はてなキーワード: 棋聖とは
「オスとしての魅力」と書いてしまうということは、相手のことをメスだと思っているのかな?と思いました。
もちろん、そういう野性的な?生物の根源的な?魅力が重用される界隈もあると思うんですけど、
ほとんどの人は倖田來未でもEXILEでもないので(年齢がばれてしまう!)、
男とか女とかじゃなくてもっと人間らしい、理性的で穏やかな魅力を磨いた方が汎用性が高いのではないかと思います。
そもそも自分磨きの努力をしたり、出会えるきっかけを増やしたり、増田さんは本当によく頑張っていてそれだけで素敵だと思います。
あとは、すぐには難しいと思うんですけど、恋愛対象のことを“女”という別の生き物ではなく、
同じ人間として認識すると色んな事がスムーズに流れていくと思います。
以下、自分語りなのでお暇ならどうぞ。
夫がまさに「いい人なんだけど男として見られない」と言われ続けてきたタイプで、
初めて会ったとき(近所の居酒屋でお互いひとりで飲んでいた)、彼は恋愛経験ゼロの25歳でした。
(片思いをして何度か告白したことはあったけど、お付き合いには至っていなかったそう)
私は何度か恋愛をしてきたものの結局結婚には至らなかった30歳で、
若いうちはリードしてくれて、話が上手くて、経験が豊富な男性に惹かれていたのですが、
何度か失敗を繰り返す中で、結局パートナーシップを築ける男性こそが最重要とようやく悟ったところでした。
いつも微妙にサイズの大きい、アイロンのかかってないちょっとカビ臭い(部屋干し?)ユニクロのチェックのシャツを着ていて、
恋愛経験の少なさからか、女性への偏見・蔑視がうっすらと言動ににじんでいるというまあ、そらモテへんやろな…という感じだったけれど、
あまり屈託がなく、素直に私の話を聞いてくれて、他の男性にマウントを取られてもニコニコ流していて、
美術館や博物館、コンサート、海外旅行などにひとりで行って楽しめる自立した人でして、
ああ、こういう人と一緒に暮らすのは素敵だろうなと思ったので、彼が引くギリギリの強度でぐいぐい寄って、寄り切りました。
今は残念ながら抜かれてしまいましたが、結婚前までは私の方が年収は高かったし、常に割り勘か私のおごりでした(私が年上だし!)。
デートコースは2人で話し合いながら決めたし、私の方が食いしん坊なので飲食店探しは私の係でした。
彼のこだわりがあれば別にそのままでもよかったんだけど、もう少しおしゃれしたいけどよくわからないと言うので、
彼に似合いそうな服を一緒に選んで、角刈りとアイパーが得意、みたいな床屋さんから、オシャレ床屋さんに換えてもらいました。
人権無視とか言ったって、本人だって人権なんてことはわかっていて、非常に稀な素質を持つ有益な人間については人権を停止してもいいんじゃないかってところから始まってるんだから、人権の重要性をいくら指摘したところで平行線だろうよ。
「どの業界でも遺伝子がトップを決める」と思っていて、かつ、「国が配偶者を決めることで遺伝子をコントロールできる」と思っていて、かつ、「国にとって有益な天才の配偶者を決める事は許される」の3つがそろって、初めてああいう考え方になる。 最後の、許されるかどうかの倫理的な問題については指摘しやすいからみんな誤ってると指摘してるが、それ前の2点についても誤りだからね。
「本人だって全分野に適用できない、分野の精査が必要なことはわかっていて単なる例としてあげている」というのも成立しちゃうし
大体、藤井聡太棋士って何だよ。将棋に少しでもリスペクトがあれば、棋聖か、棋聖になる前の発言でも7段っていうだろ。報道でも、全部そうなっているだろ。藤井聡太棋聖に「棋士」ってつけてる有名人、初めて見た。リスペクトも何もなく、完全にバカにしている…
この話とはずいぶん離れた話になってる。
君はどちらかというと本筋を批判したくて枝葉を突いてるというより
とりあえず、藤井聡太棋士、と書いてある報道を探してきてから言ってくれ。
難癖じゃねぇよ、なら、藤井聡太「棋士」って書いてる報道探してこいよ。棋聖は役職名じゃなくて称号だぞ?
Twitterでも、将棋界のルール知ってる人は皆、棋聖って書いてるわ。個人でもな。別に文字数増える訳じゃなし。少なくとも、将棋界の事知らずに書いてるのは確かだろ。将棋を引き合いにしておきながら、将棋界について知らないとか、持論展開に将棋利用してるだけじゃん。将棋界をリスペクトしてるとは言えないことは確かだろ。
大体、藤井聡太棋士って何だよ。将棋に少しでもリスペクトがあれば、棋聖か、棋聖になる前の発言でも7段っていうだろ。報道でも、全部そうなっているだろ。藤井聡太棋聖に「棋士」ってつけてる有名人、初めて見た。リスペクトも何もなく、完全にバカにしている…
この部分は単純に難癖だろ
前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。お父さんはそう思ってる。
https://twitter.com/YojiNoda1/status/1283752963052167169
…だそうで。この方、もう35歳で慶應SFCに入学できた方なんですよ(卒業はしてないけど)。100歩譲って配偶者選定されたとして、ご本人のご意志は…?本当にその方々を選ぶの…?
