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はてなキーワード: 貞淑とは

2022-07-01

anond:20220701093738

フェミニズム本来の「だから女性貞淑さの折から解き放ちましょうね」

からはっきり言っちゃうと、そんな主張はそもそも存在してなかったんだよ

単にその時代の男が女に貞淑さを求めていたから、それに反対してただけで

主張の部分はぶっちゃけどうでもよかったわけだ

「常に男の逆のことしか言わない」という点で、昔も今もちゃんと一貫している

目的がそれだけなんだから

anond:20220701074807

いや、「表現の自由が男女で不均衡に分配されている」は確かにフェミニズムの主張だけど

 

フェミニズム本来の「だから女性貞淑さのオリから解き放ちましょうね」ではなくて

ツイフェミたちみたいに「だから男性表現規制する」ってやりだしたら

それはやっぱり"表現規制派"だろうよ。

 

 

お前はフェミニズム思想の話をしているが、現実フェミニズム運動の話をしていない。

2022-06-30

anond:20220628130013

増田もこの増田への賛同者も全く理解できてない。以前は「女性貞淑たれ」という押し付けに対して、現状は「女性性的記号性」の押し付けに対して、異議申し立てをしている。一貫して押し付けへの抵抗だよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4721627908254447938/comment/tikani_nemuru_M



またポンコツな猫がポンコツな主張を・・・

この増田赤松山田も「萌え絵に描かれるような女性たれ」なんて別に押し付けてないだろ

開放的女性でも貞淑女性でも、萌え絵でも萌え絵でなくても、女性の胸が大きくても大きくなくても、いずれの表現でも排除規制すべきではないとしか主張してないんだよ

それを一方に限って「公共に相応しくない弁えろ!」として特定女性像を押し付けようとしてるのは誰だ?

そう、お前ら規制論者だよな

茜さやさんを攻撃したのは誰だ?表自オタクか?赤松か?山田か?

違うよな、規制論者だよな

いい加減に自覚して、どうぞ

小さい胸であれば許される表現が、ある一定の大きさになると許されないのは、めちゃくちゃど直球の巨乳差別しかない

https://note.com/mashu_o0/n/ndddf46336af1

2022-06-29

anond:20220629091651

マジレスすると「女性自身」は、まさに大胆な凄い名前意図してつけられた雑誌タイトルであり、

それには「女性貞淑さの折から脱出させる。自立した女性のための本にする」という意図があった。

 

まり本来フェミニズムに沿ったタイトルなんだ。

 

それがツイフェミへの皮肉に使われるとかまわりまわってと感じるよね

2022-06-15

anond:20220615114100

貞淑を強いるな」は今リベフェミに向かって言われてることで、当然el-condorとかのリベフェミはそれに反発してる側だから単純に嘘だし

淫乱を強いるな」はどこのくっころエロ漫画シチュエーションだよって感じでもはや意味不明だな

anond:20220613095621

性的自己決定権は「貞淑であるべし」ではなく「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」だし結婚についてはそれに伴う法的社会的権利希求なのだが、物事に昏いとこう見えるのだな。アレな人の思考垣間見えたよ。

性的自己決定権」が「都合よく淫乱/貞淑を強いるな」?強いたら自己決定じゃないだろ。アホなのか。

性的自己決定権」とは、何より女性個人が自らの意思で、性的に奔放に振る舞い表現する/しない自由権のことだろ。

その自己決定権を「ジェンダー平等の解消」という大文字大義名分を守るために抑圧するアレなムーブは、(保守だけじゃなく)リベラルでもちょくちょく見かけるけど…

2022-06-13

anond:20220613094423

リベラルという名乗りがおかしいだけで価値観は一貫して保守

結婚を重視する

・男に女を守る事を求める

・女に貞淑さを求める

社会規律クリーンさを求める

・唯一の普遍的道徳存在すると信じる

憲法という伝統を守りたがる

2022-05-27

anond:20220527081317

珍しくまともに論理武装しようとしてるまなざし村住民だけど、もうちょっとまなざし論にどういう批判が寄せられているかも調べたほうがいいぞ。

 

社会によるビルドイン(=社会化)を万能視しすぎである

まなざし行為は、恐らく生物学由来であり、日本社会がその原因かのように考えるのは誤りだし、日本社会の変化によってそれを止めることができると考えるのもおそらく楽観視しすぎだ。

