はてなキーワード: 凡才とは
海外情勢とか世界地理とかって苦手だ.イランとイラクどっちがどっちかとか,キリマンジャロが何大陸にあるのかとかわからなかった.
かといって地図帳とか見て国の場所を覚えようとするのって何となく格好悪いと思ってた.ニュースとか海外の小説とか読んでるうちに自然と知識が身に付いてる状態が格好良くて理想だ.後者は好きなことしてるうちに賢くなった要領の良い天才タイプって感じで格好良いけど,前者は努力してる凡才みたいでダサい.
そんな自分だったが,昨今流行りのクイズ系YouTuberに影響されて国の名前を覚える気になった.地図帳を開きながらアフリカとヨーロッパのだいたいの国の位置と首都を暗記した.格好悪いと思ってた行為だけど,これが意外と楽しい.
まず,知識が増えるとそれだけで何か成し遂げた気になれる.昨日の自分に比べてこれだけのことを新しく知っている.だから目に見えて成長を感じられる.
次に,関連する他の情報が頭に入ってきやすくなると気付いた.例えば「チュニジアでこういうことが起こりました」ってニュースを見たとき,今までの自分だったら「チュニジアってどのへんだっけ…?」という疑問に脳内のリソースを少なからず占有されてたと思うんだけど,チュニジアの場所がはっきりわかるのでニュースの内容が頭に入りやすくなった.
他にも「チュニジアってどういう国なんだろう?」「北アフリカって治安どうなんだろう?」と興味を持って少しは調べるようになった.今はヨーロッパにある世界遺産を通して世界史をちょっとずつつまみ食いしてる.
だいたい,格好の悪さを気にするなら人前で「いや,俺はニュースとかで見てるうちに自然とチュニジアの場所覚えましたけど?」って顔で振舞えばいいだけだった.こんな意味不明なことを気にして行動を起こさなかった自分が馬鹿みたいだ.
ものを作る仕事をしている。音楽とか、絵とか、そういったものだと思って欲しい。
数年前からアイディアが枯渇してしまい困っている。クソみたいな小手先の作品を量産してもOKを出されるので食ってくためにやっているけど、本当に自分が作りたかったものを見失ってしまった。
昔のライバル的な存在の人や、師匠らが身も震えるような作品を生み出したりどんどん才能ある若いやつらとつるんで大きなことをやっていたりする(もちろん俺は声もかけられない)のをインスタやらなんやらで見ていて嫉妬と焦りと諦めと将来への不安で死にそう…
今は素人みたいな人でもそこら中に荒削りな、でも光る才能がゴロゴロ転がっていて恐れ恐怖し
「敗者・凡才」サイドにもスポットを当てて感情移入させつつ、最後は天才サイドが勝つ、ということかな(意図が違っていたらスマン)。
すぐに思いついたのは
・りゅうおうのおしごと(小説だけど、漫画化したものがあるので、そちら)
・咲
・(未読らしいけれど、やっぱり)ガラスの仮面
…なんだけど、そもそも、そういうのって大量にある気がするね(とりわけ、芸術系と戦争系、スポーツ・麻雀のように、競技を通じ勝敗がはっきりする系)。
別ジャンルで、そういう系統の漫画が知りたいな。例えば日常系とか。
ビーバップハイスクールって、世代が違うし読んだことないけれど、ヤンキー日常系ケンカの天才ポルノと思っていいもの?
(追記)神童は、ヒロインの天才ポルノであり、ヒロインと狂言回しである主人公の、ほとんどセックスといっていい交流を味わうポルノでもあるよ!オススメ!