皇族ですら、いざ結婚となったら、あんなにもめているのに、実際これをやってもめ事にならないと思っているとしたら、幼稚すぎる…
で、その後、「冗談だ」とツイートしたそうだけど、冗談なら、なんで「天才スポーツ選手」「天才棋士」みたいにぼかして言わなかったの?実在の人名上げておいて「冗談です」で済むと思っているの?それぐらいの想像もできないぐらい、判断力を失っているようにしか思えない…
大体、藤井聡太棋士って何だよ。将棋に少しでもリスペクトがあれば、棋聖か、棋聖になる前の発言でも7段っていうだろ。報道でも、全部そうなっているだろ。藤井聡太棋聖に「棋士」ってつけてる有名人、初めて見た。リスペクトも何もなく、完全にバカにしている…
藤井新棋聖のフィーバーを受けて、将棋を観始める人に、ここが将棋を観る上でのの魅力、ポイントというのを言いたくなったので書いてみる
それはずばり、最終盤から投了までの棋士の佇まい、投了後の第一声だと思う
それまでの序盤、中盤は、最後の瞬間に感情移入して見られる程度に追っていればよい
盤面はわからなくてよい
解説を聞いてなんとなく情勢がわかる程度でよい
どうしてこの瞬間か
運の要素のない完全情報ゲームだから、自分の負けは即ち自分一人の責任になる
読みが甘かったから、気を抜いたから、能力が不足していたから、負ける
ウォーズ2級程度の腕の私すら、頭が火照るほど悔しい時がある
多くのプロ棋士は、小学生の頃からその地域の大人はまず敵わない
そんな天才が全国から集まり奨励会に入り、プロになるのは年数人の天才の中の天才だ
ちなみにプロ棋士の中でタイトル獲得まで至るのは一握りだし、タイトル保持を続けて覇権を握るのは羽生九段など、さらに限られた存在となる
そんな天才たちが何時間もの対局時間をかけて、生活の多くの時間を対局に備えて、人生を将棋に賭けてきた棋士が負けた時の悔しさは業火に焼かれるような感じだろうか
想像も出来ない
もちろん、ずっと勝負の世界に身を置いてきた棋士達が取り乱すわけではない
それでも、溢れるものがあるように思う
投了のずっと前には敗勢を認めて、
棋士によって潔く首を差し出したり、泥臭くあがいたり、幾重にも罠をはったり
そうした中で逆転もある
勝っている方は一手のミスでこれまでの時間が台無しになってしまうプレッシャーの中、極限の緊張と興奮の中で読み抜けている筋はないか探し続ける
そんな時間には、身体を揺らしたり、頭を掻きむしったり、ぼやいたり、はたまた微動だにせず盤面を見続けたりと、棋士それぞれの色が出る
それでも、局面が進むに従って盤上にあった可能性は一方の勝ち、一方の負けという形に収束する
負けを認めるまでに、選ばなかった選択肢を思ったりするのだろう
そして、戦い自分を負かせた相手に敬意を表して、着衣、姿勢を整え投了する
暫しの間を置いて、一局の中で生じた別の展開の可能性について話し始める
この過程が将棋を見ていてどうしようもなく美しい、これが魅力だと、個人的には感じている
もちろん、好きに観て楽しめば良いのだけど、ただ藤井新棋聖一人に注目するよりも対局者二人の物語を感じた方が将棋は面白いんじゃないかと思って
年齢 | 棋士 |
---|---|
58 | 大野源一(B1/11位) |
57 | |
56 | |
55 | 塚田正夫(A級/32位) |
54 | |
53 | 花村元司(A級/19位) |
52 | 升田幸三(A級/9位) |
51 | 丸田祐三(A級/15位) |
50 | |
49 | |
48 | |
47 | 大山康晴(名人/1位)原田泰夫(B1/13位) |
46 | 加藤博二(B1/16位) |
45 | |
44 | |
43 | 灘蓮照(A級/18位) |
42 | |
41 | |
40 | |
39 | |
38 | 二上達也(A級/7位) |
37 | |
36 | 【山田道美(A級/5位)】 |
35 | |
34 | 有吉道夫(A級/5位) |
33 | 佐藤大五郎(B1/14位)芹沢博文(B1/17位) |
32 | |
31 | |
30 | 内藤國雄(A級/3位)加藤一二三(A級/4位) |
29 | 板谷進(B2/20位) |
28 | 大内延介(B1/8位)西村一義(C1/10位) |
27 | 米長邦雄(B1/6位) |
26 | |
25 | |
24 | |
23 | |
22 | 中原誠(A級/2位)桐山清澄(B2/12位) |
21 | |
20 |