おそらく増田依拠してるまなざし論が20世紀の古い社会学に基づいている。20世紀後半までの社会科学は、「子供は真っ白なキャンパス」とかいう言い方で、教育次第でどうとでもなる存在と見做したり、あらゆる性差ジェンダーに回収させて、男の子女の子のように育てることすら可能だと考え実行したりしてきたが、それらは今では批判対象だ。生まれつき、というものはやはり存在する。

 

フェミニズムに反し、成果を台無しにしようとしてる。

女性の権利運動は、女性を「貞淑さ」の檻から解放することを大きな目標としてきた。男性だけに許されてきたまなざす権利に対して、フェミニズムはむしろ女性まなざしていいじゃないか!」と言い、それが実現したのが現在だ。ジャニーズに喜ぶ女性に、はしたない、と怒る人間は今やいない。

にも関わらず、「男性けがまなざしている」とみなすのは、まず現状認識として誤りだ。そしてまなざし禁止したり抑制したりすることは女性まなざしも抑圧することであり、つまりフェミニズムの成果を捨てることになるだろう。

 

運動の行き着く先を想像すべきだ。

イスラムブルカのことを考えるべき。あれは男性まなざしを防ぐためのものだ。でもあれが広まると、ただまなざされただけの女性を、汚されたとか、はしたないとか、そういう扱いをすることに、現になっている。

2とも関連するが、ブルカ義務社会って自由のない社会であるしね。

 

 

こういう代表的ツッコミどころを残さないように、レスを構築しないとダメだと思うぞ。

まあ個人的には、まなざし論とか土台無理だと思うんで、限界はあると思うけど。

2022-04-30

男オタが暴力的だったり殺しに来るヤンデレ系の女キャラを好きでもリアルでもこういう女が好きなんだみたいに言われないけど(変わりに従順主人公に一途で貞淑だけどエロくて優しいみたいなタイプの時は言われるが)

女オタが暴力的だったり俺様強引で横暴な男キャラを好きだと女はリアルでもこういう男が好きなんだと言われたりするから

そういうのへの否定自己投影してないと必死になったりはあったな

2022-04-28

anond:20220428154657

難しいところだな

「女が肩を出す服なんてはしたない!もっと女らしく貞淑でいなさい」

これに対して「は?女らしさと知らんわ着たい服着るだけじゃ」ってなったわけだ

これは今でも通じるんじゃないかとは思うけどな

2022-04-08

anond:20220408102153

そうだよね。

男は硬派であるべきだし、女性貞淑であって表立った意見をいったりするべきではないよね

2021-11-28

ビアンカフローラ

子供の頃は迷わずビアンカ選択した。

でも、いまはフローラかな?と思っている。

おっさんになった?

結局貞淑さのようなものを求めるおっさんになってしまったんだろうか?

2021-11-19

anond:20211119084159

便乗して俺もよく分からないこと聞いちゃうけど、ドスケベ設定の女性キャラを作るのってダメなのかね。

正直夜這い設定の女性キャラとか聞いてちょっと引いた面はあるんだけど、夜這いでドキドキしたり、スカートめくりしたがる女性否定するのって

女性貞淑であるべきっていうような昭和押し付けなような気もするんだよね。

令和的価値観ではドスケベ女性も堂々と存在してていいんじゃないのかな。正解が何なのかよくわからん

2021-11-16

混乱する

この「シスター貞淑であるべきとの女性職業観押し付け」こそがアンチフェミニズムのような気もしてしまうのだが、相手非実在女性からブランドイメージ毀損の方が問題と言えるのだろうか。そもそも、この人はフェミニズム視点から発言しているわけじゃないのだよね?

女性の権利のためには、どういう反応がベターなんだろ。

追記

なるほどシスター(というよりキリスト教聖職者全体)は特殊な例になるんだな。なる前に本人の意志誓約をしているなら、いろいろ話は違ってきそうだね。

2021-11-12

あるいはそんなポルノグラフィティー

 まあネットにはポルノというものが溢れ返っており、我々は無自覚のままポルノ摂取してそれをメインストリームだと勘違いしながら生きている。

 例えばスタンダールの『赤と黒』なんかはフランス文学史に燦然と輝く金字塔文学とされているけど、実際読んでみたら完全にポルノやんけコレ、となる。当時欧州文学界には姦通文学の嵐が吹き荒れており、玉石混交グロテスクモザイク画が出来上がっていたんだけど。まず、その最高レベルのものから言えば『アンナ・カレーニナである貞淑女性が徐々にぶっ壊れていき、自分の命さえ省みなくなる生々しいまでの過程リアリズム小説真骨頂であった。後はエミール・ゾラの『居酒屋』もいいね。首尾一貫した自然文学小説それから翻訳で読んでるからかやや粗い印象だけど(そして『赤と黒』同様にややポルノ臭がするけれど)、バルザックの『谷間の百合』。これは疑似姦通小説とでも呼ぶべきもので、母性的なものの没落を示唆している攻撃的な文学なんだ。

