はてなキーワード: PL学園とは
大阪桐蔭の選手が指名漏れているのが話題になっていた。自分も身長188センチで150キロを投げ、日本代表でも無失点投球だった川原までが指名漏れしたのは驚いた。最近、大阪桐蔭の選手が指名漏れしたり評価が低くなっている、個人的に考える理由。
2000年代にプロのスター選手を複数輩出したが、2010年代以降の卒業生で、1軍で常時出場しているのは森友哉ただ一人。過去の横浜高校やPL学園と比べても顕著であり、大阪桐蔭の環境で育つとプロの壁に当たる一般的な理由があるのではないか、とスカウトは見切っている。個人的には、初球から何も考えずマン振りする、完全に日本のガラパゴス高性能金属バットに最適化した打撃スタイルは全面的に見直すべきだと思う。
そもそも高校での活躍は、周りのチームメートに恵まれていることもあるので、その実力が2割引きで評価されてしまう。無名校を一人で県大会準優勝に導いた投手と、大阪桐蔭の複数いる投手の一人だったら、前者の評価がどうしても高くなる。野手の評価も同様。
実はこれが一番大きいように思う。六大学野球ので高い成績を残しているスター選手が指名漏れ、ということが毎年恒例行事になっているが、これも似たような問題がある。そもそもスカウトは「無名だが素材のいい選手」に目をつけて濃い関係を作る傾向がある。目をつけられた選手も、その高校や大学の指導者も、たいした実績もない自分たちに注目してくれるので感激し、「ぜひお願いします」と頭を下げる。スカウトもそれに応えようと、会議でその選手を全力で激推しする。もし大当たりしたら、そのスカウトの評価も非常に高くなる。他方、甲子園常連校や名門大学の有名選手は、学校がガードしていたりスカウトの出入りが激しいこともあり、そうした濃い関係をつくりにくい。スカウトが推して指名して当たったとしても、既に有名な選手なのでスカウトの功績とはみなされにくい。結果として、何年に一度の逸材とか、その年の目玉選手というレベルでなければ、スカウトが激推しする「中央では無名だが素材のいい選手」を指名リストに入れる。
個人的には六大学野球をよく見るが、リーグ戦でろくに結果を残していない立教の荘司が1位競合で、17勝している慶応の増居が指名漏れというのは、ちょっと納得できないところがある。
帰宅部だった自分が言うのもあれだけどブラック部活っていうか何か全国大会がある部活って揃いも揃って勝利至上主義かつ根性論的な考えしかできないんだろうね。そりゃキチガイみたいなやり方したら時々化け物が生まれてくるのは分かるけど、分かりやすいところだとPL学園とかね
部活とは別にスポーツ等をするけど全国大会目指しませんよみたいな同好会っていうものを別に作れたりあるいは同好会しかない学校を作れたりできないのかとも思ったけど少子化だったりだとか金がないとかでできないんだろうね多分
自分は強制部活(※加えてド田舎だったので男が文化部に入ることすら冷たい視線がくるような学校さえあった)が嫌で強制部活のない学校に入ったので助かったからいいようなもののこの部活ノリがブラック企業の社風の要因の一部になっているのかなと思うと部活文化ってめんどくさいなぁと思ったり
そんな難しい話じゃないよ、男はブスに対してはブスっていうだけなんだけど、女は男がきもかった場合、犯罪者と定義して、犯罪者に対する扱いするんだよね。
増田でよくある、キモオタはレイプするから危険とかあるじゃん。あれ嘘なんだよね。子供の頃とか考えて貰えばわかるけど、体育会系の方がやばい奴多かったでしょ。
よくある運動部系のいじめって大概あれだし(イラっと来るようならPL学園とかいろいろ調べて)
何だけど、大概の女性って何故だか、イケメンはまともでキモオタが犯罪者だと思ってんだよね。(やり捨て大好き小越、ヒカル、ミッキーみたいなタイプなんだと思ってんだろ)
美醜と性格は関係がないのに、性格と見た目が相関があると思ってんだ。
その結果キモオタの人生って大概悲惨で、女性からは(男からはそうでもない)発言ではなく、見た目が原因で全ての行動はレイプ犯同然という扱いを受けて過ごすんだ。
だから女性が美人になっても性格の非難まではされてないからそうでもないんだけど、男性の場合、扱いがまともになった時、自分の見た目が原因で迫害を受けていたことに気づき、またそれが犯罪者扱いであったと客観的に認知可能になるから、じゃあ女性の皆さん同じこと受けても文句言いませんよね??犯罪受けても仕方がないから、女性の皆さん死んでくんない??ってなるわけ
まあわからんでもないなと思う。
万遍ないな
東北を除いて
母校のアメフト部は、数年前に部員の不祥事があった。大学側がかなり速やかに関わった学生を何十人もに罰を下した。後で聞いたらそういう不祥事は当然の常態化してたから生ぬるい処分だったらまた同じことやらかして部が空中分解しててもおかしくなかったという話だった。
フェニックスもPL学園ルートたどってもおかしくない。カレッジフットボール自体が関学の一強といっても差し支えがないしフェニックスは強豪とはいえ関東はどんぐりの背比べでしかないから、日大のナンバー系の附属から上がってくるはずの有能な選手がどんどん外に出て行くぞ。以前にもあったんだ。それでフェニックスは弱体化した時期があった。
ちなみに以下の記述は大都市の私学が前提みたいな書き方になってるけど、公立でも多かれ少なかれ似たようなものみたい。
上位の大学に行けるんなら、
何で進学校じゃないところは
それを採用しないの?
