もう六回は抜いたわ。
抜いたページを教えるから参考にしてください。
さわ子に見つめられて「ん?」という神林
神林の手を握るさわ子。
ぶっかけをこう、さわ子。
「何度でも聞くよ?」
「(広義の)サブカル」でええやん。
http://d.hatena.ne.jp/essa/20161029/p1
・短期的な、この件単体については、このまま出場停止期間を終える可能性が高いのじゃないかと。
金属探知導入、内部に収束、週刊誌の影響を抑える…恐らく竜王にとって想定した状況をすでに回避した後のように思いますので。
・将棋ソフトの開発者の方々は、大会前の最後のチューニングは評価関数の作りこみになるため、
「パラメータを変更」「変更前後で数千局ほど自己対戦」「有意な差があればパラメータを新バージョンで更新」
をずっと繰り返すのがかなりきついという話をしていて、そのとき少しだけ、「この部分は自動化できないのかな」と思いました。
ボナンザや技巧でいわれたようなメソッドの変化、駒関係などでの新たなパラメータ導入でない部分で、「将棋ソフトが強くなることを自動化できてしまう」可能性です。
またこの自己対戦は勝率以外は確認しないので、開発者にも大会のときくらいしかアウトプットされた将棋は見られないそうです。(それが最適なので。)
アウトプットされたその大会の将棋は、プロ棋士がこういう意味の手ですとリアルタイムで視聴者に解説している。
・将棋ソフトの大会で面白かったのは、逆転が起こる局では2つのソフトの評価関数で「両方とも有利だと判断している」という状況があって
そのときに「説得できた」「反省させられた」という言葉が使われていたことです。
一つの局面をお互い有利だと読んでいて、でも進んでいくと片方がやっぱりこれは不利だったと「説得されて」「反省する」。
勝ち負けと呼んでないのですね。すごい S・F・感 があった。
・「竜王」と呼ばれて通っているのは考えてみたらすごい話で、ドラクエの世界ですよね。
でも竜王の写真をみたら、「竜王だ」と思いますし。それを社会のある領域が認めている。
人の営みの中で、将棋のようなパズルが最も強いことは価値がずっとあって、その「理の際」についた言葉が「名人」だと思います。
「竜王」は名人に伍する新たな名として考えられたそうで。将棋の駒は戦にある人や人の乗り物で、でも「竜」だけは人の枠外にある。
ソフト連携の疑いを持った局をほぼ再現した上で、新規の手順で上回った竜王戦第一局は、プロ棋士がソフト将棋を取り込んでいく一つの形として凄みを感じました。
理の外でも、そういうものがある、と知った時点でどうしようもなく理の内側になっていく。
・「棋譜や読み筋からソフトサポートを受けたか推定」したそうですけど、ソフトとの一致はあくまで補助の話で、
「棋士単体」と「棋士+ソフトサポート」 の間での棋力推定をしたように見えて…。会心の一局で説明できるか、特定局だけ強くなったとしか思えないか。
しかし将棋をして相手を「アマ二段くらい」というにはアマ二段の実力では無理ですよね? 今回疑いをもたれた棋士の方はここ数年レーティングでおよそ10~20位。
そのような人の実力の幅を把握し、棋譜の実力を推定して比較し、「説明がつきにくい。確定ではない。」という計測ができるのが、世の中に 3,4人しかいなかった…?。
現役棋士の80%以上の人には説明できないわけで、合意を形成できるはずが無い気がします…。一致率、離席のタイミングは説明できますが。
さっさとその先輩にコクって振られたらええんや。
ハロウィンが嫌いだ。
だが、なぜかと問われると即答できなかった。
昨日と今日、必死に考えてハロウィンがイライラするのかが解った。
こう書くと、間髪入れず「お前らなんてただのいい子ぶりっ子の陰キャだろ!」「タダの嫉妬だろ!」と言い返されるだろう。
それがまた嫌な感じだ。
自分たちの世代の近くには、ネオ麦茶や酒鬼薔薇やガングロギャルがいて、
テレビゲームがたくさんあったが、それをやることは当然良いこととはされず、
エヴァンゲリオンみたいな気持ち悪いアニメにハマっているキチガイみたいに扱われた。
当時、40~50だった親や教師世代からは、強い抑圧を受けた。
それも多分、俺らみたいな「何を考えているか分からない若者」に対する恐怖だったんだと思う。
「お前らのせいで日本の未来は暗い!!」みたいなこともはっきり言われた。
だが、別に俺たちだって殊更おかしなことを考えていたわけがない。
俺らだって大人たちがただ怖かった。生殺与奪を握られていたのだから当然だ。
生きるためには大人たちのいうことに従順に、真面目に、人に迷惑をかけないように生きるしか無かった。
社会に出て他の世代と触れ合うまで実感は無かったが、比較するとかなりダウナー世代だった。
(後々、大人たちからは、「元気のない世代」だと言われて戸惑った。俺達はモラル崩壊したモンスターじゃないのかと)
それが今、どうだろう。
出来婚を授かり婚と言い換え、DQNネームをキラキラネームと言い換えるような奴に
「お前らよりマシだろ」と嘲笑われ、赤ちゃんポストに放り込むことが殺すよりマシだとキレられ、
毎年バカが公道で好き放題騒いで練り歩いてゴミを散らかしていたら、
行政がお墨付きを与えて歩行者天国にし、警察が警護までしてくれる。
迷惑をかけているバカの側に大人が合わせるとか、俺らの常識には皆目存在しない。
このハロウィンの騒ぎなんて、警察や政治家が暴走族に暴走する自由と場所を保証したようなもんだ。
俺達が小さくなって目立たないように声を抑え、必死に守ってきたモラルは何だったのだろう。
そういった良い子ぶりっ子の「陰キャ」である俺達がリアルで生み出したムーブメントなんて何もない。
黎明期のネット文化などニュースに取り上げられることなど無かった。
はあ?昨日とか
「何がハロウィンだよくそが!コスプレして道路混雑させてんじゃねえよ!死ね!」
くらいだったのに?
