2023-06-16

友情」と「同性愛」は機能として交換可能か?

創作の話

とある作品を見たところ、10年前なら友情で終わってたところが取ってた付けたように愛情になっていた

まあそう言う作品があってもいいとは思うが、違和感があったし、海外で賞を取るために入れたんだろうな感はあった

昨今のゲーム映画などはほんとうにポリコレ要素・同性愛要素を入れてくる

一緒に見に行っていた相手がそういう悩みを抱えていた人だったが、突然出てきた同性愛要素に好意的とは言えない反応だった

最近なんかLGBT多いよね」という反応

 

この脚本家はかなり緻密に書く人だと思った

不要な設定はないし、不要なシーンもない

それだけにこの同性愛要素が浮いてしまっていると感じた

だいぶ脚本に馴染ませてはいたが、やはり浮いている

 

そもそも同性愛っていうのは作中の機能としては非常に強いと思う

それだけで話が作れてしまうんだ

どうしても友情の延長線だったり、代替機能にはなりようがないと思う

無理やり乗せるにはあまりに重いし扱いづらい代物だ

 

例えば作中にそういう変わった人、マイノリティがたくさん出てきたり

セクシャル要素がたくさん出てくるならまだバランスが取れた気がする

ただ、そうではなかったし、それでは海外ポリコレ受けは悪いと思う

彼らの望むのはあくまで「自然と発生していて、周りも受け入れる」ことである

あいにく自然と発生するというほどの確率ではないし、周りが受け入れるのは当然ウソから、まあ扱いがやはり難しい

何この縛りプレイ

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