はてなキーワード: おとんとは
数年前に父が癌になった。転移もしていて手術は出来ない状況。
だけど見た目にはすごく健康で、定年した後も働いてもいるし、併発している糖尿の治療以外はいたって普通に生活している。
それは良い事だし、親には長生きして欲しい派な私としてはとても嬉しい事だ。
ただ父は精神的な部分ではなんとなく変化していて、だいぶ子供っぽくなった。
何かに当たったり、拗ねたり、ぷいっとどこかへ行ったり、昔からそういう所が無かった訳ではないけど、だいぶ顕著になってきたようだ。
私が子供の頃、親とは「絶対的な大人」という存在だったから寂しい。
定年になるかならないかの頃から「自分が今までやってきた仕事で誇りに思うこと」語りも多くなってきた。
まぁ、この語りは、私が社会人になった時にいくらか役に立ったが、同じことの繰り返しだから少々疲れてきた。
でもこのことに関しては帰省する度に聞いてあげようと思う。たぶん父の人生で一番の拠り所だから。(だからこそあんなに誇らしげに語るのだろう)
私は父親が不惑を過ぎてからの子供なので、よそから見ると相当可愛がられていた(る)ようだ。
実際私も父親が好きだし、思春期の頃に友人が「親父マジキモイ。死ねばいいのに」という感情が良く理解できなかった。もしかしたらその頃の友人には「こいつファザコンwww」くらいは思われていたかもしれない。
(だが私は自他共に認める家族全員大好きっ子であり、ファザコンと言うよりはファミコンである事を補足しておこう。くにお君マジパネェwwww)
さて、問題なのは父の病気発覚後の母だ。
先ほど私が「帰省」という単語を使ったとおり、親元から離れて暮している。上の兄弟も同様なので、実家には両親しかいない。
母親は幼少期から家族運に恵まれず、だからこそ今の家では人一倍、夫にも子供にも尽くしてきた。今考えると過保護・過干渉な所があったようにも思う。
その母が、父親の病気が発覚してから、その過保護・過干渉を父に向けているのだ。
構われすぎて煙たがってる父と喧嘩になるくらいならまだ可愛いものだが、その度に私に連絡してきて
「オカーサン、疲れちゃった……」
と言ってくるからたまらない。
父の病気のこと、家族のことで人一倍真摯に悩んでいるのは母だが、昔から悩みすぎてスパークするとネガティブ精神攻撃か、逆ギレで当り散らして来るので本当に困る。(唯一の同性で、末っ子だから当たり易いんだろう)
ファミコンなので母の事も当然好きだが(普段は可愛いカーチャンなんだぜ!)、この時ばかりは本気で憎らしくなってくる。
ちなみに父は己の病の事なのに、しばしば食事に気をつけなかったり、変な市販薬買ってきて具合が悪くなってたりしている。こっちもこっちで殴り倒したくなる。
こちとら長生きいて欲しいんじゃい!私には爺さんいなかったから、おとんにはナイス爺さんになって欲しいんじゃい!
何度か
「カーチャン、おとん構いすぎて疲れてるんだよ。ちょっと距離置いたら?」
と伝えたのだが、
「ダメダメっ・・!そんな事出来ないっ・・お父さんが、心配・・っ!」
と返されたのでもう何をかいわんや。
今日、どうしても人恋しくなってきて、ちょっと甘えたいなと実家に電話したら夫婦喧嘩したらしくてネガティブ攻撃くらいました。
「もうお母さんにはお前しか、相談したり、頼ったり、甘えたり出来る人はいないの」
あぁーそれまんま今の私がしたかった事だわ。すげーな親子って、テレパシーじゃん?
・・・なんて思いつつ、抱きつく予定の腕は受け止めるための腕に変わったのでした。
もう社会人なんだから親に甘えるとかキメェ考え捨てろ。むしろ親に頼られる事を目指せって事なんだろうけど、なんだろうね、今日は珍しく本気で親に甘えたかったんだ。
あぁん。・゜・(ノД`)
うちのおとんは65歳ですよ。明大理工卒。そのままメーカーで設計とかして役員になった。今は嘱託社員。でも就職のころ(1970年前後)は不況で就職は厳しかったと言ってた。
なあ、増田たちの親父さん世代っていくつぐらいだ?
とーちゃん大学でてる?
