まあ、個人的にはこの法案反対派だったんだけど
今日賛成派の人にいろいろとまくしたてられた
首相官邸の下に爆弾仕掛けられてるとか言ってて、そりゃねーだろと内心思ってたけど
盗聴器や、官邸の入館証のばらまかれてた話を聞いて少しだけ納得した
永遠の0の作者。
なので百田氏の予備知識が無かったのだが
「あの大東亜戦争を…」
という言葉を発した瞬間に
うわっ
って思った。
厳密には上記2つが示す期間や事象は違うのかもしれないが、
実に気持ちが悪い。
いや、百田氏についての知識が無かったので、突然耳に飛び込んで来た
せいで気持ちわるいと思ったのかもしれないが。
なんていうか、
永遠の0を読むかどうかは考える。
戦後、象徴天皇になったものの、元々幕府が出来て以降形式的な天皇制の元、幕府によって統治されてきたわけで、
明治政府も大正昭和、平成ですら天皇が直接政治をやったって話を聞いたことが無くて、大抵〇〇という政治家が天皇陛下の名のもとに
宣言するに留めてるのがその証拠だと思ってる。
戦後、悪の枢軸として天皇陛下が批判された時も甘んじてその批判を受け入れていた陛下。
現在に至っても天皇制を維持しつつも政府や宮内庁、国民から常に監視の目に晒されて窮屈な陛下を見ると、とても政治を執行されているように見えないし
まして、政治そのものに利用される場面はあれど、陛下が直接政治に善悪を投じたのを見た事がない。
いつの日も右翼や左翼の政治的な道具として利用されてきたのは事実であって、陛下が政治的に拘るべきでないという立場を取られているにも拘らず
何事にも時の政権が勝手にその名前を用いている現状に嘆かれて、文化を享受する気持ちはよく分かる。
実際、歴代天皇陛下やその皇族というのは実に面白い趣味を持っておられる。
今の皇太子殿下はヴィオラ演奏を趣味としながらもアウトドアが本懐と見た目とは異なる外向的な人であるし、秋篠宮殿下も猪が瀬戸内海を泳いで渡るという研究に関して熱弁されるというオタク振りを発揮している。
政治に拘らせてもらえない鬱憤を文化に傾倒するのは仕方のない事だけど、他方それを税金でやってるとかいう批判はズレた物だと言わざるを得ない。
象徴天皇であるから、常に日本国の国益のために勤勉で真面目な日本人を演じなければならない息苦しい環境下でイングランドのような羽目を外す事もない厳かな生活を送っておられる、これ自体が公務であり、日本人の責務であり、それが皇族の日本国民に対する義務としているからこそだから、税金で暮らすのは当たり前にあって良いのではないか。
いわば公務員と同じであり、あるいは公務員以上に厳しい状況下で暮らさざるを得ない、その苦労が税金に代わっているに過ぎない。
これに批判的な人というのは、実際に皇族として何百年も何千年も暮した事がないからである。
理解に乏しいのは仕方のない話ではあるが、そのような生活に追い込んだのは皮肉な事にその当人なのだから、何とも情けない話といえる。
あの件に関しては作者が無知すぎたことより、出版社がアホすぎたのが原因
どう考えても、芸大出の絵描きがあんなに他種類の虫の交尾の資料を自前で用意できるはずがない
とすると必然、図鑑なりネット写真なり、絶対に他人の著作物を使ってる
これはほぼ確実
世間知らずの芸大生ならともかく出版社がこれに思い至らんハズはない
有耶無耶にできると思ったのかばれないと思ったのか、ともかく浅慮で出版社側はこれをスルーした
権利関係やらの著者がやらない仕事を代理するエージェントだから高くない金を持ってくのに
愛してほしいと思っていても、逆の立場になれば愛されない理由はよくわかる。
でも望まずにはいられない。
思いが叶わないというフラストレーションを処理するために、できることは2つあると思う。
殺すか死ぬかだ。
死んだ場合は周囲の人間にしかわからないし、周囲の人間もその理由を知れない場合も多いだろう。
普通の人間は、なかなか愛した人を殺そうとまで考えられるものではないので、結果、多くの人間は死んでいるのだろう。
1人殺された裏には、孤独な3万人が死んでいるとみてよい。
愛して欲しいという願望が特定の誰かに向けられているとも限らない。
ただただ愛に飢えた人間。
先日の写真模写騒動、著者のダメージものすごいだろうなーと。まだ学生らしいし。
なんか描けないから丸写ししたとか、金儲けのためにパクったとか色々言われてたけど、たぶん実際にあるものを見て絵を描くのと変わらない感覚で絵を描いてた人なんじゃないかと思うんだよなあ。
