の殺し合いはハラハラ感あったけどユミルはん的にはそこはお見通しではあったがそこから先がわからんだからどうなるかミカサおせーてといった塩梅でオカピ使いながら吉田沙保里よろしくこっそり然るにしっかりヲッチしてたらミカサが一瞬夢と妄想の現実逃避しそうになったが最後のガッツーン来た頭痛で真の愛を見出して何故か分からんが巨人のエレンの口の中に首のエレンがいることを伏線1オングストロームもなしにズバリ言うわよと細木確信でリヴァイを使役しつつ前述した首チョンパアンド情熱のキッスでエンドや。
進撃の巨人が完結したようだけれど、進撃の巨人が大流行していた10年前、様々な名言が取り上げられていた。
初期の諫山創の、狭い「内側の日本」だけにとどまらず世界に対する厭世的な見方、皮肉的な見方が
人によっては受け、人によっては鼻についたと思う。
「もし人類以外の強大な敵が現れたら人類は争いごとを辞めるだろうと昔誰かが言った。エレンはそう思うか?」と
それに対してエレンは「呑気な考えだ」と一蹴する。
初めてこれを見た時、唐突だなと思った。多分、諫山創の伝えたい個人的な考え方だったのだろう。
それを自分が見た時は東日本大震災の後だったので、絆とか言われてる時代、この見方はちょっとへそ曲がりな見方すぎるんじゃないか?と思ったものだ。
でも今回のコロナではっきりしてしまった。コロナの状況は進撃の巨人に似ている。外に出なければ、経済活動をしなければ比較的安全、死ぬこともない。しかし放っておけば、壁を「ウィルスをまとった人間」が破ってくる。
脅威は持続的で、永遠とも思える長い時間が過ぎる。グローバル化、医療の発達によって安全だと思ってた自分達も、蓋を開ければ結局インフルより少し強い程度のウィルスで支配されていたことに気付いてしまったのだ。
それで、人類は争いごとを辞めただろうか。
老人たちは壁の内側に籠り、若い人間を派遣させ「経済」という得体の知れない巨人によって食われていく。人々は責任を押し付け合い、誰かを敵に仕立て上げワイドショーで叩く。
中国から始まったウィルスなのに、飲み屋を叩き、そこに行く隣人を叩き、飲み屋を制限しない政治家を叩き、政治家は夜の街と若者を叩き、絆とはかくも脆いモノなのかと思わされてしまった。
私の好きな漫画の一つ「左ききのエレン(原作版)」が、現在無料で公開されている。
好きだと言いつつもこれまで無料で読める範囲でしか読んでおらず、飛び飛びになっていた部分もあったので、一気に読み返してみた。
連載開始が2016年。5年超の期間、170話以上(第2部であるHYPE含む)の内容を、全く淀みなくストーリーを展開できる作者のかっぴーさんは本当にすごい。
ただし、作者さんが願う「もっと作品が売れてほしい、多くの人に読んでほしい」を実現するには物足りないところがいくつか見えてきたので、匿名で書きなぐっておこうと思う。
その前に、この「左ききのエレン」はどういう漫画かというと…
美大卒で広告代理店に務める主人公・朝倉光一と、高校の同級生で世界的な画家となった山岸エレンが、互いに影響を与えたり与えなかったりする物語。
キャッチコピーは、「天才になれなかった全ての人へ」。
…なのだが、多くの読者の支持を得るにはいささか物足りない部分がいくつかあるので、挙げていく。
(以下ネタバレ含む)
例えば、近年巷にあふれる、なろう系小説。
現実世界ではイマイチだった主人公が、異世界転生したら色々無双し、女にもモテる、ってなストーリー。
その主人公には、明確な「属性」、すなわち異世界で有能たる「理由」が与えられる。
地球よりも重力が弱いとか、ブラック企業勤めで激務への耐性があるとか、なんかのレベルがいつの間にか99になってたり等々。
翻って本作「左ききのエレン」にはそういうものはなく、主人公の光一は美大を出て広告代理店に就職という、なかなかの難関をくぐり抜けているが、広告賞には縁遠く、イマイチな社員として描かれている。
それなのに、世界的な画家、トップモデル、写真家といった面々と一緒に仕事をし、絵描き相手には自分のイマイチな絵で挑発してみたり、モデル相手にはファッションショーの場をグダグダでまとめきれなかったり、写真家相手には世紀の一枚を台無しにしたり、いまいち間が悪いムーブを繰り出しているにもかかわらず、なぜか気に入られて関係が発展していく。
あと、なぜか女にモテる。このへんはあまり詳しくないので置いておくとして。
正直、私の拙い読解力では、主人公の属性は「普通」「圧倒的な間の悪さ」くらいしか読み取れない。
これでは読者は「読者が送る、つまらない日常を肯定するメッセージ」も「主人公が読者と圧倒的に違う、これはフィクションなのだと納得できる材料」のどちらも得られないよなぁ…と思う。
(かと言って、主人公の光一は、作者のかっぴーさんが「広告代理店をやめなかった(仮定の)自分」と公言しているので、もしも主人公TUEEE展開をやられると、そのまま作者の俺SUGEE表現と受け取られ、ちょっと鼻につくかもしれないよなぁ…)