俺自体が結構なおっさんなので、うちのおとーはもう定年済みなんだ。
そのおとんは国立卒らしいんだが、当時は私立の大学とかあまり充実してなかったみたいだな。
企業と呼ばれる体をなしている会社は数が少なかったうえ、大学卒とかもあまりいなかった。
いまでこそ日本でみんなに知られている電気メーカーにつとめてたが、20年ぐらい前は大学に頭をさげて人を回してもらっていたそうだ。
初任給が数万円の時代だ。高度経済成長期とあいまって一年で給料が倍ぐらいになってた時代だな。
40年前はブランドそのものが無かった。
今はどうだろう。
大学でていようがでてなかろうが労働力そのものが足りないのでまたノーブランドに戻ってきている気がする。
さらに20年後はどうだろうか。
いま0歳児の数を計算してみると本当に今30歳ぐらいの人の数の1/2以下になっているので、素直に考えれば全入時代になってもさらに大学数は1/2になるはず。
大手にとっては日本の給料体系上、生え抜きの新卒が必要だっただけなのでここらへんは維持できないだろうね。
20年後は若いってだけで重宝される時代がくると思うよ。
大学とかが意味をもつのは過当競争にならざるをえなかった数だけいるM1F1層だけの問題だとおもう。
この層はなにかにつけて、大学で選別されたり職歴や業務経歴で選別されたりするだろうが、それは単純に他の世代より数が多いので選り好みができるってだけだとおもうな。
http://anond.hatelabo.jp/20080826233030 を書いた元増田です。
これを書いてからまたいろいろ考えたんだ。
あれを書いたとき、自分は自分のことを冷静だと思ったんだけど、でも今思うと冷静じゃなかった。
「異常」って言葉を聞いてかなり動揺してたっぽい。
ブクマのコメントで書いてくれた人もいたけど、おとんも吐き出したくなったんだろうな。誰かに聞いてもらいたくなったんだな。
おいらがここで、誰かに聞いてもらいたくて書き込んだのと同じように。
結局さ、自分では変えられない、変わらない現実に折り合いをつけようとしているんだろう。おとんもおかんも。それぞれ自分なりに。
考えてみれば、10歳だったにーちゃんが30歳になったように、おとんにもおかんにも20年の歳月が流れたんだ。
おとんもおかんも年をとったよ。子どもの頃はあんなに大きく感じたのに、2人ともずいぶん小さくなった。
「20年、何してたんだよ」とか思ったけどさ。それはおいらの傲慢だよな。
おとんもおかんもずっと苦しんだり悩んだりしてたんだよな。辛い思いをしてたんだよな。
それでも日々生活して、にーちゃんとおいらを育ててきたんだもんな。
20年。長いよな。
「にーちゃんがいなくなるのかもしれない」という恐怖だけを感じていた7歳児だったおいらがいっぱしに社会に出て働くようになるくらいだもんな。
だからさ、もうあれこれおとんとおかんを責め立てるのはやめるよ。
おとんの世界、おかんの世界はそれぞれ違うけど、対立するものかもしれないけど、おいらなりにそれぞれを尊重してみようと思う。
二人の心配、心労、苦しみを引き受ける…のは無理だと思うけど(だっておいらは親でもないし、夫でもないし)、尊重したりいたわったりすることはできるんじゃないかと思う。
おいらも、そんなできた人間じゃないから思ってるだけで現実は上手くできないかもしれないし、しかもこれじゃ何も変わらねーぞってつっこまれたらそれまでだけど、でも、できることからやってみる。
ダメだったらまたここに吐き出しにくるよw
今までおいらの書き込みを読んでくれた人、ブクマしてくれた人、トラバしてくれた人。どうもありがとうございました。
20年間上手く言葉にできずにいたことやぼんやり考えていたことに対しておいらなりに向き合うことができました。
皆さんのおかげです。ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20080819001353 を書いた元増田です。
読んでくれた人、ブクマやトラバしてくれた人ありがとう。なんか泣けた。
「あれ、おいら、なに泣いてんだw」とか思ったけど、涙が止まらなかった。本当にありがとう。
んで、思ったんだ。
おかんのことを奇異の目で見られたり、にーちゃんのことを変な目で見られたりするのが怖くてさ、ずっと誰にも言えなかったんだって。
でも、誰かにずっと聞いて欲しかったんだって。
それで、ごめん。また聞いてくれないか(´・ω・`)
今朝おかんは「偉い人に見てもらってくる!」と言い残して出かけて行った。
