はてなキーワード: こうのとりのゆりかごとは
へえ!情報は共有されてたんですね。参考になりました、どうも!
江戸時代の捨て子を農家が拾って育てる文化があったりとか、こうのとりのゆりかご - 熊本市とかを思い出した。
救われる命が増えたのは業界の皆さんの取り組みのおかげです。
https://megalodon.jp/2022-0626-1304-33/https://anond.hatelabo.jp:443/20220625140206
無いなら自分が入りたい
NHKも「こうのとりのゆりかご」を赤ちゃんポストって言い続けるんだね
今、テレビを見ていたら、インターネット赤ちゃんポストについての記事を見た。
私は、これについては、非常にいい取り組みだと考えている。
たまたま1件、養母が詐欺容疑で逮捕されたとしても、その大きな流れを止める必要はない、と考える。
私が、2004年に釈尊から、「至碧金剛如来」という法号を与えられ、仏陀として認められた時に、釈尊から、
私が地蔵菩薩の魂である、と明かされた。私も、それについては、思い当たる節が沢山あった。
地蔵菩薩は、子供や水子の守り神であり、お釈迦さまから、釈尊亡き後の後事を託された。
その観点からして、中絶される命をどのような形かにせよ、救うことは、社会として認めるべきだと思う。
たとえ、里親が詐欺で捕まえられようとも、途中で育てられなくなって、施設に引き取られる運命を辿るにせよ、
とにかく、生まれて来たことを評価するべきである。その里親がいい人ばかりでなくても、子供を欲しいと願っている
家族の下に、一度でも行くことは、その子の運命として、喜ぶべきことである。現在は、無責任に妊娠するケースも沢山ある。
そして、生まれた結果、いじめや虐待に会う子供もいる。それでも、私は、産んで育てる方が良い、と思うのである。
これは、仏陀の視点であり、反対も沢山あると思うのであるが、宇宙創造主の御心からすれば、そういうことである。
赤ちゃんポストに、寄付するように心がければ良いと思う。私も、生活に余裕ができたら、ぜひ、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」の一話をネット見ました
中止要請については以下
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140116/k10014543211000.html
ドラマで描かれる“ポスト”というあだ名を持ち、ドラマで差別的発言を受ける子供という表現が、
フィクションと断りを入れていたとしても、“赤ちゃんポスト”という言葉で現実に照らし合わせることが容易にでき、
そして照らし合わせると、著しく少数の子供に限定されるということだ。
「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」に預けらた幼児は現在75人の10歳にも満たない児童も存在する。
そのうち芦田真菜演じる“ポスト”に近い年齢の子供も少なくとも数人実在することは想像に難くない。
そして、彼ら全員が芦田真菜演じる“ポスト”のように「親に捨てられるのではなく親を捨てるんだ」という発言を
できるほど強靭な(不自然に大人びた)精神を持っているわけではない。
(「こうのとりのゆりかご」を運用している病院から中止要請があったということは、子供たち(と病院)に前もって
何らかの断りも入れていないということだろう。僕個人としては上記の理由でドラマを中止すべきだと思う。あまりにも杜撰な制作だ。)
女性に対するフェミニスト団体などがあるわけでもないので、声を上げて抗議をするのは困難である。
一部の大人、子供もが無批判に見ている可能性も十分あるので、偏見につながる可能性も十分あるだろう。
何より、放送が話題になって実在する“ポスト”への(杜撰な)取材をしたいというマスコミも現れるかもしれない。
また、ドラマの大まかなストーリー、芦田真菜さんが演じる主役の名前(あだ名)ぐらいは
スポンサーの広報も知っているはずなので、よくこのドラマを“提供”しようと思ったなと思う。
テレビは本、映画、ブログといった能動的に選択する他の表現とは違い、
電波を国に借りて放送しており、チャンネルも10程度という選択肢のとても少ないものである。
視聴者が段違いに多く影響がほかの手段に比べて大きいのだ。
病院が中止の申し入れをしたということは、
この申し入れが「こうのとりのゆりかご」(とおそらくそれに預けられた子供)がマスコミの好奇の目にさらされる、
という危険性を冒しても、ドラマは中止されるべきだという決断を下したのだろうと思う。
だがテレビ局の対応はあまりにも稚拙だ。放送中止を申し入れている病院側との話が成り立っていない。
「ドラマでは子どもたちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子どもたちの視点から『愛情とは何か』という