いや、自分がそうなだけなんだが。自分にとって絵を描くってことは、平面でも立体でも見たものを見たままに描き写すことだったんで。
写真を参考にしつつ頭の中に描きたいものを構築して自分で構図や角度を考えて描くってのは、あれは見たものを見たままに描くのとはまた別の技能だよなあとか。
模写やトレスだからよくないって風潮もある気がするんだけど、そういう問題ではないよな。
他人の著作物を許可なしに使っているから問題なわけで。元が分かるくらい写実的にやってしまうとアウトだ。自分が撮った写真とか許可撮った写真なら問題ないし。
あんまり関係ないけど、写真から絵を描くことそのものについても否定的な人がたまにいる気がする。
昆虫とか生物とかに詳しいあたりの人々からは知識の浅さについても結構言われてたけど、
生き物の絵を描くのが好きって人と、生き物そのものが好きで観察したり生態を調べたりする人と、方向性というか重要視するポイントが違うと思うんだよなあ。
ってこれも自分がどっちかというと生き物の「絵」を描くのが好きだったからそう思うだけなんだが。
重要なのは絵のほうで、生き物の細部はそこまで気にしてはいなかったと思う。
例の絵は、どう考えても図鑑と名付けて出版することを想定して描かれたものではなかっただろうに。
ちゃんとした図鑑とかのイラストは普通の模写じゃないはず、たぶん。ああいうのはある程度の知識のある人でないとやれない。監修も必要だし。
芸大とか未知の世界過ぎて分からんのだけど、著作権について全然意識してないってことはなかろう。
絵を模写することとか、写真をそのまま使用することについては意識してても、写真を模写することについてはあんまり意識してなかったのかなー。
ちなみに自分は意識してなかった。数年前までは全然意識してなかった。
写真からの模写がどの程度でアウトなのかとか、意識する機会がなかったら気付かないんじゃないかなあと。
これもまた自分だったら裁判の例とか見てなかったら多分気付かなかっただろうなあと思うだけなんだけど。
写真の著作権は軽く見られがちだと常々感じているし、許可を得ず他人の写真を模写することはやっぱりよくない。
でも目の前にある実物を描くのと、写真を描くのと、同じ感覚でやってるとなかなかそこに気が回らないというか。自分の話だけど。
写真もなんとなく気軽に撮ってるとあんまり意識しないけど、色々狙って撮るとなると知識やら経験やら技術やら機材やら運が必要なんだよなあ。自分の足で撮りに行かなきゃならんわけだし、時間も体力も忍耐も必要だ。
自分はこのへん、いろんな写真を模写しても今まで気にしてこなかったので…。他人の著作物を使っている感覚がなかった。
自分で資料用に写真撮ったりとか、それではじめて実感したみたいなところがある。
今みたいなソーシャルサービス全盛の時代だったら模写公開しまくりだったろうなあ…
少なくとも趣味でなく商業でやるなら、色々学ぶ機会が絶対必要。
あの出版社は言ってることがどう考えてもおかしい(素人目に見ても昆虫に個体差は結構あるし、あんなに細部まで一致することはほぼありえない)けど、誰かあの著者をフォローしてくれる人はいるんだろうか。
なるほど、根拠なしに人を
お前みたいに単に反発するだけで何の生産性の無いやつ
というあなたが思考できない部分があるとよくわかった。
というのは、どうもまだ納得できないが。
人を人と思っていないようだ。
なるほど。意見は一旦受け止めた。
それならば、そのように伝えればいいだろう。
「事実」は今まで日本社会でそのような形でここまで運営されてきた、ということだ。
お前がそれは間違ってる、どうのこうの、等と言ってもその「事実」の前には単なるお前の「意見」にしか過ぎない。
逆に言えば、「事実」は人を確実に納得させられるものではない。
「事実」はそれまでの経験則であって、100%正しい、というものではない。そんなものは存在しない。
上の薬の例でも、究極的に素粒子反応まで完全に理解する、という事実がない限り(そうであってもその先にさらなる不定性があるかも知れない)
100%誰かを納得させることなんて出来ないのは承知の上である。
例えば仕事で何か役割を振るとき「なぜ必要なのか」を問われたら答えられる必要がある。
それはわかる。もちろんわかるが、このようにやってきた結果、