偉い人って誰だよ、何を見てもらうんだよ、どこに行くんだよ、いつ帰ってくるんだよ。
よく分からないことだらけだったけど、でも黙って見送った。
だから夕飯はおとんと二人で食べた。(あ、にーちゃんは自分の部屋引きこもりだからな。)
おとんは典型的な昔気質な人で、余計なことはしゃべらない。夕飯中もほとんどしゃべらなかった。
思えばおとんは、にーちゃんが倒れたときも、おかんが「先祖がうんぬんかんぬん」とか言い出したときも、今朝おかんが出かけて行くときも黙ってた。
言いたいことが無かったのか、言うべきことが無かったのか、現実は現実としてあるがままを受け入れるもんだと悟ってるのか、それともおかんと同じように考えているのか…。
よく分からないけど、とにかくおとんは黙ってた。20年間ずっとな。
ただ、たまに二人きりになると「お前はどう思う?」とか聞いてきた。
それにおいらがどう答えても、おとん自身の考えは教えてくれないんだけどさ。
だからあれはおいらに聞いてるんじゃなくて、聞いているように見せかけて自分自身に問いかけてたんだと思う。
おいらが風呂に入ってるとき、おとんの声が聞こえてきたんだ。うちは古くて狭いし、しかもおとんは電話になると異常に声がでかくなる。
だからおとんの声が全部聞こえた。
おとんの電話相手はおとんの姉(おいらから見ればおばさん)だった。
「なんだかよく分からねーんだけどよ、今日も“偉い人に見てもらう”とか言って出かけて行った」
「おれは正直分からねーな。つか、信じられねーよ」「はっきり言って、異常だよ」
「はっきり言って、異常だよ」。
これを聞いたとき、心臓がぎゅっとなった。
おとんはずっと黙ってたけど、それは決して肯定の意味で黙ってたんじゃないのな。つか、おとんはおかんのことを「異常」だと思ってたんだな。
いやいや、おとん。あんたはおかんの夫だろ。にーちゃんの父親だろ。
にーちゃんが病気で倒れたとき、後遺症で苦しんでるとき、それを見ておかんが思いつめていたとき、あんた何かしたかよ。
何か言ってやったかよ。にーちゃんのこと、ずっとおかんにまかせっきりじゃないか。
異常とか言ってる暇があるなら、おかんに、にーちゃんに何か言ってやれよ。一緒に考えてやれよ。
この20年何してたんだよ。
うん、風呂に入ってたから思っただけだ。おとんには言ってない。
おかんとケンカしてからおいらもいろいろ考えててさ。だから割とすぐに冷静になった。
だからこれ以上おかんの言ってることを否定しておかんを追い詰めたくなかったんだな。
親の愛と同じように、夫の愛も盲目的だな。
それとも「今さら何を言ってもムダ」というあきらめの境地なのだろうか。
おとん個人としては、おかんの信心を否定したいんだと思う。電話中、何度も「おれは信じない」「おれは信じていない」「あんなの信じられない」という声が聞こえてきたし。
おいらはどうしたらいいんだろう。
そんなもんよ。
結婚してメシ作るから何がいい? って言っても「何でもいい」とかそんなもんよ。
じゃあチャーハンでとか言うと「先週も食ったから別の」とか。
誰と付き合ってもそんなもんよ。
キャラ萌えっていうか、単純にしゃべり方とか受け答えのセンスとかが好きになっちゃうことはあるよ。そしてしゃべり方とか受け答えっていうのは内面と同じでその人そのものだと思う。言葉の選び方とか、受け答えの「間」とかさ。
逆に、好きな作家が合うから内面も合うのか、なんていうとぜーんぜんそんなことないからね。
どんなに趣味や考えが一致したって内面が合ってるってのとは全く違うし。
もっと言えば、合う合わないなんて、誰と付き合ったってぜーったいに合う人なんかいないよ。それが他人てもの。自分ちの両親見てればわかるじゃん。
どうせ誰と付き合っても合わないならさ、最初のフィーリングを信じてみることだよ。それが現実と違っても、そんなの違って当たり前で、それで怒ったりへこんだり悩んだりしながらそれでも最初のフィーリングを信じて付き合い続けていくのが、男女という名の他人同士でやっていくってことだし、それも両親見てればわかるはず。
ただそこで両親を参考にするコツは、両親そのものを参考にするんじゃなくて、おとんとおかんの「合わなさ」だけを参考にした方がいい。やっぱ男女関係自体も千差万別だからさ、うちの両親と違う感じの付き合いだから嫌だ、ってんじゃあそりゃ誰と付き合っても両親とは違う。でも一つだけ同じことがあって、それは「合わない」ってこと。それでも最初のフィーリングを信じて寄り添うのって、すてきやん?