趣旨のもと、子どもたちを愛する方々の思いも真摯(しんし)に描いていきたいと思っています。
日本テレビは実際に存在する児童養護施設にいる“子どもたち”をどう思っているのだろうか。
おそらく彼らは視聴率さえ取れればいいのだろう。
この発言は番組さえ見てもらえれば後は「こうのとりのゆりかご」等に偏見を持たれようがどうでもいいと思っている、と捉えられても文句は言えないだろう。
また仮に、このドラマがこのまま放送され終了した後、病院側に差別的だと捉えられ抗議されたとしても、
関係者は同じ「そういう受け止め方をされたのは残念」という言葉を繰り返すだけだろう。
http://daily.co.jp/gossip/2014/01/17/0006642533.shtml
日本テレビは、少なくともドラマのチーフプロデューサー(制作責任者)に実際に病院の代表者に合ってもらい、ドラマでの意図を説明、話し合いをさせるべきだ。
そもそも僕はこのドラマが養護施設と子供ではなくDVシェルターと女性を舞台としており、
ドラマでの施設長の子供に対する大声での差別的発言が、支援者の女性に対する二次被害的を発生させる暴力的な発言に
置き換えられていたとするなら、それだけで批判がそこら中から起こっていると思う。
(養護施設での虐待などのの問題があるが、DVシェルターでの二次被害などの問題がある。リンクは古いが以下。)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以下一話を見た感想
―21世紀で一番泣けるドラマ
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」での公式サイトにあるイントロダクションの最後の一文である。
おそらくこの一文がドラマを表しているのだろう。
ドラマでの“ポスト”というあだ名や、差別的な発言をするのもすべてあなたを最終回で泣かせるための装置に過ぎないのだ。
陳腐な不幸系の脚本、それをごまかすための差別的な台詞、過剰な演出、子役の一発芸的な“演技”しか見せ場のない映像、
時間の過ぎるのが中学生の頃の授業のように遅く僕は見ていて退屈で苦痛でさえあった。
ただ単純に制作者にドラマを作る能力が無いのだろう、醜悪なドラマだと思う。
(主題歌のコトリンゴさんの曲と芦田真菜さんの演技をする能力はこのドラマにはもったいない。)
ただ、テレビ局の思惑通りこのドラマを最後まで見る視聴者は泣くだろう。
だが、そのうち何人が、ドラマだと割り切って見ているのか、
別に野島信者でもないし1話も偶然見ただけなんだが、元記事に対してあまりに見当違いのブコメが蔓延してたんでトラバ。
>「人間の持つ悪意のイメージをそのまま表に引きずり出して突きつけてくる」
コメディ仕立てになりすぎてるのであまりそういう感じはしなかった…
1話ラストあたりは、ちびっこ版ショムニでもやってるのかって感じのサバサバしたノリだったし。
各話完結で毎回「今週も大変だったわーwwwさぁみんなでバケツ持つかwwwおもーいwwwバチャーwww」というオチになるんじゃないかと危惧している。
慈恵病院や擁護施設協会の抗議については「抗議したくなるのはわからんでもないが、方向性が明後日」という印象。
養護施設のイメージを悪くすると言いたいようだが、むしろこのドラマは面白おかしく綺麗ごとにしてる。
そういう意味で「現実はもっと陰惨だ」と抗議するのならわかる。当事者がそんなこと言うわけないが。
三上のセリフがやり玉に上がってるが、施設から引き取ってもらいたきゃ演技上等でいい子にしてたほうが確率は上がるに決まってるわな。
極力ひどく見えるセリフを前後関係無視で抜き出して煽るってのは、はちまだのやら豚だのも大好きなマスゴミ類の常套手段。
だけどブックバカーは面白いように引っ掛かる。滑稽だわ。
「ポスト」に関しては、芦田が演じる娘が自分の名前を捨てる経緯からするとアリっちゃアリな自虐。
「こうのとりのゆりかご」ってあだ名ではないんだから慈恵病院が抗議することか?って気もする。
当のTV局はやめる気いっさい無いみたいだから、いらん心配する必要もなさそうだがな。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/01/16/kiji/K20140116007398470.html
こんなことがあった。
ドラマ「明日、ママがいない」に中止要請 - 芸能ニュース : nikkansports.com
僕個人としては、「観たい野島伸司が帰ってきた!」と喜んでおりました。
野島伸司作品の個人的に魅力と思っていて、一部の人に猛烈に嫌われる所なのは、「人間の持つ悪意のイメージをそのまま表に引きずり出して突きつけてくる」ことにあると思っている。
今回の件についてもそう。
慈恵病院は芦田愛菜の役名が「ポスト」なことに文句を言っているが、じゃあ現実に『こうのとりのゆりかご』を「ああ、赤ちゃんポストね」とイメージしていない人間はどれだけいるのだ?
