はてなキーワード: 集合知とは
集合知っていうかネットの力とかかな。wikipedia とかもそうだけど、みんなの力で!みたいな顔をしていて実際は数万人とか数十万人に1人のエクストリームな知識と行動力の人だけが動かしてるのが現実だよな。
世界の何十億人が使っているコア技術なのに、ボランティアの1人が全てを背負っている。
あれは自分もOSSだから多くの人たちが力を合わせて開発、運用しているんだ!と何故か無邪気に勘違いいしてたけど、実際は一部のエクストリームな活動の犠牲の上に積み上げられていた。
インターネットの集合知とかも多分嘘で、ネットに出回っている100の情報があったら99.9%は利用者の1/10000くらいの人間だけが出力した内容、またはそれらの劣化コピーの使いまわしな気がしている。
これは元々人間には独自の情報を語る能力、独自の考えや感想とか個人の妄想とか感情とかを垂れ流すインセンティブもないし、会話にそんなものを誰も要求していないみたいな、旧来の社会敵な動きとかが原因な気がする。
口を開けばトムラウシ山遭難の話だとか、三毛別羆事件、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件。
これら情報は集合知じゃなく、一部の記者の仕事であり。そしてそれをまとめた一部のエクストリームな活動家の仕事であって、集合知ではない。
エクストリームな1人に依存している状況なので、専門家が正しいことを言っていても大衆の騒音にかき消されてしまっている、みたいな集合に潰されてる智慧がある気がする。(具体的な事例は思いつかないけど)
それって多分私が思い描いていた集合知のイメージとはかけ離れている。
気がついたと言うか、認めたくなかった事実というか。
梅田ヨドバシ前の歩行者通行量が多い箇所で日本保守党が演説をした為に滞留が発生して雑踏事故が起きそうな状況になった件で、ヤフコメやツイッターで支持者と思しき者達が「消防車まで来たのは虚偽通報による妨害だ、検挙されるだろう」と言い合い、賛同し合っている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa62550a78dbef7a5d0c88bc5212139eacb221f0/comments
この一見不必要な状況で消防車まで来て大袈裟な騒ぎになるというのは増田も経験がある。増田の経験でも、投身自殺(死亡)、歩行者の交通事故(重体)、死臭による孤独死の確認(死亡)、鉄道人身事故(死亡)で火災の兆候も無いのに消防車が出動してきた。
これはどうしてだろうか?
これはPA連携と言われる方法で、平成12年頃から始まった。PAとはポンプ車(消防車)とアンビュランス(救急車)の事で、要するに状況に由っては消防士が救急を支援する為に一緒に臨場する。
「google:PA連携」と検索すると色んな自治体の解説が出てくる。
その状況とは、
・心肺停止
・重体
・雑踏で救急の困難が予想される
というもの。
この為に消防士も心肺蘇生の講習を受け、救急救命士の資格を得るようになっている。
だから孤独死や人身事故等でも来るわけだ。孤独死とか鉄道人身事故で人体が散乱しているようなケースでは状況から死亡が明らかだが、法的には救急や警察官が死亡を確認しないと「心肺停止がが疑われる」状態のままだ。だから一緒に出動する手配が取られる。でも当然素性の見込みがない状態だから警察に任せて直ぐに帰って行く。
今回の梅田ヨドバシ前の場合は、階段の存在と2次交通災害の危険、雑踏が該当するね。
多分だが、危ない状態なので誰かが110番通報したのではないかと思われる。雑踏事故の予防は警察の職務職権事項というのは韓国の事故で周知されたのだろう。
ほぼ滞留状態だったと聞くから事故が起きる前に警察が臨場できたこの判断は正しかったと思われる。
通報を受けた警察通信指令室は救急の必要ありと考えたら消防指令室に救急車の派遣を要請する事になっている。
あとはPA連携の要件満たすケースなので消防車も出動、と相なったと思われる。最初の110番から正しい対応のチェーンリアクションだ。
救命救急に興味がないと個人としてPA連携とか知らないというのは仕方がない。だが問題は集合知や集団として賢くなるコミュニケーションをしているかである。
PA連携を知る人が10%程度とする。ここで2人、4人と人数が増えれば知る人が含まれる可能性は20%、40%と上昇する。母集団1000人ともなれば確率なんて議論する余地も無い。知る人が多量に含まれると予想されるのは当然だ。
だが特にネットコミュニケーションではこの針の穴を通る程の確率の「知らない人だけで構成される集団」が自然発生する事がしばしばだ。
また、「知る人」が含まれても、軋轢を恐れて言わないか、言っても無視される。自由なはずのネットで隣組をやる訳だ。こういう力学に支配された集団では、「多数が集まるのにPA連携を知る人がいない」という天文学的確率の状態が維持されるようになる。
これの類似で提示したいのは過去の在日特権デマだ。このデマの中心は「特定集団の人間は無税である」というものだった。
だがこれは差別性などを措いておいても単純な話で、確定申告の仕組みを知らないという事に起因していた。
確定申告では税務署が配布する多重カーボンの申告用紙の欄内に数字を記入する。税の控除を受けるには控除項目の数字欄に記入する必要がある。
