はてなキーワード: マイノリティとは
非ケモナーの悪ふざけはそもそもケモナーがふざけてるからこその猿真似だろ
腐女子みたいに自分はマイノリティだと主張してるのもよく見るけど
表現の自由戦士と変わらんよお前ら
日本国内のイスラム教徒はLGBT理解増進法案に困惑、家庭の協力を得られるか不明
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/portal-worlds.com/news/asean/31163
不動産を貸す側にとってはクソ客であることが多い、という話であって、その他の日常生活で冷遇するのはちょっと違うよなあ、と思った
例えばこのブクマ
学校の保護者の集まりでダメージジーンズの隙間から彫り物見せてる人がいて、皆さんその人と笑顔で話はするけど、後でめんどくせえなしまっとけよと話題になってた。みんなそっと扉を閉める。
「めんどくせえなしまっとけよと話題になってた」とか、陰キャの俺が驚くほどの陰湿さである
誰かの個性を攻撃することは、その集団の心理的安全性を脅かし活気を奪うことになるのだけど、それが分からないんのだろうか
周りに変わった奴がたくさんいれば自分が浮いててもあまり目立たなくなるから居心地がいいのだが、日本の場合は周りに配慮してビクビクしなくてはいけない
多様性がない社会/マイノリティを叩く社会は、自分たちマジョリティの自由さえ奪う、言わば自己家畜化へとつながっていくんだけど、なかなか理解されない
大家さんになったリベラルが差別をして、ネトウヨや男性に家を貸さないならまだしも社会的マイノリティにまで貸さなくなったら、元仲間のリベラルたちから痛烈に批判される。
大家さんになったリベラルが差別をして、ネトウヨや男性に家を貸さないならまだしも社会的マイノリティにまで貸さなくなったら、元仲間のリベラルたちから痛烈に批判される。
大家リベラルは、いざ同じ立場になったら簡単には運営できないんだなって痛感して、少し現実主義というかおおらかな態度に転換すると期待できる。
創作の話
とある作品を見たところ、10年前なら友情で終わってたところが取ってた付けたように愛情になっていた
まあそう言う作品があってもいいとは思うが、違和感があったし、海外で賞を取るために入れたんだろうな感はあった
昨今のゲームや映画などはほんとうにポリコレ要素・同性愛要素を入れてくる
一緒に見に行っていた相手がそういう悩みを抱えていた人だったが、突然出てきた同性愛要素に好意的とは言えない反応だった
この脚本家はかなり緻密に書く人だと思った
そもそも、同性愛っていうのは作中の機能としては非常に強いと思う
それだけで話が作れてしまうんだ
どうしても友情の延長線だったり、代替機能にはなりようがないと思う
無理やり乗せるにはあまりに重いし扱いづらい代物だ
例えば作中にそういう変わった人、マイノリティがたくさん出てきたり
セクシャル要素がたくさん出てくるならまだバランスが取れた気がする
ただ、そうではなかったし、それでは海外ポリコレ受けは悪いと思う
彼らの望むのはあくまで「自然と発生していて、周りも受け入れる」ことであるが
あいにく自然と発生するというほどの確率ではないし、周りが受け入れるのは当然ウソだから、まあ扱いがやはり難しい
何この縛りプレイ
日本男性はマイノリティになったことがないみたいな記事が前に出ていたけどそれに似ている。
女が山でソロキャンプしていたら、おじさんにつきまとわれて怖い思いをした。というのは
NYの地下鉄でよくわからんラリったクソデカ外国人男性につきまとわれて怖かった。というのに体験としては近い。
本能的に危険を感じさせる存在としての自分という想像をしない。
おじさんだって、刺青がガッツリ入った男性に銭湯で話しかけられたくないだろ?