いろいろなベクトルがある。
その中でも、才能無いくせいに有能や優秀と言われ、それなりのポジションを取れる人間の苦悩を紹介する。
1、どこでもNo.2
発言力があり採用されそうな案を見つけることが出来る。言い換えれば、「答え」に決まる流れを見極めることができる。その「答え」に乗っかり、広げ、自分の立場を確立することができる。だから、あたかも理解力のある有能社員を演じることは出来るが、0から1を産み出すことが出来ないことに壁を感じる。その壁に無能感を感じる。
大抵の人間は天才と言われることはない。有能と言われる奴らもそう。誉められる割には天才とは言われない。だが、なにをやっても割とできる。だから、自分は天才なのではと思い、何かに挑戦してみては反響を得られず無能感に苛まれる。
3、全力を出すことに抵抗がある
出来ないことに直面してしまうと今までの自信が揺らぐ。無意識にしろ意識的にしろ、出来ることの中で物事を決定しそれなりの結果を出す。上手く行かなくても言い訳を残すことができて自我を保てる。
4、上手くいかないことを周りのせいにしがち
中途半端に成功経験がありプライドもあるから、自分に責任が有ることでも周りの見る目が無かったりタイミングの問題だったと結論付けがち。でも、やっぱり自分が凡才だからと冷静に見つめ直す事もできるから、そのギャップに鬱になる。
5、やればできると言う言葉に左右されがち
大抵のことはやればできると思ってる。でも天才は、やらなくてもできる力を持ってることを知っている。その差が埋まらないことに無力感を感じずにはいられない。
少なくとも1人の天才を排出するより、100人の凡才を作る教育の方が良いと思う
後の子どもは働きに行かせて日銭を稼ぐケースが多い
そして優秀な子どもが大人になったら、そいつらが稼ぐようになるから養ってもらおうと計画する家庭が多いそうだ
でも、このモデルは長期的にみて貧乏から脱出できない典型的なパターンとなる
というのも、国の経済自体が発達していないので、優秀な子どもとなっても、稼げる仕事がそもそもない
国としては一部の優秀な人がいて後は読み書きもできないバカばかりより、
最低限の四則演算と読み書きができる方が、外国の工場を誘致したり、経済発展に結びつけやすいそうな
活躍っておもにどんなの?
身体能力なら成長期に「活躍の場」に乗せるのがビジネス的にも「勝ち続ける・成長する」が見れるのでという大人の事情があるでしょ
ピークに上ったからと取り上げるとあとは衰退する様しか使えないのだし
若い身体を使って大人のビジネスに付き合わせるのは昔より多くなったかもしれないし同じかもしれないが
人間の社会性価値は退路を確保しつづける撤退戦なので二十歳すぎたら衰えていくからだと進行する価値に逆流するような
自分の価値を抱えて生き延びる必要があるので義務教育望ましくは高校大学まで出て生き方を学んだり導線を得てほしい
若い人間がピークを過ぎたら使い捨てというのはあまりにも悲しい
子役で成功して後の生き方を見失った人や若くして神童と呼ばれ後の凡才に苦悩するなど成功例に比例してあるのかもしれないが
ここから先に書くのは凡人から見た天才の話であり、天才を妬む凡人の醜い嫉妬だけが書き連ねてあるだけなんです。だから気分を悪くする人は見ないでください。
知り合いに本当の天才がいて、本物の天才で、私はそれを見てるだけの凡人でしかなかったという話です。
もう誰にも聞かせることなんてできなくて一生涯胸にしまっていようと思うほどに汚くて醜い嫉妬の話。
ただ、私にとって原点とも言える大切なもので、記事に残したいと思ったから書かせてもらいます。
軽くフェイクあり。
それでもお付き合いいただければ幸いです。
携帯から書いてるので字下げとか無しのがばがばです。よみづれーな!と思ったら読むのをやめて、他の面白いものを読んでください。
天才を妬み、嫉むだけの凡人の記録です。
私も文字を書く人間なのだが、その人間も文字を書く人だった。当時所属していたサークルで文字を書く人間というのは珍しく、私と彼女は意気投合。仲良くなった。
人懐っこいような、それでいて人付き合いに慣れていないような女の子だった。私は、彼女が大好きになった。
彼女も私を好きでいてくれているんだと思う。
彼女の口癖は、「私は天才だから」というものだった。正直な話、自他共に認める天才というやつだった。
