はてなキーワード: おとんとは
私「ネットで見たんだけど子供ができたら1年くらい生理的に夫が嫌いになるって本当?恐いなー」
おかん「うん我慢して普通に接したけど、その間に夫に浮気でもされたらもう本当に無理」
おかん「それだけじゃなく子供ができたら夫婦仲悪くなるよ―、何しろ教育方針進路苛め等々、もめるネタが次々出てくるから、友達も子供がいない夫婦の方が未だにラブラブだわ」
私「子はかすがいって言うのにねぇ」
おかん「そりゃ仲が悪くなりつくして別れたくなっても子供がいるとそうそう別れられないから、かすがいになるよ。でも子供はいいよ、子供が幸せになって笑ってくれる、これ以上の幸せはないよ、お前たちのおかげで私は今すごく幸せだ」
悲しいかすがいにしないよう夫と仲良く頑張るな。
というかそもそも何が原因でおとんから「そんなことじゃ社会じゃ通用しない」って言われたん?
学校遅刻ばっかりしてたとかならそりゃもうおとんからしたら「そんなことじゃ」と言うしかないわな。
これに説得力のある理由を付加しようと思っても思いつかないしな。
「一日の自分のやることをやれば多少の遅刻はかまわない」とか言われたら返す言葉もないが、俺が上司なら何も言わずに解雇だし。
そういう権力があれば人を従わせるのに究極的には(極論ではね)理由とか説得力は要らないから、とりあえず何もいわずに従っとけってのある。偉くなってから自分の作りたい世界を作れゃいいんだからさ。
そもそも「好き」という感覚の発生自体が自発的なものに見えて全然そんなことなくて、社会の流行とか他の人もそうだからとかに影響されて発生してるからな。恋愛とか存在しなかった遥か古代の時代の人たちは「好き」とか発生しなかったし。
「初恋は幼稚園のとき」が今じゃ当たり前になってるけど、そんなのここ15年くらいの話であって、それより前は10代後半とかで発生してた。だれかが「初恋は幼稚園」と言いテレビでそれがいくつか映ったときにバーっと(このバーには時間的な幅がそれなりにあるけど)日本中の幼稚園児が自分もするもんなんだと思い込みやがてそれが当たり前になった。思い込むとそうなる。
ある宗教が根付いている期間、その宗教で起こるとされている「奇跡」の目撃例がやたらあるみたいなもんだ。本人たちがあるに決まってると思えば見えないものでも見える。うちの親戚でなんかの新興宗教の信者がいて、なんか念じると先祖の霊が降りてくるらしいんだけど、来た来たって言い張ってるから。本人にとってはそうなんだろう。
だから70年代前半くらいまでに結婚したおとんおかんたちの場合、それが以外に一番の相手だったりするんだよ。見合いで一番にたどり着けるわけがない、ってのは現代の社会状況とかによって「好き」の発生まで操られている我々の発想であってさ。ところ変われば感覚もまるで違う。
触発されて全然関係ないこと書くけど、よく増田で、母親との関係について書かれてて、よくあるパターンが母親が理不尽に不機嫌になったりってのが多いんだよな。おとんの方は酒飲んで暴れるとかが多いけど。
で、おとんもそうだけど、おかんに関しても、俺んちはなんかすごく普通だったっていうか、おとんも酒飲まんしおかんも精神的に全然安定してるっていうか、不機嫌系とかあんまりなかったのね。
世の中のおかんはそんなに気分屋さんが多いんだろうか? 書いてないだけで普通のおかんは普通だよね? ここに書かれるような悩みのある家庭だけおかん精神不安定ってことだよね?