ならば「在日特権控除」の欄が無ければ控除されず、申告書を出したその場で税額が決定する。そもそもその税額を計算して書くのも納税者本人だ。
当然そんな欄は無いからこれはガキみたいなデマだなと直ぐに判る。確定申告をした事がある人の割合は60%程度であるから、二人いて在日特権デマを共有していたらその時点でも特異な集団と言える。
だがこのデマは「確定申告やった事ない人」を選択的に魅了して蝟集させ、10年以上継続して信じられていた。驚異のフィルターバブルだ。
高校生までなら身の回りで「確定申告やった事ない人」が100%というのは珍しくない。だがそれ以上でやった事ない人だけに囲まれているというのは特殊状況である。
なんかわかるわ
ガチの人、丁寧な批判も書く、感想を書く行為とは何かを理解している鑑賞者としての素質の豊かな人もいるが、
鑑賞者とはとても言えない頭が悪い小学生みたいな視野が狭い人、全肯定するだけの人、学術的な見解からはかなり遠い個人的な考察を書いてる人もいて(心理学や倫理や差別や経済など既に社会に集合知があるような分野では、専門外の人間の駄文という自覚はせめてほしい)
創作への感想は自由だ!創作者は神!感想なんだからなんでもいいじゃん!を免罪符に何言ってもいいどう扱ってもいいと思ってる人とか、全肯定の後者しか受け入れない人がいたりとか
ぶっちゃけ後者なんて外から見たら小学生のお絵かきノートみたいなものなのに、そこに必要以上に権威性持たせてるオタク界隈とか
やばいやつあるよね
大卒の人がいないのかな
自省や自浄が一切ないのがキツすぎる
管理人中心のスレを拾っただけだのでユーザー間の議論部分は見てません。あしからず。
ルール作成議論スレも拾い読み。増田は熱心な利用者でも内情に詳しい人でもないです。
5chのスレ読めばもう少し背景わかるかもしれないがしんどいので。。
管理人の最終的な考えはwikiトップページだけ読んでもらえればよいと思う。
という作品の、ある1話を解説する都合上、引用の範囲を超える翻案・盗作のような内容の説明を行う記事が多数あった・ある恐れがあった(管理人が一部盗用認定済み)
細かい付記として
(前略)
私は今でも著作権侵害で訴えられる可能性を考えると今回の対応が間違っていたとは思っていませんが、見通しは甘かったと考えています。
正直言いますとルールで方針を明確にし、理想的な修正後の項目を示しただけで、もっと修正作業はスムーズに進ものと思っていました。
ルール改定の周知についても、トップページの一番上に「重要連絡」として書いただけで充分周知できていると思っていましたが、皆様の反応を見る限りどうやらその考えも甘かったようですし、相談所だけでコソコソやっていると言われても仕方のない状況だったのだと思います。
(後略)
普通の人間なら、で想定すると失敗するのは企業・ソフト・サービス限らずの常だが、無償の管理活動でいつまでも付き合いきれるものではない。
管理人が示した権利侵害しない程度の文章にするという指針やルールはデカパイ妥当に感じるが、集合知に集合する衆愚には大抵通じず。彼らの相手は大変なのだ。いわんや編集というあるいみ個々人の創作活動でラインの協議をや。
前提:アニヲタwikiでは漫画・アニメ・ドラマの各話タイトルごとに記事を作成した「エピソード項目」が量産されていた。
長期シリーズものも多く、挙げられた一例だけでもドラえもん、コナン、こち亀、ウルトラマン、ゴルゴ13、ポケモン、ライダーなど総数は不明。この項目の議論は過去からあったという言もある。
そして
ja.wikipedia.org/wiki/ファスト映画#裁判および有罪判決
削除要因は明言されていないが、アンチスレや裏チャでは、校歌をまとめた記事が原因と考えられている。本家膨大では過去にも著作権侵害で運営から注意を受けていたが、今回は企業からの申し立てだったため、閉鎖になったと考えられる。
twitter.com/asakahajun/status/1621121095628881923
wikisitewiki.miraheze.org/wiki/膨大なページ数_Wiki*
seesaawiki.jp/bondai/d/%CB%C4%C2%E7%A4%CA%A5%DA%A1%BC%A5%B8%BF%F4%20Wiki%2A%B5%DA%A4%D3%B7%CF%CE%F3Wiki%C1%FB%C6%B0%B0%EC%CD%F7#content_7_25
テキストによる引用を超えた著作権侵害の意識が再度高まったか。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/303
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1638604623/ (発端の削除議論スレ290から)
6/25~ これを盗用と裁定し、ストーリーラインが丸ごとわかるような内容は禁止し既存記事の修正を促し、されなければ削除の方向となる。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/305
6/27
ただし、ファスト映画のように結末やネタバレ、核心部分を省略形で摂取できることを禁止しているわけではなく、あくまで書き起こしのようなものを禁止しており、独自に全体を文章でまとめることは禁止していなかった
