2019-12-18

私は「無能な働き者」であることを認めたい

私は無能な働き者であることを認めたい。

以下、ドイツ軍人「ハンス・フォン・ゼークト」の格言とされる有名な言葉である。細かいニュアンス微妙に異なるがTwitterなどSNSでたまに見かける。

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軍人は4つのタイプに分類される。

有能な怠け者は司令官にせよ。

有能な働き者は参謀に向いている。

無能な怠け者も連絡将校か下級兵士くらいは務まる。

無能な働き者は銃殺するしかない

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この名言を見るたび「私は無能な働き者にならない」と決意した。私が仕事が出来ないのは怠け者なだけで、働き者になれば、有能とまでもいかなくても普通の働き者になれると信じこもうとしていた。「無能な働き者である」と自認し宣言する人を心の底から見下しバカにしていた。

「有能な働き者」になるために動き続けた。「仕事ミスが多い」と言われればミス記録を取り対策を考えて実行することを繰り返した(ミスは解消しておらず、ミスし続けている)。

コミュニケーション能力が低い」と言われればコミュニケーションに関する本を何冊も読み、アサーション論理思考研修を受け、同じ悩みを持つ人とのコミュニティに参加した(コミュニケーション能力は上がっていない)。

「冷静沈着に行動せよ」と言われれば瞑想マインドフルネス勉強実践した(コミュニケーション能力と同様)

私に合うライフハックがあると信じてライフハック検索し、人に聞き続けた(コミュニケーションと同様)

常に何かしら考え、動いてるつもりでいたがなにひとつ変わっていない。知識だけども増え表面も内面も変化がない。年をとっていることを考えるとむしろマイナスである。「生きづらさ」だけが増加している。

そんなとき、知り合いに誘われて自己啓発セミナーの公演に誘われた。私はその自己啓発セミナー雰囲気が苦手だったが誘ってくれた人は好きなので断れず参した。セミナー理解できなかったが、一つだけ残った言葉がある。「自分感情を楽しむ」である

この言葉を聞いて私はショックだった。直感的に私は自分感情を楽しむことができていないことを悟った。なぜ、自分感情なのに楽しめていないのか考えることにした。

ここからは上手く言葉に出来ない。が、なんとか捻出する。

私は「無能な働き者」である自分否定し、架空のありもしない「普通の働き者」である自分を変えようとしていたのではないかと思うようになった。存在しない自分を変えようとしても無いものを変えることは出来ない。変えようとしても空転するばかりである。でも、私は私自身を変えたいとという考えは変わらない。変えるためには変えたいものちゃんと見なければいけない。

から私は「無能な働き者」であることを宣言する。

この考えが正しいとは思わない。間違っている可能性が高い。でも、やってみないと間違っていることもわからないの無能者だから

  • 軍人じゃなくて一般人ならいいんじゃね

  • 無能な働き者になるまいとした結果無能な怠け者になりました

  • 有能な怠け者は司令官にせよ。 安倍総理のことだね 有能な働き者は参謀に向いている。 菅官房長のことだね 無能な怠け者も連絡将校か下級兵士くらいは務まる。 元農水事務次官...

  • 幸いなことに、日本は生産性のかけらもなく有能無能の区別もつかない脳味噌の腐ったおっさんばっかりなので、働き者という一点を持って評価してもらえるんだよ。 良かったね。文化...

  • 何が「課題」なのかを理解していないやつが「課題」を解決することは永遠にない 答えだけを探しているうちはずっと無能のままでしょうね

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