あまりによく見るパターンなんでちょっとわからんくなってきて。
そっか、言ってるんだ…
あ、でもそういえばうちのおとんもひどいのを思い出した!今は一緒に暮らしてないからまだいいんだけど、昔はしょっちゅう腹立ててたし、めちゃめちゃ傷つくようなこと言われていまだに思い出すと許せないぐらいひきずってる。でもって、いくら順を追って説明してもそれがひどいことだって理解できないらしい。それでも言い続けると今度は向こうがキレだす。たぶん、理解できないことが自分でも苛立たしいんだろうな。だから「嫌がらせ」ではないと思うんだ。まあうちは別々に住んでるからひたすら諦めようとしてるんだけど、分かってもらえないのはやっぱり辛い…
元増田は親父さんと仲良くしたいし、できるだけ旨いご飯を食べてもらいたいし、理解し合いたい。優しいからしんどいんだね。
元の立派な家=おとんが買った。
今のボロ屋=おとんと姉の旦那が共同で買った。
これでいい?
すいません、説明が悪かったですね。
今のボロ屋=姉夫婦が共同で買った家。です。
のちのちこのボロ家のローンはうちの両親が払う形になるらしいですが。
で、姉妹が二人しかいないとすれば、あなたが持ってる権利は、元の立派な家の半分、今のボロ屋の4分の1ということになる。
おとんからまるまる権利を譲られたとしたらね。
その分に関してはあなたは権利を主張できるよ。こじれたらその分を金銭で受け取ったっていい。
姉の権利は、元の立派な家の半分、今のボロ屋の4分の3。
これをふまえてうまく分けないとダメ。
本当にそうですね。
今はまだ両親が存命中なので、トラブルが明確になっていないのですが今後放置するとろくでもないことが起こる様に思います。家族にバレると色々鬱陶しいので、個人的に調べてみます。
というかそんなこと(=兄弟争い)を考えずに交換するうちの親も一体なんなんだろう、と情けなくなってきました。お恥ずかしい限りです。
ちょっと考えてみた。
前提条件として、一応夫婦は一心同体と見なす(感情的には腹立つだろうけど)。
元の立派な家=おとんが買った。
今のボロ屋=おとんと姉の旦那が共同で買った。
これでいい?
で、姉妹が二人しかいないとすれば、あなたが持ってる権利は、元の立派な家の半分、今のボロ屋の4分の1ということになる。
おとんからまるまる権利を譲られたとしたらね。
その分に関してはあなたは権利を主張できるよ。こじれたらその分を金銭で受け取ったっていい。
姉の権利は、元の立派な家の半分、今のボロ屋の4分の3。
これをふまえてうまく分けないとダメ。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
強い人だなあと思った。ご結婚おめでとうございます。お幸せに。
よい文章だったのでちょっと便乗して書いてみようかなと思う。
読み返してみたら元増田に較べてグダグダな上に人間的にもよわっちいなと思ったけど在日にも色んなのがいるって記録になってくれたらなと。
私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。
父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクでサヨクというそんな一家です。
父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。
(家にあったマルクスの資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)
…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。
父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。
母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽な気持ちになることはわからなくもない。
高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独なオタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。
高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名で涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。
外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。
ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラルな教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。
いやー、それにしても日本の公立高校には感動したね!
何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!
ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!
図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!
何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と「どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩とルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出しで全巻読破するという有様だったしな!
だから今でも本棚整理する時は子供向けにしても大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。
(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番の朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)
あー、あとJR定期券割引とかないから! 一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから! 中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから!
大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!
それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。
言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的なもの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。
外から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビや新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。
「将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「ビデオ鑑賞」とかにしてくれてた。
音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系や芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。
そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。
あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊んでると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。
晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。
元増田は「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。
映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足の着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。
ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいしマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白いし山田風太郎と竹本健治と火浦功は天才だと思ってる。
で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校の女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB'zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人の女の子がB'zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。
今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリの女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。
聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。
そうやってやり過ごせばいいと思ってた。
考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。
自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。
在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。
けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。
見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。
だからリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。
あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。
拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。
例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペや書き込みを思い出してまた沈む。
この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません。
そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。
結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれからの生活展望とか語れる物がないw
で、最近はどうかというと。
高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。
「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。
けどなあ。
それってどういうことなんだ?
