はてなキーワード: 塚田正夫とは
角換わり腰掛け銀木村定跡は角換わり腰掛け銀を一度終わらせ、そして半世紀にもおよぶ角換わり腰掛け銀の発展を方向づけた歴史的な定跡である。
発見者は実力制名人黎明期において圧倒的な実力を誇った"常勝名人"木村義雄十四世名人。
その木村が40代を迎えて、棋士人生の下り坂に差し掛かった頃である。自身を脅かす有力な若手などそうはいない。しかし次代のトップ棋士達は確実に頭角を表してきた。関東の塚田正夫。そして関西の升田幸三、大山康晴。木村が第6期名人戦で塚田正夫に痛恨の敗北を喫したあとに完成させた定跡だそうだ。西暦にして1947年ごろか。
そもそも角換わり腰掛け銀とは、お互いに大駒である角を持ち合い、準備万端の攻撃態勢を築きガンを付け合った後、相手が死ぬまでボッコボコに殴り合うという戦法である(個人の見解です)。
その過激な思想がウケたのか当時流行最先端の戦法になっていた。もちろん名人戦でも指される。そして木村は名人を失冠した。再起を賭けて死に物狂いで研究したであろう木村が編み出したのが、先手必勝の角換わり腰掛け銀木村定跡である。角換わり腰掛け銀で同型(▲5八金▲2八飛の形)のまま進行し、▲8八玉△2二玉と互いに玉を囲い合うと、後手は何をどう最善を尽くしても絶対に負ける。
すでに新聞棋戦全盛の時代だ。必勝定跡を隠す手立てはなく、指せば先手が勝つと分かった木村定跡はすぐにプロの将棋から消えた。当たり前の話である。なので角換わり腰掛け銀は以後、木村定跡を避けて逆に攻勢に出たい後手とそれに対応する先手、という図式になる。▲8八玉△2二玉と進めば負けるのだから、▲8八玉の後に後手が攻めたらどうなる?どうも先手悪いようだ。ならその前に先手が攻めたらどうなる(升田流)?半世紀にわたる未解決問題は富岡流によって解決された。やはり先手必勝だ。後手はもっと前に変化しないといけない。あるいは!同型のまま進行するのがダメなら、序盤で後手から角交換したらどうだ(後手番一手損角換わり)?▲8八玉△2二玉の時点で同型にならず、後手有望かもしれない!先手がそもそも腰掛け銀を回避してくるところが辛いけどね。
ゾルトラークは広く流行し誰でも使える基本的な魔法になったそうだ。この点は将棋界と違うね。必勝戦法は必勝なのだから誰も指さなくなる。いわゆる×新手一生○新手一勝だ。しかし知らなければ落とし穴に嵌る。将棋界におけるゾルトラークは大なり小なりそういうものだ。決して表舞台には表れないが、水面下では激しい研究合戦が繰り広げられている。そこに織り込まれていく。
2023年現在で角換わり腰掛け銀同型といえば▲4八金▲2一飛の形である。木村定跡はもちろんだが、▲5八金▲2八飛の角換わり腰掛け銀自体がAIにより不安定な形と評価され、指されなくなった。イマドキの奨励会員は木村定跡を知らないかもしれない。AIもプロも指さないからね。将棋AIはとうの昔に、人間の棋譜を読むような非効率な学習を行っていない。ゾルトラークとして水面下で棋士の常識であったはずの木村定跡は、今では本当にただの廃れた定跡なのかもしれない。
永世称号保持者
タイトル5期以上
カッコが付いている人は稼働していた時代が違いすぎて単純に比較できない人
あと何期かでS級4組に昇格する現役棋士
タイトル戦3期で竜王戦のみ現役となっている桐山清澄九段は事実上不可能なのでここに入れない。年齢や近年の実績から豊島と天彦以外は4組昇格厳しい。
藤井聡太は挑戦中の王位と本戦トーナメントに残っている竜王をダッシュし三冠になれば今年中にS級奨励会に入会、更に来年これらを防衛するか王将・叡王・王座のいずれかを奪取でタイトル2年目でS級4組に昇格。羽生善治ですらS級4組は4年かかっているのに(それでも充分化物)!