なんというか、世間一般が想像する天才、という感じの子で、それ以外は何をしてもドジなところがあったりするのに、文章を書くことにおいて彼女の右に出るものはいなかった。
小説家になりたいとあの子は言っていた。私も小説家になりたくて諦めた人間だったからこそ、彼女のことを応援したいと思っていた。
神様や天使という存在によほど近かったし、私は彼女のことを神格化していたのだと思う。
それが間違いだった。
世間一般では虐待されているのだと思う。割とそれに気づくのが遅くて、その状況を甘んじて受け入れてはいるのだが。
常日頃から、呼吸するだけで呼吸がうるさいと言われ、醜い、臭いなんていうのは勿論、何をしても「お前には何もできない」「お前がやることは全て無駄だ」「言われたことだけやればいい」と言われ続けてきた。
唯一まともに出来ると自負していたのが小説を書くことだけだったのだ。
私は、両親への憎悪を込めて、幸せになりたい一心で書いていた。
認めてくれない周囲への憎悪や、どうしようもない「絵を描くことが出来ない」というコンプレックス(私は本当に絵を描くのが苦手で、当時二次創作で活動していた私にとってそれは酷いコンプレックスになっていた)、そんなものを筆に乗せて私は一心不乱に憎悪で文章を書いていた。
そんな私のことを認めてくれたのは天才の彼女と、その周囲の文字を読むことが好きな人間だった。
今思えばその時が一番幸せだったのかもしれない。
私はそのコミュニティの中で、尊敬する彼女に認められ、彼女の周囲の人間にも認められ、初めて文章を書くという行為を肯定された。
天才の彼女と会話することも、何もかもが楽しくて仕方なかった。
小説の話をすることも好きだったし、前向きに小説家を、もう一度目指してみようと思えたこともあって、色々なことを頑張っていた。
そんなある日、サークル主の交代の時期がやってきました。
ほとんど上下関係はないサークルだったのだが、一応、代表者みたいなのが存在していたので、そういうのの交代の時期だったんです。
サークルの活動自体には私は熱心ではありませんでした。なんとなく所属して、なんとなく戯れるのが好きだったし、代表者なんて役回りも似合わないので私は普通に過ごしていました。
それでも、その日、ふと。
共通の知り合いから、天才の彼女がサークルの代表者になるという話を聞いた。
私は、喜んだんです。
彼女はそういうのは苦手だと思うけど、それでも彼女に相応しいと思ったし、そういうことを頑張れる子だと思ってた。
だから、そのまま彼女のところに言って。でも、私は私が彼女の親友だと思ってたから、別の人から聞いたのがちょっと悔しかったんです。ちょっとじゃない。すごく悔しかった。すごく悔しかった!
だからわざと、「次の代表者って誰になるんだろうね」って聞いて見たんです。ただの出来心だった。彼女が教えてくれると信じ込んでた。
嘘をつくのが、すごく下手な可愛い人は、「えっ!?し、知らない。全然教えられてないから〜!」って答えたんですよ。
そんなことあるわけないんだ。だって、私が聞いた「共通の知り合い」というのは、現在のサークルの代表者だった人なんだから。
私は彼から、「次は天才の彼女が代表者になる。もう了承も取ったんだよ」という話を聞いたんです。
私の大好きな人が私に嘘をついたとき、感じたのは大きな絶望と圧倒的な失望でしかなかった。
そこで気付いた、初めて知ったことがあった。それは、"天才の彼女も人間でしかなかった。下手な嘘をつく、哀れな人間だ"という当たり前の事実だ。
それ以来私は、彼女と接触することがなくなりました。本当に現金な話なんだけど、そうする必要を全く感じなくなったからだ。
当時私は親からの圧力に耐えられなくなっていた。就職の話や卒論、別に入りたくもなかった大学の押し付けられた学部での勉強に飽き飽きして、両親のいうことは全て「私たちが楽をするために働け」というものだと気付いてしまったからだ。
夜中に両親の寝室に包丁を持って入って、真冬の最中、眠る両親の枕元で正座して三時間過ごしたとき、限界が来てることを知った。
まだ話が出来る父親に全てを正直に話した。その頃の私は完全に精神を病んでおり、外に出れば永遠と私を詰る声が聞こえるなんて状況だった。
だが、その当時の彼女は全く芽が出ていなかった。
