べつにどうもしない
めんどくさいんで四行で
自分はFtXで、パンセクシャル(男女トランス問わず愛せる)寄りのAセクシャル(性欲がない)と自認している。
積極的に性自認やセクシャリティについてオープンにしているわけではないが、聴かれたら答える。
隠しているわけでもない。
私が一番最初に「LGBT」について考える機会を持ったのは、外国人と言語を教えあうようなコミュニティアプリに参加していたところ、各国の性的マイノリティの方の集まるコミュニティを教えてもらったあたりだった。
元々興味深かったし、当時は曖昧だった自身の性の認識を確かにするために、英語など外国語は全く不得意ながら参加することにした。
当初私は何を指しているのかよくわからなかった。
なんで彼らは誇りを求めるのだろう。
それから数ヶ月経ち、自分の性別の違和、女性を強制されることに耐えられなくなって、制服を男性のものに変更してもらい、登校するようになった。
元々男子のクラスメイト達のグループだったし、あいつはそういうやつだ、となって、全く問題なく学校生活が送れた。
加えて、通学中にしても、わざわざ聞こえるところで悪口を言うような人もいるし、なんで女なのに?と見た目を変えてもなお女性を強制する人もいた。
体は女だが、見た目は髪型まで男に寄せている。
どちらに入ればいいんだ。
どちらに入っても通報されそうだ。
もやもやしているのは、制服まで男性に寄せた私はともかく、なんとなくオカマっぽいキャラクターの男子生徒が「オカマオカマ」と本人が否定していながら囃されることだ。私についてはそこまで執拗には言わないのに、中途半端だと茶化されるのか。
修学旅行の班決めの時は、男女別で分けたいという意見があったが、私がいたせいで基本的に混成の構造になってしまったのと、半端な性別ゆえに扱いにくいのか、これといったグループに参加していなかったのとによる「どこにいても迷惑なのでは」という考えに囚われ、少し仲のいい人にさえ声をかけられず、メンバーの希望は全く叶わなかった。
私は独りなのかもしれない、と初めて感じた。
制服を変える前に、スカートを履きたくなさすぎて不登校になっていたときにも思ったのだが、どこにいても罪悪感が付きまとってくるのである。
女性専用車両の話で「男と女」の対立構造の論を見ても、私はどちらにもいないんだな、と感じて胸が重くなった。
もしかしたらトランスやnonbinary(日本ではX)は透明人間、存在しないものとして扱われているのでは?とまで考えた。
そこでふと思い出したのが「pride」だった。
私は性別に負い目ばかり感じて、誇りが持てていない。
周囲の狭いコミュニティでさえ是とされていないと感じるものが、社会的に認められていると考えることは、若い私には難しい。
女性の地位向上のためのシステムが「男女差別」と言われるのは、彼らの目に写る男女の像が「平等」であることを指す本来好ましいことの筈なのだが、実際格闘技他のスポーツで特別に鍛えている女性でもない限り、男性の力に抗うことはできないのだから、「pride」が損なわれている状態になる。
一般的に自分の生まれもった性別に違和のない人のことをシスジェンダーと言うが、シスジェンダーの人でさえ誇りをもって「男」「女」として生きている訳でもないと思うのに、どうしてトランスが誇りを求めずにいられよう。
「ひとりの人間として」考えれば、男も女もトランスも何も変わらない。
ゲイでもレズでもバイでもヘテロ(異性愛者)でも、見た目だけではわからない。
それを何故排除しなければいけない?