1950年代半ば過ぎより、将棋連盟は財政事情から1年間に採用される新四段を年に2人から3人と極端に絞っていた時代で、そのため若い世代に分厚い有力グループができる新陳代謝があったわけでもありません。もちろん俊英はきちんと昇段していくわけですが、そもそも奨励会の人数自体が少なく、年齢制限も有名無実な時期さえありました(なので1960年に移ってもほぼ変化がないため、遡るのはここまでにします)。そういうこともあって1960年代は大山康晴が全タイトルを独占する時間が長く続き、二上達也や加藤一二三が僅かにそこに手がかかる程度の圧倒的な独走状態でした。しかし打倒大山にその生涯を賭けたと言っていい山田道美が67年に棋聖位を奪取します。難病に斃れた山田はこの時点からわずか1ヶ月前の70年6月に36歳でA級在位のまま死去(そのため表中に特掲しました)。しかし山田が開いた研究会でも鍛えられた中原誠が翌68年に山田から棋聖を奪取し20歳の若さで初タイトル。さらに内藤國雄が中原から69年に棋聖を奪取と、大山統一王朝の終焉が間近な時期でした。
年齢 | 棋士 |
---|---|
57 | 大山康晴(A級/3位) |
56 | |
55 | |
54 | |
53 | |
52 | |
51 | |
50 | |
49 | |
48 | 二上達也(B1/19位) |
47 | |
46 | |
45 | 木村義徳(A級/34位) |
44 | 有吉道夫(B1/12位) |
43 | |
42 | |
41 | |
40 | 加藤一二三(A級/6位)内藤國雄(A級/7位) |
39 | 板谷進(A級/21位) |
38 | 大内延介(B1/15位) |
37 | 米長邦雄(A級/2位) |
36 | |
35 | 勝浦修(A級/4位) |
34 | 森雞二(B1/16位) |
33 | 石田和雄(A級/10位)田中魁秀(B2/17位) |
32 | 中原誠(名人/1位)桐山清澄(A級/13位) |
31 | 佐藤義則(B2/14位) |
30 | 森安秀光(A級/5位) |
29 | |
28 | |
27 | 青野照市(B1/8位)宮田利男(C1/20位) |
26 | |
25 | |
24 | |
23 | 小林健二(C1/11位) |
22 | |
21 | |
20 | 福崎文吾(C1/18位) |
19 | |
18 | 谷川浩司(B2/9位) |
中原誠(名人・十段・棋聖・棋王)米長邦雄(王位)大山康晴(王将)
筆者にとってはここから数年後が将棋に興味を持ち始めた時期のため個人的には印象の深い顔ぶれが並ぶのですが、改めて1990年の世代表と比較すると、羽生世代と55年組が年齢の関係で登場していないことを除けば、主たる顔ぶれに大きな変化がありません。大山から中原への世代交代を経て米長の台頭と加藤の才能の遅れながらの円熟を迎えた70年代の熱が、80年代いよいよその盛りに達しようとするまさにそういうタイミングであり、それが1990年の段階でまだまだ勢いを持っていたと見るべきでしょう。そういう意味でも、羽生善治は「最も最適のタイミングで出現した」と言えるのかもしれません。
そういう熱の中に、1人とびきりの若さで登場した谷川浩司の衝撃、をリアルタイムで感じることのできない当時の私の年齢ではありましたが、こうして見ればその存在感の突出さも別の意味で理解できようというものです。ただ、谷川は80年代を通してついに「自らの統一王朝」を開くまでには至らず、中原と押し引きを続けている間に羽生とも戦わざるを得なくなるという状況を迎えました。
藤井聡太の大師匠板谷進とその弟弟子石田和雄がA級に、さらに板谷進の弟子小林健二が将来を期待される俊英として名を連ね、板谷四郎一門のある種の盛りを迎えています。途中石田の弟子高見泰地が叡王位を獲得するとはいえ、ここから40年を経て「東海にタイトルを」が結実するというのは、年月の長さを感じます。
(なお、データはけんゆう様作成の「将棋棋士成績DB」を参照しています。けんゆう様には感謝を申し上げます)
年齢 | 棋士 |
---|---|
67 | 大山康晴(A級/27位) |
66 | |
65 | |
64 | |
63 | |
62 | |
61 | |
60 | |
59 | |
58 | |
57 | |
56 | |
55 | |
54 | 有吉道夫(A級/22位) |
53 | |
52 | |
51 | |
50 | 加藤一二三(B1/13位)内藤國雄(A級/17位) |
49 | |
48 | |
47 | 米長邦雄(A級/8位) |
46 | |
45 | |
44 | |
43 | |
42 | 中原誠(名人/3位) |
41 | |
40 | 淡路仁茂(B1/18位) |
39 | |
38 | 真部一男(A級/50位) |
37 | 青野照市(A級/7位) |
36 | |
35 | |
34 | |
33 | |
32 | |
31 | |
30 | 高橋道雄(A級/12位)福崎文吾(B1/20位) |
29 | |
28 | 谷川浩司(A級/1位) |
27 | 南芳一(A級/5位)島朗(B2/14位) |
