中高の体育教師にそのような人が多く、運動音痴だった私は体育の授業が大嫌いだった。
大学の時のウェルネスの先生は運動音痴な私に対しても感じよく接してくれ、おかげで運動嫌いから脱することができた。その先生は京都大学卒業生だったとのこと。やはり、学識があるだけでこんなにも違うのだと実感した。
結婚できない奴って、煽り運転野郎以上の極悪人ってことじゃないの?
人を殺してもいいと思っている煽り運転野郎が死刑にするべき、娑婆に出すなと言われているのなら、結婚できない奴はすでに複数回死刑に処されていなければならないレベルだね。
自分はとあるアイドルグループのファンをしてる。特定の好きなメンバー、いわゆる推しはいるが基本的には全員好きだ。同じグループのファンには、自分と似たスタンスの人が多いように感じるけど、もちろんそうじゃない人もいる。特定の誰か(ひとりとは限らない)だけが好きで、他のメンバーには興味が無い、って人。それは別にいいんだ、箱で応援するのが義務なわけでもないから。
でも中には、誰かを応援しながら他のメンバーのアンチをしだす人もいる。それどころか、グループのアンチだって。自分にはこの時点でちょっと意味がわからないんだが。
残念なことに、私の推しのファンには、こういう厄介なのが他のメンバーのファンに比べて格段に多い。
こういう人たちは、想像に難く無いだろうけど、推し賛美と他メンdisを同時にするんだよ。息をするように。「(推し)はこんなに素敵!それに比べて(他メン)は……」って。いや、「こんなに素敵!」で終わらせちゃダメなん?
で、推しが他メン褒めてたとか、都合の悪い事実はもちろん無視。それだけじゃない。自分が思ってることを、推しが思ってることだってすり替えて大きな声で言いだすんだからびっくりする。「(推し)は○○をやらせてもらえてない」みたいなこと言ってるけど、推しがいつそれをやりたいって言ったのかな。心の中は知らんけど、少なくとも公言してないぞ。あと、推しが自分の納得いくような取り上げられ方されてないと根拠もなく他のメンバーのせいにしだすこともあるよな。他メンが邪魔してるとか、贔屓されてるとか。推しと他メン、自分にはリスペクトしあってるようにしか見えないんだが、同じ光景を見てるのに価値観がこうも違うとむしろどんな思考回路してんのか体験してみたい。ごめん嘘、絶対に体験したくない。
まるでモンスターペアレントだな。
あ、大前提として、自分には嫌いな芸能人は思いつかないし(好きじゃなきゃあとは興味無いから)、気に入らない誰かを悪意で叩くって行為もちょっと理解できない。
それに、嫌な気分になることに労力をそそぐことほど馬鹿なことはないと思ってるから、嫌いなものは徹底的に視界に入れずに存在しないものとして扱ってるし、推し関連だろうと嫌いなもの関連だろうとアンチスレなんかも見ないし、ひたすら何かをdisってるようなアカウントは目に入ったらすぐブロックしてる。たまに地雷踏むけど、そんときは自業自得だから早く忘れられるように美味しいもの食べて自分労わってる。
だけど上に書いたように、推し賛美の中にしれっと他メンdis入れ込むのがモンペファンの常套手段なんだよね。あとただ褒めてるだけの非ファンのツイート引用して他メンdisったり。そういうの見ると普通の誹謗中傷よりも怖いし、何より潜むdisに気づかずに拡散してる人の多さにゾッとするわ。自衛してても視界に入ってくるもんから、最近、推しを純粋な目で見れなくなってきてしまったのが本当に辛い。「素敵だ」と思っても、「あのモンペファンたちまた文句言うんだろうな」とか、「また騒ぐんだろうな」とか。そんなことばっかが頭の中に思い浮かんでくる。
そいつらもただのアンチと同じようにほっとけよ、って思うよな。でもこのままほっとくと推しに被害がいきそうなんだわ。事実、モンペファンが推しについてるってのが界隈でだいぶ有名になってきてしまってる。
てか実害は多分もう出てる。本人自身の耳に入ってるかどうかはわからんけど、本人たちの側には、モンペファンの存在なんてとっくに伝わってるだろうし。CMの契約が切れただけで抗議したり後続タレントの批判しだすんだぜ?そんなファンがいるタレントを使いたいと思う企業がどこにあるってんだ。
推しのソロ仕事ガーって嘆くのは勝手だけど、他メンdisってる自分たちのせいだっていい加減気づいてくれよ。自分で自分の首絞めてんのにいつまで他人に絞められてる気になってるんだよ。
大体、他メンdisったところで(グループから完全に離れた)ソロ仕事なんて来ないよ。
何が「推しのため」だよ、あんたが気に入らないやつ叩きたいだけだろ。あんたのエゴのために推しを使うな。推しを何だと思ってんだ。
ついこないだなんて、推しの誕生日に「グループ抜けて!」ってハッシュタグつけて呟いてる人がいてびっくりしたわ。アンチが抜けろって言うのはまだ理解できるんだけど、推しにグループ抜けろとか、ジョークにしちゃ上手くないよな。
グループ活動がそんなに嫌ならグループの仕事見なきゃいいのに、わざわざ見て文句言うんだから物好きだよな。そんなに嫌な気分になるならもう応援するの辞めたらどうかな。あんたらのためだけに推しは活動してるんじゃないし。お客様は神様って、それ客が言っていいセリフじゃないから。
本人大好きなのにファンが嫌で応援できなくなりそうだわ、このままじゃ。我慢できなくなったら、本当にファンやめるかもね。もうこの際、「その程度で辞めるとか(笑)」とか「本当のファンは~」とか言われてもいいわ。現状を体験してない人にはこのしんどさ理解できると思わないし。
あー、まとまらない。読みにくい文章で申し訳ない。推し巻き込みたくなくてグループ名伏せたりしたけど、わかる人にはわかるよな。
自分も結局、気に入らない人たちのアンチでしかないな。そんな自分も嫌だわ。
とりあえず推しの載ってる雑誌買って、推しが出てるCMの公式動画の再生回数増やしてくるわ。あと推しのいいところ呟いてくる。
俺は納得していない。誰か論破してくれ。
でもそれだとサングラスも視野角が狭まって危険性が増すだろう。何故禁止しない?