勉強以外のことで考えてごらん。
「PL学園の練習で甲子園にいけるんなら、何でPLじゃないところはそれを採用しないの?」
どう見ても愚問だよね。普通の高校の生徒は高校生になった時点での基礎力が既にPLの生徒に遠く及ばないし、そもそも野球に全てを捧げて生きる覚悟と情熱すら持ち合わせてない。PLの練習と同じメニューを普通の高校生に課すのは下手をすると児童虐待かもしれない。要はそういうこと。
あ、念のため、東大に行くのは甲子園に行くのとは比べものにならないほど易しいし、進学校の生徒はPLの生徒が野球に取り組むのと同じぐらいマジで勉強に取り組んでるわけじゃない。でも、そういう量的な違いはあるけれど、質的には同じことだよ。
それとも進学校は
学生を集めているだけで
教育はそんなにすごくないの?
進学校といっても色々あって、トップ校は基本的に受験指導は最小限で自由にやらせるし、二番手校以下は宿題とか補習の量が充実していて予備校並のサポートが受けられる。
で、トップ校は「勉強の習慣は自分で身につける」「一を教えればあとは自分で勉強して十まで理解する」という前提で教育するから、理科や社会なんかでは特に研究者くずれの教師が大学の一般教養レベルの話をして「ついてこれる奴だけついてこい」という感じになることもしばしば。要は教科書の内容なんかは自分で身につけられるのが前提なので、それができない奴は受験期になって予備校や塾に頼ったりする(というか受験期に塾に行かずに済ませられる奴は少数派。ちなみに俺は行かなかった)か、あるいは落ちこぼれたりする(落ちこぼれても一浪で早慶ぐらいは行ったりするけど。逆に言えば学校側の要求レベルがそれだけ高いということ)。
二番手校以下は(この辺は主に伝聞になるけど)、とにかく教科書の内容を身に付くまでやらせる。大学入試なんて東大だろうがどこだろうが教科書の内容が身に付いているかどうかの勝負なわけで(この点に反論は受け付けないのであしからず。俺に言わせれば、それが嘘だと思っている人は教科書の内容を表面だけ暗記していて本質を理解していないだけ。高校の教科書は記述こそあっさりしているけど意外なほど基礎的なことがきちんと網羅されている。理科なんかは杓子定規な指導要領の関係で不備も目立つけど)、とにかくできない生徒には宿題や補習で強制的に勉強させて徹底して底上げを図る。
で、どちらにしても教育が「すごい」のかどうかは俺にはわからない。悪い見方をすればトップ校は教育の責任を放棄して教師が好き勝手しているとも言えるし、二番手校は物量で押し切っているだけとも言える。
ただどっちにしても、こういうやり方が普通の学校では通用しないことは確かだろうね。トップ校のやり方をすれば、本質的に勉強好きでない子供は最初から教師を無視して勉強なんかしないのが関の山だし、二番手校のやり方をすれば「受験少年院」呼ばわりされるのが関の山。
要するに、それぞれの学校の生徒や親のニーズに合ったやり方(最適かどうかはともかく)をしているわけで、他の学校でこういうやり方を真似できるかというとちょっと無理だろうね。
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◆中高時代
その後PL学園に入学して一年時から四番に座り、国内最高の野球エリート校でみっちりと鍛えられる。
三年間で甲子園優勝二回、準優勝二回。ドラフト時は六球団から1位指名を受ける。
試合のある日だけ野球部に顔を出すが、それ以外の日は映画館に入り浸っていた。
◆19~24才
清原:「バットを抱いて寝る」と言われた程熱心で、恐らく球界一の練習の虫であった。
その後も「常勝西武の四番」として常にマスコミから注目された。
プロボウラーを目指し昼は映画、夜はボウリングという生活を続ける。
その後プロボウラーを諦めて東芝府中に入社。24才の時にロッテから指名を受ける。
◆主な獲得タイトル
清原:特に無し
どのレベルのドラマ、っつか物語に参加するか、って話なわけよ。
たとえば甲子園だったら
負傷したエースの踏ん張りの投球なんてのはどっちかと言えばその個人主体の物語だ。
そのエースの苦難をチーム一丸となって乗り越えて地区予選を勝ち抜いて、とかなるとチームの物語だよね。
んで、チームの物語と個人の物語と、それをひっくるめた高校野球、甲子園の物語ってのがある。
引き分け再試合だとか、連覇だとか、八〇年代のPL学園だとか、そういう出来事の積み重ねの流れが甲子園の物語だ。
そういうドラマが起こる場所、それが甲子園でさ。んでそのドラマは高校生故のドラマだったりするわけ。
どれがお好みですか、って話なわけよ。何とか選手のファン、なんとかっつーチームのファン、んで、甲子園のファン。
何がおかしい?