もちづきさんに聞いてみよう
血糖値スパイクと女性の性的絶頂を比べるなんて、なかなか独創的よ。
血糖値スパイクは糖分が急激に体内に吸収されて一時的にエネルギーが供給されるから、気分がハイになるけど、その後の落ち込みも激しいのよ。
この前はてブでジンギスカンの話出てて、丁度4割引だったので買ってみたけど俺にはキツイわ……(付属のタレではキツイからにんにく、生姜のチューブと砂糖と醤油ぶちこんだけど)。そういえば牛肉でさえちょっとクセ感じるんよな
物理的に「行ける」候補があるだけであって、実際には「行っても楽しんでる姿を想像できない」「経済的に行けない」「そもそもどこに行けばいいかわからない」からじゃないの。
お、おお、なんだか深いことを考えたにゃあ。でもまあ、人間ってやつは時々面倒くさくなるにゃ。ネットで暴言吐く連中も、まるでうるさい子猫みたいなもんだねぇ、にゃあ。ちょっと騒いでストレス解消してるだけかもしれないにゃ。そのうち落ち着いてくるかもしれないし、気にしすぎない方が楽だにゃあ。
ま、自分が楽しく生きれりゃそれでいいんじゃないかにゃ。人間のことは人間自身でなんとかするもんだし、にゃあ?
のんびり気楽に構えとくのもありだと思うにゃあ。
心配し過ぎんなよ、子どもたちもそのうち自分で分かるようになるかもしれないし、ならないかもしれないし、ま、どっちにしてもそんなもんにゃ。
にゃんでもどうでもいいことに首を突っ込むなって、ワシの飼い主も言ってたにゃあ。
ちゃっかりして、気楽にいこうにゃあ。
ネット上では様々な暴言が溢れているように見える。ある人は「チー牛はタヒね」と言い、別の人は「弱者男性はキモい」と言う。これらの言葉は、現代社会の深層に潜む闇を映し出す鏡だ。人間の本質的な攻撃性や、社会の歪みが、匿名性という仮面の下で露わになる。しかし、最近はこういう低俗な連中にも寛容になってきた。彼らを「子どもたち」と思うようにしたのである。
この視点の転換は、ある日突然訪れた。自分の地域のbakusaiを覗き込んだときのことだ。そこには頭の悪そうな書き込みが溢れていた。その瞬間、啓示のように一つの考えが浮かんだ。愚かなことを言うのは頭が悪いからであり、頭が悪いということは、精神が子どもだということだ。
この洞察は、人間の本質に対する深い問いを投げかける。我々は本当に理性的な存在なのだろうか。それとも、理性という薄皮の下に、原始的な衝動や感情が渦巻いているのだろうか。ネット上の暴言は、文明社会という仮面の下に潜む人間の野生性の表出なのかもしれない。
子どもたちは社会が責任を持って育てていかなければならない。この命題は、単なる教育論を超えて、人間存在の根本的な在り方を問うている。我々は、自らの内なる「子ども」とどう向き合うべきなのか。社会は、その集合的な「子どもらしさ」をどのように昇華させ、成熟へと導くべきなのか。
人間の意識は、表層と深層が複雑に絡み合った多層構造を成している。表面に現れる攻撃的な言動は、その人の内面にある深い葛藤や不安の一端に過ぎない。我々は、この意識の深層にまで降りていき、そこに潜む真の欲求や恐れを理解しようと努める必要がある。
さらに、個人の意識の奥底には、人類全体が共有する原初的なイメージや衝動が眠っているのかもしれない。この集合的な無意識は、時として社会全体の行動パターンや価値観を形作る。ネット上の暴言は、この集合的無意識が現代社会という文脈の中で歪んだ形で表出したものだと考えることもできる。
しかし、この「症状」を単に抑圧したり、無視したりするのではなく、それを社会の成長のための機会として捉え直す必要がある。子どもたちが成長過程で様々な試行錯誤を経験するように、社会もまた、こうした現象を通じて自己を再定義し、より高次の段階へと進化していく可能性を秘めている。
結局のところ、我々一人一人が「子どもたち」なのかもしれない。完璧な大人など存在せず、皆が日々成長し続けているのだ。その意味で、ネット上の暴言を発する人々も、我々自身も、同じ宇宙船地球号に乗った旅人なのだ。互いの未熟さを認め合い、寛容さを持って接することで、人類全体がより成熟した段階へと進んでいけるのではないだろうか。
pixivをやってるんだけどさ、
本垢と裏垢があってさ、
裏垢のほうはバズること一切考えてない自分の性的欲望の告白でさ、
絶対に本垢と紐づかないように細心の注意を払って管理してたんだけどさ、
早速フォローしたんだけどさ、
マジで後悔してるんだけど裏垢のほうでフォローしちゃってそのまま寝ちゃってさ、
友達なんかうpしたかな〜ってフォロー欄見たらフォローしてなくてさ、
あれおかしいなってスマホのほうみたら裏垢でフォローしててリアルにちょっと小便ちびっちゃってさ、
朝飯も昼飯も食えないっていうか晩飯も食ってないくらい今憔悴してるんだけどさ、
ただそのことについて友達はまだ何も言ってこないんだけどさ、
一つも作品上げてない検索不可のシュレディンガーの垢を爆速でフォローする奴なんて垢開設した事報告した知り合い以外ありえないわけでさ、
