ニュフュフュってのでもいいと思います
USTREAM(ttp://www.ustream.tv/recorded/15303753/highlight/178456)で見れるから見てみ。
ほとんど津田が引き連れていったtwitter民とスタッフじゃないのかっていうぐらい少ない。
客の総体重より機材の総重量のほうが重い。
ライブっつっても出てくるのは世間的に知名度の低いミュージシャン3組で演奏するのはポカーンな曲( ゚д゚)。
盛り上がるような音楽じゃないのだが、それにしても盛り上がってない。
ライブがすすむにつれ、スタッフが建物に紙テープみたいなのを巻きつけていくパフォーマンスがシュール。
ライブの最中でもテープを巻きつけているのだが、誰にも気付かれないぐらいこっそりと巻きつけてる。
気付いた頃には紙テープが増えている。
まるでアハ体験。
津田と店長以外、中継でたまに映るスタッフや、ライブ来てる人達に笑顔がなかったのが印象的だった。
子供の頃から漫画が大好きでさ、学生時代は金さえあれば漫画を買い、
金なくて時間あるときはブックオフで立ち読みをするという漫画中毒の毎日を送ってて、
これまで1000タイトル以上は漫画を読んできた俺なんだけど、最近小説にハマった。(今20代中盤な)
なんでこんな面白い“本”をこれまで読んで来なかったのか、自分の人生を後悔するぐらい面白い。
あんまり作家とかには詳しくないからさ、とりあえず有名どころを読み漁ってるのよ。
どっちかって言うと、殺人事件ものとかよりは、ヒューマンミステリーものが好きで、
特にさ、東野圭吾。この人、天才だろ。(ミーハーとか言うなよ)
こんなに読んでてワクワクさせてくれる本って漫画だと中々ないよ
それと女性描写が最高。登場人物の女性陣の魅力は異常だろ、まじ
デュフフでもいいですよね?
http://anond.hatelabo.jp/20091018173611
まず、それからの俺について簡単に。
2010年。この年は記念するべき1年となった。
・同期で2番目の早さで昇進した。日本人の部下が出来た。新人研修の講師を担当するまでになった。
・気付けば若手のリーダー格的ポジションを手に入れていた。海外出張前には、部署の仲間達が送別の飲み会を開いてくれるようになった。
・昔なら行く機会の無かったような場所で遊ぶようになった。六本木、恵比寿、赤坂。
・車を買った。車を買ってから、行動の範囲がさらに広がった。車内でFMを聞く機会が多くなり、最近の曲や洋楽に詳しくなった。以前なら縁がなかったであろう夏フェスにも行った。
冴えない理系男だったおれは、いつの間にか社会人版リア充とでも言うべき存在に進化していた。
が、全てが順調に行く訳もなく。
今年も新人研修の講師をすることになった俺は、研修が終わると新人達をつれて飲みに行っていた。
新人の中にはもちろん女の子もいたわけだが、俺の同期の間で、俺がその子を狙っているという噂が流れていた。
さらに、新人達の間では、俺が狙っていた本命の彼女を遊んで捨てた過去があるという噂が流れていた。
昔の俺なら、たいした噂にはならなかっただろうが、今の俺は好奇の目で見られる目立つ存在になっていた。
これらの話は、完全にでたらめなのだが、尾ひれがついて、既婚者の社長秘書にも手を出しているとか、
もう笑うしかないレベルにまで増幅されていた。人事の耳にも噂が入り、一時は社会的に死ぬ覚悟さえした。
後で聞いた話だと、俺と仲の悪い同期が、嫉妬に駆られたのか、俺をつぶそうといろいろ画策して、あること無いことを言い回っていたという。
そして、悲しみと絶望と怒りの入り交じった、どす黒い衝動とでも言うべき感情が俺の中でわき上がってきた。
どうせ、変な噂をばらまかれるんだったら、本当に派手に女遊びをしてやろうか・・・
まず、こつこつと貯めてきた財形を全て取り崩して結構な額の軍資金を用意した。
そして、ゴールデンウィークに有給をつなげて3週間の休みを取った。