いやいやいやいや、私は朝鮮人だから。あなたが嫌いな朝鮮人だから。別じゃないから。朝鮮人から私だけ切り分けられても困るから。ネトウヨの嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人だから。
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。
…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもないのに何やってんだろ私。
…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。
元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090415070440
うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。
ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。
何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします。生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。
韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。
お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090415073233
日本の人を考慮してないように見えるかなあ。うーん。
ちょっと思ったのは、日日間での暴力や差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音。
ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。
うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すればいいと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。
日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。
在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。
通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるから細かいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみます。あやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます。
チマチョゴリでの通学中、「すたーらいと☆」シリーズとガルディーンと死に急ぐ奴らの街とを矢継ぎ早に読んで惚れ込んでから十ン年、今は絶望的な思いと共にパクパクと口を開けながら新刊を待ち続けるばかりです…。
ちなみにすたーらいと☆の三作目にはニンジン嫌いの「キム・ウィルソンさん」が出てきたりする。
お昼休みに増田に来たらえらいことになっとるー?! 100ブクマ超えってなんですカー!
ついでにちょこっとお返事。
KQZ 読み物 もしかしたら知り合いなのではないかと思うくらい普遍的な話なのかと好感。ただ「歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし」というくだりには「それ、ファンタジー小説だから!」と突っ込んでさしあげたい。
もしリアル知人だったら見て見ぬ振りしてやってください。すんません。
ところで、えー、金庾信とかかっこいいと思うんだけどダメですかねえ。この人、朝鮮学校の歴史の授業でも悪者扱いだったんですけど半島三国統一した人でなかなかかっこいいと思うんですよね。
HEX68 差別, 在日 火浦功に触れた時点で僕の中の何か壁みたいなものが氷解した。人を隔てるのは「血」ではないのだよなあ。
すいません、ありがとうありがとうとブクマコメント読ませて頂いて、このコメントでじわっと来ちゃったじゃないですか。お昼休みなのにー。
これ以上は自分の方がキリなくなっちゃうので、この辺で失礼します。コメントやトラバくださった方、ありがとうございました。
「昭和な街角」読みました!
火浦の新刊だーーーーー!!!と勇んで買ったものの、中を見たら全部20世紀の作品じゃねぇか!…そしてたった2ページ+数行の掌編がべらぼうに面白い上に竹本泉の挿絵も最高とか火浦過ぎるだろ火浦…。楽しいラジオは七面鳥~。
昼夜構わず授業の変則的な学校行きながら、職を転々としつつ、派遣契約からわりと良い企業の社員契約に漕ぎ着けた自分が通りますよ
あのさ、私も相当長く派遣やってるから言えるんだけど、実際すげー注文&文句ばっか付けてるやつもいるのよ
私は今の会社以外でも途中から契約に切り替えてもらったり、社員のお誘い何度も頂いたよ
ぶっちゃけ要領はよくない人間だけど、バイト時代から仕事に役立ちそうな事、色々コツコツ勉強したり蓄えて来たよ
そういうのが普通だと思う
首切られて即お金がないってのは元々自分の生活水準と手取りが見合わないところで働き続けてたか、
生活水準を落とせなかったか、余程頻繁に仕事を変えすぎてて、就職活動中にお金が削られて行くかのどれかだと思うんだよね
ただ、家庭環境なんかの事もあるし、本当に困ってる人も多いと思う
十把一絡げに本当に困ってる人だとか堕落してる人だとか決めつけられないよね
だから私は叩く気も起きないし、あなたみたいに同情する気にもなれないよ
同情って、確かに自分をある程度相手より上に見てないと出ないかもね
自分の身に降り掛かる事はないからある意味そういう無神経な事が言えるんだと思うよ
でも、叩いてる人が全て下流だとは思わないかな
苦労して這い上がった人から見ても「自分より苦労してない」と思ったら
「甘えてる」とか言うのは叩きでもなんでもなく率直な感想だと思うし
あなたはお母さんの苦労をないがしろにはしてないと思うよ
親子にも意見の相違は有る
ただ、苦労をないがしろにはしてなくても、苦労に対して無知すぎるんだよ
親が大変なの分かってたんならバイトして自活しようとか思わなかったの?