26 | 神崎健二(C2/19位) |
25 | 塚田泰明(A級/11位)中田宏樹(C2/16位) |
24 | 森下卓(C1/2位) |
23 | |
22 | 阿部隆(C2/10位) |
21 | |
20 | 佐藤康光(C1/5位) 先崎学(C2/15位) |
19 | 羽生善治(B2/6位) |
18 | 屋敷伸之(C1/9位) |
中原誠(名人・棋聖・王座:この直後8/1に屋敷伸之に棋聖位を奪取されます)谷川浩司(王位)羽生善治(竜王)米長邦雄(王将)南芳一(棋王)
このシリーズで一番の縦長ですが、その原因は言うまでもなく大山康晴です。この2年後69歳でA級在位のまま死去。ほんの数年前までは羽生善治ならそれに並びうるのではと思われていましたが、さてそれが達成できるかは見ものです。私も健康に気をつけてせめてその歳までは健康に生きていたいと願っております。あと、有吉道夫・内藤國雄の西の両巨匠もまだまだ指し盛りですね。ご両名はそれぞれ74歳、75歳まで現役を務めました(内藤は規定による引退を待たずの自主引退)。このお二人が関東在住でしたら、2020年において長老格として加藤一二三だけがメディアを独占する、ということもなかったのではないかなあ、とも。
この表だけ見ると谷川浩司の周りにずらっと名前があって多士済々。しかもタイトルホルダーやタイトル経験者、A級在位者が多い。特に南芳一にいたってはこの前後数年でタイトル5期を重ねるなど最充実期といっていい活躍。にもかかわらず「谷川世代」という呼ばれ方はついにされず、しかもその後の歴史を見るに多分それは正しかった。1991年を最後に、福崎文吾まで含めてこの年代の棋士は谷川以外誰一人タイトルに届きませんでした。そういう意味では、棋界の「見る目」というのは冷徹なほどに的確です。また、もしかしたら2020年における30歳前後の棋士たちへの評価に重なる部分があるのかもしれません。
この表だと塚田泰明とは1つしか年齢が違いませんが学年では2つ、プロ入りでは3年度下なので、55年組よりは「羽生世代」に近い位置づけをされる森下卓。昨年木村一基が初タイトルを奪取するまでは「無冠の帝王といえば森下か木村か」と言われる存在でした。この年24歳、C1在籍ながら準タイトル戦格の全日本プロトーナメントを制しています。棋界一の律儀者とも称される物腰の柔らかさとじっくりとした矢倉を得意とする棋風で人気も高く、一般棋戦優勝8回、タイトル挑戦6回を数えながらついに54歳の今日までタイトルに手が届いていません。そのことについては本人の口からも幾度か語られてはいますが、それを判定できる人はだれもいないのでしょう。書かずもがなの無内容なことながら、それでも一筆書かずにおれないところがあります。
はい、30年前にもうこうやって出てくるわけですよ。この表の中には名前ないですけど村山聖と森内俊之はレート的にはすぐこの下にいますし、郷田真隆と丸山忠久はこの年の4月に新四段になったばかり、翌91年4月には藤井猛が、同10月には深浦康市が四段に上がってきます。そして屋敷伸之が上記の通り、2回目のタイトル挑戦中で中原から棋聖を奪取し史上最年少タイトルホルダーに輝く。上は大山から下は屋敷まで、そして中原・谷川・羽生の3人のスターを抱えるこの時期の「幅の広さ」はその前後には見られない豊穣さといえましょう。
レーティングという指標で見るなら、実は羽生は藤井聡太よりもほんの少しだけ早い17歳6ヶ月で全棋士中1位になっています(88年3月、藤井聡太は2020年2月に17歳7ヶ月。この比較こそ数字遊びに過ぎませんが羽生のほうが藤井よりプロ入りが遅く勝率も低いのに対局数と勝数の要素でこうなっています※追記:eloにせよglickoにせよ「将棋棋士の場合は」全体のレートがマイルドにインフレする(対して大相撲力士のレーティングは目立ってインフレしない)ので攻略する頂の高さは羽生より藤井の方がずっと高いのでした。その分藤井のほうが増やしやすくはありますが)。この時期は、ちょうど羽生にしては珍しい「不調」といえる時期で、もしかすると当時史上最年少でのタイトル獲得に伴う環境の激変の影響が出ていたのかもしれません。この年の秋には谷川の挑戦を受けた竜王戦で防衛を果たせず、年明けの棋王戦で南から棋王位を奪取してすぐにタイトルホルダーに復帰するものの、「前竜王」の呼称がなくなった現行の方式であれば、この4ヶ月弱ほど「羽生七段」になっていたということになります。そういう意味では、藤井聡太のここから1年ほど、あるいは高校を卒業したあとの1年くらいの動向には注目すべきでしょう。これまでは学業優先で免除されていた普及活動、将棋連盟主催のイベント、タイトル戦主催者企画のシンポジウムや講演会の依頼、単著の執筆依頼、テレビ出演への依頼などがそれでなくても多い対局の合間に豪雨のように降ってくるわけですから。
