自分のようなスタートアップには助かることも多かったが、そろそろ一旦解約を検討中。
いくつか思ったこと
・値段はもちろん安いのは有り難い
・税理士はピンきりなので、いろいろ切り口変えて聞いたほうが助かった
などなど。
その状態のお米がどういう状態なのか俺は知らない。(風味が落ちてるだけなのか、腐敗が始まっている状態なのか、危険なのか)
でも口に入れた時の気持ち悪さがあり、俺は食べない。
荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家のひとりである。
彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳をこざかしい人
間の作為として排斥し、あるがままにあること――「自然」を愛し、何
ものにもとらわれることのない精神的自由の境地――「道」の世界にあ
こがれをよせた。しかも彼はその思想を、彼一流の風刺や皮肉や寓言に
託して表現したのである。その著『荘子』の中の「天地篇」にあるこの
話も、そうした彼の「寓言」の一つとして読むべきであって、むろん史
実ではない。
その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、華の地方に巡幸された
ときのことである。その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりい
で、ご挨拶を申し上げた。
「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。まずは
「いやいや。」
堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。
「いやいや、わしは富を増やそうなどと夢考えてはおらぬのじゃ。」
「なればあなた様の男の御子たちが、いよいよ数多くあられますよう
に。」
「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」
「はてさて。」
関守役人はいぶかしげに堯の顔をうちみやりながら訊きかえした。
「寿命と富と男子の多いことは、誰でもの望むことでござりましょう
に、あなた様だけがそれをお望みなさらぬとは、なんとしたことで
ござりましょう。」
「さればさ、男子が多くあれば、中には不出来の者も出てきおって、
かえって心配の種になる。富めば富むで余計の仕事が増えようし、
寿ければ、辱を残さねばならぬような羽目に遭うことも多くなろう
というものじゃ(寿ければ則ち辱多し)。この三事、いずれも我が
それを聞く関守役人の目にはありありと失望・軽侮のいろが現れた。
彼は堯に聞こえよがしにこう呟いた。
「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、今の言
い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。子供
が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、何の心配もあ
るまいし、富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の
面倒もあるまいに。本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を
選ばず、ひなどりのように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごと
く自由自在であるべきもの、世間がまともであれば、皆人とともに
その昌えを楽しむがよし、まともでなければ、我が身の徳を修めて
隠遁するもよし、千年もの長生きをして世間がいやになったその時
は、仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。病・
老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、寿
くともなんで辱の多いことがあろうものか。」
こう言い捨てて関守は踵をかえした。見事に虚をつかれた形の堯は、
ハッと気を取りなおして後を追いかけ、
「待たれい。今しばしお手前の話を承わろうではないか。」
と声をかけたが、かの人は、
「えい、うるさいわえ。」
と一喝したまま後を振り返りもせずに、どこともなく姿を消した。
「道」の世界に生きる自由自在人――「道家」的聖人の姿を示唆しよう
としたのである。
光と影の絶妙なバランスと、荘厳な感じがとても美しい。最近毎日見てるのだが、その緊張感に引きこまれてしまう。しかしなぜか美術館などでは人足が少ない気がする。ルネサンス期と違って派手さ、明るさが無いからであろうか。
想像に難くない。自分が他の人の意見を先鋒を切って代弁できるのだろうか。はてな主流派はスターをくれるような意見なのだろうか。
震えているに違いない。
よって、初ブコメにて尖った意見だけを打ち込んでくる人間だけが信用に値する。
後から来るであろう著名IDに媚びたコメントをする人間は、押しなべて下らなく、下劣なリアル社会の価値観をはてなにも持ち込む小仏であると。
好きなことだけして暮らして行くためには、逆説的なんだが、好きなことをするために手段は選ばない、そのために必要なことは何でもやる、って覚悟が必要だぞ。やりたくないことをやらないで済む仕組みを自分で作るってこと。もちろん本当に好きなこと「だけ」という領域に達するのはかなり難しいけれど、ちゃんと戦略を立てて本気で取り組めばそこそこのところまではいけるよ。
それが楽か、っていったら楽とは言えないかもしれないけど、安定のために好きでもないことを我慢してやるほうがもっと苦痛だからそうでない方を選んでるってだけ。
まあ、「好きなことだけして暮らしていけたらどんなに楽だろうか」って増田が言う「好き」ってのはそういう「好き」じゃないんだろうな。単に「楽なことだけして暮らせたら楽だよね」ってトートロジー言ってるだけなんだろう。苦痛なのは、それがモラトリアムにすぎないってことを自分でわかってて、選ぶことから目をそらしてるからじゃないんか。
凋落とかお前も十分ネトウヨ脳だわ 日本がよかったなんてこと事態が詳しく調べればただの虚構なのだからそもそも今が本来の姿なだけ
そういうコマンド選択式のゲームもあるし、シームレスなゲームもちゃんとあるんだからいいじゃん
それとも、俺は気に入らないしシームレスこそ至高にして唯一のゲーム形態でそれに従うべきだからら時代遅れなコマンド式は絶滅しろってこと?