普段の仕事ぶりが評価されていたのと、噂のせいで俺が参っていることを知っていた事もあって、上司はすんなり認めてくれた。
地元に帰省した俺は、使えるコネを使いまくって片っ端から女に声をかけまくった。
いまだに独身の女友達、男友達の姉妹、友人の元カノ、昔バイトしていた店のアルバイトの子。
学生や、安月給の連中には真似出来そうもない、財力に物を言わせた「遊び」を提案すると、大抵の子が、驚くほど簡単についてきた。
休暇が終わり、首都圏に帰った今でも、都心に来たらまた遊んでやるよと言うと、彼女たちは、喜んで上京してくる。
変わろうと決意してから5年。どす黒い衝動に駆られて2ヶ月。女に不自由しない環境を俺は手に入れた。
だが、日曜の夜に一人になって冷静に考えると、とんでもない状態であることに気づく。
最近の俺の振る舞いは明らかに狂気に満ちているし、倫理的に正しい事をしているとは思えない。
そして、今の社内での俺の立場はかなり微妙な物になってしまった。
とりあえず、自分の名誉は回復させないとまずいのだが、実際に女遊びをしているため、
俺を陥れたクソ野郎はつぶさないと気が済まないが、状況的にすぐには手が出せない。
いっそのこと、全て忘れてこのまま堕ちていくのも悪くないかなと思ったりもする。
結局の所、どんなにあがこうが、恐ろしい運命が降りかかってくるのは避けられそうにもない。
これが不純な動機に駆られてあがき続けた経験値稼ぎ男の末路だ。
さあ、思う存分嗤ってくれ。
「間違いが五つある」と書かれた一枚紙の間違い探しがある。
しかしながら、どれだけ注意して見比べてみても、二つの絵の間に食い違っている部分は四つしかない。
本文が間違っているんだな、と気づいてから、答案者はふと考える。
確かに「間違いは五つある」のではないだろうか、と。
二つの絵の間にある四つの間違いと本文に記述された一つの間違い。合わせて五つの間違いなのではないだろうか、と。
仮にそうだとするならば、本文は正しいことになる。「間違いが五つある」との一文は、紛れもない事実であるということになる。
だがそうしてしまうと、問題が生じる。
二つの絵の間で食い違っている部分は四つしかないのだ。紛れもなく正しい事実であるところの本文と食い違ってしまう。
答案者は悩む。一体どういう事なのだろう。一枚紙の中ににっちもさっちもいかない矛盾を見つけて戸惑ってしまう。
正しい状態と間違っている状態が共存するなんて言うことがあり得るのだろうか?
答案者は悩み続ける。
http://anond.hatelabo.jp/20110612202124
へえ面白いね。そういう日本語についてのいろんなことを一度は勉強してみたいものだよ。普段の自分の言葉遣いとかを見直したり、あとはいろんな地方の人と話すのが楽しくなりそう。
お見舞い申しあげます。
贅沢かどうか、というのは多分意味のない議論(主観)だと思います。
ただまぁ、全員の集住を希望している限り制約も大きいというのも事実なので、残念ながらひとりひとりが自分で何を我慢して何を求めるのか、優先順位を決めるしかない状態かもしれません。
日本語の法則は「一度下がったアクセントは一単語中はもうあがらない」だね。
ちなみに東京式アクセントでは「単語の始まりの音と次の音のアクセントは変わる」だね。
_ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ ̄ ̄___
こいつらは両方の法則を満たしているので、東京式アクセントとしては問題ないよ。
上の方はアクセントの平板化っつって、より身近になった単語がこういうアクセントになる。
と
_ ̄ ̄
カレシ←他人の彼氏。そんな身近でもない
 ̄__
端的に例に出されるのはコレ。
東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。熱帯原産の商品作物であるコメは、東北では大正期まで収量が低かった。それが変わった背景は、農業技術の進歩もあるが、東京市場の膨張、戦中と敗戦後の食糧増産政策、戦前のコメ供給地だった朝鮮と台湾の分離などである。こうして東北は、米・野菜・水産物などの東京への供給地となった。