親の命を自分が削ってるかもとか考えない?
負担を少しでも減らそうとか思わない?
あと
でも、そんなおとんに、別の仕事探せとか、資格取れとか、東京いけばビジネスチャンスいくらでもあったじゃんなんて言えるか?
とあったけれど、言えるよ。
少なくとも私なら言う。というか言った。
親に対してとか関係ない。生きる為に必要な事だったもの。
本当に切羽詰まって、身体悪くする様な事になっても自尊心優先するの?
頑張るのは良いことだよ、確かにね。
でも頑張っても報われない事があるのは確かなんだから、妥協点を探りつつ、確実に「生きる道」を模索するべきでしょ。
あなたがそんな風に発言出来るまで育ててくれた親に対し、あなたは何か返してあげたの?
あーあ、またやっちゃったよ。
雄弁は銀、沈黙は金。いつか実行出来るようになれば良いけど……。
なんか、論旨がおかしくないかな?
どっちかって言えば、擁護派の人からすればおとんのような人は居たらまずいんじゃね?
だって健康的な生活が送れていなかったわけでさ、生存権が侵害されてるじゃんか。
おとんがガンで死んだのは自己選択だから許容されるんですって物でもないんだろうし。
おとん、たいしたもんじゃない。商才がなくても人を頼らずに自立して生きてきたんでしょ?立派に子育てしたんでしょ。強く強く尊敬する。
完全に横だけど。
こういう短絡的な『一人の方が偉い』論って、一見それっぽく聞こえるけど、実際は人間社会の進歩そのものを否定してるよなあって思った。
少し思うところを書いてみる。
>だっておとん、商才なかったんだよ。一人で仕事して50代で年200万とか。下手すると俺の初任給の方が良いくらい。ひどいもんだ。
おとん、たいしたもんじゃない。商才がなくても人を頼らずに自立して生きてきたんでしょ?立派に子育てしたんでしょ。強く強く尊敬する。そこは派遣村の人とは大きな隔たりがあるでしょ。ひとくくりになんて出来ないでしょ。絶対誇っていい部分でしょ。
ただね。派遣村の人とは違うからこそ、考え方を少し変えただけで打開できたかもとも思ったんだ。元増田は大卒であることが伺えるし、たくさん物事を考えているようにも思える。世の中のこともよく見てる。そんな元増田を育ててきた親御さんに敬意を払うからこそ、ほんの、ほんのちょっとだけ考え方を変える可能性を探れなかったのかなと思ったんだ。
以下に書くことは亡くなったお父様に鞭打つような言い分になってしまうかも知れないけど、元増田とお母様にはこの先の人生もあるので、自分の意見を書いてみる。結果論の部分も多々あるので受け入れられないときは切り捨ててくれ。
非常に汚い思考法かも知れないけど、まずお父様が自分の病気を押して働くしかなかったという状況を防ぐ手だてが何かなかったのだろうかと考えた。そこが一番の悲劇の部分だから。
一番つらかったのは、当然だが、お父様が事業を休めなかったことだ。代わりがいなかった。でも、健康は何事に代え難いがたいものだ。そこは親類に頼っても良い部分じゃないのだろうか。お金は働いて少しづつ返すといって金策に走ることは出来なかったのだろうか。
お母様も、収入を得ることで精一杯であったことが伺えるが、職場の人間というのは、同僚がそこまで差し迫った状況であることを知ったときに、果たして知る前と同じ様に仕事を要求するのだろうかと思ったんだ。旦那が病気だと言えば、お見舞いをするために少し働く時間に融通を利かしてくれたり、野菜や煮物を分けてくれたりと、そんなことがなかったのだろうかと。
そして、心理的なハードルが高いことはわかるが、生活保護という手段は想定としてあったのだろうか。
うまく言えないが、お父様とお母様は歯を食いしばってしゃにむに働いたのだと思う。じゃあ、そんな方を世の中の人間は見捨てるだろうか。評価しないのだろうか。そうなんだとしたら、私は絶望せずにはいられない。