バンダイ本社付近からは量産型ザクとか量産型ジムが1000人位いたのに?
乙武さんとジオングをモチーフにしたコスプレが大名行列みたいだったのに?
ビルドファイターズコスプレの奴らが「次元覇王流!」って街を破壊してたのに?
そんなに浮かれてる人いない?
なぜかそう思っていた。
そんな信仰にも似た確信は、大学を卒業して就職したあたりから、徐々に現実味を失い、曖昧にぼやけたビジョンへと変化していった。
学生時代から数えて4年の付き合いになる彼氏とは、将来の話は何度かしているし、お互いの両親にも紹介済みだ。
このまま順調にいけば、あと数年もしないうちに結婚すると、私達も周囲も、皆そう思っていた。
けれど、交際が5年目に差しかかって間もないころ、事件は起きた。
恋に落ちたのだ。
私が。
よくある話だ。
そんなとき、自分の様子を気にかけてくれ、優しく声をかけてくれる、年上の先輩に、簡単にときめいてしまう。
彼の左の薬指に、指輪が光っていたとしても。
はじめはただの憧れだった。
寂しさが思いに拍車をかけたのか、どんどん好きになっていった。
向こうは恐らく、私の好意に気づいている。
それでいて、優しい態度を取り続けるし、話すときの距離も近い。
こっちが勘違いしてしまいそうになる発言が飛び出すこともある。
客観的に見れば、自分に気がある若い女をからかって、あわよくば良い思いをしようとしているクソ野郎かもしれない。
でも会えばときめいてしまうし、相手がクソ野郎だという確証もないのに距離を置くことができない。
彼氏とは続いている。
向こうも馬鹿ではないので、私の変化を察知したのか、ときどき探りを入れてくる。
けど適当にかわせば、それ以上聞いてくることもない。
少し前に一度だけ、先輩のことを思いながら、彼氏とした。
名前を呼びそうになって、ほんとにこんな漫画とかドラマみたいなことってあるんだな、とぼんやり考えていた。
それ以来、罪悪感で彼氏とはしていない。
以前にもセックスレスになった時期があったから(そのときは別の原因があった)、向こうはそれに関して特に触れてこない。
最低かもしれない。
既婚者のほうはとりあえず置いといて、さっさと彼氏と別れてやれ、と思う人が大半だろう。
少なくとも数ヶ月前の私だったら、そう思ったはずだ。
毎日悩んで、好きな人を諦める方法だとか、不倫した女が辿る末路だとかをネットで検索してはため息をついている。
このまま何事もなく終わればいい、という気持ちと、
相手のことが好きでたまらなくて、もっと近づきたいという気持ちの間で揺れて、葛藤している。
でも、本当の幸せってなんだろう?
先輩とは、もうじき会えなくなる。
ただ会う機会が全くなくなるわけではないし、連絡先は知っているから、コンタクトを取ろうと思えば簡単だ。
この状況で私は、自分の気持ちを隠して、恋心を胸の奥にしまって、なにもなかったことにできるだろうか。
もし万が一、向こうからなにか行動を起こしてきたとしたら、私はそれを拒絶できるのだろうか。
恐ろしくて、考えたくもない。
やめろ。
招待は数ヶ月前から行われる。
断れないだろ、数ヶ月後の予定入ってるほど売れっ子じゃねーわ。
やむなく行くわ。もちろんおめでとうのお祝いの気持ちで行くわ。
ケーキ食わされる姿見てもなんも思わんわ。
友人の下手くそな、でも一生懸命な心のこもったサックスの演奏とか聞かされても申し訳ないくらい共感できんわ。
頼むからもう披露宴も二次会も結婚にまつわるパーティーには呼ばないでくれ。
数ヶ月前から人の予定押さえるのやめろ。おめでとう。でもやめろ。