プリンターは本体安くしてインク代で回収するってビジネスモデルじゃん。
そんでインクがめちゃくちゃ高いって言われたり、サードメーカーからインクが出たりとあるわけで。
個人的にはこれに関してはあまり思うこともなく、もったいねぇなぁと思いつつ純正のインクを買い続けていた。
まあ高いけど仕方ないやね、みたいな感じ。
反対してる人に対しても「まあ気持ちはわかるけどそこまでか?ほかにやることあるやろ」ぐらいな感じだった。
でも最近タイトルの様に思うことが起きた。それは黄色のインクが切れた時のことだ。
黄色のインクが切れたと表示が出たものの、文書を印刷したかったので関係ないと思って印刷しようとしたところ
みたいな表記が出てきた。もしかしたら今までも似たようなことはあったのかもしれないが、この時は深夜で買うところもなく一刻も早く印刷しなければいけない状態だったのでめちゃくちゃ頭に来た。
なに代替案みたいなの出してんのや、と。
印刷はできませんがスキャンとかはできます、ってなんか意味あるんかと。
黄色がないからカラー印刷はできません、ならわかるけど黒インクしか使わないのに印刷できんっておかしいやろ、おい!!!
てな感じである。
一見選手ファーストのように見えるが、めちゃくちゃしんどくなってる。
もともとは4分30秒だったのが4分に短くなったことで、休憩する時間がなくなった。
一度でも滑りを見たことがある人は思い出して欲しい。手だけで演技している時間が20秒くらいあるはず。
これが休憩時間。(強弱をつけているように見せかけている。)
今回4分に短縮されたことによって休憩時間がなくなって滑りっぱなし。飛びっぱなし。
たった今宇野昌磨選手が滑っているが演技としての面白さが格段に減った。
無理やり休憩しようとしている部分も見えたし何しろ終わった後しんどそう。
そりゃミリやエムやシャニは話題になるほど人気がないだけだろう…
ミリシタは早くもアニバ効果が枯渇して15万以下のアクティブになったしMステに至ってはアニバやってたことすら知られてないんじゃないかってくらい話題にならなさ
様々な酷評がネットを覆っているが、致命的だと感じた部分を何点か。
(多くの方が酷評してるキャラデザはアリだと思っている。キャラクターは社会や歴史を描くただの駒なのだ。それでも石黒版ではキャラ描写が秀逸で魅力的だったことは確か)
メカがCGになり、数万隻の艦隊を描く作画上のハードルはかなり下がったはずだと期待していた。実際に描かれたのは普通のSFにありがちな芯の感じられないデザインの戦艦が重厚感、巨大感をまったく見せずに軽快に動き回り、戦術の深淵を感じさせない異常なハイテンポの戦闘であった。雰囲気が軽薄すぎる。
数万隻がダイナミックに関わる作品上の見せ場のはずが艦隊の遠景描写も近景描写も全く石黒版に及ばない。
クラシック音楽による重厚なBGMも、耳に残らないありがちなものに置き換えられてしまった。虚空に伸びる無数のビームの描写も消え失せ、もはや苦痛でしかなかった。
根本的にスケール感、質量感、雰囲気を描くことに失敗している。そのうえでSFとしてよりリアル、あるいは盛り上げるにはどうするべきかという改善を試みた形跡がまったく無い。
②背景美術の軽薄さ
前述の戦闘の雰囲気にも通底した問題だが、社会、文明、文化、生活、どのような世界にキャラクターたちが生きていてどんな雰囲気が漂っているのか、セリフに出さずとも背景1枚で多くを語ることが出来る。石黒版はそのあたりも実に巧みで、数百年続いたゴールデンバウム王朝の頽廃や、戦争に疲弊し制度や社会が麻痺していく同盟を実によく描いていた。
残念ながら、新作では帝国、同盟ともに最近のアニメやSFにありがちなものとなってしまった。同盟側は比較的現代社会に近いので新作の方向性としてこうしますよ、というのであれば受け入れられなくもないが、帝国側の描写は悲惨そのもの。西洋建築や文化に詳しいスタッフがいなかったのか?というくらい軽薄な、なんちゃってヨーロッパとミスマッチなSF、安っぽい貴族趣味的豪華さが同居した地獄となっている。貴族的近世的な文化と高度な星間社会との落差を石黒版では見栄え上は完全に近代的文明を感じさせない方法で乗り切ったが、新作ではどっちつかずの半端な描写となっている。