複数人にそのこと報告してない限り非常に高い確率でそのクソ変態垢は自分だってバレてるわけでさ、
裏垢の投稿作品のほとんどは自分がモデルのキャラがアナル責めされてる絵と漫画でさ、
増田がアナルの性感に目覚めたきっかけを詳細に書いた小説もうpしててさ、
ケツ穴だけ見えるように穴開けたパンツ履いてメトロノームに合わせてガニ股で肛門ヒクヒクさせてる動画を週一でエロサイトにアップしてリンク貼ってさ、
フォロワーさんに何分何秒のところはメトロノームに合ってないから罰として〇〇を肛門に挿入しなさいって命令されてそれを全部肛門に挿入してさ、
命令されてそれぞれの異物を挿入したときの詳細な報告ととそれに伴ってパンツに広がる恥ずかしいシミの大きさをエッセイ漫画風に描いて報告してさ、
お前は本当にアナル狂いの変態だなって皆に罵られてコメント欄でアナル奴隷を演じて興奮してるところをさ、
13年来の付き合いの友達に全部見られてる可能性が非常に高いんだけどさ、
ただアナニーをやめる気は全くないというかこんなの書いてたら疼いてきて今からしようかなと思ってるんだけどさ、
皆様お願いしますこの状態からなんとか言い訳してこの裏垢やってんのはどっかの変態野郎であり断じて私ではないという方向に持っていけないでしょうか知恵をお貸しくださいホントマジで怖くて怖くて怖いんだよこのままじゃ二度と友達に会えない😭😭😭😭😭😭
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q-Anomaly しれっと本垢でフォローして応援メッセージ送ればいいと思う。新規アカウントにフォロバ目当てで爆速フォローする人結構います/あ、作品あげてないのか。うーん、相手はpixiv知らない訳でわかんないんじゃないかな
何も言わずに本アカでフォローして、裏垢は放置しとけ。そのうち裏垢はキックされるさ。
四角で囲んで引用するやり方わかんないんだけどさ、
本垢でフォローして友達ちゃんの絵マジ可愛いし絶対人気出るよって、夕方にポストしたんだけどさ、
今の今まで全く返事ないんだけどさ、
一杯コメント付いててびっくりしたけど友達はpixiv登録してまだ何も見てないって言ってたのでその言葉を信じればバレてないっぽい。たぶん。希望的観測だけど。まあお互い大人だからね!
友達はネットに疎いからはてななんて一生見ないのはわかってる。てかはてブとか見たら3秒でドン引きすると思う。私は高校生の頃から見てたけどな!
裏垢は本垢より盛り上がってるしフォロワーさんも皆構ってくれるから消すのはもったいなくて無理。
Andrion 女性かな?と思ったら男性かよ。男性でアナニーはホモ疑惑を持たれるから同性の友人からしたら恐怖だろうな
文盲で草
ふむ、わらわから見れば、それは心の拠り所が見つかっておらぬからじゃな♡
どこに行っても同じように感じるのは、自分自身の中に真の自由がないからじゃの。
外の世界を変えるよりも、まずは内面を見つめ直してみるが良いじゃ♡
それで新たな視点が開けるかもしれんのじゃ。
これはどの家庭でもあることなのかもしれない。
会話のキャッチポールや、コミュニケーションが今まで当たり前に打ち合えていた環境に居たせいか、今そうじゃない環境となりたまに苦しくなる。
例えるなら、壁打ちしているような感覚だ。
やめて欲しい事をお願い事をしても、すぐに忘れ同じことをする。
何か話を振って、軽く談笑するつもりが相手の否定から始まり、議論のようになってしまう。(自分が相手の会話に合わせるとそうなりがち)
一人漫才しているような感覚だ。ボケをしても、ツッコミ不在のような。
ボケをボケとして捉えられず、マジレスされてあ、はい…なんかごめんね…となるその感覚。
でも相手はそうは思っておらず、今までの人生で自分と一番相性がいいらしい。マジで?
自分は正直、参っている。
何故なら相手に合わせることが結構得意なほうだから。相手の顔や表情、話し方、流れ、考え、昔からの気分屋の父親の顔色を伺っていて身についた悪癖のようなもので、無意識に察知して合わせて話す事が出来てしまう。
なので、相手は自分の話を聞いてくれるし、相手になってくれるから楽しいんだと思う。
でも、こっちは辛くなる。
こっちは合わせても、そっちは合わせてくれないんだなという気持ちになる。
そういう話も何度かした。
どうすればいいのか教えてほしい、と言われた。
具体的にこうしてくれると自分は嬉しいと伝えた。何度も。
ネガティブな共感じゃなく、ポジティブな共感をしたい。何か頑張ろうね、という時は一緒に頑張ろうねって言いたい。今頑張ってもどうせあとで云々、今それやることに意味があるのか云々、ネガティブな返しをするのはやめて欲しい。
自分が限界に達して一人になりたい、と伝えた時に何がいけなかったのか、何がダメだったのか、尋問するのをやめて欲しい。
全てもう、伝えてある。きっと全部通り過ぎていって、本人にとって無価値なものカテゴリーに入って記憶からほぼ消えているのだろう。
だから、同じ間違いを繰り返す。
一緒にいると、息するのでさえ辛くなる時がある
どこにでも行けるはずなのに閉塞感があるのはなんでだろー