海外在住のものだが、相対的な影響力の低下はひしひしと感じている。この10年でも痛いくらいに。
街には以前は日本人観光客があふれていたが、今目にするのは中国人だけで、以前はあった日本人向けの案内などが、ひっそりと外されている。
それが目的だと言っているわけではなくて、そういう所にも現れるという話だが。
仕事で数回行く程度。
韓国には特に思い入れはなく、よくも悪くもジャパンフォロワーだなー位な認識しかなかった。だからグルメは行くけど、観光などはせずに用事が終わったら毎度すぐに戻るようにしている。
タクシーに乗ると、どうやら私が日本人であると分かったようだった。
その運転手は気を利かせたのか、自分が一番好きなのは五木ひろしの歌なのだと韓国語で説明してくれた。何を言っているのかはよく分からかなったが、五木ひろしが大好きなことだけは伝わってきた。
タクシーを降りて、近くのコンビニで少し味の悪い弁当を買った。以前はもっと味が悪かったが、急速に向上している。
たまには街を散歩でもしてみようか。
それで心の平安が得られるならそれでいいんじゃないですかね。精神的なストレスは健康に悪いですし。福島県産を避けるだけなら代替品は容易に入手可能でしょうから却って不健康になる大きなリスクはないでしょう。
何か言われたら、先祖が戊辰戦争で会津と戦って以来家訓で福島産のものを口にしてはいけないとされているとか適当なことを言っておけば。
もう数年経った。それでも選択肢がある限り、他県産(海外)を選ぶようにしている。周りの友人達は皆そうしている。彼女たちに流されているわけでもない。新聞、政府などをみても安全なだとされていることは知っている。日本経済の将来はどうでもいい。政治活動などは微塵も興味が無い。家族には福島県産を出せない。こういう所で非難される。頭の悪い奴めと。いやよくぞ言ってくれた、ようこそ共闘の士よと。どうでもいい。家族の健康は私の願いだ。
仮にどんな人がいようが、必要だって人が必要である理由を合理的にのべてるのに、
自分目線で「まともでない」意見を持ち出したとこで、それが他人の自由を制限する理由になんかならんと思うけどね。
合憲判決だって、裁判官個々に合憲か違憲かの違いはあれど、姓を維持したいっつう社会的要請があることまでは共通して認めてるわけで。
夫婦同氏制度が憲法24条に違反してると言う立場をとる、木内裁判官の意見(PDF21ページ目から)。
同氏制度による憲法上の権利利益の制約が許容されるものか否かは,憲法24条にいう個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるか否かの観点から判断されるべきことは多数意見の述べるとおりである。
ここで重要なのは,問題となる合理性とは,夫婦が同氏であることの合理性ではなく,夫婦同氏に例外を許さないことの合理性であり,立法裁量の合理性という場合,単に,夫婦同氏となることに合理性があるということだけでは足りず,夫婦同氏に例外を許さないことに合理性があるといえなければならないことである。
横だけどそういう実害を例にしているまともな人と
そういうお母さんのことを思ってとか踏みにじったとか執着してるとか
情緒的な問題で言ってるんじゃなくて、こういう実害が出ることによる問題
参考1
http://anond.hatelabo.jp/20151207175147
参考2
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/546/085546_hanrei.pdf(PDF注意)
近年女性の社会進出は著しく進んでいる。……そうすると,婚姻前の氏から婚姻後の氏に変更することによって,当該個人が同一人であるという個人の識別,特定に困難を引き起こす事態が生じてきたのである。
……
例えば,婚姻前に営業実績を積み上げた者が婚姻後の氏に変更したことによって外観上その実績による評価を受けることができないおそれがあり,
また,婚姻前に特許を取得した者と婚姻後に特許を取得した者とが同一人と認識されないおそれがあり,
それが業績,実績,成果などの法的利益に影響を与えかねない状況となることは容易に推察できるところである。
……
現在進行している社会のグローバル化やインターネット等で氏名が検索されることがあるなどの,
いわば氏名自体が世界的な広がりを有するようになった社会においては,氏による個人識別性の重要性はより大きいものであって,
婚姻前からの氏使用の有用性,必要性は更に高くなっているといわなければならない。
我が国が昭和60年に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に基づき設置された女子差別撤廃委員会からも,