ここまで来たら羽生世代でとことん笑ってみよう。20年前までさかのぼっても全然動かないんだもの。
年齢 | 棋士 |
---|---|
60 | 加藤一二三(A級/30位) |
59 | |
58 | |
57 | |
56 | |
55 | |
54 | |
53 | |
52 | 中原誠(B1/17位) |
51 | |
50 | |
49 | |
48 | |
47 | 青野照市(A級/31位) |
46 | |
45 | |
44 | |
43 | 田中寅彦(A級/40位) |
42 | |
41 | |
40 | |
39 | |
38 | 谷川浩司(A級/2位) |
37 | 島朗(A級/23位) |
36 | |
35 | 塚田泰明(B2/18位) |
34 | 森下卓(A級/8位) |
33 | |
32 | 中川大輔(B2/19位) |
31 | |
30 | 佐藤康光(A級/6位)先崎学(A級/26位) |
29 | 羽生善治(A級/1位)藤井猛(B1/3位)森内俊之(A級/4位)丸山忠久(名人/5位)郷田真隆(B1/10位) |
28 | 深浦康市(B2/9位)屋敷伸之(C1/14位) |
27 | 木村一基(C1/11位)野月浩貴(C2/20位) |
26 | 三浦弘行(B1/7位)行方尚史(C1/15位)鈴木大介(C1/16位) |
25 | 堀口一史座(C1/13位) |
24 | 久保利明(B2/12位) |
23 | |
22 | |
21 | |
20 |
羽生善治(王位・王座・王将・棋王:四冠の平常運転、直後に谷川から棋聖を奪取して五冠)谷川浩司(棋聖:この直後無冠に)丸山忠久(名人)藤井猛(竜王:やっぱり竜王といえば藤井)
順位戦のシステム上、ベテランが上位クラスで奮闘と粘りを見せやすいという特性があります。中原十六世名人は00年3月にA級から陥落し引退も囁かれていたのですが引き続き順位戦にとどまり、むしろそれまで以上の自由な棋風に変貌しました。ただ、やはり競争は厳しく、この年度で田中と島が、その次の年度で加藤(とベテランではありませんが先崎も)が陥落し以後A級には復帰できませんでした(加藤の62歳A級は史上2位の高齢で実に見事なものです)
96年3月に羽生の七冠独占を許した谷川ですが、その年のうちに羽生から竜王位を奪取、さらに9年には羽生から名人位も奪取し羽生より先に永世名人資格を取ります。98年には佐藤康光に名人位、藤井猛に竜王位を奪われてまた無冠になりますが99年に郷田真隆から規制位を奪取、上記の通りその棋聖位も1年で羽生に奪われるものの2年後の02年には40歳で羽生から王位を奪取。分厚い羽生世代と40歳で伍していく気迫と覚悟には、全盛期とはまた異なる谷川将棋の魅力として輝くものがありました。
id:BigHopeClasicです(元増田ではない)
ブコメの中に「10年前はどうだったんだろう」というのがあったので、ちょうど10年前のを同じ基準(レーティングトップ20+A級棋士)で作ってみました。
年齢別の方がわかりやすい面もあるのでそちら基準で(名前の横のカッコ内は順位戦クラスとレーティング順位です)
年齢 | 棋士 |
---|---|
50 | 高橋道雄(A級/31位) |
49 | |
48 | 谷川浩司 (A級/15位) |
47 | |
46 | |
45 | |
44 | |
43 | |
42 | |
41 | |
40 | 佐藤康光(B1/6位) |
39 | 羽生善治(名人/1位)丸山忠久(A級/4位)森内俊之(A級/9位)藤井猛(A級/12位)郷田真隆(A級/14位) |
38 | 深浦康市(B1/7位) |
37 | 木村一基(A級/18位) |
36 | 行方尚史(B1/16位)三浦弘行(A級/17位) |
35 | |
34 | 久保利明(A級/2位) |
33 | |
32 | |
31 | |
30 | 松尾歩(B1/11位) |
29 | 山崎隆之(B1/5位) |
28 | 阿久津主税(B2/13位) |
27 | |
26 | 渡辺明(A級/3位) |
25 | |
24 | |
23 | 広瀬章人(C1/8位)戸辺誠(B2/10位) |
22 | 佐藤天彦(C2/20位) |
21 | |
20 | 豊島将之(C1/19位) |
羽生善治(名人・棋聖・王座:三冠なので不調と半ばマジ気味にネタにされてた時代ですね)/深浦康市(王位:ちょうどこの時期広瀬章人と王位戦を戦い広瀬が初タイトルを獲得します)/渡辺明(竜王:敵なしの6連覇中)/久保利明(棋王・王将)
十七世名人の谷川については多くを語る必要もないですが、50歳でA級を堅持していた高橋道雄については説明を。