昔おとんが若かった頃、友人にやたら高い創価の仏壇を売りつけられそうになったらしい。部屋に上がりこんできたりしてあまりにしつこいので、喧嘩になって、その友人とは縁を切ったとか言ってた。そんな経験があるから、おとんは創価が大嫌い。
おとん曰く、今の勧誘はだいぶ生ぬるいらしい。昔は信者集めに必死だったんだろうね。
そういえば、以前、友達と二人ファミレスで食事してたら、その友人とは全く別の関係での知り合いが突然現れた。なんだろうと思ったら、そいつら二人で俺を囲んで「今度、創価の集会に来ないか?」とか言いだした。
昔と比べて生ぬるいかどうかは知らないが、こういう組織的に個人をターゲットに勧誘してくるのは非常に恐ろしい。だから、創価に対しては構えてしまう。別に創価の中にいるそれぞれの個人は嫌いじゃないけどね。
あっそれちょうど今度おとんと行く予定だったわwwwwwww
「お弁当には海のものと山のものを入れてください」
まなめさんの「料理って数学だよね」も読んだ☆ 一番しっくり来た★ 俺には武器が足りないのか^^; 素材+加工セットのデータベースが小さすぎるorz
それでまた考える★ じゃあ、出来るようになる為にはどうすればいいのだろうか。現存する膨大なレシピを片端から作って経験値を貯めるのはなんだか迂遠だし金がかかろう(sigh) じゃあ範囲を区切ろう。区分として文化圏が有効っぽいので、ここは日本人らしく和食という括りで……いや、はなから和食はハードルが高い。ここはイギリ……だめだー★ 林望「イギリスはおいしい」で「イギリス人は何でも一緒に形がなくなるまで煮る」「塩が足りない。でもたまに多すぎ」(うろ覚え)と書いてあって、「これ、どこの俺の話?(゜д゜)」などと思ったのだった。和食にしよう。和食のレシピを因数分解して要素のデータベースを増やすとしよう。ああ、そう考えると道場の本にあった五種類の命のダシはいきなり要素を提示してくれてたんだなぁ。って何でこんなに料理本読んでて一向にうまくなる気配がないのだろう(´Д`;)
やはり実践だ。実践が足りない。机上演習だけでは防衛力にならん!書を捨てスーパーに行こう。行ってきた。この素材を毎日さまざまに加工することで基礎力をつけるのだ。見ろ、この青々とした大量のピーマン……なぜだー★なぜしょっぱなから応用の利かなそうな脇役素材を、安いという理由で大量に購入するのか!そうか素材には主役と脇役がいるのか☆ 買う前に気づけ!ピーマンが大量にあるので、ここに肉を買ってくれば青椒牛肉糸が……和じゃねぇ!!
食のボーダレスが進む前、和食は地理と季節によって比較的限られた食材で構成され、手法としても完成していたはずだ。まずはそこからじゃないのか。そうですね。それでモヤシか。そうです。
スーパーで買い物する人々は偉大だとつくづく思う♪ 素材オブジェクトには栄養素と味のデータがあって、煮る・焼く・炒める・蒸す・打つ・買うなどのメソッドがあって……メソッドによって味・食感が変わって……ああ、賞味期限なんていうデータも持ってたな。そんなややこしいオブジェクトが一杯あるライブラリーであるところのスーパーから成果物である料理作る。なんて複雑な作業なんだ。仕事帰りにそんなことできん!