③単純に尺が足りてない
これは多くの方が言及しているが削りに削って再構成した石黒版でさえアムリッツァまで15話かけている。新作は12話かけて直前まで到達。尺が足りない。全く足りない。足りてないのを何かで補うわけでもなく、必要な描写をばっさりカットしていき、①や②で述べたようにそもそもすべてが軽薄。もちろん①や②が改善されないまま15話かけても駄作扱いだっただろう。(多くのひとが言うように世間的な評価にはキャラデザも当然影響している。私はあまり気にしないだけである)
大事な順に書いたので、①さえまともなら、他がグダグダだったとしても楽しんでみていたと思う。せっかくCGでいくらでも艦隊戦出来るのに活かせてないのは本当にツライ。そういう意味ではガンダムジオリジンはかなりうまくやっていると思う。艦隊戦やメカ描写に並々ならぬこだわりを注いでいることがよく伝わってくるし、アニメ版のガンダムを良い方向でリメイクしている。(オリジンはオリジンのアニメ化であって厳密にはリメイクではないという意見ももちろん承知している)
おなじく疑問に思う。
いまひとつ思い出せないのは、小学校だか中学校だかの性教育でマスターベーションを初めて習ったとき、どんなものをオカズにするものだと教わったか。クラスメイトの裸などを思い浮かべてするもの、というのは明らかにおかしい。
そのおかげで小さい頃なら会うことの無いような人達と友人になる事が多くなった。
(自分自身はちょっと背伸びした程度で、彼ら程度の地位ですらない。)
子供たちはいい家に住み、美味しい食べ物を食べ、良い学校に行かせてもらえて、身の回りには良いものを揃え、海外留学も他県の大学に行くかのような気軽さだ。
そしてそれを楽しいと思っている子が多い。自信と落ち着きを持っている。
自分は周りより恵まれていることを日々感じているからだろうか。
彼らに将来の夢を聞くと、なかなかしっかりとした答えが返ってくる。
「歪んでないエロ感覚」が「正しいエロ感覚」なのかなって思っちゃうんよね
つか、大体の人がエロについては多少なりとも歪んだ感覚を持ってるものだと思うし
健全じゃない気もするけど
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20130925025344
大人たちへ
この記事を読み、少しでも海運へ興味を持っていただけたのなら嬉しく思います。
日本国は島国海洋国家であり海運へ強く依存せざる得ない立地条件です。
「日本国経済は海から」という言葉もあるくらい、良いにせよ悪いにせよ経済的変動の影響は海運へ先に現れると言われています。
逆に言えば日本国海運が世界海運の中で悪い立場となれば日本経済へ悪影響をもたらすとも言えます。
IT産業や宇宙産業など新たな市場は開拓されていっていますが、日本国と同じく2000年の歩みを進めた海運産業へもその視線を向けていただれば幸いです。
「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。
言わんとしていることはわかる。(「究極の」という形容を削って問いをシンプルにしてほしい)
増田の仮説は
であるべきだった。
増田は、言い換え、究極の言い換えとまで言っている。ならば「文才がある人」=「意味が通る文章を書ける人」でなければならない。
「文才がある人」>「意味が通る文章を書ける人」では言い換えとは言えない。ましてや究極の……(自重)
増田は、言い換えと言ったにも関わらず、
「あともう一つ」をしてしまった。欲張りさんめ。
増田の文章は「文才がある人」=「意味が通る文章を書ける人」ではなく
「文才がある人」>「意味が通る文章を書ける人」「喋りが上手い」
となる。「意味が通る文章を書ける」「喋りが上手い」ということは「文才がある」ことを意味する要素のひとつに過ぎないのだから、どちらも「言い換えに過ぎない」とは言えない。
「究極の言い換えに過ぎない」なんて、あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ。
共に高みを目指そうじゃないか。
究極の……高みを……!
ラムちゃんも当時は叩かれたりしたのかな