 でもね、『赤と黒』は申し訳ないけどただのポルノだ。『ボヴァリー夫人』はアンナ・カレーニナより格が一段落ちるけど、『赤と黒』はそのボヴァリー夫人より更に一段下だ。

 赤と黒のあらすじを書いてしまえば、

「おっす! オラ、ジュリヤン! 田舎材木のしがない子せがれで、日々ぶん殴られながら生活してたんだけど、町の牧師に徹底的にラテン語を叩きこまれた結果、町一番の市長屋敷家庭教師をすることになった! その結果、お屋敷の奥様に気に入られて、話の行きがかりでその奥様を旦那である市長から寝取ってやった! そのことがほんのり露見したんで、オラ奥様から遠ざかるという意味合いで都会の神学学校に通わせられた! 都会に着いてからは暫く頭を冷やしてたんだけど、話の行きがかりで社交界の重鎮である侯爵家の世話になることになった! やがて侯爵秘書としてパリ社交界デビューしたんだけど、その侯爵家の娘さんは聡明社交界花形美少女で、最初はツンケンされたけども、最終的には行きがかりでその美少女をもモノにしてやった!」というものになる。

 いやポルノやんけと。

 というか、もうなろう小説だよね。『材木の子せがれの俺、ラテン語完璧聖書のありとあらゆる箇所を暗唱でき、市長家のお屋敷の奥様に気に入られてしまうも、最終的に社交界デビューし、侯爵秘書としてスパイじみた任務をも任せられてしまい、戻ってこいと言われてももう遅い!』的な。

 なろうだよこれ、と。

 ちなみに同じスタンダールでも『パルムの僧院』は面白いです。まだ読んでる途中なんだけど。ただ、少なくともこの『赤と黒』に関してはどう控え目に言ってもポルノだし、スタンダール自身通俗小説としてこの小説を書いてたと思う。

 とにかく、いか権威ぶられてもどう見てもポルノ、ってものがあるように、いかに厳粛に見せかけてようが、結局は自分の主張を都合よく擁護してるだけのポルノ作品ってネットにはありふれてんだよね。「なろう」作品ポルノであるのと同じで、都合の良いポルノ作品に頭すっからかんにされてるとどうしても認知歪んでくるよね、って話。

2021-10-15

anond:20211014180201

どうするって、それを言ったらあらゆる女について同じことが言えてしまうじゃんかよ。股が緩そうには全く見えない女が実はいわゆる清楚系ビッチだったりするし、既に長いこと付き合ってる幼馴染みの彼女が実は隠れてヤリまくってるヤリマンだったり、貞淑そうな妻が実は不倫をしてたりするってのは、まあ世の中には有る事なわけだよ。女と付き合うとかまぐわうとかは必ずそういうリスクを伴うのは仕方のないこと。(そしてお互い様

だけど、過去を全く知らない女とヤるより、元同級生学生の時にデートもした事のあるような女の方が安全面ではマシなんだよ。多少とも人となりを知ってるからな。

(もちろんコンドーム はしっかり使ったよ。少なくとも最初のうちは使わないとね。)

2021-10-14

anond:20211014204803

まあ、いくら出会い系サイトセフレを見つけるとは言え、相手は選ばなくっちゃね。一般論としては、貞淑なふりをして隠れてセフレとまぐわう人妻などは、やはり性病感染を恐れるので、セフレはひとりに限定して長期の関係を続けることを望む傾向があるようだ。(旦那とはセックスレス) だからむし普通彼女を作るより安全かもw

anond:20211011113402

2021年日本社会江戸明治の境目が起点になっている。

社会が地ならしされたその手本となった畑が西洋だ。英とか仏とか独とか。

でその西洋思想の根幹にはキリスト教があるの。基督教。

キリスト教で教えられた女性の扱い方、例えば「貞淑婚姻関係まで持たない」とかをさあ

そのまま踏襲したのよ。それで法律ってものを敷いて今の社会の秩序が保たれております

フェミニズムっていう社会運動をやっているのは、現代西洋国家でも古いキリスト教の教えの中の女性像は変えようねっていう運動

近代国家がたどる過程では自然な潮流ですね。同じく近代化した発展途上国でも、性差ある国だとそういった社会運動が今後活発になってきます

質問ありますか?

