会社や上司と信念や理念の部分が合わなくったって、「いや、あなた方とは違う考えですよ」と言いつつ、給料の対価として上がやってほしいことはきちっとこなすし、「こういうことやった方が会社の理念として合うんじゃないかな?」ってことを先回りしてやるとか可能なんだけど、そういうスイッチの切り替えができないバカのせいで、結局会社を宗教みたいにしなきゃならんという。めんどくせ。
そもそもTwitterにリアルを持ち込まないしリアルの知り合いにもアカウントを教えてないわ
というかそれが普通じゃないの?
ここってイイね。
適度に書き込み少なくて、その割に見てる人は多い。だから、流されることなく色々反応返ってくる。
この話と直接関係ないけど、世の中の親は漏れなくリア充なんだなと思うと鬱になる。どんなキモヲタ童貞でもそいつの親は100%セックスしたんだよな。
なるほど、言われてみれば確かに「美味しい≠楽しい」だね。
でも「1人で食べたほうが美味しい」わけだから、他人が美味しく感じるための阻害要因になってる訳だよね。
純粋に味を比較する為に、目隠しをして味を比べ(目隠しはしなくてもいいけど、シチュエーションを排除して、あるいは揃えて)、美味しいかどうかという話では無いんだよね。
「料理が美味しい = 美味しいと思える = 楽しい体験である」と僕は思ってて、美味しいと思えるかどうかは、シチュエーション次第と思ってるんですね。
「一人で行くより楽しい = 一人よりも美味しい」と読み替えていただけると幸いです(だからそれが違うという話なんですが、僕の中では一緒の話でした)。
やっ、やっぱ店によるけど、スタッフと全く話をしないフレンチのコースとかは、やっぱ一人だと厳しくね?
それで「一人の方が美味しい!」って言ってる人は尊敬する、っつーか格好いいわ。
横だけど、元増田は「1人で食べたほうが楽しい」って言ってるんじゃなくて「1人で食べたほうが美味しい」って言ってるんだよ。
ビジネスでの会食とかそういうのって、味どころじゃないよね!!!
ってのは分かるんだけど、友達同士とか、恋人とか、家族でも、そんな感じ?
僕も、クライアントが居る場とかで一緒に食べるメシは全然美味しくないんだけど、、、。
携帯いじったり、本読んだりしてるのも、なんか行儀悪いし興が醒めるっていうかさ。
カウンターに座って、お店の人と話したりしながら食べれるといいんだけど、そんな店ばっかじゃないしさ。
僕の結論としては「一人>複数」なのは、お店次第かなあ。
カウンターで食べる寿司とかは一人でも全く問題なく楽しい。ポーションのサイズが大きいところは、4人ぐらいでワイワイ行きたい。
コースメニューのイタリアン、フレンチは2人がベストかなあと思う(料理が好きじゃない人と言ってもつまんないけどね)。
外食って、場所とか設備とかサービスとか、食の好みとか、色んな要素があるから「この人と外食に行くと楽しいな(自分と価値観が似てる)」って人と行くのが一番だと思う。
あと、ある程度年齢を重ねてくると「食にお金を払いたくない人(割り勘で4000未満)」「飲みの場が好きな人」「食が好きで美味しければお金を払ってもいいと思ってる人(予めお店を決めるなら1万程度、決めないならば7000円ぐらいまではOK)」「小汚いけど安い!が好きな人」「オシャレな店が好きな人」とか性格が色々分かれてくる。
しかも、シチュエーションで「今10時だけど、名残惜しくてサクッとメシ食ってから解散したい」「9時スタートだけど、全員ある程度お金に余裕があって近くに住んでるから終電は気にしない」「7時から、よるご飯をしっかり食べるために集合」とか色々ある。
メンバー構成+シチュエーションで、今(移動距離とかもあるしね)何処に行ったら一番いいんだろうって考えるのも外食の醍醐味だと思う。
やたら気を遣う飲み会とか、自分が思ってる良さをさっぱり分かってくれない人(しかも自分がお会計を全部持ってたりね)と行く飲食店とかは、萎えるのだけれど...。
そろそろいい加減に関係を断ちたいfacebookフレンドがいて、すでに制限リストに放り込んではいるが、
システム上こちらから関係を断つと、いずれ相手に分かってしまう、ってのがなあ…。
世の中には年間100人以上とセックスしてる人もざらにいるから、性愛にまみれた生活おくるのも本人の意思と才能次第で十分可能だよ
小太りな自分を容認している時点で、終わってる。
娘は嫁よりシビア。
これができなけりゃ、そもそも相手にされない。
クズオタがぬるい夢見てんじゃねーぞ。
かわいい娘ができた時点で、それに見合うお父さんを演じ切るしかない。
がんばれ。
自分はこんなところに来てしまったが、本当は早稲田に入りたかった。と大きな声で主張する人が。
時々通りすがりにも聞こえてきたりする。(そういう人って大抵男子学生で、そういう人って4年間で見ると大成してない人が多い気がする。)
大学っていろんな人がいるところで、ただなんとなく喋ったり群れたりするために通う人もいれば、
脇目も振らず勉強する人、何かの組織に属して努力する人、いろんな国を旅して周る人など
自分で自分の道を切り開いている人が、探せば周りにたくさんいる。
外枠はあくまで外枠で、その中でどんなきっかけを掴みどんな価値を創り出すかは本当に自由だから、人それぞれなんだよね。
私はそのことに気づくのが遅れたタイプだけど、気づけただけよかったと思っている。
学歴は試験によって測られた、紙の上に乗っかったものだという考え方から、もうそろそろ離れてもいい頃じゃないだろうか。
これからは自分がどう動くかによって得るものの重みが変わってくる段階。学歴をただの付属物として、動かないものとして見るのをやめてみたら?