音が聞こえずに運転するのは危険だ。それはわかる。とてもわかる。
しかし何故車は窓を開けない?開けてないと音が聞こえないぞ。危険だぞ。
ましてやカーオーディオをかけながら運転など言語道断だ。救急車両の音も聞こえづらくなる。危険だ。大変危ない。
このあたりをすっきりさせてくれないと、自転車でイヤホンをつけるのが危険と言われても全く納得できない。
ようするに批判者は、何も考えず空気で批判しているだけにしか思えないので、俺がイヤホンをつけることを
止めることが出来ない。誰か俺を納得させてくれ。
リスクと便益のトレードオフだからね。危険性だけ見るなら車も自転車も廃止すべきじゃ。毎年どんだけ人が死んでるか。
わかる
みんな真面目に答えてくれてありがとう。とても嬉しいです。
ちなみに、車・バイクの免許を持っていてそっちにも乗ってます。
カーステ聞きながら助手席の嫁と会話したりしながらも、これはおかしいなーと思ってる。
車と自転車を比較するのは、そもそも車のほうが危険だろう。死者数がそもそも違う。自転車が加害者になって歩行者が死ぬのって年間20人くらいだろ。全然スケールが違う。殊更危険が叫ばれすぎているように思う。
http://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/41-2-03.pdf (22ページ参照)
どう考えても車のほうが危険で、自転車は他者が危険というよりはむしろ自分が死ぬリスクが増えるからイヤホンは辞めておけっていうように思える。これなら納得できる。
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音楽を聞きながら運動しないでいると肥満による健康リスクが上がって、むしろ寿命は縮む。
退屈も嫌だしな。
オーディオブックで学べない人生の機会損失による危険性も上昇する。所得が下がると寿命は縮む。
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>自分は自動車、自転車、バイクすべて日常的に乗っているので以下考察。
納得です。ありがとう。
これ、車にも同じ事を言いたい。窓を開けて運転すべきだと!
>教習所では基本的に視覚情報からの認知、判断で安全確保できるように訓練を受ける。
>これは正解っぽいが、元増田はどう思ってる?
少し納得できるんだけど、やはり車のほうが加害リスクは超絶に危険なので
車には免許があるんだからと同じ扱い以下なのは納得しかねる。本当に危険な事よりも危険に見える事を世の中が重要視しているようにしか思えない。死者数で言えば少なくとも数十倍以上加害しうる危険な運転が免許があるから、十分で自転車こそ気をつけろは納得感が薄い。
自転車のイヤホンごときを注意するなら、統計上物凄く危険な車の運転はもっと細心の注意を払うべきだ。
本音を言うとカーステも規制する必要はない。同時に自転車のイヤホンも規制する必要はない。リスクよりも便益が勝るからだ。
思考停止のこういう奴こそ、社会の害悪。根源を問わずして正しい道は見えてこない。ソクラテス的な常識を問うそもそもの問をしない奴がいるからこそ、勝てもしない戦争はするしブラック労働は止まらない。
科学技術はとっくの昔に追い抜かれて、日本には任天堂のゲームやアニメがあるから…と言っていたネトウヨ最後の砦のゲームやアニメとかも今や中国のほうが上だけど、フィギュアとかももう向こうのほうが勢いあるわ。
プログラミングの話。
よく、「既存のAPIは使いづらいけど、このライブラリを使うとエレガントなコードが書けます」
みたいなライブラリを見る。
ライブラリの学習コストは高々一週間で分かる程度だから良いとして、メンテされてないとか、バグが多いとか、生のAPIを触りたいけどさわれないとかの理由がつらくて結局使わなくなる。
そういうラッパーライブラリって結局使うべきかどうか分かんなくなっちゃう。
以前はフェーズ1〜3くらいまでリリースしたらハイガッツリ作り込むのは終わりっすよ〜保守はほそぼそやりましょ〜って感じで良い客ばかり相手してたSIerだっから、「おっこのライブラリ良さそうやん、この案件で使おうや」と提案しても「ええやん」「やるやん」「クールやん」で即採用だった。
でもいまは1つのアプリを毎年ゴリゴリ更新してる内製アプリの会社にいるので、そう安々と採用してしまうとあとで地獄を見てしまう。というか地獄を見たツワモノ方からの圧力をピシピシ感じ提案することすら出来ず、そのへん前職とのパラダイムシフトに戸惑っている。
はあ、結局サード製のライブラリなんて使わないほうが良いのかしら。
そんな事を思いながらGitHub Trendingに流れてくるそれ系の便利ライブラリにスターをつけるだけの作業が今日もはじまる。