そしたら周囲の理解や協力を求めるのも至極当然のことだろう。
女性専用車両の場合は話が難しいが、少なくとも性的マイノリティについてはこの理論で通せる筈だ。
ヘテロセクシャルの人が同性愛者を気持ち悪がるのは構わない。でも排除してはいけない。
あなたは偶然異性にしか魅力を感じないだけで、両性共に魅力を感じることのできる人は、普通にいるのである。
恋愛感情を持たないノンセクシャルの人だって、結婚や恋愛を強制されることなんて必要ない。
同性愛者の権利向上を唱えるのは、なにも「あなたも同性愛者になろう?」という誘いではないのだ。
女子小中学生には見せたいですね
章冒頭などでの小話が毎回長い、とか感じたりすることはある。
上の増田を読んで思った。
そういえば今でこそカービィって星のかけらを100個集めたら1upするけど、
となると、初期のカービィは一体どうやって、プレイヤーの動線を引き出していたのだろう。
それらのゲームには別のゲームデザインがなされていたのだろう。
それを考察しようとしたが、面倒くさくなったので止めた。
誰か続きを書いて。
○昼食:出前一丁
○調子
掃除、洗濯、買い出し、領収書の印刷、ホテルの予約変更、各種公共料金の支払い、など土曜日ダラダラしたぶんこなさないといけないことを頑張った。
しかし、そのあと東京に行きたくないという気持ちが頂点に達し、部屋で本を床に叩きつけるなどの迷惑な行為を行ってしまった。
よくないよくない。
よくないが、こうもイライラしてるばかりで、何もできてない状況もよくないなあ。
パーっと遊びたいところだけど、どうにもそんな気分にもなれない。
なんかうつうつして、元気が出ない。
ゲームしたいなあ。
いやすればいいんだけど。
なんかですね、誰でもそうかもしれないけど、プレイし始めると割とプレイするんですが、
はああああ、東京行きたくねえなあ。
●3DS
○ポケとる
メインを進めている。
690ドダイトスまで来たけど、これはフルアイテムじゃないと無理そう。
つうか、ポケとる終わるんだったな、なんか完全に習慣になってる。
コマスターどうようスパッとやめて、他のポケモンしようかしら。
USUMで育成環境整えてオンライン対戦でもするか、ポッ拳でオンライン対戦するとか、そういう方向にいこうかなあ。
女性専用車両といっても障害者は男性でも利用出来るってアナウンスがあったので、弱者専用車両だと思うんだけども。
痴漢に合いそうにないのにと後ろ指さされるのが嫌で乗った事ないけど、例えばギュウギュウの満員電車に乗っている女性が女性専用車両に移動すればその分空くのに。
フリーライダーが問題って要するに、満員電車なのに優先席に誰も座らないようにしろという話ですよね?
健康な人でも3人座ればその分多く乗れるのに。
なぜそういうムダな事をするべきと考えてるんだろう?
いわゆる低学歴と貧困の連鎖というなんとなくでもイメージできるような、あの教育格差が生じてしまう理由。
よく言われているものとして
勉強に興味がない
などがあるが、これら以外に、見落とされがちな理由を発見した。
「親がテレビやギャンブルなどの即物的な娯楽にしか興味がない」「家庭内で勉強や読書といったものにこだわりがない」そんな家庭だとああいった無頓着な低学歴を生み出すのだと思われる。
「家には漫画や雑誌以外の本がほとんどない」と揶揄されるようなこと、つまり「親の知的水準をそのまま引き継いでいる」という事象が起こっているのだ。
親が教養や勉強にこだわりを持ち、知的環境に気を使っているような家庭の子どもは、たとえ試験勉強のガリベンでなくても、自然とそこそこの成績があげられるように育っている。
筆者自身、親兄弟に学問の高みを教えられることなく、また環境から学習することなく育ち、大学に入ったあたりでようやく学問や教養の気の使い方とは何かということを学習できた経験がある。
また、家庭環境と類似して、勉強に興味がある友人がいないというのも一因と考えられるだろう。
思春期においての成長過程で、知的好奇心を追求するという定番の通過儀礼を体験してこなかったのである。
よって、ヤンキーの学歴が底辺な理由として、「環境」にそもそもの大きな要因があるし、これが派生して「勉強に興味がない→金をかけない」というプロセスにも至るのだと説明ができる。
以上、教育格差の話でした。