今の時代、競争は肯定されていて、極論すれば、他人を蹴り飛ばしてでも自分だけ成功しようとする風潮が強い。リアル蜘蛛の糸だ。
そんな風潮の中、お父様やお母様の「がんばる」はどんながんばるだったのだろうか。「がんばる」が他人と蹴散らしてでもがんばる「敵を作るがんばる」だったのか、それとも競争じゃなくて協働というか、他人が困っていたら助けるなかでの「みんなとがんばる」だったのか。ここをどう考えるかが、人との交わりを大きく変えていく部分だと、個人的には強く思っている。
(ただこれは相応にレベルの高い話で、一生税金むしりとって生きていこうと考えている、自活する気持ちがない人間を前提としてはこの様な話は全く論じられない。)
前者は社会を敵と見なし孤立しやすくならないだろうか。後者は、自分が助けた人の中から、困ったときはお互い様だと自分を助けてくれる人が僅かながら出てこないだろうか。
・・・”茨城”は近郊農業の盛んな土地柄で、農家や土地持ちは家庭で野菜を作り、食べ物には困りにくい土地柄だと思った。だから、近所づきあいを重ねれば、元増田のような非常時には食べ物を用立てて助けてくれる地域住民もいるのではないだろうかと、少しだけそう思った。東京や過疎地だったら難しい部分だろう。
健康は何物にも代え難い。健康で有りさえすれば、一時床に伏せってしまうようなことがあっても、お父様のような方だったらやり直せると思った。だから健康よりも事業を取らざるを得ないという結論を、意地でも、何が何でも、何とか、変える方向を模索する必要があったのだと思う。
生活保護を常にアテにしてのらりくらりと暮らす奴とは天と地ほどの違いがある。生活保護は、その理念から言えば、お父様のような、一生懸命がんばっているが健康上の不運に見舞われたような方のためにある制度なんだと私はそう思う。
なんだか、まとまんねーな。まあいいや。ごめんな頭使って考えたけどこの程度のことしかかけなかった。ちなみに私の父親も自営業年収200万だ。いまのところ病気は大丈夫のようだ。
それが今日、届く予定だった。そして来た。押されるチャイムのボタン、鳴り響く「ピンポーン」という音。
俺は分かっていた、この時が来るのを。そして待ち侘びていたのだ。
俺は玄関へ向かおうとした。しかし次の瞬間、響き渡る怒鳴り声。親父だ。
うるさい。家には内線でチャイムと電話が繋がっていて、その電話から玄関と通話ができる仕組みだ。
しかしこっちはもう既にamazonからの荷物だと分かっているのに。くどい。
俺は無視した。そして玄関を開けると、そのタイミングで親父も玄関に駆け寄ってくる。
「インターフォンから出ろって言ってるだろ!」
違いない、だがそれは来た人間が誰か分からない時に限るし、たとえamazonでなくとも俺はそれ相応の対応をすることができる。なのに何故こんな事を痴呆の様に連呼するのか?
俺は刹那の間に思った。もし仮に俺が「自分の用事だからお父さんはいいよ」と言っても信じてもらえるだろうかと。
玄関を開ける。「amazonからです。サインお願いします」と言う配達員。後ろでまだ怒鳴り続ける親父。
あまりにも親父が鬱陶しいので俺は後ろを向いて「いいから!うるさい!」と言ってしまった。
「あ・・・」と戸惑う配達員。
殴り書きでサインを済ますと「ありがとうございました」と言って逃げるように配達員は退散して行った。
俺は荷物を適当な場所に置いて親父の方を向く。
「自分の用事だからいいのに」
すると親父は
「だったら最初からそう言えよ!少しは人のことも考えたらどうだ!?」
いい加減にしろよ。クソ。
「おごられて当然と思ってる女」に反転できるな。おとんに何でも買ってもらってたんだろうなっていう。