天才の彼女は、家庭にも恵まれていたように見える。小説を書くことを認められていて、私と違い自信に満ちていた。
きっと、両親にも愛されていたのだと思う。
そんな彼女でも小説家の芽が出なくて、だからこんなに認められていない私が芽が出るわけがないと安堵していた。
大学を休学して1年が経った頃、風の噂で、天才の彼女が小説家としてデビューしたことを知った。大きな出版社だった。私でも知ってるような場所だ。
そのとき、全てががらがらと音をたてて崩れていく感じを味わったのだ。
恵まれた彼女は、その才能を十全に発揮し、そして、天才であることを世に知らしめた。
完全に私は折れてしまった。
私は彼女ほど恵まれていてもデビューできない"小説家"というものを、狭き門だと思っていたのだ。だから、何にも祝福されぬ私は通れなくて当然だと。
どこかで夢に向かって愚直に進む彼女を嘲る気持ちもあったのだと思う。
妬み、嫉み、嘲笑。そんな彼女に向けていた感情は全てがぽっきりと折れて、後に残ったのはどうしようもなく渦巻く嫉妬だけだった。
小説ではないものになったが、それでもそれは、世の中で一定数評価されたのだと思う。
憎悪に満ちた筆を止めることはなく、嫉妬と怨恨の詰まった筆を進め、世界を愚弄して、そしてハッピーエンドを踏みにじることで精一杯になっていた。
そうでもしなければ。
私は、筆を折ってしまうと思った。私の見下した彼女が、天才の彼女が、私を否定すると思って読めなかったのだ。
大学は、もうやめてしまっていた。価値がなかったからだ。私にとって、"彼女"という存在を無くした場所は、本当にひたすらに何の意味もなかった。
久しぶりに飲まないか、という連絡だった。天才の彼女もいるという話で、私は当時の憎悪が彼女を殺してしまわないかと心配になったが、それよりも彼女がどうなったかが気になって仕方なくて会うことにしたのだ。
当日、待ち合わせ場所で待つ私に彼女が声をかけた。抱きついて来た。久しぶりだと笑った。
彼女は、何も変わっていなかった。
何もかも昔と同じで、ああ、と心の霧が晴れた気分だった。
あの時嘘をついたのは何か理由があったのかもしれない、と思えたのだ。天才であることを世に知らしめた彼女は、それでも変わらずに私という凡才に声をかけて、笑ってくれた。
だから私は彼女が好きになったのだと思い出した。嘘をついたかもしれないが、彼女は、私という凡才を、愛してくれていたのだ。
愛しかった。そんな彼女が、大好きだった。私を見下さない彼女が好きで好きで仕方なかったのだ。
だから私は、あの子の本を読む決意を固めた。読まないと、失礼だと思ったのだ。
天才である彼女が書いたものだから、私は読みたかった。本当はずっと読みたかったんだと思って、何件も何件も本屋を駆け回った。しかし、田舎なせいか何件回っても無くて、読みたくて気が狂いそうになったときやっと見つけた。
冗談じゃ無く、手が震えた。
その本を手に取り私は、一気に読み終えた。そして、涙した。
豊かな状況描写。
飽きさせない展開。
そして、ハッピーエンド。
本当に、天才の所業だった。嘘じゃない。この本を読むために私はこの世に生まれて来たのだと錯覚するほどに良い本だった。彼女に長文の感想をしたため、私は本当に、本当に、幸せな気分になったのだ。
今までの自分の恨みが全て浄化されるような気がした。私は、許されてもいい、と思った。
その小説の中で、天才の彼女は、創作をすることの喜びを語っていた。創作をするときに悲しんではいけないと語っていた。
それは胸に響き、今までの怨恨を原材料として書いて来た私に、幸せな気持ちで書いていいと許しをくれた気分になった。
早速私は、筆を取って。
そこで、絶望した。
先ほどまで許しだったものは明確な否定として私に牙を剥いたのだ。
私は、怨恨と絶望と嫉妬と、そんな汚い感情を原材料にしてしか物を書けない人間だった。天才の彼女のように、幸せで美しく綺麗な気持ちでものを描くことなど出来なかった。
汚い感情を原材料にして描くという、私に唯一ゆるされたことを、私に無邪気で無垢な笑顔を向けた彼女が一番に紙面で否定したのだ。私の大好きだった文章で否定したのだ。
ただの思い込みだとわかっている。
彼女はそんな気分で書いたのではないと知っている。それでも私は、それに気づいてしまった。