訊きたい気持ちはわかるが答えるのに困る質問の最右翼だと思うがどうか?子供やおとんは内蔵レシピが貧弱か、あるいはいままで食べたものにラベリングされてないので「なんでもいい」と答えて、おかん切れる。切れるのは今ならよくわかる。でもおかんは切れる前にイメージする旬の素材、あるいは特売の素材をあげて、どうやって喰うのがその日の気分なのかを訊くのが良かったんではないかと思いました。あとそれにあわせた素材を一緒に買いにいくとか。今おかんのひとはそうやって教育すると俺のような悩む大人を減らせるのではないかとおもったのでした。Φ(.. )
自分で言ってる通り、「外部にわからなきゃ意味無い」から、結局ほとんど意味ないっしょ。
大体、そんな家に引きこもってるような奴じゃ(ry
高い所なんざ椅子ありゃいいし、そもそも最初に主婦がとりやすいよう家を設計するからそう頻繁に高い所にあるものを取るなんて作業があるとは思えん。1年に1度程度?力仕事も、わざわざいないとダメなほど力使わんしな……日常。実際、いなくてもほぼ全ての家庭がなんとかなっちゃってるわけで。ゴキブリ退治て、男って虫に強いのか?なんだかんだ虫を始末するのっておとんがいてもおかんやん。うちも一番盛りの高校生男子がいるが虫退治においては気持ち悪がって全く役に立たんのでゴキブリ退治=男ならではって観点はちょっと新鮮だ。でもこういう意識が、虫が苦手な男性に対してこう圧力かかるんだろな。可哀想だからそういう意識はやめてほしい。
それはともかく、こんな事いいあっててもキリないな。結局基本的に両者とも必要性から見れば「いらない」もんだから、アラ探しなんていくらでもできる。
んでも、そういう意味じゃなくてさ
実際役柄名どおりの仕事をしている率は、「家事手伝い」の方が高い事は事実なわけで。要するにそういう事を言ったんだけど。そりゃ主婦二人いてもたいしてリスクの割りには効率アップしないだろうが、やらんよかマシなのも確か。でも実際「自宅警備員」なんてやってる奴はいないだろ。完全に「ニートの隠れ蓑な言葉」として出てきた物なんだから。「そういう人がいる」という事実から出てきたものじゃないから。
http://serif.hatelabo.jp/166ab177af22b17b67e21efe59eb8c0ed0863599/
小学生の僕は毎日学校に行かんと、この赤い部屋に引きこもっとったわ。点けっぱなしにしとくと暑いからたまにパチッと電源オフにしてさ。部屋が真っ黒になっても、居心地悪い暑さがまだ残っていても、外に出る気は起こらんかった。外っつってもこたつがある六畳の部屋なんやけどさ。手が届くとこにテレビが置いてあって、本体にチャンネルを直接変えるボタンが付いてんの、こんな感じで
1 2 3 4 5
6 7 8 9 ......
東芝のテレビやったかな。阪神大震災も、そのテレビでリアルタイムで観た。おかんと石油ストーブにあたりながら、なんやったかな、学校行く準備してたんやったかな。あんま学校のこと憶えてへんけど、あの揺れはすごかったよ。僕のとこと、震災の被害にあってしまった人達とでは全然感じ方が違うかもしれやんけど、僕が感じた揺れを一言でゆうんやったら「スラッシュ」
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昔のお笑い番組で、芸能人がクイズに答えられへん度に角度が上がる滑り台、あれに突然乗せられた感じ。芸能人ちゃうからわからんけどさ。あれに、家や、なんやすべての生活基盤が乗っかったらそら何千人も死ぬわな。ごめんな被災者の人。こんな言い方したら失礼かもしれんよな。(僕)君は比喩がうまいよねってゆわれたことがあって、僕は褒められたような気がして、物事を例えるのが癖になってさ。あかんよね、女は機械とかさ。
まだ、そのテレビとかこたつはその部屋に残ってて僕は忘れたいから捨てたいんやけど、おかんとかおとんが捨てさせてくれん。もっとあったかい暖房買ったるからとかいうと、あっちは黙って返事がもらえんかったりする。どうすりゃええんさ。その沈黙は息子がプレゼントしてくれることを喜んでる照れ隠しの沈黙なのかもったいない思考停止なのか。僕は明確な返事が欲しいんやって! 勝手に捨てんで! 親戚の兄ちゃんに(僕)君は配慮ができないよねっていわれたことがあるけど、察するなんて出来んて! だって僕ずっとひとりやったんやで。長い間引きこもってたのもったいなかったなあ、って思ったから大人になった今積極的になろうとしてるのに配慮なんて知りたくないよ! そんなこと言われたら僕はまたあのこたつに帰りたくなるやんか。捨てさせてくれよ。