載せるつもりはなかったのだけど参考として。プロ棋士数が今の半分以下の70人強しかいない時代でその中のtop20、1970年になっても基本的に年齢が10増えるだけでメンツや序列に大きな変化がないことを確認していただきたかった(1970年でも80人強しかいない)。
年齢 | 棋士 |
---|---|
48 | 大野源一(A級/8位) |
47 | |
46 | |
45 | 塚田正夫(A級/7位)松浦卓造(A級/24位) |
44 | 高島一岐代(A級/19位) |
43 | 花村元司(A級/12位) |
42 | 升田幸三(A級/6位) |
41 | 丸田祐三(A級/2位) |
40 | 本間爽悦(B1/20位) |
39 | 松田茂役(B1/15位) |
38 | |
37 | 大山康晴(名人/1位)原田泰夫(B1/14位) |
36 | 加藤博二(A級/9位) |
35 | |
34 | |
33 | 灘蓮照(A級/5位) |
32 | |
31 | |
30 | 関根茂(B2/16位) |
29 | |
28 | 二上達也(A級/3位)大友昇(B1/18位) |
27 | |
26 | 山田道美(A級/5位) |
25 | 北村昌男(B2/13位) |
24 | 有吉道夫(B1/17位) |
23 | 芹沢博文(B1/10位) |
22 | |
21 | |
20 | 加藤一二三(A級/4位) |
年齢 | 棋士 |
---|---|
58 | 大野源一(B1/11位) |
57 | |
56 | |
55 | 塚田正夫(A級/32位) |
54 | |
53 | 花村元司(A級/19位) |
52 | 升田幸三(A級/9位) |
51 | 丸田祐三(A級/15位) |
50 | |
49 | |
48 | |
47 | 大山康晴(名人/1位)原田泰夫(B1/13位) |
46 | 加藤博二(B1/16位) |
45 | |
44 | |
43 | 灘蓮照(A級/18位) |
42 | |
41 | |
40 | |
39 | |
38 | 二上達也(A級/7位) |
37 | |
36 | 【山田道美(A級/5位)】 |
35 | |
34 | 有吉道夫(A級/5位) |
33 | 佐藤大五郎(B1/14位)芹沢博文(B1/17位) |
32 | |
31 | |
30 | 内藤國雄(A級/3位)加藤一二三(A級/4位) |
29 | 板谷進(B2/20位) |
28 | 大内延介(B1/8位)西村一義(C1/10位) |
27 | 米長邦雄(B1/6位) |
26 | |
25 | |
24 | |
23 | |
22 | 中原誠(A級/2位)桐山清澄(B2/12位) |
21 | |
20 |
1950年代半ば過ぎより、将棋連盟は財政事情から1年間に採用される新四段を年に2人から3人と極端に絞っていた時代で、そのため若い世代に分厚い有力グループができる新陳代謝があったわけでもありません。もちろん俊英はきちんと昇段していくわけですが、そもそも奨励会の人数自体が少なく、年齢制限も有名無実な時期さえありました(なので1960年に移ってもほぼ変化がないため、遡るのはここまでにします)。そういうこともあって1960年代は大山康晴が全タイトルを独占する時間が長く続き、二上達也や加藤一二三が僅かにそこに手がかかる程度の圧倒的な独走状態でした。しかし打倒大山にその生涯を賭けたと言っていい山田道美が67年に棋聖位を奪取します。難病に斃れた山田はこの時点からわずか1ヶ月前の70年6月に36歳でA級在位のまま死去(そのため表中に特掲しました)。しかし山田が開いた研究会でも鍛えられた中原誠が翌68年に山田から棋聖を奪取し20歳の若さで初タイトル。さらに内藤國雄が中原から69年に棋聖を奪取と、大山統一王朝の終焉が間近な時期でした。