はてなキーワード: 焼き芋とは
この記事さあ、
父はアルコール依存で母は聴覚障害「ADHDの私に何ができる?」30代女性が月商100万円の焼きいも屋になるまでの苦悩
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc468efb7185bc9c9d23654f3f0f513b831f9051
途中までは共感しながら読んでたんだよ
毒親で気の毒だな、母親の聴覚障害はともかく父親のアルコール依存症は治せるだろ病院行けよとか思いながら。
理解と経済力のある彼くん持ちかよ!既婚者ならば生活の安定は保証されてる訳で、焼き芋屋の起業なんて何ら逆境じゃなかったじゃん
こういうふうに取り上げられてちやほやされる中高年女性ってほんっとーーーに、常に結婚して(時にはしていなくとも)子供のいる女性だよね
独身の中年女性がこんなふうに仕事で成功して、それが記事になって取り上げられるのなんて見た事ない
60代で医学部に入りました!やっぱり子持ち!
何処を見ても子持ちばっかり。それも子供の数も一人二人じゃなくて三人の事が多い。
それって要は旦那にそれだけ経済力があって頼れてるって話だよね…
家庭内に主たる稼ぎ手が他にいるから安心して挑戦が出来るっていう。
それが現実だよね…何の意外性もないし感動もない
みんな子持ち!子持ち!子持ち子持ち子持ち子持ち子持ち子持ち…!!!!!嫌になるよ
独身の中年女性は何処にいるの?みんな死んだの?それともみんな私と同様に社会の隅で縮こまりながら目立たず語らずに生きてるの?
こういう特別な話に限らず、普通の就職だってぜっっっっっったいに、中高年の女は子供がいた方が採用されやすいと思う
子供がいると不利だなんて20年以上昔の話で、子育てに優しい企業という勲章を貰いたくて何処も積極的に子持ちを採用してるんだと思う
自分と同じように働いていた同僚の非正規仲間(40代で3人の子持ち女性)もいつの間にやら正社員転職決めてたわ
私は何処も書類落ちなのにな…
季節感を考えれば、冷たい食品から温かい食品に変えるのはいいことだと思う。
しかし、普段はキャッサバを加工してタピオカにして売っているのに、冬になるとキャッサバではなくサツマイモを焼くとはどういうことだ?
キャッサバだってイモなんだから、そのまま仕入れて焼けばいいのにできないのか?
ちなみに、世界のイモ類の生産量ランキングではキャッサバは2位だ。
普段は世界2位のキャッサバを加工してタピオカミルクティーとして売っておきながら、冬になったら2位のキャッサバを差し置いて3位のサツマイモを焼いて売るとはどういう了見だ?
キャッサバはタピオカの原料として扱うだけで、デンプンを取り出したら後は用済みってことか?
南米やアフリカではキャッサバは主食として食べられているらしいから、日本でも食べればいいのに。
1位のジャガイモさんにかなわないのはわかるけど、3位のサツマイモに比べてキャッサバの扱いはあまりにも悪すぎないか?
[追記]
それにもかかわらずキャッサバは世界2位というのも不思議なもんだ。
でもそれは、サツマイモの優位性をアピールするチャンスでもないか?
サツマイモなら焼くだけでいいし。
増田の出身小学校にはいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった
裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林、飼育小屋、ちょっとした池、テニスコート1面があった
田んぼ…6年生が先生の監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事でおにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる
畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいもを栽培して、秋になったら1年生の子とグループを作って雑木林の落ち葉で焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たちは微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生がスイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童と先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生は学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)
ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者の敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任の先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生に許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる
飼育小屋…うさぎとニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田がニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田のきょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった
ちょっとした池…でかめの金魚と鯉がいた。たまに野生か野良の動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた
テニスコート…テニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間の鬼ごっこ会場か教頭先生がスイカを振る舞う会場にしか使われてなかった
小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった
時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる