2018-09-15

anond:20180915211627

「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。


言わんとしていることはわかる。(「究極の」という形容を削って問いをシンプルにしてほしい)

増田の仮説は

「文才がある人」とは「意味が通る文章を書ける人」である

であるべきだった。

増田は、言い換え、究極の言い換えとまで言っている。ならば「文才がある人」=「意味が通る文章を書ける人」でなければならない。

「文才がある人」>「意味が通る文章を書ける人」では言い換えとは言えない。ましてや究極の……(自重

増田は、言い換えと言ったにも関わらず、

「あともう一つ」をしてしまった。欲張りさんめ。

結果、文章内でもう矛盾が生じてしまった。

増田文章は「文才がある人」=「意味が通る文章を書ける人」ではなく

「文才がある人」>「意味が通る文章を書ける人」「喋りが上手い」

となる。「意味が通る文章を書ける」「喋りが上手い」ということは「文才がある」ことを意味する要素のひとつに過ぎないのだから、どちらも「言い換えに過ぎない」とは言えない。

「究極の言い換えに過ぎない」なんて、あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ。

いろいろ煽ったが、わたし文章を書く勉強中の身。

共に高みを目指そうじゃないか

究極の……高みを……!

記事への反応 -
  • 「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。だから(評価されたいのなら)大多数の大衆に理解できないような難解な文章を書...

    • 「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。 言わんとしていることはわかる。(「究極の」という形容を削って問いをシン...

    • 「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。 いや違うだろ。 「この人の言ってることが(よく)分かる」は文章を評価する...

      • 前提は共有されてると思っていたがそうでなかったようだ。俺が言ってたのは、はてブ界隈で(或いはtwitterなども含めていいけど、つまりネットの低俗な人たちが)実際に文才文才騒ぎ...

    • 「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。 言わんとしていることはわかる。(「究極の」という形容を削って問いをシン...

    • “文才がある”っていうのは“喋りが上手い”の言い換えに過ぎない 書いてあることの意味がわからない。言文一致のあたりから、よりわからない。 たぶんあなたは言文一致が何な...

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