凡人と天才の間にある圧倒的なものに気付き、狂うほどに嫉妬した。
私にないものを持っている彼女があまりにもどうしようもなく遠い存在であるとそこで初めて認識したのだ。
今でも彼女の本は手元にある。
枕元において、ページがへろへろになるまで読み返した。
どんなになっても読み返した。何度も同じシーンで泣いてしまう。
それでも私は、勝手に彼女を許すことが出来なかった。勝手に彼女に対して憎悪の念を抱いた。
こんな素晴らしいものを世に生み出した人間を憎むことしかできないのだ。こんなに、素晴らしいのに。
私はその素晴らしさと尊さを正しく理解している。それでも尚、私は許すことが出来ない。
私という凡人を踏みにじった天才に対して、圧倒的な憎悪を振りかざしている。
私はこれからも、そういった憎悪と嫉妬と、そんな汚い感情を持ってハッピーエンドを踏みにじって行くのだろう。それは、天才の彼女に私が出来る唯一の復讐なのだ。
誰かにわかるものでも、理解されるものでもないとわかっている。
彼女が悪いわけではないことも理解している。だからこそ、私は彼女に対しては今でもにこにこと、本当に彼女が大好きだと言い続けられる。これは本心だ。本心から私は彼女を愛している。
それでも私は、彼女が無意識に踏みにじった私のために復讐を続ける。彼女という天才を憎悪し続けるし、嫉妬しない日はないのだろう。
天才の彼女がハッピーエンドを、素晴らしく描き続けるのであれば、私はそのハッピーエンドを何度も何度も何度でも踏みにじりたい。
わかりきっているのだ。
天才の彼女が、何も思わないことなど知っている。そして、これを残す意味は、どこかで私のこの歪みきった感情に気付いて、認めて、謝ってほしいということなのだということにも。
それでも、もし万が一これが彼女の目に入ったとしても、私は知らないふりをし続けるのだと思う。
長々と読んでいただいたが、これらは全て私の妄想だ。私の大学時代に"天才の彼女"というものは存在しない。存在しない。
よく書けてると思ったら、どこかで笑ってあげてください。一瞬でも本当のことだと思って騙されたのだとしたら、失笑してください。
私という凡人に騙されたのだと、少しだけ腹を抱えて笑ってくれたら幸いです。
私は今でも、憎悪に満ちたペンを握っているけど、きっとそれを架空の誰かのせいにしたくて、これを書いたのだと思います。だから全てフィクションなんです。本当だよ。
長文でコメディチックな文章を繋げて劇薬じみたエネルギーを見せてはいるけど要は現代知識人やtwitter上で有名なコメンテーターライクな人々の「とりあえず過去を否定することで相対的に新しさを演出する」手法とそれだけで馬鹿みたいに信者が釣れてくることの生理的嫌悪を書いてるだけだよね。ラストに関しては、俺はこんだけ死ぬほど嫌いでも共感してやってるんだからお前らも少しは周りを見てみろよ凡才共っていう吐き捨てだよね。共感するよ、ホリエモンや落合陽一は好きだけどそれだけに固執する奴らはだいっきらい。100年前の小説や論文すら読めない程度の知能で……
でもね、
そりゃあ日本の制度は非効率的でグダグダで今にも沈みゆく船かもしれないけど、そこにしがみついて生きるしかない人々もいるわけ。変えるなら場所を変えろ。ここにいるな。一人で逃げるのが寂しいからって他の人を巻き込んで行くんじゃない。まずはお前が一人で出て行け。そんで出ていった先で幸せそうにしておけ。
冷静に考えてみろよ。ここは明確な間違いだよ。
とか言っちゃう奴居ますが、近くに居るとめちゃくちゃ迷惑かけていますから。間違いなく発達障害です
もちろん飲食や排泄忘れるレベルじゃないだろうけど、周りにそんだけ迷惑かけて時間かければ、それなりの物出来上がるよねって感想
それでいて「天才型だから」とか言っちゃうのはもう凄い。仮に天才かもしれないけど、周りに迷惑かけるくらいなら凡才と仕事したい
発達障害、ADHDを甘やかして才能あるとか言うから、健常者が迷惑被る。お願いだから言ってやってくれ。
お前らは異常なんだ。みんなに迷惑かけているんだ。その才能を発揮するのは構わないが、周りの助けがあるからであって、お前が天才だからって訳じゃないからな!
ほんと、自分は没頭しちゃう天才型とか言う奴の日常生活のグダグダさは異常。フットワークが軽いの意味を勘違いしているフシもあるし。マジで障害者