そういうこと。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/yuzuka_tecpizza/n/n3f54976b4247
本文の方は、自分は偏見の塊だったポリコレ大事だよねって話です
で、こんな意見が目についた
色んなリメイクにケチつけてる人いるけど、そういう人は昔の作品を観てればいいんじゃないですかね…別物として楽しむ余裕を持ちたい
???🤔
いやいや
別物ならオリジナルでやれや
オリジナルじゃだめだと
それらのメジャーなキャラをマイノリティが演じる事が勇気に繋がるとか
そんな話じゃなかったのか?
それを、擁護する側の奴が、「黒人のリトルマーメイド?あぁ、あれは別物だよ、別物」とか言っちゃうのか?
でもさ、びっくりすることに★がついてんだよ、これ
みんな「どういうつもり」で★つけたんだろ?
ちょっと聞いてみたいんだ
結構真面目に
リトルマーメイドの配役が嫌だった
https://note.com/yuzuka_tecpizza/n/n3f54976b4247
だからさあ、なんで未来の子供達に向けた土台作りがわざわざ既存の、それもビジュアルが印象的なキャラクターの改変である必要があるんだよ
スーパーマンはキャラクター自体は新キャラだから別にいいと思うよ
こないだディズニーランドに行った時、パレードを見ている時に小さい女の子がモアナの登場に大喜びしていたのが印象的だったんだけど
如何にも政治的に配慮しましたじゃなくて、可愛さやかっこよさも重視した娯楽作にすれば子供もちゃんと見てる
そういうふうに新作でマイノリティを増やしていくんじゃなんでだめなの?
「アリエル」じゃない、有色人種の人魚姫を新しく作って、男に頼らない活躍や未知の世界での冒険を描くんじゃいけなかったのかと。
そこで仲裁をやってる。
ただし、最近は下部のフェミニストが言うことを聞かなくなって、パターナリズムだとか隠れ女性差別主義者とか言って反発してる。
そろそろリベラリズムがあらゆる分野のマイノリティを統括するのは限界が来てる。
LGBTQともフェミニストとも適度な距離感があって、しかも同じ社会的マイノリティとして運動を行ってきたグループ(たとえばイスラーム、ユダヤ教徒、宗教二世など)が仲裁に入ったら良さそう。
この人がリトルマーメイドの黒人起用あたりにどんな意見を持っているのか気になる。
既存の原作やIPに無理矢理マイノリティ(黒人やゲイ)をねじ込むのではなく、新しい作品を立ち上げて多様性やポリコレを実現すべきだ
という立場なのかしら?
美はもともと差別的なものだからねえ。理性でどうにかしようとするには限界がある。容姿にこだわらない宝塚を旗揚げしたらいいのでわ
>本来ならばキャンセルされる側の人たちがキャンセルカルチャーの手法を用いる逆転現象が起きています。
ポリコレやキャンセルカルチャーは心正しき弱者だけが岩から引き抜ける聖剣ではなく、誰でも他人をぶん殴るのに使える棍棒だということが明らかになった。
住民監査請求は正しい動機を持った市民オンブズマンのみに与えられた権利ではなく、動機がなんであれ手続きさえ正しければ暇な小金持ちの一般人でも誰でも権利を使い倒して弱者女性支援事業をキャンセルに追い込める。
女性差別主義者/同性愛差別主義者と呼ばれてポリコレ棒で殴られ続けた男たちは「俺の性自認は女性だ! 俺はLGBTQ+でマイノリティだ!」とトランス棒で武装してJKローリングを殴り女子トイレを破壊する逆襲を始めた。
あのさえないメガネのブ男すなわち弱者男性のカリカチュアが、女にもてないが故の気色悪い性欲を面白おかしく表現する、あの漫画だよ
どんだけコケにしても反撃してこない弱者をあげつらってバカにすることほど面白いことはないからな、保毛尾田保毛男と同じタイプの面白さだ
きっと保毛尾田保毛男をバッシングした連中が文句を言ってくるだろうが(論理的に考えて、文句を言ってこなかったらおかしい。ホモはダメだけど弱者男性はべつにどうでもいいってか?)、そんなのはごくごく一部のマイノリティーだからね、マイノリティーの意見は無視するに限るよ