今までこれくらいの売り上げがあったから、やってみてくれ、と言えばいいだろう。
ただ、必ずしもそういう全体的な答弁ばかりになるはずもない。
あるプロジェクトがあってそのための仕事がある。それらは小さく分解されていて、有機的につながっているはずだ。
例えばコピー取りにしたって、何かの会議で必要だからとるわけだ。
何も伝統でコピーするのが決まりになっているわけではないだろう。
意味があってやっているはずだ。
というのと、
「とにかくやれ」
というのでは聞く側の受け取り方が異なるだろう。
前者なら、「なるほど。だから迷惑をかけないようにちゃんとやらなければ」と思うだろうし。
後者なら「なんでやんなきゃいけないんだよ」と思うだろう。
言いたいのは、必然性があってやっている事を「伝統」だからという言葉で「何も考えず」片付けてしまうことが問題なのだ。
今や非正規雇用化が当たり前の時代で、正規雇用が望めずフルタイムながら
人手が足りてない会社が結構あると思うし、今の会社で正社員になれないなら
アルバイトとはいえ、1年以上もフルタイムで働いてるんだし、転職エキスポに参加しても問題ないよね。
履歴書の職歴欄が空白だから、例えフルタイムで働いてもアルバイターだからって弾かれたらやっていけないって不安と心配が混じってるけど
商業ビデオゲームの祖であるPongのノラン・ブッシュネルはユタ大学工学部、
更に源流を辿るとスペースウォー!のスティーブ・ラッセルはMIT。
日本ビデオゲームの父とも言えるスペースインベーダーの西角友宏は東京電機大学。
ポピュラスのピーター・モリニューは大学二つ卒業してるみたいだし、
GTAのダン・ハウザーはオックスフォード大学。
大学が知性を保証するわけじゃあないけど、面白いゲーム作ってる人は
木の棒を伝説の剣に見立てるとか「風の声を聴いていれば事故は防げた」
と同じセンスを感じる。
実際に作ってる人は経験とセンスに裏打ちしたうえでしっかり考えて、
受け手が既存のゲームで積み上げてきたものから逸脱しないよう、
それでいて新しい面白さを生み出そうとしてる。
あと日本のゲームがつまらないと思うのなら、単に買わなければ、遊ばなければいい。
昨今なら目立つタイトルはそこそこにローカライズされるようになったし、
日本人が日本のゲームを惰性で買ってるから、作る側も安い作りのゲームを出してくる。
買わないで潰れるなら仕方ないけど、こっちも詰まらないものを遊ぶくらいなら面白い方を選んだ方がいい。
買わないでいれば、もしかしたら潰れる前に冒険して復活するかもしれない。
2chなど匿名の場で張り切るチビ男は、チビ女叩き派と長身女叩き派とデカ女とチビ女を両方叩く派(160台を持ち上げる)の3つに分かれる。
ハゲやブサメンや貧乳はここや2chでいくら叩かれても鼻で笑ってスルーするが
チビ男だけが必死に「チビ叩きはキチガイ!」と絡んだりIDストーカーするのを幾度となく見てきた。男のチビだけが余裕がない。
今まで自分が自分よりバカな奴を迷惑扱いしてたから、逆に自分より賢い人といると自分が迷惑に扱われると思っちゃうんじゃね?
他人は鏡だよな。自分の他人に対する考え方が自分に返ってくる。
人からさんざんコケにされたりコンプレックスを抱えてたら怒りや恐怖で視野が狭くなっちゃうけど、
今回自分が人から必要とされて丁重に扱ってもらえたことによって心のモヤがとれて視野が広くなり、冷静に、フラットに物事を見れるようになった。
理解、とはどこまで必要か。
例えば現在医療で使われてる薬の中で、実際人間の中でどのように変化を起こしてどの様に作用してるか、
だが、多くの治験などをこなすことで経験的に正しい、と判断して使っている。
そして、それが間違う事もある。
「事実」さえ述べれば納得するはずだ。
「事実」は今まで日本社会でそのような形でここまで運営されてきた、ということだ。
お前がそれは間違ってる、どうのこうの、等と言ってもその「事実」の前には単なるお前の「意見」にしか過ぎない。
逆に言えば、「事実」は人を確実に納得させられるものではない。
「事実」はそれまでの経験則であって、100%正しい、というものではない。そんなものは存在しない。
上の薬の例でも、究極的に素粒子反応まで完全に理解する、という事実がない限り(そうであってもその先にさらなる不定性があるかも知れない)
これでいい?反論ある?