はてなキーワード: 不思議の海のナディアとは
海猿の佐藤秀峰先生が「ドラマの原作」の作者だから原作者の扱いが酷いって話になってるけど、マンガ「海猿」は取材して原案を作った人が他にいて、佐藤先生はそれを翻案して漫画化した翻案者なわけじゃん。
原案とどのくらい離れたのか、もしかしたら桃太郎と芥川龍之介桃太郎、海底2万マイルと不思議の海のナディア、魔女の宅急便と魔女の宅急便くらい違うかもしれないけど、もしかしたら「いいひと。」とドラマ「いいひと。」くらいの感じかもしれないじゃん。海保の取材の労力とか考えたらわりと原案の0→1度が高そうな素材の気がする。
映像化も原案がクレジットされ続けて、たぶん映画版のシナリオ書くにあたっての取材元とかもけっこう原案者が寄与してそうな感じもするし、あの作品、作者と原案者の関係性(仲の良し悪しもあるけど、それ以上に、作品への寄与度)が客観的に分からんとよう分からん。
・ZガンダムOPの、曲のリズムに合わせて主要キャラがポンポンポンと表示されるとこ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm13814742
キモヲタは「黒人」が嫌いなんじゃなくて「ポリコレ」が嫌いなんだよ。
【悲報】��オタクさん、ブチギレ 「イヤァァァァァ!!新しく始めたソシャゲに「黒人」がいるううううう!!!」
https://itest.5ch.net/leia/test/read.cgi/poverty/1613830539
もっと大昔は、サイボーグ009にも幻魔大戦にもマクロスにも当たり前のように黒人キャラがいたやん。
不思議の海のナディアは当初もっと黒人らしいデザインだったのがボツにされて色黒な日本人にされたという話を聞いたが。
それが90年代初頭頃に漫画の黒人描写を差別だと批判されて、それから昔の漫画を再販するときは巻末に「今の感覚では差別っぽい部分があるけど昔の人が書いた漫画だから仕方ないからご了承ください」的な文章が必ず載るようになった。
この時の差別反対ムーヴは、昔の漫画が平気で描いてた「野蛮な人食い人種」とかそういうあきらかに差別以外の何ものでもない描写を批判したまっとうなものだったのに
当時の世論は(キモヲタじゃなくても)圧倒的に「表現の自由ガー!」だったんだよ。
しかも最近の「表現の自由ガー」のキモヲタはだいたいネトウヨだけど、当時はリベサヨが中心になって自由ガー自由ガーと騒いでた。
またさらに、そういう批判があると過剰な反発と同時に過敏な自粛も起きるのは世の常で、
べつに差別でもなんでもなくとも黒人を登場させただけで「また差別だと叩かれる!」と出版社が勝手に被害妄想して、それ以来もういっさい黒人の絵は描いてはいけない風潮になったんだよ。
それもまたキモヲタやリベサヨ(つまりリベサヨどうしの内ゲバ)が「サヨクが差別だ差別だ騒ぐせいでアニメや漫画に黒人を登場させれなくなったのは表現の自由ガー!」と騒いでたのだから
現代のキモヲタが逆に「黒人を出せと強制するポリコレのせいで表現の自由ガー」と騒いでるのは、なんかもうほんとにめんどくせえな。
かつて、差別でもなんでもないのに黒人を出しただけでリベサヨが「差別だー!」と騒ぎ、またはヘタレ出版社が「差別だと叩かれるゥー」と騒ぐ、そういう過剰反応したように
現代ではポリコレでもなんでもないのに黒人を出しただけでキモヲタやネトウヨが「ポリコレだー」と過剰反応して騒ぐのか。
ただ、なんでもかんでも「ポリコレだー」と過剰反応するキモヲタは異常だし絶対に許さないけど、
最近、ピーチ姫を黒人にしろとかでひと悶着あったけど、ポリコレがそういう事を言うせいでキモヲタの反ポリコレ感情をわざわざ刺激してるのがわからんのか?
キモヲタは馴染みある既存のキャラ設定を外部からの圧力で無理やり変えさせられる事に反発しているのであって「黒人だから嫌だ」と言ってるわけじゃないんだよ。
中には本音か逆バリか知らんけどわざと挑発するかのように差別的な言葉を叫ぶネトウヨキモヲタもいるから、そいつらがポリコレ派にエサ与えてんだけど。
実際にはただ設定を変えろと外部から政治的な都合で強制されるのが不快なだけなのにそこをわざとか天然か無視して「ほらみろやっぱりこいつらレイシストだ!」と決めつけて攻撃するからキモヲタ側もさらに反発するのであり
そんなの何の得になるんだ?
差別解消には役立たないばかりか無駄に反感買ってさらに差別が酷くならないか?
要は偽善者リベサヨは差別を無くしたいんじゃなく誰かをレイシストと決めつけて攻撃する事でストレス解消と同時に自分たちが道徳的な優位に立って気持ち良くなりたいだけであり、
むしろ差別が無くなるとそれができなくなるから、本音は差別を無くしたくない、だからキモヲタやネトウヨがますますマイノリティに反感持つように煽りたいのだろうな。
ポリコレ偽善者リベサヨってたいていマイノリティ当事者じゃないもんな。
黒人のヒロインが必要なら黒人のヒロインを登場させる新しいシリーズを作ればいいのに、とくにアメリカのポリコレリベサヨって、意地でも既存の作品の設定を弄るのにこだわるよな。
アメコミやハリウッド映画でも、既存のキャラを黒人やイスラムや女性に変えて毎回無駄な反感を集めてる。
黒人や女性を主人公にした新しいシリーズを立ち上げるのは売れるかどうかわからないリスクがあるから既に売れてる既存作品に寄生しようという魂胆か?
「そんなバカな」「そんなことになるわけないだろ」と思う人が多数だろうけど。こういう言いがかりをちょっと思いつけば、自分が気に入らない人間をいくらでも犯罪者に仕立て上げることが可能になるという点が、極めて危険なんだろうなと想像するわけで。
それはそれとして話は変わるけど。
以前、安倍総理(当時)が、こうのとりのゆりかごに難色を示すコメントをした、ちょうどその翌日。東京都のとある公園のゴミ箱に、赤ん坊の死体が捨てられていたというニュースが流れたことがあった。…これが、今の現状で、この現状をもっと意識すべきだと思う。
現実には実在していない青少年のアレコレに気を回してる暇があったら、今、たしかに実在している子供達の「命」を守ることに、社会的リソースを僅かでも注力すべきではないか。それでなくても、ついこないだ、餓死した男児のニュースが流れたばかりではないか。
死んだ赤ん坊や、餓死した男児の墓の前で、「私達はお前なんかより、漫画やアニメの中の子供達を守ることに力を入れるからね」と宣言するかのような、そんな社会であってはいけないだろう。社会的リソースは無限ではないのだから、優先順位を決めて割り振っていく必要がある。まずは子供達の「命」を守ることに使えるリソースを注ぐべき。実在していない子供 ―― 実際には被害者が存在していない事例のために、割けるリソース・余裕なんか欠片もないだろうと思う。