もし、近所の子が『こうのとりのゆりかご』に置かれていた子供だと知ったときに、ご近所話で「あの子は赤ちゃんポストにいたんですって」と噂しないと断言できる人間はどれくらいいるのだ?
=====================================================================
イエス・キリストは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言い、それに対して民衆は引き下がった、という有名なエピソードがあるが、実際には「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われるとそれを言い出した人間に石を投げるのが民衆。
=====================================================================
はてブに付いたコメントを読むとドラマを観ていないのに文句を言っている意見や、観たと言っているが明らかにコメントに影響されたコメントが散見された。
慈恵病院はドラマを観て実際の自分たちの活動が誤解されることに苦言を言っていた。
そのニュースの記事のコメントで、実際のドラマを観ずに誤解したコメントを書けるってどれだけ恥ずかしくてアホなのかわかっているのかな。
「そんなバカな」「そんなことになるわけないだろ」と思う人が多数だろうけど。こういう言いがかりをちょっと思いつけば、自分が気に入らない人間をいくらでも犯罪者に仕立て上げることが可能になるという点が、極めて危険なんだろうなと想像するわけで。
それはそれとして話は変わるけど。
以前、安倍総理(当時)が、こうのとりのゆりかごに難色を示すコメントをした、ちょうどその翌日。東京都のとある公園のゴミ箱に、赤ん坊の死体が捨てられていたというニュースが流れたことがあった。…これが、今の現状で、この現状をもっと意識すべきだと思う。
現実には実在していない青少年のアレコレに気を回してる暇があったら、今、たしかに実在している子供達の「命」を守ることに、社会的リソースを僅かでも注力すべきではないか。それでなくても、ついこないだ、餓死した男児のニュースが流れたばかりではないか。
死んだ赤ん坊や、餓死した男児の墓の前で、「私達はお前なんかより、漫画やアニメの中の子供達を守ることに力を入れるからね」と宣言するかのような、そんな社会であってはいけないだろう。社会的リソースは無限ではないのだから、優先順位を決めて割り振っていく必要がある。まずは子供達の「命」を守ることに使えるリソースを注ぐべき。実在していない子供 ―― 実際には被害者が存在していない事例のために、割けるリソース・余裕なんか欠片もないだろうと思う。
「こうのとりのゆりかご」という名前(改名後の正式名称)で全然呼んでもらえないって話があったな。
「こうのとりのゆりかご」という、立派な名前。
託された子どもが、自分が存在する根拠として誇れる、これほど価値のある名称があるだろうか。
====
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071108-00000003-mai-soci
=====
「こうのとりのゆりかご」は“勇気”の讃歌ッ!!
その子の人生を肯定する要因になるかもしれないという可能性が1%でもあるなら……!
託さねえわけにはいかねえだろう。ストーリーだと分かっていてもよッ!