私の考え方としては、>>319で書いていただいた内容と概ね一致しています
「単なる台詞と事象を丸写しした文字起こし」はダメで、「描かれた物語を噛み砕いて解説する文章化」であれば問題ないという考えです
「ストーリーや核心部分がほぼ全部分かる事」はOKで、「誰が何をどうしてどんな会話をしたかまで事細かに知れる」というのはNGという認識と考えてもらって構いません
ただ、会話を全く入れてはダメというわけではなく、常識の範囲内で少しくらいなら入れても
構いません
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/326
直後、「今後エピソード項目は全面的に禁止」の個人意見が出て、管理人はまだ、と応える
329:名無しさん:2023/06/27(火) 11:54:22 HOST:p104106-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp
その方が話がこじれないでしょ
335:管理人★:2023/06/27(火) 16:50:50 ID:???0
>>329
ルールを守ったエピソード項目が作られる分には問題ないと考えていますので
ルール違反の項目が複数のユーザーから作成され続けるのであれば要相談にするなどの措置も検討しますが、当面は制限をかけるつもりはありません
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/329-335
その後、報告・議論・整理スレなどで実際に判定や修正が行われていったものと思われる。
続く
今はAIがあるから別に必要なくなっていくんだと思うけど、絵を描くという行為が本当に苦手で困っている。
他人に解説のために図を書くレベルでも正直嫌だし、まったく説明になる絵がかけない。とにかく自分は絵が下手なのだ。
何度か絵が多少人並みになれれば…と思って「絵 上達」「絵 壊滅的 うまくなる」「ゴミ絵」みたいなことで検索をしたことがあったんだけど、
そこに出てくるのはある程度書ける人向けのアドバイスで、俺みたいな、なんとか棒人間らしきものはかけますよレベルの人に向けた
絵の解説はなかった。
でもこんなコンプレックスを持っているだけ無駄なのでなんとか克服したいんだけど、どうやって克服していったらいいか。
集合知よ教えてくれ。
【追記】
こんな本あるんだ。知らなかった。ありがとう!
けどなんか俺じゃない俺っぽいやつが答えてるけど、正直帯の設計図1時点で、上手いな…ってなってしまうぐらい俺の絵は壊滅的なんだ
許してくれ……。でもとりあえず読んでみるよ。
漫画まったく読まないんだよ。最後に読んだの昔はてぶに上がっていた藤子・F・不二雄のSFが最後だ。
今気づいたが俺は絵を見ることや触れる時間が少なすぎるもあるのか…?
トレスってさ親の仇か?ってぐらいに叩かれているイメージがあるんだがやって大丈夫なのか?
あー人体構造ね、あとデッサンってやつでしょ。そのスタートラインに立てないぐらい壊滅的に絵が下手なんだよ……正直幼稚園児から絵が成長してないんだ
Xで定期的にバズる話題として「弱音を吐く人に対してもっと大変な経験を語るのは駄目」というのがある。
例
A「10連勤つらかった」
X「つらかったでしょ、がんばったね」
Aの弱音に対してXの返答は許されるがYはNGだという。そしてそれはネット集合知の共通認識らしい。
これ、本当に一概にNGとしていいのだろうか。例えば以下の場合を考える。
A「両親が突然離婚した」
X「かわいそうに、つらいでしょう?」
わかりやすくするためXYともに極端にしているが、この場合だとYに嫌悪感がある人は少ないのではと予想する。
何が言いたいかというと、XもYもAのつらさを軽減する目的は一緒なのである。その上でアプローチの角度が違うだけ。
厳密に定式化するなら以下のような構造であろう。
X:相手のつらさを「過大評価」し、「こんなにつらいことがあったんならあなたがしんどいのも当然だよ」と寄り添う論法
Y:相手のつらさを「過小評価」し、「このつらさは実はそうでもないんだよ、大丈夫だよ」と激励する論法
人によってXがいい、Yがいいと分かれても不思議じゃないはずだ。
それぞれのデメリットをあげるとすれば、Xに対して「お前に俺のつらさが本当に分かるのか?お前は体験してないのに?」と思う人もいるだろうし、Y否定派(ネットの大多数がそうであるように)なら「今そんな話してねえよ!俺がつらい話なんだよ!」となる。もっといえば人によってはXを受けると「やっぱり俺は(客観的に見て)かわいそうな人間なんだ、つらそうなんだ」と思ってしまってもおかしくない。自分も正直、Xが安牌だとは思うがYを言われても違和感も嫌悪感もない。
ところが、ネット上またはおそらくリアルの現場でも暗黙のルール的に「Xが正解、Yはタブー」とされているのは興味深い。
どちらも目的は同じなのにアプローチの違いによってここまでYがタブーとされているのは、Yに潜む「マウント」や「自分語り」であったりの潜在的なコミュニケーション上のリスクがあるためであろう。または時代的にみんなで団結して巨大な悪に立ち向かおう、という姿勢のほうが共感されやすいのかもしれない。