昭和55年度(1980年度)は、今とはシステムが違うとはいえ1年度で8人もの棋士が四段に昇段し、かつその中で5名ものタイトルホルダー(高橋道雄、中村修、島朗、南芳一、塚田泰明)を輩出するという将棋史上でも空前のビンテージイヤーとなりました。そこでついた名前が「55年組」です。ただ、彼らとほぼ同じ年齢の谷川浩司は彼らより4年も早くプロ入りしていたためか「谷川浩司と同じ世代」というくくり方にはされることがありませんでした。この辺は「実年齢でくくるのか」「プロ入り年度でくくるのか」というくくり方で「羽生世代」と大きく異る部分ですね(ありていにいえば「くくる側の願望や思惑」が出るところでもあります)。
さて、谷川には及ばないものの17歳18歳で早々に四段昇段した他の4人と比べると、高橋は一歩遅れて20歳で四段昇段となりました。将棋界は面白いもので、このわずかな昇段年齢の差がその後のキャリアで大きな差を生むことが知られていますが、高橋は他の誰よりも早く23歳で初のタイトルを獲得し、そしてやや早枯れの傾向のあった同期たちの中では一人熟年まで力を保ち、48歳でA級に復帰し52歳までA級にとどまりました。「棋界における世代」の一挿話として特筆した次第です。
いやもう、さすがに呆れるしかないですよね、森内こそ順位戦から撤退してフリークラスに転籍しましたが、10年後の表から名前が消えたとはいえ行方はB1にとどまっていますし藤井猛もB2でまだまだ力強さを見せています。この分厚さと力強さが、20歳年下の豊島の世代まで重い蓋になったのがよくわかると思います。
この時点ですでに、松尾・山崎・阿久津(と橋本崇載)の4人は「もう若くないぞ、そろそろ一花咲かせないとあまり時間の余裕がないぞ」と言われ始めていたはずです。とはいえ、この4人でタイトル獲得どころか挑戦に届いたのさえ山崎1人、A級昇級すらままならないことになるとはまださすがに予測されていませんでした(松尾と山崎はA級に上がれず、橋本は1回、阿久津は2回昇級したもののすべて1年でB1に送り返されています)。それでも山ちゃんを諦めない。
上記の通り、この年のこの直後に広瀬が初タイトルを獲得するのですが、その翌年羽生に奪い取られてしまいます(なお「魂を抜かれた」のはさらにその4年後になります)。
もちろん天彦、豊島は渡辺に続く新鋭としてひとかたならぬ期待はありましたけど、初タイトルはともに28歳のときでした。広瀬も含め30歳手前で「実力と実績の均衡が取れて充実の盛りを迎えた」のですが、特に豊島についてはそれでも「遅れてしまった」感はあります。
というわけで、10年前にさかのぼってみると、「渡辺の孤独」により見えてくる部分があるのではないでしょうか。というかむしろ「谷川浩司の孤独」のほうが浮かんでしまうのかもしれないなこれ、とここまで書いて思いました。
私は将棋の知識がほぼゼロなんでめちゃくちゃざっくりとしか説明できないんだけど、将棋について一家言持ちのじいちゃんによる渡辺明棋聖対藤井聡太七段の棋聖戦のポイント解説がへたなテレビの解説よりなるほど〜となったのではてなに記す。既にみんな知ってるようなことだったらごめん
じいちゃん曰く、勝負の明暗を分けたのは、藤井七段が序盤やらかして不利な局面に入った少し後らしい(何手目とか言ってたけど忘れちゃった、じいちゃんごめんなさい)。
そこで渡辺さんは金を打って攻撃すべき場面があったらしいんだけど、金を打たずに守りに入った。その金打ちは、単純にどんどん攻撃するぞー!みたいな素人くさい手だったのと、藤井七段相手に安易に攻め込むことを躊躇してのことと考えられるらしい。渡辺さんはなんか、よりスマートな?手を選んだそうな。だけどこれが失敗だったらしい。金でどんどん攻撃していれば、もしかしたら藤井七段は反撃しきれなかったかもしれなかったところを、ストレートに攻撃されなかったためその隙をついて藤井七段は反撃態勢に入った。
で、普通なら棋士は目の前の角や飛車といった大駒を狙いがちなところ、藤井七段は飛車をエサにして渡辺さんを引きつけ、その間自分の陣地を整えていたんだってさ。最終的に、自分がとられたらまずい駒を歩でうまく守れるようにわざといらない駒を捨てながら罠を張るように陣地作りを行う藤井七段のやり方はまあ想定されないものらしい。実際の戦闘で言うなら、敵に唯一の武器である銃をわざと奪われた後死なない程度にタコ殴りにされながら相手を地盤のもろい場所に誘導し、なおかつどこをどの程度の力で蹴ったら何分後に地盤が崩れるかを素早く計算しつつ的確に相手の立つ場所を崩していくようなものだ。並の頭の回転と度胸じゃない。
渡辺さんは思惑にはまり、藤井七段にとって都合のいい形にすることを許してしまった。そして、終盤、さあ藤井七段を攻撃してやる、というところで一気に足元を崩されたらしい。
じいちゃんは、そういうところを解説すれば藤井くんのすごさがもっとみんなに伝わるのになあとぼやいていた。私は終盤の足元が一気に崩れるシーンについて、ジャンプ漫画の見開きコマみたいだなとばかみたいな感想を抱いていた。おわり
