はてなキーワード: 架空とは
シンデレラの、マシーナリーのやつ。あれ。微笑ましく見ていたけど、女性向けコンテンツでやったらめっっっっちゃ荒れそう
部外者にわかりやすく言うと、マシーナリーとも子というネットで有名なライター?Vtuber?が池袋晶葉の大ファンで、とにかくずっと布教していて。それも助けになったのか、2019年のシンデレラ総選挙で晶葉はそこそこ健闘した。そしてこの年末のゲーム内イベントの限定カードにフィーチャーされたのだが、そのカード名が「ナシーナリー☆ドール」で、私信やん!これ私信やん!!!ってなった
(演じてるマシーナリードール……オートマタとしての)という意味なんだろうけどえっちな意味としてしか捉えられない私は邪だから…… pic.twitter.com/753TWjEYGU— マシーナリーとも子@3日目南エ13a (@barzam154__) 2019年12月24日
ただ、まあ中にはこんな↓お気持ちもある
誰が悪いという話ではないんだが、(架空の)アイドルに布教の熱心さで有名なファンがいて、まあ周囲も「あのアイドルについての周りのイメージがあのファンになるの複雑だけど、同担だしな」と思ってたら、なんか直球でそのファンを匂わせるフレーズがアイドルの公式で使われ始めたの、相当しんどそう— かめいた (@ka_ma_ta) 2019年12月24日
アイドルの出番で特定の個人が話題になるのはあんまり好きじゃないんだよな。
なんというか...その人のためだけのアイドルで、他の担当Pが有象無象みたいな風潮が苦手。
自分しか担当Pがいないって世界観を持ってるのにそれを世論が否定してくる感じで息苦しい。
Pじゃなく空気を作り出す周りが苦手。— すいら (@suirasan_kudoP) 2019年12月24日
よく、何かしらをキッカケにして特定されて、晒されてる人を見る。
晒された側が悪い事も、晒した側の完全逆恨みな事も、その両方も。
きっかけは何であれ、晒されたらそこからネヲチが始まり、最悪ストーキングされる事になる。
有り体に言えば、私はそれが怖い。
自分語りは最低限にしておくが、昔ネトゲで少しプレイミスをして晒された。そして何故か言ってないことを言ったことにされ、してない事をした事にされ、マルチコピペで架空の悪行を撒かれた。
更に、私が何者かと探ろうとする者もいた。だから一時期ネットから消えた、おおよそ1年半程。
その後、名を変えメアドを変え垢を変えてネットに帰ってきた、晒しスレでは自分の事はもう忘れ去られていた。
「晒す側がおかしい」「晒しなんて所詮便所の落書き」なんて意見もある。
でも、便所の落書きとはいえ、それがとてつもなく目立つグラフィティアートだったとしたら?描いてる人が大声で「コイツは悪人ですヨ!制裁!!」って叫んでたら?
誰かが写真を撮って広めたり、「あれ?なんか見たことあるぞ?」って自分の知ってる新情報をそいつらに教えるでしょ。
未だに自分がどこかで悪口を書かれて、何者か探ろうとしているのかが怖くて仕方がない。
自分のID、アカウントネーム、ひいては個人情報を検索して現実を見れば楽になれるのか?それで、自分をニラヲチしてるコミュやスレを見つけたら?そして特定されて個人情報をフリー素材化されてたら?
そういえば架空請求やスパムが最近多いような気がする、そういえば自分の属すコミュの空気がきな臭い気がする。
ほら、疑心暗鬼になってきた。
以下、ドイツの軍人「ハンス・フォン・ゼークト」の格言とされる有名な言葉である。細かいニュアンスは微妙に異なるがTwitterなどSNSでたまに見かける。
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有能な怠け者は司令官にせよ。
有能な働き者は参謀に向いている。
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この名言を見るたび「私は無能な働き者にならない」と決意した。私が仕事が出来ないのは怠け者なだけで、働き者になれば、有能とまでもいかなくても普通の働き者になれると信じこもうとしていた。「無能な働き者である」と自認し宣言する人を心の底から見下しバカにしていた。
「有能な働き者」になるために動き続けた。「仕事のミスが多い」と言われればミス記録を取り対策を考えて実行することを繰り返した(ミスは解消しておらず、ミスし続けている)。
「コミュニケーション能力が低い」と言われればコミュニケーションに関する本を何冊も読み、アサーションや論理思考の研修を受け、同じ悩みを持つ人とのコミュニティに参加した(コミュニケーション能力は上がっていない)。
「冷静沈着に行動せよ」と言われれば瞑想やマインドフルネスを勉強し実践した(コミュニケーション能力と同様)
私に合うライフハックがあると信じてライフハックを検索し、人に聞き続けた(コミュニケーションと同様)
常に何かしら考え、動いてるつもりでいたがなにひとつ変わっていない。知識だけども増え表面も内面も変化がない。年をとっていることを考えるとむしろマイナスである。「生きづらさ」だけが増加している。
そんなとき、知り合いに誘われて自己啓発セミナーの公演に誘われた。私はその自己啓発セミナーの雰囲気が苦手だったが誘ってくれた人は好きなので断れず参した。セミナーは理解できなかったが、一つだけ残った言葉がある。「自分の感情を楽しむ」である。
この言葉を聞いて私はショックだった。直感的に私は自分の感情を楽しむことができていないことを悟った。なぜ、自分の感情なのに楽しめていないのか考えることにした。
私は「無能な働き者」である自分を否定し、架空のありもしない「普通の働き者」である自分を変えようとしていたのではないかと思うようになった。存在しない自分を変えようとしても無いものを変えることは出来ない。変えようとしても空転するばかりである。でも、私は私自身を変えたいとという考えは変わらない。変えるためには変えたいものちゃんと見なければいけない。
この考えが正しいとは思わない。間違っている可能性が高い。でも、やってみないと間違っていることもわからないの無能者だから。