あなたが何に興味を持ってどんなことに挑戦してきたのか、成功失敗含めその一連のストーリーの方が今後武器となってくるから。
それに、学歴の差にこだわる彼女は心が狭すぎるし、劣等感に苛まれる時間があったら行動を起こせ。これに尽きる気がします。
というか、大学についてうじうじ考えている彼氏と、やりたいことを頑張ってキラキラしている彼氏だったら、彼女は断然後者のほうに惹かれるのでは?
・どうしても気になるなら学歴について彼女と少し話し合ってみる。
・早いうちにやりたいことを見つけてエンジンかける。勉強、趣味、バイト、インターン、海外。
『置かれた場所で咲きなさい』って本の題名を聞いたことがあるけど、今目の前にある縁を最大限活用してほしいです。
あと、“脅されず、踊らされず、踊れ”!
鬱の時って何食べてもおいしくないので
慢性的に鬱々とした気持ちが快方へ向かえば
ある日ふっとおいしいと思うかもしれない。
何か一つ、どこかで一回、食べることと幸せなことが合致する機会があれば
その食べ物が幸せな思い出を想起させてくれて好きな食べ物になったりして、
おいしい、という気持ちも発生するかもしれない。
あとは、単純に味覚障害が起こってるのかもしれない!
ブクマでは賛同する声ばかりだけど、気になるところ色々あるよね。
確かに俺はモチベーション低かったし、給料泥棒みたいな社員だったし死ぬことばっか考えてたし体の半分二次元に浸って現実逃避ばかっか考えてて
メンタルが弱そうなので、きつい事は言いたくないけれど、
ほら、うちの奥さまってアレルギーの問屋なんすよ。アルコールスプレーを離れた場所で噴霧するだけですぐ検知するし、日持ちする洋菓子とかに入ってる保存剤あるじゃないですか、あれのせいで喘息出すんすよ。一定以上の睡眠時間を取れないで体力が削られるとすぐに喘息出ますし。そういう人に「がんばれ」ったって無意味ですよ。
うちの奥さまが猛烈に皮膚がかゆい、ぜんぜん寝れないって言ったって、本当の意味では俺にはそのつらさはわかんねえよ。わかんねえけど本人がそう言うんだったらそうに決まってんじゃん。一緒に生活してる以上、配慮しないって話はないだろ。
カラダの弱い奥さんをダシにワタミ批判してるけれど、ワタミは関係なくない?
なにより
でも、嫁さん・子供と接する時は
小さい事に喜んで、小さい事にビックリしてってやった方が楽しいし
素敵なお父さんになれる。
そこの切り替えが難しい
そして、起業する社長とかはハイエナジーの状態がニュートラルだったりする。
ありゃバケモンだわ。
仕事のやり過ぎでナチュラルハイになってる人を見るのは辛い。そして、接するのはめんどくさい。
酒のチカラも借りずにハイになってしまうことの、何が問題かって、ハイ状態が覚めると、ロウ状態に突入しちゃうこと。
ロウに入らず、ニュートラルで止まるのって、難しい。やっぱ反動が来る。
ロウになると、働く意欲が失せたり、ハイ状態だった時に、意外と何もできてなかったことに気付いて更にロウになったり。
そんな環境に居たら食べることなんか嫌でしょうがないだろうね。
俺は食事するのも作るのもすごい好きだけど、増田の立場だったら間違いなく増田みたくなってたね。
俺も子供の頃1人で飯食うときあったけどあの惨めさは未だに思い出せる。
そんなのが当然みたいな感じだったらと思うとぞっとするわ。
増田は食事の時に不幸なイベントが起きるみたいな感じで刷り込まれてる感じだよね。
スイーツやけ食いしてるんだから潜在的には食事楽しめる人だと思うけど。
まあそういう刷り込みってなおそうと思ってもそう簡単にはなおらなさそうだし
「海外はー」と口癖のように語る連中に、「じゃあ幸福度指数ナンバーワンのデンマークと同様の制度を日本にも導入しようぜ。当然、徴兵制もね」とか言ってやると、顔を真っ赤にして怒り出すんだよな。面倒くさい。
そんないやなことはなくなってほしいけど、
いたけどさ、神様によくよく聞いてみたら今じゃ違うこというと思うよ。
あれって女が財産に近かったから、それを盗むなって意味だったんだよって。
人生をルールで完璧にかためる以外にも、いやなことを限界まで減らす方法ってあるんじゃないかなあ。
それをさがそうよ。みんなでさがそうよ。