また東北は、東京への低廉な労働力の供給地だった。高度成長期の集団就職や出稼ぎだけでなく、高卒農村女性を始めとした低賃金の非正規労働者の存在が、下請け部品工場などを東北に誘致する力となった。
さらに東北は、東京への電力の供給地だった。コメが減反に転じ、過疎化が進んだ高度成長末期から、原発と交付金が誘致された。沖縄に基地が集中したように、福島と福井には東京と大阪に電力を供給する原発が集中し、他に産業のない地元の人びとが働いた。こうして穀倉地帯に原発が集中するリスクが生じた。
1990年代以後のグローバリゼーションの中で、一次産品と労働力の供給地としての東北は、アジアとの競争にさらされた。いっそうの過疎化と高齢化、小商店や公共交通機関の衰退が進んだ。点在する小集落から生活物資を買いに行くのも自動車に頼らざるをえなくなり、地域の命綱となったガソリンスタンドも過疎化による経営難で減少している。
今回の震災では、原発事故と電力危機、放射能による農水産物汚染、ガソリン不足と物流停滞、高齢被災者の多さ、部品工場の被災による部品供給網の寸断などが重なった。これらは上記のような地域で震災がおきれば、必然的に発生しうる事態である。これを想定外の複合災害のように東京のメディアが論じるなら、それは地震といえば関東大震災や阪神大震災のような都市型災害しか想定していなかった、無意識の東京中心主義の限界というほかない。
復興も、関東大震災や阪神大震災とは条件が違う。消費地である都市の復興と異なり、生産地の復興は、都市計画や防災を中心に論じても限界がある。また神戸は大阪に隣接して雇用もあり、経済活動の一時移転もできた。だが今回は、2030年までに人口3割減さえ予測されていた過疎地が生産基盤を失った。
復興に水をさしたくはないが、懸念されるのはいっそうの過疎化だ。グローバル資本とグローバルシティーにとって、食料と労働力の供給地は東北である必要はない。20世紀の国内分業で位置を定められてきた東北は、21世紀の国際分業競争の渦中で打撃をうけた。地震と電力供給のリスクがある東北から工場を海外へ移す動向も予想されている。町をまるごと失い、放射能におびえ、仕事と安全の未来もみえない状態が続けば、若者から先に東北を離れてゆく。この現実を直視し、日本の構造と東北の位置を変える意志を東京側も含めて共有せずには、防災都市やエコタウンの構想も新築の過疎地と財政赤字を残すだけに終わりかねず、原発に頼らない地域社会も作れない。
復興の前提は、原発事故の大局的対策だ。放射能漏れを伴う綱渡りの冷却が数ヶ月は続く。放射能の放出は3月より減ったが、再度の大放出の恐れは残っている。政府は矛盾だらけの暫定措置(飲料水の放射能基準値が原発の排水の7倍など)のつぎはぎを超え、さらなる避難拡大や経済的・国際的影響など、あらゆる事態を想定した長期戦略を公表して国民を納得させてほしい。何もしらされずに非常事態になれば、かえってパニックがおきる。「最悪の事態になれば東日本がつぶれる」と発言した菅首相なら、そうした戦略を立てる意志はお持ちと思う。少なくとも「想定外だった」という言葉だけは、世界中の誰も聞きたがってはいない。
震災後には、「がんばれニッポン」という言葉が躍った。だが震災が浮き彫りにしたのは、「ニッポン」の一語で形容するにはあまりに分断されている、近代日本の姿である。
朝日新聞4月28日 あすを探る 思想・歴史 ( via http://twitpic.com/4u59mv )
この使い方ならどっちでもいいかと
入らなくても成長は出来ますよ。
恋すると人は歌を作りたくなるものさ
「人の中に入れないと」に空目
漢詩と和歌が現代のポップソングにつながってる、という仮説自体がかなり胡散臭いのに、なぜそれを前提として論を展開しようとするんだ。