2021-09-25

TPOに相応しくない

防護服とか手術着などエビデンスがあるやつは分かるん

でも、"TPOに相応しくない"と言うとき

どの部分がどんな時や場所場合にたいして何故"相応しくない"かちゃんとしたエビデンス付きでされてるん?



なぜエロい格好が駄目なん?

犯罪を誘発するからなん?

少なくともアノ格好自体犯罪で無いし、警察含め多くの人はアノ格好が犯罪を誘発するとは判断していないのん

エロい格好が犯罪を誘発するエビデンスはなんなん?

一般人が往来のど真ん中で犯罪を誘発する行為問題無いん?

性的搾取から

誰のどの様なものをどのように搾取されているのかエビデンスはあるん?

固定観念につながるから女性エロくない格好で在るべきなん?

それって純潔主義人達の"女性貞淑で有るべきだ"と言う固定観念を強化することに繋がらないん?

固定観念化が問題と言うなら、

しろ公的な所でもっと色んな格好のVとコラボして多様な格好を見せるべきだという意見なら解るけれど

根拠レスな"TPOに相応しくない"のそれで多様性排除しあるべき姿を押し付ける方が固定観念化にならないん?



太宰メソッド

anond:20210925132208

しろジェンダーステレオタイプから脱したつもりのステレオタイプキャラ」ってのが目につきすぎる。ジェンダーステレオタイプ2.0みたいなの

アジア人女性だけど貞淑イメージを持たせたくないかワンポイントメッシュ入れる、っていうのが新たなステレオタイプになったのと同じ

2021-09-24

anond:20210923175834

面白いし、わかるけど、フェミニスト擁護したい感じかな。平成期初期までのフェミニズムは、専業主婦家庭がまだ全盛で圧倒的多数派の時代で、「女は貞淑にしてろ」という保守的社会規範への戦いが基本だったから、「貞淑」へのカウンターになるものであれば、AVヘアヌード写真集基本的否定しなかった。事実上野千鶴子著作の表紙には、AVと見紛うものもあった。


平成後期になると、「女は貞淑にしてろ」という保守的社会規範は表向き語られることはなくなった。過激さが「解放」を意味する素朴な時代も終わった。むしろ女性労働市場進出するようになった結果、そこで受ける有形無形のセクハラの方が重要問題となった。フェミニズムもこうした現実対応して、仮想敵を「女性性的視線しか評価しない」男性中心社会一般に向けるようになり、そうした視線から女性保護することが運動の主目的になっている。


学校の変化もある。平成初期までの学校男子校もかなり多かった。また男子家庭科を習わない、女子には技術の授業がない学校普通だった。生徒会長女子は滅多にいなかった。現在学校は完全に様変わりし、ジェンダー平等という点はむしろ日本社会最先端にある。かつて上野学校社会糾弾したが、現在は逆に学校で実現できているジェンダー平等社会全体に広げるべきというのが、現在フェミニズムスタンスである。だからフェミニスト保守的優等生基準にしてジェンダー問題を考えるようになったのは、ある意味で当たり前と言うことができる。

2021-09-16

anond:20210914204639

じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。

女性ゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精前立腺快楽享受たかった、ということを書く。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB

いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルオッサンである。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロセクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女セックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激から射精気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャル懺悔を書いていこうと思う。

ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子ペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。

ただ、自分は当時、プラトニック関係彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。

そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニー方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設公園多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラ射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。

もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメ対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロセックス子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下キスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。

中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のとき自分に戻って「タダで男と女セックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロセクシャルだろう。だから増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリシャブられた果に、ヘテロセクシャルオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。

これからは、ヘテロセクシャルおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。

かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本アフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?

たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったか絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人ホモから追放された人は、少ないからね。

それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。

ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイHIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。

ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子ども提供してくれるからだ。どうしても、ホモ妊娠できないからね。

まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロセクシャル自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまりバイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。

というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。

... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときコンドーム薬局自販機で手に入れて、あの日橋の下キスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロセクシャルに転換し、若くて美人貞淑女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。

結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。

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