いい年をして「恋」と「愛」の区別がついてない輩は得てしてこういう錯乱したことを言う。
やや古いネタだが、いわゆる盲目的な「恋」の持続期間は、一般的に3年程度であるという説がある。
これは、恋愛の本能的な目的であるところの妊娠・出産・育児に最低限必要な時間が3年と設定されているためと言われている。育児期間が2年なのは、子が親なしには食物の正しい摂取行動ができない期間、すなわち生物として本当に最低限の保護期間がこれだけだということだろう。
つまり、それを過ぎたら次の出産に取り組んでよい、そしてその際にはパートナーを変えてより遺伝子のスクランブルを起こすべし、ということ。
それは本能のプログラミングであり、人間の精神活動が作り出した社会における倫理とか理想とか善悪とか、そういうものとは無縁なありよう。いいも悪いもない、生命体として種の存続を優先する合理的な手続きである。
とまぁ、そんな説に従うならば、カップルの情熱というものは生まれた子供を途中で放り出さないための安全装置に過ぎず、子供が生命体として独り立ちをする3年が過ぎれば解除されるものと言える。
かつて「3年目の浮気ぐらい大目に見てよ」という歌詞があった。実に興味深い符合である。
しかし現代の多くの人間社会において、カップルの最初の3年は平均的に結婚、つまり正式な番(つがい)にこぎつけるまでの時間になった。うまく事が進んでもせいぜい種付けするかしないかという頃合いである。
そんな段階で安全装置が外れてしまっては、生まれた子供がうまく育たない。子供が生物として安定するまでは、その子イコール新しい自分の遺伝子を守ろうとする親に命がけで保護され、せっせと食べ物を運んでもらわなければならないのだ。
そこで人間は理性を操り、「愛」というものを編み出した。ついでに「結婚」という契約も作った。3年を超えてもパートナーと一緒にいる理由を作り上げ、これをもって安全装置の動作期間延長を図ったのである。
「恋」は種の保存を後押しするエネルギー源だ。出産・育児には少なからぬ困難がつきものなので、これを乗り切るための原動力として大いに燃えてもらわなければならない。
対して「愛」は情熱的である必要はない。本能に根付かない感情だからあれこれ理由付けや美化をして維持する努力が必須だが、うまく運用できれば複雑化した人間社会における生活や感情を安定させる手助けになる便利なものである。
「恋」の主成分である情熱や激情はドーパミンを大量放出する不安定なものであるため、これを「愛」にまで持ち込まなければならないという事はない。
そのかわり、ハゲだのシワだのデカいパンティーだのといった生命体における衰えを示す外的要因などは「恋」においてはマイナスに働く可能性があるが、結婚という人生における一大契約の礎たる「愛」の理屈の前には無力である。
「恋」の期間を過ぎた者は、新たなパートナー、つまり次の「恋」のアテがないのならば、「愛」の運用について前向きに考えるのが社会的かつ精神的に賢明と言えるであろう。
※ 言うまでもないことだが、子供のいない夫婦が存在的に悪であるという趣旨ではない。「恋」「愛」は脳の機能、「出産」は精子と卵子、子宮の機能である。
仕事のやり過ぎでナチュラルハイになってる人を見るのは辛い。そして、接するのはめんどくさい。
酒のチカラも借りずにハイになってしまうことの、何が問題かって、ハイ状態が覚めると、ロウ状態に突入しちゃうこと。
ロウに入らず、ニュートラルで止まるのって、難しい。やっぱ反動が来る。
ロウになると、働く意欲が失せたり、ハイ状態だった時に、意外と何もできてなかったことに気付いて更にロウになったり。
とにかくロクなことがない。ロウから戻れず、辞めたり倒れたりした人も知ってる。
そういう俺も経験者だけど。
俺の場合、転職することで、ハイ&ロウの生活から抜け出せた気がする。
というより、めっちゃ意識してる。ハイになりそうな自分を、ロウになりそうな自分を抑えてる。
失敗したとき凹みやすい人は、成功したとき浮かれやすい。俺がそうだったから。
今は、成功しても失敗しても、余韻を残さないようにしてる。
仕事してる俺が、俺の全てじゃない。
まあ、仕事に追われたり追ったりしまくった20代を経ての開き直りなのかもしれんが。