何もしてないけど、将棋ソフトを対局中に使ったと渡辺元棋聖に濡れ衣を着せられたんだよ。それで暫く出場停止になったりタイトル戦に出られなくなったりエライ目に遭った。
けれど、ここでは、番勝負で敗れた渡辺明二冠の話をさせてください。
いつものようにニヒルな笑いを浮かべて、彼はあっけらかんとこのようなことを言った。
しかし、この発言は私にとっては結構な衝撃であった。渡辺明は、羽生の次は藤井の時代だ、自分は時代を作る棋士ではない、そう言ったのである。
中学生で棋士になり、20歳で将棋界の最高タイトル、竜王を獲得する。
玉を堅く囲い、針の穴に糸を通すような細い攻めを見事に通す。理路整然としたその将棋は、美しく、絶品である。
2008年には、羽生善治との頂上決戦を3連敗4連勝という劇的な結末の末制し、初代永世竜王の座を手にする。
こうやって書くと、渡辺の棋士人生は栄華に満ちているようである。しかし、そうではない。彼の棋士人生は、常に孤独との闘いであった。
渡辺の同世代で、彼と同じレベルでトップを張り合える棋士はいなかった。渡辺は、若い頃から、一回り以上も上の羽生世代と「たった一人で」しのぎを削り続けた。
羽生世代は、底知れぬ力を持った将棋の怪物たちである。渡辺は、たった一人で怪物たちと剣を交え、互角以上の戦いを続けてきた。
最強の羽生世代と争ってきた彼は、これまで年下の棋士にタイトルで敗れたことがない。はっきりいうと、「格」が違うのである。踏んできた場数も、積んできた経験も、何もかもが違う。孤独と闘ってきたものだけが持つ、底知れぬ「凄み」のようなもので、彼は年下の棋士たちを蹴散らしてきた。
2017年度には、大きく勝率を下げ、プロ入り後初の負け越しを喫する。「衰え」がきたのか-そう思った人もいたかもしれない。
しかし、渡辺は死ななかった。自らの将棋を大きく改造し、再び上昇気流に乗る。鬱憤を晴らすように勝ちまくり、再び三冠の座に上り詰めた。
そんな渡辺明という天才が、当時まだタイトルを獲得していない棋士を、タイトル99期の羽生の次だと言った。自分を飛ばして、である。
渡辺明は、本音をはっきりと口にするタイプで、お世辞で人を持ち上げるようなことはしない。
「羽生と藤井の間」との発言も、率直な彼の実感なのだろうと思った。そう思うと同時に、私は恐ろしくなった。
藤井聡太とは、いったいどれほどの棋士なのか。どこまで行く棋士なのか。
天才にしか、見えない世界があるのだろう。言わば藤井聡太は、「天才から見た天才」。雲の上の、そのまた雲の上にあるような世界は、想像も及ばなかった。
想像も及ばないから、見てみたいと思った。渡辺明と、藤井聡太によるタイトル戦。その舞台を、心待ちにした。
待ち望んだ舞台は、時を経ずに実現する。2020年6月。渡辺が保持していた棋聖のタイトルに名乗りを上げたのは、藤井だった。
「なるべくなら藤井と当たりたくない」そう言って笑っていた渡辺だったが、藤井聡太にとって初のタイトル戦を待ち受けることになるのは、自分だった。
このあたりは、強者の宿命である。あるいは、将棋の神様が、渡辺に課している試練なのかもしれない。
渡辺明は、自らが「時代を作る棋士」と評した最強の挑戦者と、盤を挟むことになった。これまで蹴散らしてきた年下の挑戦者たちとは違う。そのことは、渡辺自身が、始まる前から一番分かっていただろう。
第1局、矢倉を選択した藤井は、凄まじい、人間離れした踏み込みで渡辺を圧倒する。1三の地点に、飛車と角が次々に飛び込む。鮮烈な寄せ。驚異の見切り。
第2局。この将棋に関しては、今も冷静に振り返ることができない。これまで見てきた将棋の中で、一番の衝撃だった。
先手番で矢倉を選択した渡辺。将棋は、基本的には先手が主導権を握ることのできるゲームで、特に渡辺の先手番は抜群に強い。用意周到な作戦で一局を支配する、それが渡辺である。
その渡辺が、何もさせてもらえなかった。王手すら、かけることができなかった。藤井が放つ異筋の手が、渡辺の矢倉を破壊した。観戦しながら、頭が割れるような、足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。こんなことは、もう後にも先にも訪れないかもしれない。
「いつ不利になったのか分からないまま、気が付いたら敗勢」。渡辺はブログでそう回顧した。理路整然とした彼の口から出たことが信じられない言葉だった。
2連敗。これまでタイトル戦でストレート負けをしたことのない渡辺が、あっという間の土俵際である。羽生の次は藤井の時代だといった渡辺の言葉は、残酷にも証明されようとしていた。私は茫然とした。最強の渡辺明が、手も足も出ない。自分が見ているものは、悪夢だと思いたかった。羽生世代という怪物たちと剣を交えてきた渡辺。その渡辺の、剣先すら届かない。こんなことがあるのか。私は叫び出したい気持ちだった。