例えば「DEATH NOTE」「バクマン。」は、それぞれ作品の核は「ノートに名前を書く」「漫画を執筆する」という、絵的に地味なものである。
しかし、作者はその地味さを知った上で派手に見えるようにストーリー・作画上で様々な工夫をこらしていた。
「DEATH NOTE」ではノートの主導権の取り合いから生まれる心理戦をストーリーの主軸にしたり、「削除、削除ォ!」と派手な演出をしてみたり。
「バクマン。」では漫画作者同士のバトル要素を存分に膨らませたり。
翻って「左ききのエレン」の主人公・光一の仕事の多くは、社内調整とか地味な立ち回りが多い。
光一が最もカッコよく描かれていた場面は、クライアントの素直な意見を促して形にするという、これまた絵的に地味なもの。
「照らす側の仕事もあるんだよ」と言われれば聞こえはいいけど、地味な仕事を派手に見せるやりようはあるんじゃないかな…と思う。
作品序盤で、エレンが米国で記者会見をしていることから、彼女は世界的なアーティストになっていることを示唆している。
これを高校生の姿と同時に見せられたら、読者は「エレンが世界的アーティストになるまでの過程を示してくれるのだな」と期待するだろう。
だが、本作で示されるストーリーは、多くの読者が想像するであろう「絵を描き、それが評価され、また絵を描き、より『上』の世界で評価され、を繰り返していく」類のものではない。
ちなみに、作中でエレンが描いた作品として示されているのは、2つだけだ。
そのかわり、本作(のうちのエレンパート)ではエレンの「仲間との出会い」や「作品を通しての対話」に重きが置かれている。
そこには「仲間と出会ってこんな作品が生まれました」もなければ「他のアーティストの影響を受けてこんな作品が生まれました」もない。
「芸術とは対話である」と言うのもわからなくはないが、読者としては「絵」という見える形で通過点なり到達点なりを示してくれたほうが読みやすいのかもなぁ…と思う。
(同じ作者さんの漫画「アントレース」は節目ごとに作品(服)を、鮮やかなアイディアと共に示していて、凄いなぁと思ったけど、3巻で完結してしまった)
本作の主人公・光一は「天才でない存在」として徹底的に描かれている。
光一がもがきながら見つけた生き方は「照らす側の人生」。モデルにスポットライトを当てるような、太陽に対する月のような役回りである。
しかし、彼は才能に溢れる人達に囲まれ、運としか言いようのない人脈で今の地位を築いている。
本作には「どうすれば自分が照らすべき才能と出逢えるか」、あるいは「どうすれば天才と会ったチャンスを物にできるか」については描かれていない。
そんな状態で「照らす側の人生もいいぞ」と言われてもねぇ…という気分になってしまう。
また、本作では「才能とは集中力の質である」として集中力の質理論が展開される。
興味がある人は調べて読んでもらうとして、結論としては「集中力の特性の差に優劣はなく、それぞれ向いた仕事がある」といったものだ。
ただし、本理論は作品の本筋ではなく「主人公・光一が集中力の質理論を駆使して成功を勝ち取る!」などと安いビジネス書のような展開もない。
自分が天才ではないと自覚している読者のうち、集中力の質理論を学んでより良い仕事に活かしている人もいるかも知れないが、それは作品の主題ではなかろう。
「天才かもしれない人」と「天才になることを諦めきれない人」に向けてなら「本気出してそれから諦めろ」もいい。
「天才になれなかった全ての人」は、「左ききのエレン」をどう読み解けばよいのだろう?
私はまだ、この作品を掴みきれていないのかもしれない。
ゆうて全体で見るとクソ派手消化試合なんやが、人によっては最高すぎるシーンが散りばめてあったのでな
あんだけ割り切って色々やったエレンが全然割り切れてない所が最高すぎる
エヴァとか最後「あ、アスカ?ま、ええ女やったね。綾波も可愛かったわな。カヲルくんもほんま都合のええ彼氏ムーブあざっした。ゆうてとりま目の前の巨乳と付き合うのが正解よな(実写俳優の声で」って割り切り方やん?
ちゃうやん?
いきなり大人になりすぎやん?
少年漫画夢見てばっかはゲンドウやからシンちゃんは大人になるんやって言われても、それエヴァとして違うやん?
その点エレンは満点よ。
なんか大人になった感出しちゃったけど本当はうわあああああああ!!!!あっ、ちょっ、今の忘れて、あっマジ恥ずかしーーーー!!!
これよな。
少年達が傷つけ合いながら大人になりながら、子供の頃の大切な気持ちを失わずに最高の戦友になっていく漫画やから。
その気持ちを忘れてないんだよ。
読者はその気持ちになりたくて読んてるんだよ。
巨人を駆逐してやる!と叫んだ少年達の真っ直ぐな思いの導く未来が見たいんだよ。
こんだけ超大型漫画になって、それでもまだ初志貫徹して読者の方を向き続けたのはヤバイね。
最後まで進撃の巨人は、エレンは、アルミンもミサカも、俺の知ってるままだったし、俺が見たいものが見れた。
これだよ。
これが出来るのは本当に凄い。