2020年7月9日、棋聖戦第3局。私は仕事を休んでこの将棋を観戦した。藤井聡太の初タイトルを見るためではない。渡辺明の「意地」を見るために、仕事を休んだ。このまま終わる渡辺ではない。そう自分に言い聞かせながら、食い入るように盤面を見つめた。
第3局、渡辺は角換わり腰掛け銀で、90手目のあたりまで想定していたという、圧倒的な研究を投入する。研究の多さと深さは棋界随一の渡辺だが、今回投入したのは、とっておきの中でもとっておきの研究だったと思う。藤井聡太から白星を挙げる。たった一点の至上命題を果たすため、渡辺はついに、極限まで研ぎ澄ました剣を抜いた。序盤から中盤、ほとんど時間を使わない渡辺。研究範囲は時間を使わずに指す、この徹底的な合理主義も渡辺の特徴だ。用意周到な研究でリードを奪い、抜群のゲームメイクで、渡辺は一局を支配し、離さない。藤井の追撃も凄まじかったが、序盤を飛ばして残しておいた時間が最後に物をいう。渡辺、腰を落とし、崩れない。そして、ついに藤井が頭を下げる。
渡辺明、藤井聡太に初勝利。「これが渡辺明だよ!」今度は、本当に叫んでいた。もし、渡辺が何もできないまま3連敗していたら、私はしばらく将棋を見られなくなったかもしれない。しかし、3連敗する渡辺ではなかった。3連敗など、するはずがなかった。
この勝利は、たんなる1勝ではない。もはや渡辺明の「凄み」としか言いようがない。盤を挟んだ目の前にいる棋士は、まさに今、次の時代を切り拓こうとしている。渡辺にとって、その「圧」は凄まじかったと思う。自らを飲み込もうとする圧倒的な濁流に、渡辺は自らの強みである「研究」で立ち向かい、そして振り払った。あの舞台でこんなことができる棋士は、渡辺明以外にいない。大舞台で、濁流に抗う。孤高の棋士、渡辺明が報いた、最強の「一矢」だった。
棋聖戦第4局。先手番となった渡辺は、第2局で完敗した急戦矢倉の作戦を再び用いた。胸が熱くなった。「気付いたら敗勢」そう振り返った、渡辺にとって悪夢のような将棋である。負けたら終わりの一戦で、再びこの作戦を選択することには相当な勇気がいる。しかし、渡辺は悪夢を悪夢のまま終わらせておく男ではなかった。自身が完敗した将棋を徹底的に研究し、改良手順を藤井にぶつけたのである。妥協を許さない、トッププロとしての威信をかけた将棋だった。
渡辺の研究は功を奏し、互角からやや渡辺有利の形勢で局面は進行する。しかし、藤井は全く崩れずに渡辺のすぐ後ろをひた走る。紙一重の攻防の中で、渡辺に盲点の一手があった。藤井の攻め駒が、気付けば渡辺の玉を左右から包囲していた。「負け」。渡辺は、このあたりで覚悟を決めたという。
ピンと背筋を伸ばした渡辺が、「負けました」と声を発する。渡辺明の棋聖戦が終わり、史上最年少タイトルホルダー、藤井聡太棋聖が誕生した瞬間である。
激闘を終えた当日の深夜、渡辺は自身のブログを更新した。そして、自身の将棋を、淡々と、それでいて的確に分析する。信じられないような完敗を喫した第2局の後も、タイトルを失った第4局の後も、その姿勢は全く変わらなかった。目を覆いたくなるような将棋を、淡々と振り返る。それも、当日の夜に。普通の人間なら、抜け殻のようになっていてもおかしくない。すぐに敗局の分析をする。これもまた、渡辺の「凄み」である。
「負け方がどれも想像を超えてるので、もうなんなんだろうね、という感じです」
渡辺はそう述懐した。藤井聡太と初めてタイトル戦を闘った男の、偽らざる本音なのだろうと思った。棋界のトップを走り続ける男が、「想像を超えている」と述べた。その意味は果てしなく重い。
渡辺はトッププロとしての矜持を胸に、全力で闘い抜いた。第1局、第2局では、昼食に高額なうな重を連投した。これは、藤井聡太が昼食の値段を気にせず、好きなものを頼めるようにした配慮だと言われている。藤井聡太が残り時間3分の場面でトイレに走った時、渡辺は次の手を指さなかった。そこですぐに指せば、藤井の持ち時間を減らし、追い詰めることもできた。しかし、渡辺は藤井が戻るのを待ってから盤上に手を伸ばした。藤井を戸惑わせるような「盤外戦術」はいらない。時代が動くか動かないかというこの戦いにおいて、そんなものは「邪道」でしかない。渡辺は、藤井が全力を出せるように環境を整え、「将棋」で真正面から勝負した。
結果は、1勝3敗での敗退。「羽生の次は藤井の時代」という渡辺の言葉が、現実のものになろうとしているのかもしれない。藤井聡太の時代が、今まさに幕を開けたのかもしれない。
しかし、渡辺は抗う。自らが発した言葉に抗い続ける。そう信じている。
「次の機会までに考えます」渡辺はそうブログを締めくくった。渡辺は、もうすでに「次の機会」を見据えている。ここからまた、渡辺明の闘いは続く。